言語の限界

人間以外の生き物、例えば動物や昆虫、植物たちは言語を持っていないと考えられていることが一般的です。しかし、よく観察すればあらゆる方法を用いてお互いに様々なコミュニケーションをとっていることが分かります。例えば、身体の色を変えたり、羽を羽ばたかせたり、手足を動かしたり、特殊な匂いを発したり、音を出したりと様々です。人間の言語ほど複雑ではありませんが、それだけ通じ合わせてシンプルに生きています。

しかし人間の言語の複雑さはかえってコミュニケーションの質を下げていることがあるように思います。本来はシンプルに伝えあって通じ合っていたものが通じなくなり、おかしなルールやマニュアル的なもので理解させなければわからなくなっていったからです。

言語は用いて側が相手を利用するときに開発され続けています。今では情報化が進み、様々な新しい言語の用い方が増えています。コンピューターもまた言語で造られますし、新しい世代の意識もまた言語から造られます。言語は、膨大に増えていき増えれば増えるほど複雑化し多様化しますからシンプルに伝わっていたことも伝わらなくなっていくのです。

自然界はシンプルですが、非常に繊細にできているものです。情緒などもそれを感受できます。四季折々の移り変わりや、山川草木悉く微細な変化を続けています。そういうものを見て対話をするとき、私たちはシンプルな命のコミュニケーションをとっています。これは言語化するのは難しいですが、感覚で美しいと感じたり日本語で言う侘び錆びのようなものや諸行無常、もののあわれなどを感じ取るのです。

言語はそう考えると、あくまでコミュニケーション全体のほんの一部を顕しているだけで言語で完全に伝えあうことは不可能だということです。本来の伝達は共感があってこそということがここから観えてきます。心というもの、それがコミュニケーションの中心になります。以心伝心という言葉がありますが、すべての生き物は言語以外によって通じ合っていくのでしょう。

赤ちゃんや乳幼児期の子どもたちが、交わす様々な心情、意欲、態度によって得られるシンプルな対話から学ぶことばかりです。子どもに伝道することの意味を深く学び直したいと思います。