井戸端

明日は、いよいよ古民家和樂にて井戸掘祭を開催します。もともと古民家和樂には、江戸時代に掘られた手掘りの井戸があります。なぜすでにむかしの井戸があるのに、今さら新たに井戸を掘るのかと思われるかもしれません。

現代は、便利に蛇口をひねればどこでもお水が出ますしコンビニや自販機でもすぐに買えます。お水というのは、どこでも誰でも気楽に手に入る存在になっています。

しかし熊本県八代市などの地震被災地で井戸掘りを行うミズムスビさんはその被災地支援の報告の中でもこのお水を汲む大変さ、お水が身近にないことの不便さ、お水を中心に人が集まり結ができ助け合うことの素晴らしさなどを発信されています。これは井戸端が如何に大切なのかということの氣づきです。

むかしはこの「井戸端」というものがどれだけ大切なものだったかを知っていました。その証拠に、井戸端にいつも人々が集まり情報交換をし、心を通じ合わせていのちを活かしあう場がありました。井戸端は決して便利ではありませんでしたが、自然との関係性や結びつき、繋がりは人類が決して失ってはならないお水を中心に暮らしを支える真の文化の伝承の場があったように私は思います。

そもそも私たちのいのちは、動植物から微生物に至るまですべて「お水」を中心に分け合いいのちをつなぎ暮らしています。そのお水が湧く處、お水が在る処にいのちは活かされ流域に無二の文化が栄えます。これは太古のむかしから今でもどの国でも町でも変わらない真実です。

この井戸端でのお水との関係性が、暮らしを彩り、喜びや豊かさ、仕合せや感謝の循環などが産まれていました。つまりむかしの井戸端は、単にお水を汲む場所ではなく地域の文化や暮らしを潤してきた唯一無二の「場」であったのです。

この場が失われ、文化が減退し、人々の繋がりやいのちとの関係性も希薄になった昨今において今こそこの新たに井戸端の重要さに氣づきそれを甦生しようとする試みなのです。

私の故郷は有難いことにとてもお水が豊富で水源地を要するお山もたくさんあります。しかしその水源地の原生林は放置され荒れ果て、最も大切な水源地である大山の水源地は不法投棄のゴミが溢れかえっています。

この大地と故郷の子どもたちにいつまでも美しく澄んだお水を結びたいと今回、一念発起して和樂の井戸掘祭をすることを決意したという経緯があります。そしてこの井戸掘祭が終わったら、年末の12月後半には水源地の清掃活動にまた結を募集して実施する予定にしています。

井戸掘は頭で考えて分かるものではありません。みんなで結を組み、土に触れ、汗を流し、力を合わせて一つずつ心を籠めて地下と繋がりお水が湧く一期一会に立ち会うことで得られます。

この体験そのものがお水の有難さと人と人が助け合う喜びや、あらゆるいのちの関係性に活かされている徳を掘り出す心の邂逅となります。

むかしの古い井戸は、先人たちの願いや祈りや思いを結んだものです。この古い井戸はお手入れを欠かさず井戸さらいをして大切に丁寧にこの後も結んでいきます。そして今回の新しい井戸は、今の私たちの世代の決意、次世代や子孫たちへこの真心を甦生しようとする、過去と未来と今のお水結びになると信じています。

このお水が、いつまでも「場」を潤し、田の生き物たちをはじめ地域や故郷のいのち全体を甦生し、暮らしそのものを新たにしていく。井戸端からはじまる文化、そして水と緑の杜づくりのキックオフにしたいと思います。この井戸掘祭が終わったら、年末の12月後半には水源地の清掃活動にまた結を募集して実施する予定にしています。

井戸端を甦生することは大地の徳を掘り起こし人の徳を呼び覚ますことであろうと思います。そのはじまりの場になれるよう、明日は観も心もすべてお水のままに取り組んでいきたいと思います。

ミズムスビさんをはじめ、「結」で集まっていただく一期一会の貴重なご縁の方々に心から感謝しています。