自然調和~自分を弁えること~

自然には調和という言葉があります。調和しているのが自然であり、自然は調和している状態のことを言います。この調和とは何か、これは人間も自然の一部ですから調和していることで自分の存在が成り立ちます。改めて調和というものの大切さを深めてみようと思います。

そもそも自然というものは、それぞれの分を弁えて存在しています。二宮尊徳は「分度」と言いましたが、自分の分を弁えることでそれぞれの存在を活かし合います。

生き物たちは、食料を獲りすぎることはなく、度を超えてやりすぎることはありません。よく何らかの生き物だけが増えすぎることはありますが、それはその前に分を超えた何かを誰かが行ったことで調和が乱れるから発生するのです。

例えば、ある農園に害虫がいるからと農薬ですべての虫たちが死んでしまうとします。それまでみんなで分を守っていた生き物たちが死に、外から新しい生物は入ってきます。するとその生き物が急激に増えてしまいその農園はまた分を超えて調和を失います。そしてまた農園に農薬をまいてその虫を殺してしまえば今度はまた別の虫が外からやってくる。何も虫がいない状態になるまで農薬を使った頃にはそこの草花や木々にいたるまですべてが枯れ果てているということです。これが不調和と言います。

そもそも調和する状態とは何か、それは持ち味が活かし合っている状態のことです。持ち味が活かせないから不調和が発生し、そのこから不自然の悪循環に入ります。それぞれの生き物たちが分を弁えて、それぞれの場所で自分の分を守ることができるのなら自然は自ずから調和にハタラキます。

このようなハタラキを知る者たちは、余計なことをしなくなります。先ほどの農薬こそを仕事だと勘違いし業務ばかりを増やしては不調和をくりかえすのは、分を超えてしまっている自分に気づかないからです。言い換えるのなら、不自然であることにきづかなくなっているくらいに自分の能力にばかり頼っているのです。

本来、自然は周りを信頼し合って存在します。自分は自然から分かれている存在とは思っておらず、自分自身は自然の一部であることを自覚しています。つまりは自然と一体であるということです。

その自然から離れているから心が不安になり、余計なことを繰り返しているうちに分を超えて不調和を続けてしまうのです。それでは持ち味は出す暇もなく、ひたすらに忙しい日々の業務で忙殺されているうちに豊かさもまた消失してしまいます。

改めて自然から調和を学び直し、それぞれの人々が協働でチームになって仲良く働くことを実践していかなければならないと私は思います。自然の中で分を弁えることは周りと一体になって一緒に仲良く生きていくことです。この調和は、それぞれの持ち味の集積によって成り立っています。

引き続き、持ち味の本質を見極めつつ自然の法理を仕組みとして子ども達に伝承していきたいと思います。

子どもはカムイ

アイヌ文化のことを深めていると、子どもに対する人類のかかわり方に普遍性を感じます。本来、人類は子どものことをどのように思っていたか。いや、すべての生き物は産まれたてのこどものいのちをどのように考えていたか、根源に思いを馳せればある共通のものが観えてきます。

日本には古来から「三つ子の魂百まで」という諺があります。三歳までは魂のままであり、魂がそのまま百まで生きるということです。西洋にもThe child is father of the manという諺があります。これは子どもは人類の親であるということです。

アイヌの長老は、「アイヌでは赤子はカムイなのだ」と語るそうです。

「よく赤子を観察してみなさい。赤子というのは、泣けばおっぱいがもらえる、泣けば寝かせてもらえる、泣けば抱っこしてもらえる。自分が何かして欲しいときには、言葉で意志を伝えるのではなく泣くことによって叶えてしまう。言葉がいらない存在。泣けば用が足りる存在なのは、神様以外には有り得ないのだ」(秋辺得平さんより)

