石工の魂

昨日、江戸時代末期から続く郷里の老舗石屋の五代目主人の方にお話をお聴きするご縁がありました。聴福庵の沓脱石を探している関係でご縁をいただきましたが、改めて石大工の仕事の深さを感じる機会になりました。

そもそも石屋は、石を刻んで細工する職人のことをいい石大工、もしくは石工(いしく)と呼びます。

石大工の歴史を辿れば、はじまりは遺跡にもあるように石を様々に加工して暮らしの中で利用したところがはじまりだと思いますが主に進歩があったのは鎌倉時代で社寺造営に石材が使われはじめ石大工の活動が活発になった頃からだといいます。室町時代には一般庶民の神仏信仰が盛んとなり各地に石仏や石卒塔婆が作られるようにもなってきます。そして戦国末期から江戸初期になると築城用石材が多く使われ、茶の湯の流行もあり茶庭におく石燈籠や手水鉢など小型石材加工品が出てきます。さらに江戸時代も中頃になると庶民でも墓石をつくることが一般的となります。そして全国各地で石切場の開発がなされ、石屋が急増したといいます。近代は、戦争があって戦死者を祀ることでたくさんの墓石が建てられました。そのころがピークであとは、安い韓国製や中国製、手作業から機械に代わり大量生産が可能で加工が便利になり、かつての石屋が激減して今に至ります。

昨日、老舗石屋の五代目主人にお話をお聴きしていると石大工の仕事は心が必要であること、石という何億年も何万年もかかってできたものを加工するのは神仏と深いかかわりもあり、神聖な仕事であること、先祖先人が遺した真心の手を入れた石にはいつまでも守る責任があることなど教えていただきました。

現代は、墓石も建てられないどころか捨て去られ、安価に購入できる外国産の石が国内には溢れています。またかつて貴重といわれた石も、卸業者によって価値が壊れてしまいゴミの山のように廃棄されています。石の最期は、産廃業者が集めて粉々にし砂利にすると言っていましたが長い期間をかけて出来上がった石をいとも簡単に機械で粉々にして捨てるという現実をお聴きし、人間の都合の便利さの陰に昔ながらの自然との共生が失われていくのを改めて実感しました。

最近では伝統の石大工は激減し、ほとんどが廃業に追い込まれてしまったそうです。五代目主人が修行した四国の伝統的な石屋も先年に倒産したそうです。畳や桶と同じで、日本の大切な文化が消えかけているのはこの石工にも起きていました。

また石場で捨てられた石が山積みになったところをみると、お地蔵さんや名前の入ったお墓、その他、仏塔や石碑、ありとあらゆる石がゴミのように捨てられていました。

江戸時代末期から明治の頃のお話をお聴きすると、先祖の石大工は鑿と金槌を持ち山に入り石があるところで墓を加工していたともいいます。また墓を建てるというのは、祝事ですから地域の人たちがみんなで無償で協力して石を運び、助け合って建てていたといいます。その頃は、石工も一緒にご祝儀をいただいていたそうです。そのころの方が、石も喜んでいたのではないかと感じます。戦争時に戦死者が増えてみんなが墓を建てた理由は、その人たちの御蔭で今の自分たちがあることを忘れまいとしたからだそうです。今はその建てた世代が亡くなり、途端に管理が面倒だからと墓が子孫によって捨てられていくようになったと嘆いておられました。

悠久の年月、いつまでもその人の御恩を忘れないようにと頑強で丈夫な石を選んでしっかりと心を籠めて刻んだものが今ではそれが処理するのが高価で不便になり、そのまま放置して誰も管理せずに捨てていく理由になっているというのはとても残念なことです。これは古民家の空き家と同じです。

石は私たちに記憶を刻むように心を留めます。その心に留めたものを捨てるのは、私たちが初心や原点を忘れているからかもしれません。

改めて石大工の棟梁の心構え、石工の魂をお聴きし、ここにも日本の職人文化が深く根付いていたことを学び直しました。改めて、聴福庵の仲間になってくれる沓脱石の存在と今回のご縁を結び、自然を尊び、石の本質を確認しながら和の甦生に取り組んでいきたいと思います。

