自分を知る旅

人は自分のことが分からなくなるとスランプになるものです。このスランプというものは、自分以外の周囲のせいにしているときに起こります。問題を自分のせいだと気づく時、はじめて人はスランプから抜け出すからです。

矢印を自分に向けきるというのは、逃げないと覚悟を決めることとイコールですから実際は口でいくら矢印は自分と言っていても実践するということはとても厳しいことなのです。

人は皆、一体自分がどういうものなのかというのは自分が一番よく分かっていないものです。いくら客観的に自分の感情や周りのことを冷静に分析し理解できるとしても、一番身近な自分の弱さがどのようなものか、そして強みがどのようなものかはそこに自分の我が入っているから分からなくなるのです。

スランプに入る時に感情に呑まれるのも、本来の自分が観えなくなっているからなのです。

本来は、信頼できる人に委ねて自分の強みと弱みを発見してそれを転じていくことでその両方を活かすこともできるのですが、本当の自分に向き合うのはいくら師や友がいても自分の問題ですからその正対も自分でやることになるのだから苦しいものなのです。

特に変化するときや、チャレンジするときは、今までの自分の認識をひとつひとつ削ぎ落としていく必要があるからどんな人でも必ずその時はスランプに陥ります。そうやって乗り越えていくことで自分の確固とした人生を生き抜く土台を築くのです。特に若さとはそういうものでしょうし、その時にどのような「心がけ」があるかで道筋が決まるのです。

話を戻しますが本当の自分がどういうものなかということを知るということは本来の自分の中に深く入っていき、そして強く探りとっていくものです。

人は環境の中で自分というものを理解します。現代であれば現代の中の自分であるし、古代であれば古代の環境の中での自分が存在するようにです。つまり本来の自分というものは、周りとのつながりの中でできている自分というものがあるということです。

しかしそれは単に外側の環境に影響を受けている自分であって本来の何からも影響を受けない根幹の自分、無中の有というものはまた別に存在しています。言い換えれば、環境に左右されることのない命としての自分のことです。

その命の元である自分がどのようなものなのか、それを向き合い認めるには限りなく素直にならなければなりません。しかし人は素直には簡単になれず、何かが自分の思い通りになると思っているうちは自分に気づくことはないようにも思うのです。

よくこの時のことを感じれば、人は思い通りにいかない中に、必ず思い通りにいかせたくないものがあるのではないかと私には思えます。つまり私には、思い通りにいかないときに思いどおりにいくのを邪魔している存在があることに気づきます。その存在というものは、本来の自分とのバランスによってそれが執り行われるからです。

自分を知るというのは、耐え忍び信じ念じる中に顕われてくるものです。長い時間をかけてじっくりとゆっくりと沁み渡るように自分のことを理解していくもの人生なのです。思い通りにいかないときの方が、自分のことをよく知れ自分のことを理解し、本来の自分と向き合っているともいえるのではないかと私には思います。

自分を知るのは苦楽がつきもので、この苦しみの中にこそ楽しみの中にあり自分がそれを望んでいるという。ここに自我一体、自我一如、正しい自己の認識を掴んでいく鍵があるように思います。

すべてにおいて楽も苦も無も有もすべて自分との正しい向き合いという実践を通じて味わっていくことでそれを学ぶように思います。

いつまでも永遠に流れる自分を知る旅は、果しない彼方の先にまで続きます。一つの旅の中でまた新たに出会った自分の中のすべてを受け容れ、その強みも弱みも日常の中でつながりに活かしていこうと思います。

求法の旅4

慈覚大師円仁の「入唐求法巡礼行記」を読み終えました。

全4巻が織り成す様々な物語を読み進めていると、改めてその旅路の凄まじさが伝わってきます。特に、武宗の行った仏教弾圧は厳しいもので廃仏をはじめ僧侶たちが突如として様々な迫害を受けました。

それを逃れつつ、多くの方々に援けられ見守られ仏法を学びそれを日本へ持ち帰るといった偉業を為しているのです。

後半の部分には、行間に苦しかったことが書かれています。あまり日記全般の中には、そういう感情が入っている部分は少ないのですがこの後半の旅が如何に厳しかったかを物語ります。