その赤ちゃんは誰のものか、それは単に親のものではなく神様から預かった神様なのだからみんなのものであるとし、アイヌでは子どもはコタン(村)みんなで育てるとしました。これはすべての人類、先住民たちの共通の理念で常に共同体社會の中で子育てをし、子どもをみんなで見守ることで人類はいままで子孫を繋いできました。

今の時代のように、歪んだ個人主義が蔓延し子どもを自分のものだと勘違いし親だけに子どもを押し付けたり、誰かにお金を払って育ててもらったりなどはなく子どもは「人類みんなのもの」だったのだから社會で育てたのです。そして、他の生き物たちと同様に自然の中でいのち(子ども)は自然に育つものです。自然に育つのだから、自然に育つように見守り環境をととのえていくことで私たちはおもいやりの社會を築いてきたとも言えます。今はその自然が不自然になっているから、教育方法論ばかりが横行し古来からあった当たり前の普遍的な在り方が崩れてしまっているのです。

アイヌ民族の伝承のように赤子はカムイとして考えること、赤ちゃんこそ天から神様が私たちに与えてくださった至高至大の贈り物であり偉大な財産であるという認識があったからこそ私たちはみんなのものとして見守ろうとしたのかもしれません。

子どもが単に経済の道具や大人の都合で、少子化対策などと対処療法ばかりで乗り切ろうとしたらどうなるのか。人類は今まで大切に紡いできた先祖代々からの仕組みそのものを手放すことになります。子育ては社會を換える教育の初心を持っていますから、その初心に何を据え置くか、人類の先祖から学び直す必要性を感じています。もう一度、根元のところから私たちは社會の在り方を観直す時代に入っています。

引き続き、アイヌの口伝から永遠に生きのこる智慧を学び直したいと思います。

アイヌの生き方

現在、「祭り」のことを通してアイヌ文化のことを深めていますがアイヌの自然に寄り添う生き方に共感することばかりです。アイヌ先住民族というのは、私達よりもずっと永くこの土地に住んで暮らしてきた人々のことです。

言い換えるのなら、地球の生き物や宇宙の存在、多様化していく前からそこに存在していた先祖のさらにずっと先祖とも言える存在です。その存在を大切にすることは、今の自分たちがどのようなルーツを持っているか、そしてこれからどのような未来を生きていくのかを判断するにおいてとても大切なことのように私は思います。

アイヌの生き方は、自然と共に暮らし、自然からのおすそ分けを慎み頂くことで生きていくという生き方であったことが深めるほどに分かります。これは自然農と同じ理念で、自然を敵にせず、自然を尊敬しながら謙虚に生きる生き方です。

アイヌの文化研究者であり、アイヌ民族でもあった二風谷アイヌ資料館館長、アイヌ初の国会議員に萱野 茂さんがいます。その萱野 茂さんは、生涯をアイヌ語の保存・継承のために尽力されました。自ら先住民族の国々を巡り、先住民族の価値を再確認されました。アイヌの生き方をその萱野 茂の言葉を通して垣間見ることができます。

「アイヌはその年の自然の“利子”の一部で、食うことも住むことも、着ることも全部やってきた。今の人間は自然という“元本”に手をつけている。“元本”に手をつけたら“利子”がどんどん減ることを、これだけ経済観念が発達した日本人がなぜ分からないのか。」

自然の利子の一部というのは、自然の全体調和の中で自分たちのために分けてくださった一部ということです。これは草花や虫たち、動物たちのように一緒に生きていく中で取り過ぎず貰い過ぎないというように分限と分度を保った生き方をするということです。自然の中にあるものを少しだけ使わせてもらうというような慎み謙虚な生き方あったことを感じます。

「アイヌ民族は自然を神と崇め、自然界と共存共生し慎ましく生きて来ました。魚、野獣、山菜のどれひとつとってみても必要以上には決してとらず、他の生きもののために残し、また来年のために置いておくのです。そのような自然界の巡りをアイヌ民族はよく知っていました。」