風土人の使命

懐かしいものに触れていると心が安心するものです。その懐かしさは決して物だけに限らず、景色や景観、食べ物や遊び、それに人柄や雰囲気などにも感じます。この懐かしさというのは、私たちが慣れ親しんできたものともいえます。

この慣れ親しんだものが身近にあることで、私たちは風土の存在を感じます。環境というものは、それまで暮らしてきたものが集まってできてきているものですから長い間一緒に暮らしてきた関係性というのは懐かしいものです。

文化が醸成されていく中で進化というものがあります。本来は、時間をかけて自分たちの文化に馴染むように少しずつ取り入れていくのが進化の過程ですが現代のように、文化の入れ替えといってそれまでの文化を異なる文化に換えてしまうというのは進化ではありません。

例えば、住宅においても食においても価値観においても私たちはアメリカから渡来した文化に総入れ替えしています。それまであった文化は、古臭く価値がないと捨て去り、新しく欧米から入ったものだけを新鮮で価値があると教え込みます。

少しずつ、日本のものへ和訳したり和合したりして自分たちの風土に即したものにすればいいのですがその時間がないのか、不便だからか、あっという間に風土を無視した取り入れ方をしていきます。

住宅においては、日本の田舎でさえ最近はまるでアメリカやカナダ、ヨーロッパにあるような住宅を建てます。またマンションなどもそうですが、鉄筋コンクリートで完全密封し総合空調を入れているところがほとんどです。風土に即していないから、大量の電気代やその他の費用を人工的に補てんしながら便利な生活を満喫しています。

しかし西洋にいけば、上手にアジアの文化を自分たちの中に取り入れて新しいものを生み出しています。それは住宅においても、またその他の食や衣服にいたるまで世界にある多様な文化を取ってつけたように挿げ替えるのではなく、時間をじっくりとかけてその国の人たちが自国の文化に合うように醸成していくのです。

日本の文化で海外で花が咲いたものには、禅や柔道、それに食でも寿司やうどん、先日の包丁やアニメなども世界にじっくりと取り入れられその国のものになっています。

本質は無視して形だけを便利に挿げ替えるやり方は何も考えなくてもお金さえあれば簡単に加工できます。しかし文化とは本来、本質を学び本質を取り入れることですからじっくりとそのものの文化が由来した意味や価値、自国の風土に照らしてどのように和で料理するか見極めるのがその風土人の使命でもあります。

懐かしいものや親しんできたものには、その意味や価値がしっくりくるように馴染んでいます。子どもたちのためにも風土人としての世代の責任を果たしていけるように、和魂円満の実践を高めていきたいと思います。

包丁の続き

先日、包丁のことを書きましたがもう少し書き足しておきたいと思います。そもそも包丁の歴史をかんがえてみると、はじまりは古墳時代にある石器によります。先の尖った石で食材を切っていたことが古墳から出てきています。

その後は、製鉄技術が発展し日本刀を経て今の包丁になっていきました。しかし包丁の質と量でいえば、かつての日本の暮らしや和包丁の方が遥かに発展しており、今の便利な三徳包丁一つで済むようなものとは異なりました。

なぜ和包丁が減っていったかと洞察するとこれは明治時代の文明開化の際に日本人が西洋食を中心に食べるようになったことが関係があります。西洋の料理は肉が多く、包丁も西洋式の牛刀を用います。これは肉には健などの固い部分がありますから体重をのせて切りますから和包丁のように引いて切るものではありません。しかし牛刀だけでは野菜や魚を切ることが難しいのでその後、万能包丁として三徳包丁というものが発明されその一本ですべての食材を切るようになってきます。

この三徳包丁の特徴は、肉や魚を捌きやすいように切っ先は尖り気味で刃先は反っています。ただし野菜の千切りなどにも対応できるように、刃の反り具合は非常に緩やかにできています。つまり西洋の牛刀と日本の菜切包丁の「良いとこ取り」をしているからこそどんな食材でも楽に切ることができるという訳です。

しかしこの万能包丁はホームセンターに販売されているその他の便利な道具などと同じで誰でも簡単に素人でもプロのように使えるというもので本格的にプロが使おうとすると使いにくいものになります。

三徳包丁は万能ですが、しかしやはり和包丁のようにその食材に合せて造られたものではないわけですからすべてが100点満点ではなくすべてにおいて平均以上くらいの使い勝手があるということです。万能は言い換えれば、可もなく不可もなしとも言えます。