例えば、(五月二十四日。朝早く出発した。夜十二時前後、淮水の注ぐ海に着いて停泊した。逆風と猛り立つ高波のため淮河の中に入っていくことができない。持っていた食糧が全くなくなってしまって窮迫、非常な不安と疲労におののいた。)

(七月二十日。出発して山や野を行く。草木は高く深く繁り人にもめったに逢わない。一日中、山にのぼったかと思うと今度は谷にくだって入って行き、泥水の道を踏み歩いてつらく苦しいことはこれ以上ないと思うほどである。)

(八月二十四日。文登県に着く。円仁たちは山を越え野を渡って衣服はぼろぼろに破れ使い果たした。県の役所に行き県令に会い、「当県の東端にある勾当新羅所に行って、食べ物を求め乞うてただ命を延べつなぎ、その間に自ら舟を求めて日本国に帰らしてほしい」と請願した。)

他にも、次々に厳しい勅が降りて仏教弾圧の最中を駆け抜けていくところや食事がろくにできない状態のまま休憩もさせてもらえずに厳しい扱いをうける所なども多くある。

また同時にその中で仏弟子に出逢い、丁重に大切にしてくださった人たちもあり、一期一会に感動する場面もあります。この日記には、その円仁の生き方そのものが詰まっており、これが与えた影響は本当に大きいのではないかと思うのです。

ここから空也、法然、親鸞が顕われてくるのです。特に法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったと言います。これらの実践の様子は、常に仏の教えの鑑となって法を求めることの価値を後世の人達へ与え続けています。

人の業績というものは、何をやったかというものもあります。しかしそのプロセスとしてどうあったかということはあまり論じられることはありません。師の果たせなかった夢を受け継ぎ、謙虚にその真理の実現のために尽くした至誠の人、この慈覚大師円仁にどうしても深い魅力を覚えてなりません。

これはまるで異種ですが私には、源義経、高杉晋作、直江兼続、松尾芭蕉など義に共通するところが見え隠れするのです。

人はどのようなものを信じて生きたかということは、最期には遺るように思います。何を信じてその人が生きたかというものは結果を見なくても、そこに何か映し出されてくるものがあるからです。

人が生きるということは何に生きるかということです、そして人が死ぬのは何に死ぬかということです。

法を求めて旅をして、その法の求める中に掛け替えのない間人の絆があったということ。日本人らしく生き切った円仁という一個の人に心から敬愛と尊敬の念が込み上げてきます。

今回いただいた機縁と「入唐求法巡礼行記」との出会いは、私にとっての勇気になりました。

有難うございます。

求法の旅3

自覚大師円仁のことを深めていくと、その生は大義のために生きたことを実感します。

日記を読み進めていると円仁は、最澄の志を受け継ぎその教えを自らが成し遂げるために求法した生涯であったように思います。

夢枕に最澄が何度も立ち、円仁のことを思いやる言葉を遺しています。そこには師弟の絆があり、その御恩への感謝へ報いるために仁義を尽くしたのではないかと私は思うのです。

高齢でありながら、3回目の渡航でようやく唐へ渡ってからも、9年の歳月をかけて師が求めたものを探し出し、持ち帰り、竟にはその思想や文化、技術を日本の各地へと赴き天台の真理として仏の心を弘げるのです。

その証拠として、全国に円仁が開基、あるいは中興となって寺院が600か所以上になります。(天台宗典編纂所の調査による)昨日も、福岡県田主丸にある最澄と円仁が来て改宗をした寺院に参拝することができましたが、そこに遺志を感じることができました。

師を大切に慕い、その恩恵や感謝を自らの実践とその体現によって顕そうとする真心の人。その人柄が浮かんでくるのです。遺言では、「私の墓には一本の木を植えておけばいい」といい、これは二宮尊徳と同じように謙虚に分を超えずに生き切った人の最期の言葉として深く尊敬します。

また帰国後も、中国でお世話になった人たちへの恩返しを忘れずに来日の際の衣服や住まいなどを提供するようにし、また岐路で大変お世話になった赤山明神を奉るための寺院も遺言によって弟子たちが実現しています。

どの業績をとってもみても、大変な謙虚な姿に感動することばかりです。

表の中には出てこない、陰にあるものの偉大さ。その蔭の働き手の縁の下の力持ちによって今の人達の心にいつまでも生き続ける仏心仏道がある。その仏弟子の鑑のような生き方をされた円仁の義から学び直すことができました。