自然界の巡りをアイヌ民族は知っていたと言います。つまり循環型の暮らしの中で、自分たちがその循環の一部であったことがよく観えていたということです。永遠や永続的な暮らし方を、何千年、何万年と生き延びてきた智慧が備わっているということでしょう。 そしてそのような生き方をどのように伝承してきたか、そのことについてはこう語ります。

「私は、大正十五年、沙流川のほとり平取村二風谷に生まれ、物心ついた昭和五~六年には祖母”てかって”に手を引かれ、山菜取に野山を歩いたものです。当時のアイヌ婦人がそうであったように、口の周りと、手の甲から肘まで、いれずみをしていた人でした。昭和の初年で八十歳を超えていた祖母は、日本語を全くといってよいほどしゃべることができず、孫の私との会話は完全にアイヌ語ばかりでした。したがって山菜を採る場合の約束事もすべてアイヌ風のアイヌ精神を持って私に教え、山を歩く時の心得から、小沢でドジョウなど小魚を捕る時には、どうすれば神様に叱られないかなどと、こまごまと教え聞かされたものです。しかも、それらの教えの多くは、ウウェペケレという昔話をとおしてだったのです。」

昔話を通して「どうすれば神様に叱られないか」を伝承していたと言います。生きていく上での原点や判断基準、その拠所などはすべてこの昔話にあったといいます。これは歴史のことで、先祖代々、どのような生き方が天道に沿ったかという天地自然の道理を自らの体験を口伝によって継承していたのです。

私達は今しかわかりませんが、本来、今があるということはそれまでの歴史があるということです。それまでの歴史を知ることはこれからの未来へ向けての判断基準を学ぶということでもあります。

アイヌという先住民族は、自然界を生き残り生き延びてきた尊敬できる民の先祖です。今のように消費社会が成熟し過渡期になっているからこそ、これからのみらいのかじ取りをしていく中で私たちはアイヌから学び直す必要を感じます。

引き続き、今年のテーマ「祭り」を通して人類の原点を深めて子どもたちに遺し譲れるものを伝承していきたいと思います。

初心伝承の仕組み

伝承のことを深めていると技術の伝承とはどのように行われるのかということを考えます。何代も前からあるものを遺伝子レベルで継承されるものもあるでしょうが、それは本能的、直感的、魂的なものです。しかし技術の伝承は、その時々の人たちの努力によって継承されるのではないかと私は思います。教科書のようなマニュアルがあっても決して技術は継承されないのです。

佐賀の陶芸に酒井田柿右衛門があります。その十四代目の方がこのような言葉を遺しています。

「伝統と言えば古臭いものだと思われるかもしれません。しかし、350年以上の伝統がある柿右衛門は、時代が変わっても変化しないものもあれば、時代とともに変わるものもあります。変わらないものは技術です。伝承された技術の上に、いまの人に受け入れられる作品を作っていくことが伝統だと思います。」

この技術の伝承があるから変わらないものを維持しているということです。何百年も変わらない技術、これはまさに秘伝とも言ってもいいものです。それがどのように 継承されていくのか、ここに人類、いや自然界の最大で至高の仕組みが存在するように私は思えます。

秘伝と言えば、かつて三島由紀夫がこのようなことを対談で語っています。

『秘伝というのは、じつは伝という言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば、日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるようなものだ。横にずっと流れていくものは、何にもないのだ。そうして個体というというのは、伝承される、至上の観念に到達するための過渡的なものであるという風に考えていいのだろうと思う。(中略)そうするとだね、僕という人間が生きているのは何のためかというと、僕は伝承するために生きている。どうやって伝承したらいいのかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に、しかしたえず訓練して成長する。僕が最高度に達した時になにかつかむ。そうして僕は死んじゃう。次に現れてくる奴はまだ何にも知らないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。何にもメトーデがないところで模索して、最後に死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は歴史全体に見ると、結晶体の上の一点からずっとつながっているかも知れないが、しかし、絶対流れていない。』(三島由紀夫:の安部公房との対談:昭和41年2月・「二十世紀の文学」)

