むかしの五穀田では、無事に収穫を終えて新嘗祭の準備に入っています。田んぼは静かに冬支度をはじめています。
私は自然農家をしていると自負していますが、それは何が根拠かというんものがあります。もちろん、肥料や農薬などを入れないことをやっているとか、機械をあまり使わずに手作業を中心にしているとか、むかしながらお米づくりを今でも守っているなどもあります。
しかし私が自然農家ということを話すのは、それが理由ではありません。
もともと私は本業は保育の仕事をしてきました。子ども一人ひとりを見守ること、子どもが子どもらしくいられることを大切にしてきました。
田んぼも同じで、一株一株の稲を見守ること、稲が稲らしくいられることです。そのためには、田んぼを保育しなければなりません。
田んぼとは何か、それは場のことです。
私は場づくりの大切に氣づいたのは保育の御蔭です。保育に関わることで、育てるから育つことの本質に目覚めました。一人の人間が育つに、どれだけ多くのいのちが関係性を結んでいくのかに悟るのです。そしてそこには偉大な「育つ場」がありました。
この育つ場とは、徳が循環する場のことです。
この徳とは、いのちとも置き換えても問題なく、それぞれのいのちが最大限活かされ、発揮される、つまりは耀くことで場は醸成されていきます。
田んぼであれば、微生物やジャンボタニシ、あらゆる水生生物から、鳥や虫、そして風や光や人間も含め、あらゆるものが大切に保育されます。
そういう場をつくることで、はじめて稲が元氣に育つのです。
元氣に育つためには、場を調える必要があります。それは場を乱すのが人間のエゴだからです。エゴをよく観察し、謙虚に素直に全体快適になるように自我を修養していく。まさに田んぼや場は、自己修養の練習道場でもあります。
知識を持って、道具をつくり、何でも思い通りにしてきたからこそ人間はちゃんとどこまでがいいのか、ほどほどがどこか、ちょうどいいものが何かを実践する必要があります。
そうでなければ、核戦争をはじめ、貧富の差や権力闘争、あらゆる不幸の種まきを続けてしまいます。
子どもたちには、健やかで元氣で平和や安心する未来を遺したい。だからこそ、私は保育に生涯を懸けたのです。
引き続き、育つ場を通して使命を全うしていきたいと思います。