一代では成し遂げられない夢を実現するには、表裏一体、自他一体、仁義一体、師弟一体の業績があってのことかもしれません。その純真な思いに応えるのもまた真理です。曼荼羅に、胎蔵界と金剛界があるように、宇宙にも陰陽があるように、すべてはバランスの中にある一筋の光の中に真実が存在するのかもしれません。

1200年の時を超えて、成し遂げた偉業を観ればまだまだ学ぶ事ばかりです。

先人の生き方から学び、今の自分を尽くしていきたいと思います。

求法の旅2

慈覚大師円仁の日記を読み進めているとその旅路の難しく厳しかったことを実感します。酷い蚊やアブに悩まされたり、雷雨をはじめ天候に悉く恵まれなかったり、病を得たり、役所の人達の理解が得られなかったり、数えきれないほどの困難と遭遇しています。

その間に記された行間に、その出来事をあるがままに記していることに返って思うことがあるのです。時折、そのシンプルな文章の中に感激したことを坦々と書かれているのですがその文章を読んでいると求法を実践している円仁の人柄が目に浮かびます。

当初は、最澄の意志を継いで天台山を目指していましたがそうではないと言わんばかりに壁が立ちふさがり、諦めかけたころに五台山に換えるという決心をしました。そこからは仏縁に導かれ、様々な人々との邂逅を得て旅が進んでいくのです。

今、ちょうど読み進めて五台山に辿りついて霊仙三蔵との邂逅があっているところです。

この霊仙三蔵は、同じく日本人で最澄・空海とともに唐に渡った僧の一人です。知名度で言えば、最澄と空海が有名ですがその陰にはこの霊仙がいるのです。この三人は共に入唐しましたが、最澄はわずか八ヶ月、空海は三年で帰国しました。霊仙はその後二十三年の長きにわたり在唐して最期まで帰国はできませんでした。

当時の中国の憲宗皇帝の信が厚く、僧としての最高位を示す称号と位を与え日本人でただ一人の三蔵法師、霊仙三蔵となりました。

円仁はそれを五台山で聴き、そのまま長安への旅路の最中で廃寺となっていた七仏教誡院に立ち寄り偶然にもそこに残された言葉に霊仙からのインスピレーションを受け取ります。

それは霊仙三蔵から託されて日本と中国の間を五回も渡航し行き来した僧、貞素の詩を見つけることで得られます。それを書き写して日記に持ち帰るのです。結局は、この円仁はかつて唐に渡った三人の意志を集大成して吸収していくのです。

また余談になりますが空海の弟子の山城国小栗栖の法琳寺の僧、常暁が後日、偶然にもこの霊仙が遺志として託した太元帥法と法具を日本に持ち帰ることになるのです。それが明治になるまで、国難の時に行う秘法として元寇のときや日露戦争などでも用いられていくのです。

志は決して一人では為らないことをこれらの因縁から実感します。一人では成し遂げられない夢を、同じ志を持つ者たちが観えない糸で結ばれ合い、力を合わせて偉業を実現していくという事実があります。

そこには時空を超えて場所を越えて、必ずインスピレーションでつながっていくということに大義の持つ美しさも実感します。これは武士であろうが、僧であろうが、または商人であろうが、志は必ず人々の間に生き続けていくということを証明しているのです。

人は、その思いや願いこそが何よりも尊く、その意志により出逢いやご縁が生まれ旅が霊妙に寛美に彩られていくのです。旅はその志があってのものであり、それは須らく自らの脚で初志貫徹に歩む時にこそ出逢うように思います。

その後も円仁は、旅の途中で様々な仏縁に導かれていきます。文殊菩薩の智慧を学び、その智慧を発見していく日記には、どのような旅の辿り方をしたのかを垣間見ることができます。縁を辿っていくのは、自らの人生を旅していくことと同じです。

かつて、日本人の先祖にこのような人がいたことをこの歳になってはじめて知ったのもまた尊い仏縁の御蔭であるように思います。毎年、この夏のお盆の最中には仏縁に恵まれ学びを深めることができています。

引き続き、求法の旅路を香りを味わってみたいと思います。

有難うございます。

 