つまりは秘伝は技術の伝承において何かと繋がり続けている状態で流れていないという事。歴史が確かに積み上がって今の自分があるように、そこで生き続けているものがあるということです。それを如何に伝承するかが、何よりも重要でそれを伝承できてはじめて繋がりが維持されたということになります。

先日のアイヌの工芸品の伝承をする方の話もきっとこの秘伝を遺す仕組みのことを言っていたのでしょう。 ではどのように技術は伝承するかという話になりますが、これは宇宙開発事業団理事長の山之内秀一郎さんはこう言います。

「極論を言うと、私は技術の伝承は不可能なのではないかと思っています。技術とは自分で苦労して考えたり、困難を克服することで身につくものです。技術は自分で作るしかない。また、技術は刻々と変化します。技術は伝承するものではなく、変わっていくものなんです。」

変わりつつ変わらないもの、秘伝の仕組みがあることを感じます。

どんなことも自らの苦労をもってして技術に近づくしかない、日本刀の刀匠たちが古刀を目指し日々に鍛錬精進するように技術は困難の克服において身に着くものです。自分自身が困難に挑み困難を克服したとき、秘伝は伝授され継承する人のいのちに受け継がれていきます。

この自然界の仕組みは、私たちに具わっている最大の技です。その技を如何に達するようにしていくか、その環境を用意するのも教育の醍醐味のように思います。引き続き、子ども達の未来のためにも初心伝承を通して人類の危機に挑んでいきたいと思います。

 

人生の旅の醍醐味

日々を過ごしているとふと心が遊び旅に出たくなることがあります。旅は自由の原点であり、自由は旅を味わい深いものにします。そして人生は旅そのものであり、いつも心は旅をしているとも言えます。時折、風に吹かれ風任せに漂泊の旅に出たくなるのも心がバランスをとるために感応するからでしょう。

旅には目的や到着点があるものと、あてのない旅というものがあります。実際は、旅をしている以上に心が旅を味わっていて旅の意味は旅の最中よりも旅の後に振り返る中で気づくことが多いものです。いまの自分のいるところから離れつつ身を捨てて彷徨い流離ってみると、本当のことや真実が観えてきたりもして自由に発想を楽しむことができるものです。

漂泊というのはまるで階段の踊り場のように時折、歩みを止めて休みを味わうことに似ています。そして小舟が流れのないところでゆらゆらと揺られている様子はそこからどこかへ進むための準備をしているようで宙ぶらりんのままにいつの日か動き出すのを待つかのような心境があります。

私も振り返ってみたら大切なものは大切なままに不動ですがそこまでのプロセスや生き方は放浪や流浪のようでまるで一定に一直線にいっているわけではありません。

山あり谷あり、また川が様々なところにぶつかって曲がりくねっていくようにどのようになるのか先々のことは好奇心が面白いとおもうばかりで予想がつきません。目指す方向は決まっていても、そこに辿りつくまでの間が旅の醍醐味ですからどんな仲間に巡り会い、どんな道の御縁に出会い、どんな未来が拓けていくのか、それはすべて運任せ風任せです。

そういう運任せ風任せの心境というのは、人生の旅の醍醐味です。

毎日は規則正しく過ぎてはいきますが、いくつになってもいつまでも心の赴くままに漂泊をし続けて歩んでいくことを味わい盡していきたいものです。自由の森の心を持つ子ども達へ松尾芭蕉の句で贈り締めくくりたいと思います。

『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、「 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 」 表八句を庵の柱に掛け置く。 』

・・・日々に旅にして旅を栖とす、その覚悟をもって道を愉しみたいと思います。

 