私は「持ち味を活かす」という方に特に興味がありますから、全部が平均であるよりも強みも弱みも併せ持っているものの方がそのものらしいあるがままの個性が発揮され、みんなと一緒に存在する全体の中で活かしあえますから多種多様な包丁の方が豊かで楽しく感じます。

いくら三徳包丁があるからとはいえ、肉はやはり牛刀の方がよく、魚は出刃包丁、野菜は菜切包丁の方が本来の使い手にもよく、食材にもよいのは明らかです。なんでも誰にでも便利な方へと価値観が変化したのが明治時代以降だということが包丁文化からも観えてきます。

この明治時代以降の食文化の変化と共に包丁文化も失われてきましたが、今一度、明治時代の前がどうであったのかを学び直し、便利さを追求した先に合った今はどのように豊かになったのか、本来の私たちの先祖が大切にしてきた生き方や暮らしはどうだったのかを見極めていく必要を感じます。つないでいく文化の担い手は今を生きている私たちだからこそ、文化を知ることは自分のルーツを知ることなのです。

子どもたちに日本の文化を伝承していくために、身近な道具から学び直していきたいと思います。

暮らしの信仰

昨日、長崎県平戸市にあるお客様の寺院にてお風呂の神様として祀られている「跋陀婆羅菩薩」(ばったばらぼさつ)のお話をお聴きする機会がありました。ちょうど聴福庵のお風呂場の甦生に取り組んでおり印象に残りました。

古来より日本の家には多くの神様がいて祀られていました。福を授ける大歳神、家全体を守る天照大神、台所の火を守る三宝荒神、家中の火を司る火之迦具土神、家の穀物を守る宇迦之御魂神、台所には他にも布袋、恵比寿、大黒神、井戸や水場を守る弥都波能売神、トイレには烏枢沙摩明王と弁財天、家宝を守る屋敷神の納戸神、窓や風を司る志那都比古神、門を守る神様の天石門別神。家屋、屋根を守る大屋毘古神。家の戸の神、大戸日別神。他にも似た神様に座敷や蔵の神様に座敷童子、そして先ほどの風呂場の跋陀婆羅菩薩です。

いざ書き出してみると、これだけ多くの神様が守ってくださっている家。ここにはもはや宗教の違いを超えて常に身近に神様がおられ私たちの暮らしを守ってくださっているという生活をしてきたことがわかります。

先日、ある方が祖母が早朝より古民家の中にあるありとあらゆる神棚の御水替えでだいぶ時間がかかっているとお聞きしましたがそれだけ昔から家の中の守り神を日本人の先祖は大切にしてきたように思います。

今の西洋式の家屋では神棚もない家が増えてきました。家を守っている神様が一つも目に見えるところにもなく、信仰する場もない環境ができてしまえばかつてのような日本の民家の暮らしもまた消失していくのは時間の問題なのでしょう。

昔は水も火も風も、土も穀物もすべて自然からの恩恵でありその恩恵があって家での暮らしが成り立っていました。その感謝を忘れないで大切に守ってくださっていることに祈る日々が暮らしの根っこにあったように思います。

当たり前になってしまっている現代の便利な生活の中で、失ったものが何かは神様がいなくなったことでわかります。私たちは暮らしを通して信仰心を養い、生き方を磨いてきたからこそ日本人らしい感性が伝承されてきたようにも思います。

改めて、古来からの暮らしの信仰を見直して引き続き子どもたちのために家を甦生していきたいと思います。

包丁の文化

先日、聴福庵に古来のたたら製鉄法を用いた玉鋼の出刃包丁が届きました。和包丁の一つ出刃包丁は魚を捌くためのものであり、現代では肉を切るのにも用いられます。

出刃包丁の名前の由来は、「出刃包丁について確認できる最も古い記録は江戸時代の『堺鑑』であり、「魚肉を料理する庖丁」と紹介されている。その時には既に堺の名品として知られていたらしく、詳細な登場時期や普及過程などは明らかになっていない。 『堺鑑』には「その鍛冶、出歯の口もとなる故、人呼んで出歯庖丁と云えり」と記述されているが、これが普及や時間経過とともに「出刃」に変わっていったものと考えられる。」とウィキペディアにもあります。