求法の旅

今回の中国での旅は、色々な収穫がありました。

久しく体験していなかった様々なトラブルにも出逢い、友人との思い出も共有でき、変化を味わうこともできました。また同時に、慈覚大師円仁との出会いも今の自分を励ますことにもなり有難い機縁になりました。

思い出というものは、順風満帆であるときよりもむしろ艱難辛苦の時の方がいつまでも忘れないものです。しかし異国で八方塞がりを体験することは、本当に色々なことが試され、精神的に強くなっていたつもりでもまだまだ体験していないことがあることを実感するのです。

それに難が有ると書いて「有難い」ですが、その難こそが自分の信念を鍛え、自分の精神力を磨き、自分の運気を高めることを思えば、人は誰でも大変な時にもっとも学び生長していくのだと実感します。

帰国して、これから円仁の日記、「入唐求法巡礼行記」を拝読していく予定にしていますが思い通りにいかない中でも自ら求めて倦まず弛まずに前進し続ける姿にすでに大きな感化を受けています。

思い通りにいかない中に思いがけないこともある、そして思いがけないことがあるとき、そこに法が存在していることに気づくように思います。信じるということは、五体投地のように身を投げ出してでも真理を求めたいと願う心にあるのかもしれません。

それは自分のいのちよりも大切なものがあるときや、大義を優先したいと願うときにこそ、顕現してくるものかもしれません。

まだまだ自分には時間やスピードについての刷り込みもたくさんあるようですし、自己中心的な刷り込みも便利な生活の中で刷り込まれてきています。一生に一度の人生、それを忘れてしまえば目先の損得に自分を埋没させてしまうかもしれません。

常に初志が何か、何のために生まれて、どう死に逝くのか、常に一貫して忘れないままに旅を味わいたいと思います。敢えてゆったりと悠久の流れに身を任せつつ遅々と歩むことを恐れずに前進していきたいと思います。

幸福の秘訣

毎回、旅を終えるときに思うことがあります。

それは旅の意味についてです。

人は何かを学ぼうとしているから学ぶのではないように思います、同時に何かを欲しているから欲するのではないように思います。つまりは、不学不欲というように学ばず欲さずときこそがもっとも学び欲したということになると思うのです。

例えば、自分では学んだ気になっていても実際は自分の考えの及ばないところでその学んだと思っている以上のことが発生しているとします。それを学ぼうとすれば余計に学べず、学ぶのをやめてみてその後の意味を味わっていると自然に学びに達します。

また同様に自分では欲している気になっていても欲している以上のことが発生しているとすれば、欲するのをやめてみれば自然に欲したものがその中に手に入っていることに気づきます。

このように意味が後で着いてくるものを旅と定義したとしたら、旅とはそのものをそのままに味わう中にこそ何とも得難い邂逅の記憶になると実感するのです。

そしてそのほとんどは日々の何気ない生活の中にこそ存在しているように思います。

この何気ない生活というものは、先ほどの不学不欲の中にあり、来たものを素直に受け取ることができるとき、過ぎたことを澄んだ心で意味づけができるときにこそ、無尽蔵の教えや学び、また人生の求道で得られる感謝の醍醐味も味わうことができるということです。

人生、そのものの意味をどのようにつけたのか、その意味をどのように味わったか、そこに幸福の秘訣があるように思います。どんな出来事があったにせよ、それに感謝していけるような人生、そしてあの件もこの件もまたそれは偉大な見守りの中であったといつも実感できた人生。

自分がいつも何か偉大なものに助けられてこの地上の旅ができることに感謝するのです。

その一つ一つ分かれていない太古からの旅の記憶、その意味を日々に紐ずけていけば、自ずから学ばなくても学べているのです。この人生という美しい秘境の楽園にいる自らの意味を感じることが旅そのものの本来の味わいなのかもしれません。

旅とはつながりなのです。

このつながりの中に歩んでいることは、目には観えないものを実感するときにこそ顕われてきます。自分の中に或る無邪気な子どもの心が旅を求めてはいつも遊びたがっています。日々の遊び場にすべてを投じていきたいと旅を思うほどに好奇心が働きます。