自分のルーツ~クニの初心~

私達の先祖の大切にして来た思想は、先祖への畏敬の念でもあります。自然から学び、先祖の恩を大切にする生き方は道を歩むことにおいては何よりも優先されてきた徳目とも言えます。

日本にいたら当たり前になっていることも、世界からみたら当たり前ではないことが多々あります。私達は子ども達のためにも、まず自分たちのクニがどのようなものなのか、そして自分たちがどのような民族であるのかを自覚し、その誇りによって世界に出て持ち味を活かしていかなければなりません。

温故知新とは単に伝統を毀せばいいのではなく、その時代のその人たちの調和、所謂「持ち味」をどのように活かしてその妙味を発揮するかということにも関わってきます。守破離は、何を守り、何を毀し、そして何を活かすのかということです。

私は伊勢神宮にこの温故知新と守破離の妙味がなお生き続けていると思っています。ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは、伊勢神宮をはじめてみた際に「稲妻に打たれたような衝撃を受けた」と言います。そして自著「日本美の再発見」の中で伊勢神宮についてこう述べています。

「芳香高い美麗な桧、屋根の茅、これらの単純な材料が、とうてい他の追随を許さぬ迄に、よく構造と融合している。形式が確立された年代は正確にはわからず、最初にこれを作った人の名も伝わらないこの建築は、恐らく天から降ったものであろう。伊勢神宮こそ、全世界で最も偉大な独創的建築である。試みに壮麗なキリスト教の大聖堂、イスラム数のモスク、インドやシャム或はシナ等の寺観や塔を思い浮かべてみるがよい。伊勢神宮は、これらのものとは全く類を異にする建築である。また古代ギリシアを考えてみてもよい。ギリシアの諸神は、天上の美のなかに反映された人間性そのものにほかならない。アクロポリスのパルテノンは、今なお古代のアテナイ人が叡智と知性との象徴であるところの女神アテネに捧げた神殿の美を偲ばしめる。パルテノンは大理石をもって、また伊勢神宮は木材を持って最高の美的醫醇化に達した。しかしたとえパルテノンが現在のような廃虚にならなかったとしても、今日ではもはや生命のない古代の記念物にすぎないのだろう。」

そしてこう言います。

「二千年にわたって西洋建築におけるアテネのアクロポリスにたとえることを許されるならば、日本には今もなおアクロポリスが存在している。ことに伊勢神宮は廃墟ではない。それは21年ごとに今尚繰り返されている。これは世界の何処にも見ることが出来ない事実である。」

「古代の遺跡である伊勢神宮が今尚機能していることは奇跡である」と。

式年遷宮において初心を伝承し続けるということが、如何にいのちの永遠性を象っているか、ここに伝承の秘訣があると私は思います。文字や文章で継承するのではなく、口伝で伝承するのではなく、魂で伝承する仕組み。まさに日本人が大和魂と呼ぶものは、この魂の伝承の仕組みのことを言います。

フランスの文化人類学者のレヴィ・ストロースがこう言います。
「日本は、神話と歴史のつながる世界で唯一の国だ。」と。
この証明は伊勢神宮の存在そのものが顕しています。つまりは神代より大切なものを大切なままに維持し続けている精神性、そして継続性、実行性、その尊さを何よりも重んじいている民族とも言えます。それは言い換えるのならば、まるで自然がいつまでも続くように私たちの生き方は自然そのものから学んだ永遠性を具備しているのです。
ブルーノ・タウトは別の著「日本の家屋と生活」の中でこう言っています。「社殿をめぐる老杉の鮮やかな緑はあたかも永遠に生きる自然さながらに、絶えず新たに造賛さらる日本精神の棲処を縁どっている」
私が特に共感を持てるのは「永遠に生きる自然さながらに」という一節です。
日本人の美意識や芸術における精神性の高さと、その真心は常にこの自然との一致に由ります。自然のままにありながら如何にその中の人間としての徳を高めていくか、自然との自他一体においてもっとも高い芸術性を持っていると定義されているのです。
常に自然をお手本にして自然の中にあるいのちに沿って暮らしていく謙虚で素直な生き方、そこに日本人の本当の姿があるように私は思います。
自分たちの本来の生き方を学び直すことは、自分たちの個性を磨いていくことです。
多様な世界で活躍する子ども達の持ち味を伸ばすためにもまずは自分たち自身が、自分たちのクニのルーツを学び直す必要を感じます。
引き続き、子ども第一義の理念を通して子どもに遺したい暮らしを伝承していきたいと思います。