なぜ出刃というのかと気になっていましたが、まさか大阪の堺にいる出っ歯の鍛冶職人が名前の由来とは思わず驚きました。大阪らしい感じがしますが、出刃包丁がよほどの使い勝手の良さと切れ味、個性のある鍛冶師だったのではないかと思います。

今ではスーパーでなんでも便利に用意してくれているため、昔のように魚の三枚おろしなどしなくなっていき出刃包丁も家庭での出番が失われてきました。肉も洋包丁を用いていますからますます出番がなくなってきています。

そもそも用途の歴史を辿れば、日本最古の包丁で現存しているものは奈良時代のもので奈良の正倉院で保存されていますがこの包丁は柄が長く日本刀に似た形をしているといいます。江戸時代になるまで、包丁はほとんど日本刀で切っていたということになりますからその切り方もまた日本刀に準じて「引いて切る」という切り方になったのでしょう。

江戸時代に入ると、平和が続き刀鍛冶の仕事が少なくなってきましたから包丁鍛冶師に転向していきました。江戸時代は例えば寿司の文化も開花しているように、他にもさまざまな食文化の発展と共に包丁鍛冶師も和包丁もまた進化していきました。

ちなみに寿司のはじまりは江戸時代後期の文政年間(1818~30)といわれ、創始者は江戸両国の「与兵衛寿司」の華屋与兵衛(はなやよへい)とも、江戸深川は安宅六軒堀(あたけろっけんぼり)の「松のすし」の堺屋松五郎ともいわれています。

そして明治時代に入ると西洋文化が入ってきて同時にいろいろな料理方法や料理と共に西洋のナイフが広まっていきました。特に牛刀という名前は、包丁で牛肉をさばくための包丁と言うことで呼ばれるようになったとも言われます。

そして西洋と日本の食文化を合体させた日本人は牛刀と菜切り包丁の機能を持つ「文化包丁」を創り出します。そして一般家庭でどの種類にも便利に使える「三徳包丁」になっていきました。今ではセラミックやステンレスの技術が入り、包丁はあらゆる素材で作られホームセンターなどでも販売されています。

私は現在、今の時代に包丁文化を甦生させている最中ですから敢えて玉鋼の包丁を用い研ぎ、学び直しながら創意工夫をしていますが改めて使えば使うほどに、その持ち味に感動しますから引き続きこの包丁の文化もまた子どもたちに伝承していきたいと思います。

包丁と研ぎ

昨年、包丁の研ぎ研修を受け包丁研ぎをはじめてから様々な和包丁のことを深めています。この和包丁は、「和」とつくように日本の文化から発明された包丁です。

そもそも「包丁」という名の由来は、荘子の「養生主篇」にある中国の戦国時代の伝説の料理人からきています。「庖」は料理人のことを指し、「丁と言う名の料理人」と言う意味とも言われます。

これはどういう内容の故事であったかご紹介します。

『庖丁はある時、魏の恵王の前で牛を一頭料理してみせました。この時の庖丁の刀捌きは見事の一言で、あっという間に肉は骨からはなれていき、手捌きが刻むリズムは心地よく、身のこなしは殷の湯王が桑林の地で雨乞いをした際の舞楽「桑林の舞」を思わせ、手の動きは堯の時代の音楽である「咸池」の一楽章にあたる「経首の会」を思わせるほどだった。そこで恵王は、「実に見事なものだ。技も極めるとここまでになるものなのか。 」と驚嘆の声をあげて褒めたたえたといいます。それを聴いて庖丁は刀を置き、『これは技ではございません。技以上の「道」なのであります。私がはじめて牛を料理した時は、目にうつるのは牛のみでどこから手をつければよいか見当もつけられませんでした。しかし三年目には牛の身体の構造が見えるようになり、今では目を使わずとも心で牛の身体をとらえて、骨と肉の間に刃をいれ、けして骨に刃があたるようなことはありません。牛を料理する際は、料理人はどうしても骨に打ち当てて刀を折ってしまいがちです。私は、この刀を19年近く使って数千頭の牛を料理してきましたが、刃は研ぎたての新品同様です。 』と語りました。庖丁の言を聞いた恵王は、「これは良い話を聞いた。無理をしないのが人生を全うする極意と心得た。 」と言って、料理する刀を庖丁と呼ぶようになった。』