「ゆめうらら うみの小舟と 流れゆく はるかかなたの 星旅のなか」 藍杜静海

内省を味わい意味を楽しみ、この旅の記憶の醍醐味と人生の妙味を尽くしていきたいと思います。

有難うございます。

流れ行くことが不易

中国に来て、改めて流行というものについて観察をしていると気づくことが沢山あります。以前との変化の中で如実に表に出ているもので若者たちの食文化の変化があります。

最近の中国の若い人たちは日本食や欧米の食が人気で、今では当たり前のように外国の料理がスーパーの陳列に並んでいます。寿司やハンバーガー、サンドイッチからまるで日本と同じようにそもそもこの国の人達が何を食べているのか分からない程に混ざり合った食生活がはじまっています。

そしてデパートなどでも、たくさんの人たちが回転寿司を食べていたり、日本のラーメン、たこ焼きやカレー、ピザや世界のスイーツなどを楽しんでいます。若い人たちにとっては、当たり前に他国のものを食べているうちに自国のものが何かも思い出せないように変化しています。

実際、いくら国家や誰かがこうあるべきだと教え込もうとしても若い人たちはそれに反発するものです。なぜなら、流行というものは時代に合った考え方でありいくらそれを誰かが意図的に防ごうとしてもそれは止められないものだからです。

若い時の反抗心というものは、体験させることを防ごうとする大人側の都合に反抗しているのであって本来は流行してきた時代の体験に自らを合わせていこうとする本能があるからどうしてもやってみたいと思うのです。何かを一方的に正しいと押し付ける前に、自分たちが流行から遠ざかっていないか、自分の思いばかり強くて本当に大切なことを忘れているのは本当は自分の方ではないかと矢印を自分に向けることが重要であろうと思います。

好奇心は体験していなければ減退していくものです。自分の減退していく好奇心をよそに他人の好奇心まで奪っていくようであってはならないと思います。体験を積み重ねていくことは、私たちのもっとも叶えたい願望の一つです。

そもそも、これらの記憶を忘れたくないということはどういうことかといえば人生で大切な体験をしたいという願望です。例えば、人間の間に存在する愛や勇気、真心や親切、いくら時代がどのようであっても人としての素晴らしさ、感動を忘れたくないと本心で思っているから人は生きて体験をしたいと強く願うのです。

先に経験した人たちが体験をいくら暗記させ忘れるなと誰かに刷り込み管理しようが、経験をしていない人たちはそれが自分にとっては単に知識上の産物のみであるのはすぐに見抜いてしまいます。だからこそ若い人たちは素直に、その同じ体験をしたいと願うのです。同じ体験をすることで、その大切だと忘れてはいけないとしていることを思い出すからです。親にできなかったことをやりたいと願うのも、自分にしかできない体験をしたいと願うのもまた大切なことを忘れたくないという記憶があるからです。

この大切な記憶というものは、そもそもなくなることはありません。人間には常に心があり、その心は大切なことを失わないのです。何万年も何十万年も前から愛することを知り、感謝を知り、自然を知り、協力の尊さも知っています。他にも、悲しみの中にあるもの、歓びの中にあるもの、幸せの中にあるものなどもすべて覚えていて忘れることなどありません。

そういう元来のものを忘れないようにと伝えることが本来の歴史のあり方ではないかと私は思います。しかしそれを便宜的にいくら一方的に押し付けても、ただの暗記の強要にしかならず、若い人たちはそれを素直に反対するように思うのです。

良し悪しの基準ではなく、人間というものの基準で物事を捉えることが不易と流行を見極める本質であろうと思います。

生きていれば誰でも齢をとります、かつて若い人たちは今では年寄りです。だからこそ、その時代時代に体験したことはその時代時代に体験を通して引き継いでいくように思います。つい人は体験したことでそれをさせたくないとかさせようとか押し付けようとしてしまいます。

そうではなく、その体験の中にある尊いものを実感できるよう見守ることが体験をいつまでも忘れていない証拠だと思います。せっかくこの世に生まれてきたのだから、人間としてしかできない体験、その人でしかできない尊い体験を重んじていけるようになりたいと思います。

時代のことをとやかく言う前に、自分の体験を高めて新たに求め続けたいと思います。

 

血を遺す

中国での変化を来て観ていると、文化や文明がどのように入れ替わっていくのかを実感することができます。これらは急速に変化する中で観えてくるものがほとんどで、必ず大なり小なりどこでも起きていることですが自分の体験から観えてくるものはニュースや本で得る知識よりも確実です。