魂の純度

ドイツ建築家にブルーノ・タウトがいます。この方は、第2次世界大戦のさなか、ナチスドイツから亡命のようなかたちで来日し、「日本美の再発見」などの著書を通して日本文化の価値を再発見し世界へ広げた人物でもあります。

この方は約3年半、日本に滞在する間に様々な日本文化に触れ工芸品の指導や一部の建築をおこないました。日本人というものがどのようなものであるか、日本文化とは何であるのかを鋭く洞察した内容には改めて感じるところばかりです。

色彩の建築家とも呼ばれたタウトは、その色彩についてこのような感覚で捉えていました。

「水面の波紋、氷塊の中の泡や結晶の生成、樹木の枝分かれや、その1つとして同じでない成長の仕方、葉芽が形成され一枚になる過程、滝の落水の装飾、雪の中の枯草、露の水滴の形成、木々の織りなすリズムに満ちた森、等等。自然の色彩は私を魅了して止みません。」

日本というものを洞察するときに、この色彩を使って見抜いたのかもしれませんがこの言葉の一つ一つからタウトの自然を観察する美しく見事なまでの表現に共感することばかりです。

そのブルーノ・タウトは「日本美の再発見」の中でこのような言葉を遺しています。

「日本の文化の特性とは、いわば芸術化された自然といえるでしょう。日本的なものの品質が問われた場合には、常に日本の古典芸術を特徴づけている簡素性への傾向が認められます。それは精神化された自然への感性にほかならないと言えます。」

この精神化された自然への感性という言葉に感動します。

私達日本人の先祖たちは、家屋をはじめ民藝品にいたるまで 自然美をそのままに取り入れて創意工夫し自然のままに活かしたものを作品にしてきたとも言えます。今、古民家再生をはじめ様々な古い職人たちが手掛けた道具に触れているとそれをいつも感じます。

目的が単に大量生産で使えればいいというものではなく、自然を敬愛し、自然への畏敬が道具に宿ると信じて精魂込めて造られてきたのです。こういう日本的な精神性、つまりは自然に対して純粋で無垢、いつも自然のいのちが観えているかのような子ども心が日本人には宿っているということを直感します。

日本文化の本質として大衆化して安易に便利に走り、目先の損得によって失われたものは魂の品質なのかもしれません。

ブルーノ・タウトは、桂離宮や伊勢神宮を絶賛します。

「泣きたくなる様な美しさ。永遠の美、ここにあり。われ日本文化を愛す。それは実に涙ぐましいまで美しい」と。

この泣きたくなる美しさとは何か、それは永遠の美を保つ魂の美。純粋なもの、いや、私の言葉にするならば「純度の高さ」こそが日本文化の本質であると信じます。如何に人生を研ぎ澄まし純度を高めていくか、それは日本人が日本人らしく生きていくための最大の要諦ではないかと私は思います。

純度の高い精神には、純度の高い生き様が宿ります。そこには単に道具や家屋だけではなく、そのいのちがそのものに投影し宿りいつまでも美しさを放ち続けるのです。

タウトが観察した日本とは、日本の魂、大和魂だったのかもしれません。これから古民家を温故知新していきますが、その大黒柱には常にこの真心を据えて取り組んでいきたいと思います。

引き続き、子ども第一義。子ども心を昇華して魂の純度を高め続けて先祖たちに恥じない生き方を実践していきたいと思います。

 