この故事が日本に伝来し「包丁(ほうちょう)」という名で今では当たり前に台所で私たちの料理を手助けする身近な道具として使用されています。

以前、東京の250年の御鷹匠の老舗(今では軍鶏鍋)の玉ひでに訪問した際、案内に初代山田鐵右衛門が将軍家の御前にて、血を見せることなく骨と身を取り分ける包丁さばきで鶴を奉納する御鷹匠仕事を行う家だったことを思い出しました。

本来、包丁は日本刀を用いて料理をはじめその後、次第に形を変えて今では100種類以上の和包丁が存在します。そのものの素材やいのちに合わせ、様々な形状を持つ和包丁には、日本人の素材やいのちに対する生き方、姿勢(道)を感じます。またお造りや刺身に見られるように、魚そのもののいのちを傷つけずに庖丁を入れる日本の技には和包丁の特徴が発揮されています。

日本の風土は古来より瑞々しさと新鮮さにより生食を好んできました。そのいのちを活かす料理には、和包丁の存在は欠かせません。今では、一般的な家庭の台所には西洋の便利な包丁が1本か2本しか持ち合わせていない家も増えているようですが世界が感嘆して評価する日本の伝統文化「和食」を陰ながら支えているのは和包丁の存在であるのを決して忘れてはなりません。

かつての時代の和包丁もご縁から少しずつ聴福庵に集まってきました。あらゆる料理の素材をどの包丁を用いるか、どのように切ればそのもののいのちを活かせるか、奥深い世界が存在しています。

古の道具は、私たちの魂を磨き先人の智慧が凝縮された日本文化の道具は私たちの生き方そのものを磨き直します。

引き続き、包丁と研ぎを深めながら子どもたちに生き方を伝承していきたいと思います。

風土と暮らし

昨日から京都の鞍馬寺に来ています。少しずつお山が秋の気配に色づきはじめて空の秋風の透き通った青さと流れる雲の白さ、そして緑が合わさって水がキラキラ輝いてみえます。

自然というものは、その風土の中で一体となって一緒に存在しているため小さな変化は全体の変化を促していきます。いのちが輝くというのは、その偉大な存在の中にあってすべての生命が一緒に生きている中でこそ燦然と輝きます。

もしもこれが人工的にバラバラになったのなら、それぞれが輝くことはありません。生き物がイキイキといのちを働かせてハタラクには、風土の存在が欠かせないのです。その風土の存在があって私たちは存在することができますから、常にいのちは風土と一体になっているということを忘れてはいけません。

循環という言葉があります。

これはいのちがめぐり、様々なものが有機的につながり存在していることを顕していますがその本質は共に生きるという共生のことを意味します。一緒に生きているからこそ、お互いの存在を思いやり尊重して生きていくこと。それが循環の意味です。現代では、部分だけを見てはバラバラにし、部分だけを排除しようなどとしますが万物はすべて共生していますから一つだけを除いたらすぐに全体の何かがバラバラになっていくものです。

存在の原点を忘れてバラバラになるということは、一緒に生きるのをやめるということでもあります。豊かで瑞々しい風土の中で、共に仲間と生きていけばみんなニコニコと仕合せに楽しく生きることができます。その反対に、自分さえよければいいと風土から離れ自分勝手に孤立して生きていけば誰とも分かち合えません。

だからこそ「自分」というものを決して勘違いしてはなりません。自分しか知らない傲慢な自分ではなく、謙虚にみんなと一緒に生き活かされる「自分というものの存在」を静かに見つめ直す必要があるのです。

一つの風土をそれぞれが生きる主人公としてみんなで分かち合うというのは、いただいている恩恵に感謝しみんなで一緒に生きていく自然の姿、みんなのいのちが輝く姿です。

子どもたちもこのいのちの原点に魂が触れることによって、自分がどの風土に生まれ一緒に生きていくのかを確認します。その根のつながり、いのちの原点が感じにくくなっている現代の環境において、その後大人になった人たちが本当の自分を見失っていることが増えているように私は感じます。