私が中国に居た17年前と今と比べると、目に見えて著しく変化し定着したところは交通手段、通信、住居です。

圧倒的に、自家用車の数が増えタクシーの数が少なくなり、新しい住まいとしてのマンションや別荘が建ち、携帯電話やパソコンを使ってインターネットをしています。経済が発展していくと、今まで憧れていた生活を手に入れるために過去の考え方を若い人から順に捨てていきます。

現在の中国の若者は、先進国の文化や流行に敏感でかつての古い考え方を次々に否定して新しいものを吸収していくのです。その憧れとして、文明や文化の潮流を読み、そこに自分たちを移動させていくようにも思います。

特に不便な生活から便利な生活へと向かう力は凄まじく、どんなにかつての古き善きがあったとしても突然生活が変わった人たちを前にすると人はその生活に憧れるものです。

こうやって古いものが新しいものにとって代わるということは私達人類はかつて何度も起きたように思います。もちろん、ゆっくりと移動していく民族と、過激に吸収していく民族がありますが、本来は真似をし受け容れることで変化していくように思います。

かつての縄文時代から弥生時代に入る際にも同じようなことが起きたのではないかと私は実感しています。

昔から道徳と経済というものをどのように一致させていくのかというのは、この温故知新を和合させていく人物の課題でもあります。どちらかが良し悪しではなく、そのどちらの価値も正しく受け容れてそれを合致させていくところに人々の主体性が必要になるように思います。

単に時代に流されるのではなく、互いの善いところを吸収してそれを新しいものへと創造していくということができるとき、そこに持続可能な社会のテーマがあるのです。

不思議なことに、いくら外見を変えたとしてもその中身まではなかなか変わることはありません。これが民族の持つ血脈と血筋なのかもしれません。いくら表面を同じにしても、そこに流れる血がその血で在る以上、私たちはその血を活かして他の文化と混ざり合いつつ新しいものへと変えつづけていく宿命があるように思います。

風のように過ぎていく時代の中でも、どのような生き方、働き方をしたのかは、その文化文明の中で自らを生き切った私たちの血を如何に残していくのかが大切なことのように思います。

異国にいて同質を確かめればその血の彼方と行方の間に生きている私たちの存在を感じました。引き続き、由来の旅を続けてみようと思います。

学志一如~独りでになる~

昨日、不思議なことに自分の人生に大きな影響を与えるお寺に参拝することができました。このお寺は、赤山法華院といい円仁と非常に深い所縁があるお寺です。この円仁は日本人最後の遣唐使と言われていますが、世界でも有名なのはその旅行記です。

この円仁の記した「入唐求法巡礼行記」は、玄奘の「大唐西域記」、マルコ・ポーロの「東方見聞録」とともに、三大旅行記のひとつとされ、唐の国や仏教中心地の様子が鮮明に窺える古代史の第一級資料となっています。

特に他の2つのものは誰かに口述したものを記入させたのに対し、円仁のものは自筆で記したものです。その内容は、9年半の中国での滞在記ですが全てのことが思うようにいかない中で、それでも真理を求めて已まず命を懸けて人々のために学ぼうとする姿勢が感じられ、少し読んだだけでも心が震え魂が揺さぶられる思いがします。

帰国後は、円仁は天台宗の指導者として、比叡山において教えを伝授するだけでなく、当時文化の遅れた東北の人々の苦しみ悲しみを救おうとして、寺院の建立、土地の開発、産業の振興に力を尽くしました。青森県にある恐山菩提寺なども円仁が開基したものです。

訪問した赤山法華院はこの円仁を大切にしてくださった新羅人たちの建立した寺院です。中国で仏教が弾圧され、旅券も発行されず、帰国できない、すべてないもの尽くしの中で円仁にインスピレーションを与え、具体的な方法までを与え、そしてその道を諦めさせないで見守りその求める道を陰ひなたから助けてくださった所縁の場所です。

天啓というものは、いつもピンチの時こそその周囲に必ず有難い見守りがあるものです。すべてのものは一人でなるものではなく、独りでになるものです。その独りでになるものは必ずそれを助け導く周囲の存在があるということです。

