不動心や平常心という言葉があります。意味だけを調べると、不動心は何事にも動じない心をいい、平常心は普段通りの心のままでいることとあります。
しかし実際には、心が揺れ動くのは自然の作用ですし心のままでいれば日々の変化に感応しては感動していくものです。心を鎮めようと頑張ったり、冷静に保とうと意識すればするほどに心はざわついて惑うことも増えるものです。
よく眠れないときに眠ろうと頑張れば眠れなくなるように、これらの心の作用というものは自律神経が無意識に自然に行うものですから無理をすればするほどの裏目に出てしまうこともあります。
実際には何が不動心で平常心かを少し深めてみようと思います。
そもそも心とは何か、これは様々な定義もあり語源もまた未詳の部分が多い言葉です。それに心がつく言葉もたくさん存在します。実態があるようでない、まるで空気のような存在でもあります。
私にとっての心の解釈は、「ハタラキ」です。
心はハタラキそのものを顕現する言葉であり、様々なハタラキを心を使って表現しています。ではどのようなハタラキが心の本体であるか。私はそれを「調和」ではないかと直観しています。
心は常に調和するようにハタラクものです。つまり調和こそ心の作用の中心ということです。
実際に先ほどの不動心や平常心であれば、動じないことやいつも通りというハタラキを心が持っているということ。ではその心のハタラキが乱れるのは、そうではないハタラキになった時です。心が揺れ動くときや、いつもではない事変や激動の状況の中で心がかき乱されるときです。
まるでお水のように、濁流や嵐になれば荒れ狂います。しかし静かで深く沈んでいれば穏やかです。自分を保つのに杭を打ったり、あるいは身を捨てて浮かんだりと様々な工夫をしてはハタラキに対して調和しようと人はするものです。
調和においてとても大切なことは「安心」です。不安はさらに不調和を増大させていきます。不安に傾いていれば、小さなゆらぎでも大きく心は揺さぶられるからです。
だからこそどのようにその不安に応じていくかが調和のハタラキを助ける仕組みということになります。
むかしから「なんとかなる」と言ったり、「禍転じて福になる」と信じたり、人間万事塞翁が馬の故事のように、禍福は糾える縄の如しといって吉凶も幸不幸も変転するものだと悟ってしまえば心のバランスは調っていくものです。
実際の人生を客観的に観れば、不幸の御蔭で今の幸福があったり、成功も失敗も紙一重で何度も繰り返しながら偉大な循環をつくっていたりと変化することで生々流転して元氣に過ごしているものです。
安心立命という言葉もありますが、人生の醍醐味はまさにこのいのちのままでいるということに由ります。
日々の今をよく生きていくことは、修行のようなものですがそれはかけがえのない暮らしを紡いでいくことに似ています。
どのようなハタラキの心縄を結び、見事なしめ縄にしていくか。
試験も試練も一期一会ですから、この今を大切に過ごしていきたいと思います。