風土と暮らしがなくなることは、自分らしさがなくなることです。

人類の未来の子どもたちのためにもこの美しい風土が育てた本物の環境を三つ子の魂百までに触れてもらい、そのうぶな心に真相を伝承していきたいと思います。

主体性の本質

主体性を考えるときに、一つは世界観という物差しがあるかどうかということを思います。人は自分のいるちっぽけな世界を世界だと思い込んでしまうと、自分のことしか考えなくなるものです。主体性は、自らが世界になることであり世界の一員として自分が何をすることが役に立つのかを考えるとき発揮されていきます。

インドのマハトマ・ガンジーは、「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」といいました。

他にも「自分が見たい思う変革に、自分自身がなりなさい」ともいい、自分自身が変わることが世界が変わることだとも言いました。

私が思う主体性が発揮されない理由の一つは、それまでに教育や環境で刷り込まれたものが捨てられないからだとも思えます。それは今の自分が捨てられないということです。自分のプライドとか保身とか、そういうものを握っていたらなかなか自分を変えることができず生きづらい日々を歩むことになります。

人類のために自分が何ができるかを考え、自分が変われば世界もまた変わると思えばそれまでの自分に固執するのではなく自分がこうあってほしいという世界に向けて自分自身を改革していくことで刷り込みが取り払われていくようにも思います。

そして「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」といい、日々に刷り込まれていく中で如何に流されずに自分自身であり続けるか、そのためにも主体性が常に必要で日々は改善と改革の連続であり「今の自分を毀し続ける日々」でなければならないように思います。それが実践であり精進の本質です。

柔軟性というものは、目的のために今の自分を毀し続けるということですから理念に合わせて自分をいつまでも持って頑固になるのではなく、理念に従ってもっと善い方があればそういう自分になっていくということでもあります。

最後にアメリカのJ・F・ケネディの演説が参考になります。

「世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機に晒されているときに、それを守る役回りを与えられた世代というのは多くありません。私はこの責任を恐れず、喜んで受け入れます。おそらく皆さんも、この役目を他の誰かや他の世代に譲りたいとは思わないでしょう。我々がこの取り組みに注ぎ込む精力と信念、そして献身的な努力は、この国とこの国に奉仕する人々を明るく照らし、その情熱の光は世界を輝かせるはずです。そして、同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか。」

このアメリカを会社に置き換えて読み直したり、このアメリカを日本に置き換えてみたり、世界に置き換えてみれば、すべては自分の改革にかかっていると呼びかけられていることに気づきます。

ケネディは、一緒に「つくる人」になって世の中を変えていこうと理念から呼びかけました。誰かがいつか何かをしてくれるという考えや、自分一人がやったってどうにもならないや、下っ端の自分のやることではないなどと思われる中で、そうではなく共に問題を一緒に解決していくためにみんなで理念や理想に向かって挑戦していこうとしたのです。

主体性というものは、まず人のせいにしないこと、そして自分自身が変わることを優先するものです。

引き続き子どもたちのためにも刷り込みに向き合い、人類の未来に向けて自分を変え続けていきたいと思います。

徳気

古語に「短気は損気」という諺があります。すぐにイライラしたり怒ったりしていたら結局は自分の損になるというものです。他にも「短慮功を成さず」のように、焦ってなんでも長期的配慮に欠ければ成功もしないというものもあります。他にも浅い考え方では、何も成功させる事はできないということでもあります。

この「短気」というのは説明すれば忍耐ができず、すぐに怒ったり飽きてしまったりする状態のことをいいます。 同義語には「気が短い」「気が早い」などがありすぐに結果を求めてしまいたいところがあります。

この短期の反対は「気が長い」という語はのんびりとして焦らないことを指し、時間をかけてじっくりと醸成するものを待つという状態です。短気は感情だけで動かしますが、気長に待つには根気とプラス思考、それに心の余裕やゆとりが要ります。

心の余裕やゆとりは、信じる心が先にあり、信じているから待つことができます。逆に不信や不安になると、ゆとりと余裕がなくなり焦り短気になります。感情に呑まれるのもまた、不安や焦りが出ているからだとも言えます。

私も何度も同じ現状が変わらずに、繰り返され変化がないと短気をおこして怒ってしまうことがあります。その後は、反省して恥ずかしいことをした、なんであんなに怒ったのかと後悔したりもします。よく考えてみると、相手は自分が自ら気づかなければ反省もなく、改善もなく、変わることもないのだから自らの気づきを根気よく待つしかありません。