 

本質を磨く

先日、聴福庵の柱や天井をクルーと一緒にライスオイルを使って磨きました。磨けば磨くほどに木の木目が出てきて、すでに数百年経っている木の歴史や風格が顕れてきました。磨くことの面白さというものは、磨くと本質が顕れてくるということです。その本質は日頃は隠れていますが、磨くという行為を通して本質に近づいていくのです。これは私たちの人生体験にも言えるように思います。

例えば、古いものでもなんでも掃除をしなければくすんできます。そのものの色が分からなくなってきます。それを拭き掃除や掃き掃除を日々に行うことでそのものの色が浮き出てきます。これは個性も同じで、日々に掃除をしていくことで次第にそのものの個性が浮き出てきます。この浮き出たものは別になかったものが出てくるのではなく、あったものが改めて確認できるという具合です。これは温故知新とも言えます。つまりは、常に本質を顕し続けて怠らず磨き続けるということです。

本質が隠れてしまうからこそ、その本質のままに維持しようとする。これを初心を忘れないとも言います。人は別に何か心変わりしたから変わるわけではなく、本質を忘れてしまうから変わったと感じているだけなのです。

現に先ほどの数百年の木を磨けば、そのものの木目や年輪が出てくるのはその木がもともと持っていた本質が磨くことで思い出すのです。磨くということは言い換えるのなら「本質を磨く」ということです。磨くの陰には常に本質が隠れていて、本質的に生きている人は常に日々が磨かれているということです。

何のためにそれをやるのか、何のために生きるのか、そういうことを思い続けながら日々に生きているからこそその人は磨かれ温故知新して常に本質を維持していくことが出来ます。

磨くという実践は人生においては、自分らしく生きること、個性を活かすこと、そして目的を忘れずに本懐を遂げるためには何よりも大切な徳目なのでしょう。

引き続き、日々を磨くことを通して時代が変わっても世界が広がっても共通しているものを守り続けていきたいと思います。

渾然一体

明治以降に急速に西洋化をした日本は、西洋的な発展を自分たちの発展と入れ替えてきたともいえます。本来、それぞれの国はそれぞれの発展の仕方と言うものがあります。気候風土に合わせて人種も分かれ、肌の色も価値観も暮らしも異なっていました。こういう人々たちがそれぞれにそれぞれの場所で独自に文化を発展させてきて今があるとも言えます。

それが今では世界が交通網や物流が世界の奥地のあちこちまで行き届き、世界中から物が運び込まれてきて同時に人や文化も入り混じります。そこで様々な文化が衝突し、受け容れられないものは排除したりと人類は今、乗り越えなければならない文化発展の過渡期を迎えています。

本来、異質なものが混ざり合うということはどういうことかそれを少し深めていきたいと思います。

混ざり合うという言葉に「渾然一体」という言葉があります。これは別々のものが混ざり溶け合って、お互いの区別がつかないほど一体になるさまをいいます。もはや混ざり過ぎて何が分かれていたのかが分からない状態になるということです。

渾然というのは、異質なものが異質なままに一体になっている様のことを私は定義しています。同じにする必要はなく、異なっているけれど理念に対しては皆一体になっているということです。

理念でいえば私たちの会社には窓際に沢山の花壇があります。カグヤガーデンと呼んでいますが新宿の高層ビルの中にある総合空調の中では、外にあるような自然がなく、風も吹かず雨も降りませんし季節の変化もありません。徹底管理された空間においても、それぞれの持ち味を活かす工夫として混植という方法をとりました。

この混植というものは、一つの花壇の中に多種多様の種類の植物をひしめき合うように入れます。しかしそうすることで単一の花を花壇に植えるよりもよほど長く花は咲き、それぞれの持ち味を活かして美しく空間を彩ってくれます。単一の花が美しいと思っている人もいますが、百花繚乱に咲き誇るそれぞれの持ち味が活かされた花の美はなんとも自分らしく尊く感じられるものです。