同じように円仁もここで仏様に出逢い、その道を示されたのではないかと現地で改めて直観しました。この時の助ける方も助けられる方も、その人間の間にある思いやりや真心が共に天に通じたことを忘れまいと今でもその赤山禅院では大切に語り継がれていました。

この新羅人とは、韓国人の先祖であり言語のルーツを辿ればそこに至ります。その当時からずっと私達日本人と韓国人、中国人が交易をし、共に助け合ってきた歴史に改めに感無量の思いがしました。1200年前のこの三国間の関係と、今回、韓国の友人とのご縁で中国の方に導かれて訪問したこの機縁に不思議な感謝と感動を覚えました。

時代が変わろうとも、私たちが大切にしているものは何かを見失っていけません。

真理を求めて旅をすることも、その旅の中で大切に受け継がれたことも、如何に世界が変わろうとも変わらないものがあるのです。その変わらないものを大切に暮らしていくことが、真理を体現することになり、その脈々と受け継がれた血縁と記憶をこの時代にも復興させていくことが私達子孫の使命の一つではないかと思うのです。

今回の仏縁は本当に意義深いものになりました。

東北の巡礼から、縁を辿り、気が付けば赤山での教えに至りました。帰国後もまた辿りたいところが大いに増えました。まだまだ所縁を楽しんで、直観の赴くままに学び続けていこうと思います。

学志一如、実践を貫いていきたいと思います。

戦略~我を省く~

先日、戦略というものを考え直す善い機会に恵まれました。
今年は我を省くが師と共有したテーマだったので、是に出逢えたことに改めて感謝します。

そもそも戦略がなぜ必要かと言えば、世間は同じようなことを目標にし似たようなことを目的にする人たちが沢山います。世界で実現したいことがあったとしても、それは皆同じように思うものですから力も均衡してきます。

すると同じようなところに大勢の人たちがいるのですがどうしてもそのエリアで競争をしてしまうことになるのです。そういうものをしないでも善い方法、つまりは戦いを省略するという意味で独自性を発揮していこうとするのが本質ではないかと思います。

この戦略ということの本質を考える前に、戦略を実行しようとすること自体が大いなる刷り込みの中にいることに気づくのです。やはりどんなことでもそうですが、その元が何かを掴むまではそのものを真に活かすことはできないということを学べました。

戦略を活かすには、大変な勇気が要ります。

今まで身に着けてきたもの、持っていたいものを捨てる必要があるからです。例えば常識というものもそうです。そういうものを持つと、どうしても戦略が理解できないのは戦略とは何かを捨てて何かを優先する、つまり選択と集中が必要になるからです。

選択しないで集中しないというのは、かつて身に着けた自分の力をいつまでも頼ることに似ています。例えば、今までの会社経営でもそうですが最初にはじめた事業から今は大きく発展しています。それは一つのことをやっていたからではなく、どんどん事業が変化してきて前の事業を手放していくのです。

これはいい加減にやっているのではなく、より本質へ、より面白い方へと変化させていく必要があるからです。

どうしてもかつての成功が手放せないと事業を転換することはできません。それにどうしてもかつて認められた自分や会社をいつまでも手放せないと戦略は実行することはできません。戦略とは、持っているものを捨てる勇気。全部持ったままという発想ではなく、今は何を選択し、何に集中することが価値であるかということを自分の常識を捨て去って取り組むことになるからです。

人は戦略的に生きようとしていても、どうしても柵や刷り込みに縛られてしまって身動きできなくなっているものです。そこでこれは戦略であるのだと自覚し、敢えて強みだったものを弱みだと定義し、思い切って弱みを強みに換えるような勇気を持つといいように思います。

戦略を理解するというのは、我を省くことがあってはじめて成り立つものです。その我とは自信のない自分を、そのままでいいと思う事であったり、励まされたりした言葉を実はそれは自分が励まされたのではなく「戦略」であったと気づく時に出会うものです。

常に人はあるがままの自然、自然を味方について克己するのなら常に省くものは何かということを考えていなければならないのかもしれません。

少し距離をとってみると、面白いようにまた本質に出会います。
やはり、今回も躊躇いはありましたが思い切った「戦略」に向かうところ敵なしです。

戦略を私自身が最も楽しむために、勇気を持って異常なことを増やしていこうと思います。