気づかないのになぜ変わらないのかと怒ってみても、それは自分の気づかせることができない短気が原因であり、それが損気になって何事も悪循環を生んでいるということです。

時間がかかる人もいれば、パッと気づいて変わる人もいます。時間をかけた分、気づいたらそれを一生大事にする人いれば、気づいてもすぐに忘れてしまったまた同じことを繰り返す人もいます。

気づき方も人それぞれに個性がありますから「福は寝て待て」の心境で、そのうち気づいてくれるだろうと気長に待つ力を自分が磨いていくことがいいように思います。気長に待つという忍耐力は、これでいいとすべてを丸ごと受け容れる器を育てるということです。

はじめから簡単に思い通りに育つ人などはなく、その人が主体的に自分から取り組んだ分だけその人の気づきの質量が変わるのだから大切なのは「自分で気づいて反省すること」を繰り返していくだけです。相手に求める暇があるのなら、自分が先に反省した方が「徳気」を磨けます。これは私の造語ですが気長は得気、自省は徳気ということです。

聴福人として、待つことで徳を磨き、短気を反省することで己の足らざるところを恥じ、今日もまた己に克つ挑戦をし、自らの徳気を高めていきたいと思います。

美味しいプロセス~実りの意味~

昨日は、自然耕の実践園で有名な千葉の藤崎農場にて仲間たちと一緒に稲刈りを行いました。もう参加して4年目になりますが、毎年ここで田んぼを観察し藤崎さんの生き方に触れることで多くの学びや豊かさや安心感をいただいています。

この藤崎さんの田んぼは、生き物がいっぱいの田んぼでありとありとあらゆる多様な生き物たちの活動をイキイキさせながら一緒に美味しいお米を育てています。生態系の宝庫ともいえる田んぼは、文字通り宝石の粒だらけです。私が憧れた田んぼはいついも他の生き物たちを尊重している田んぼで、お互いに譲り合い思いやる田んぼには理想の社會があるかのようです。

お米は美味しくなるのは単に味が良くなればいいというものではなく、その味にはそのお米が育つまでに様々な行動や実践が積み重なり詰まっているから美味しくなります。

真心を籠めて信じ祈るように育てられたお米は、本物の味わいがあり、人はそれを「美しい味」と書いて美味しいと読むのでしょう。美しいとは、そのプロセスの美しさであり、結果だけを偽った見た目の良さとは異なります。そのプロセスが美味しいお米を食べながら藤崎さんの生き方に触れ、自分の何を改善していけばいいかに気づくことが豊かな学び直しになります。

人はなんでもそうですが、何かをしようとするときその何かをやること自体が目的になれば本来必要な準備も怠り、大切な真心を籠める手間暇を避け、単にスケジュール通りにやってこなそうと小手先の技術ばかりで取り組んでしまうものです。

そうすると結果だけが気になり、見た目の結果ばかりを求めるようになり真心はほとんど積み重ならずその行動もまた薄っぺらいものになります。小手先の技術は頭でっかちに考えた多少の技で済みますから、心や自然を相手にする場合はまったく効果がなくいつも自然から間違いを指摘され因果応報、その結果も相応に惨敗するものです。

自然というものは、何もしない中に豊かさが凝縮されておりそれは「信じるという心の準備を怠るな」と指導が入ります。信じて祈るという実践は、改善を積み重ねて学び続けて行動する姿勢そのものとイコールであり、常にそのプロセスを深めて味わい、探求心と好奇心で智慧を蓄え、そして御蔭様の感謝を忘れないことで自然に沿った実践となります。

藤崎さんの田んぼには、その日々の信仰と祈りが具体的な技術にまで昇華されており経営者としても技術者としても、また道の先覚者としても、さらに謙虚な人格も実っています。何かが実るということは、それだけの一つ一つの成長のプロセスを経たということでもあります。

何のために美味しいお米を創るのかのその目的や志が実って、この今に至っているということを知ると改めてご縁のめぐりあわせに感謝するばかりです。

私も子ども第一義の理念に取り組んでいますが、子どもたちの仕合せのために「美味しいプロセス」を一つ一つ大切にしどのような結果が実るのかを楽しみに待ちたいと思います。

味わい深い一日に感謝しています。