お陰様で稲刈りは残すは古代米たちだけでほとんど収穫ができ稲架かけが終わりました。むかしの五穀田は、秋のお山の乾いた風が吹きおろしてきて藁の薫りや澄んだ太陽の光に揺られて心地よい音を奏でています。あと10日間ほど、天日干ししたら脱穀に入っていきます。
今年は大地の再生の矢野智徳先生とのご縁から大地のことを深く学び直しています。本日も午後からもBAでご一緒できますがいつも循環の徳を実感する実地に溢れています。
大地はお水や空気の流れが滞ると、土が締まり、植物や生き物が育ちにくくなっていきます。それと同じように、人が育つ場も、人と人、人と自然、人と地域の関係性が失われることで、本来の育つ力が弱まっていくように思います。
むかしの五穀田では結のみんなでお田植祭をし、草取りをし、稲刈りをし新嘗祭をします。効率化や合理化、機械化と消費化が進み人の手と手の関係性を結びご縁が登熟していくような場や暮らしの風景は確実に減っていきました。
かつての場や暮らしは、ともに働き、ともに食べ、道具を手入れし、自然と共に循環し、季節を迎える営みがありました。誰かが一方的に教えなくても、人が人から学び、自然から教わり、ともに育っていく働きがありました。
これを私は「育つ場」と呼びます。
風景というものは、不思議な存在です。風景とは、単に目に映る景色のことをいうだけではないように思います。風景とは心の風景であり、生きる人々の暮らしや、自然との関わり、積み重ねられてきた時間や記憶が顕現してくるものです。
心が風景を創っているのです。そして失われた風景も、心が記憶を思い出し懐かしいと感じる。懐かしい風景は、そのまま懐かしい未来に向かっていく。
だからこそ、私が古民家を甦生し、むかしの田んぼを甦生し、ご縁の関係性を甦生し、暮らしフルネスを通していのちが「育つ場」甦生しようとしているのだと。
育つ場の甦生には、まずこの懐かしい風景と失われた関係性を結び直すことです。
そこには今流行の有名な商品やメソッド、あるいは理論や考え方、著名人の講演や本で得られるようなものではありません。
特別なものは何もない、当たり前すぎること、そして世界の誰でもできることですし、今からでもやれること、つまり日々の暮らしをもう一度大切にすることです。
大地がお水や空気の流れを取り戻し生命が育つ環境を調えるように、育つ場も人と人、人と自然の関わりを取り戻し、互いの生命が育ち合う環境を調えていくのです。
暮らしの中にはあらゆる場があります。
その場こそ、人を真に育てるのです。専門的な教育や医療や宗教や科学でなくてもいいです。
まずは「暮らし」の中に入っていくこと、私たちが取り組んでいる暮らしフルネスは単なる体験イベントではなく暮らしを甦生しようとしている実践です。なかなか現代の忙しい生活、そして知識によって分断された効率や合理化された猛スピードで駆け抜けるような情報や物質的な金融社会ではその記憶や意識を保つことも困難です。
懐かしい記憶、失われた記憶、そして心豊かな仕合せな記憶を意識的に一緒に思い出していけるといいですね。
ここから十三夜祭、井戸掘祭、新嘗祭と続きます。
感謝しあう暮らしに秋の螺旋。