この混植こそが渾然一体の姿であり、分かれていたものが一体になっている様です。

私は会社の理念を語るとき、このカグヤガーデンをいつも意識しています。この花を見るとき、私はこれからの時代、グローバリゼーションで世界が単一化していく流れと、その反対に世界が多様化して百花繚乱に美しく活かされていく流れがあると感じています。

子ども達に遺して譲りたいのは、混ざり合うことは悪いことではなく混ざってい一体になったらもっと新しい美しさがあることを自分たちの生き方を通して伝承していきたいのです。それぞれの持ち味が活かせるのなら、私たちは必然的に助け合い譲り合っている社會もそこに存在しているはずです。

いがみ合い仲が悪く、果たしては戦争でいのちを殺めるということは子ども達にはしてほしくはないのです。だからこそ、自分たちがまず渾然一体になることを目指し、異質なものを受け容れる寛容さ、長所を友とし、その人のたちの好いところ、美点を伸ばし、認めていくという実践を常に大切に積み重ねていく必要があると思うのです。

私たちが実践する子ども第一義の発達の中心には常にこの「渾然一体」があります。

自然から学び直すのもまたこの渾然一体に気づく大切さを学び直すためでもあります。何が自然で不自然か、自分たちの理念を実践することで文化発展のモデルを示し、周囲に伝承していきたいと思います。

 

 

体験が学び

先日、奥庭の剪定でイラガやチャドクガに刺されました。イラガははじめて刺されましたが、急な激痛で熱を持ち、その後は小さな赤いぶつぶつができます。背中の棘の先から大量の毒を放出するようでその毒によりこちらが撃退されてしまうという仕組みです。チャドクガにおいては、毛を放出しその毛についた毒によって敵を撃退します。

今回はその両方の毛虫によって色々と痛く痒い思いをしていますが、こうやって体験することでその虫のこと、対策のこと、あらゆることを身体で学びます。体験の学びは、大変であればあるほど心身に沁みますからそのことから人は学ぶということがはじまるのでしょう。

今の教育は教えるばかりであまり体験を重視していませんが、本来は子どもは体験するから学ぶのです。体験なしに学んでいてもそれは学んだとは言わず、できる限り様々な体験を通してその体験が何だったのかということをフィードバックし内省することにより本来の学ぶ価値に出会えるように思います。自然というのは、そういう意味では私たちにとっての至高の先生です。

さて、このイラガとチャドクガですが特に殺虫剤を使わず枝や葉ごと取り除きましたがこの毒蛾の幼虫にも天敵はいます。例えば、カマキリや蜂、寄生虫、ウイルス、また一部の鳥が食べてしまいます。自然界はとても絶妙に調和していて、殺虫剤を使って全滅させるとかえってバランスを壊し一部の虫たちが大量発生したりします。

その都度、殺虫剤を使っていたら常にそこに全滅の状態を維持しなければならなくなり一度使ってしまうとずっと殺虫剤を使い続けなければならなくなったりします。自然の調和が来るのを待たずに結局は全滅させるとその後がもっと大変になるのです。自然農を学んでいるため、大変で面倒で危険でも手作業で手入れをしていきますが虫のことをもっと観察し学ばなければ今後も同じように刺される嫌な体験をしなければなりません。

どんなことでも体験をしてすぐ学ぶことが何よりも大切であり、その学びを次に活かすことで学びはさらに深まり学ぶ真価が出て来ます。自然の奥庭をつくっていますが、その自然の奥庭づくりが不自然では成り立ちません。いくつになっても「やってみたい」と思う子どもの好奇心があれば失敗を恐れる気持ちはなくなっていくものです。

引き続き、どんな失敗からも積極的に学び直し自分の方を変化させていく楽しみを挑戦と共に味わっていきたいと思います。