日本文化のメリハリ

今日はお盆の最終日で、送り火をしご先祖様たちの霊を見送り室礼したものを片づける日です。

もともとこのお盆は、正月と同様に霊魂が家に来て滞在する期間としておもてなしをする日本古来からの信仰のかたちです。正月は歳神様、御盆は御先祖様ということになります。一年に、一度、家に帰ってくると信じるというのは感謝を忘れないための行事としてもとても大切だと私は思います。

こうやって目には観えない存在をまるで居るかのように接していく心の中に、私たちは現実の中にあの世を観ることができます。私たちもいつかこの現世での暮らしを終え、あの世での暮らしになりご先祖様の一員になるのです。その時に、子孫たちがどのようにこの世で暮らしているのかを見守り続けるという先祖の心構えも学んでいるようにも思います。同時に、子孫たちが先祖の御蔭様を感じているかどうかということも学びます。

当たり前のことですが、今があるのは今までの連続をつないで結んできた存在があったからです。子孫のために、自分の一番大切なものを磨いてそれを譲ってきたから今の私たちがあります。

昨年からコロナウイルスのことがあり色々と深めていたら、今の私たちがあらゆる感染症の免疫があるのはそれは御先祖様たちがいのちを懸けてその免疫を身体に取り込み、対処法を遺伝子として学び、その子孫たちの私たちがその御蔭で感染しても死なずに済んでいるということを知りました。目には観えませんが、私たちはずっと先人たちに守られ続けている存在なのです。有難く、感謝を思い出すことは自分の存在が多くのいのちの連鎖であることを再認識していのちを輝かせていくのにもとても大切なことなのです。

話を迎え火と送り火に戻しますが、この迎え火はお盆の期間にご先祖さまが自宅に帰ってくる時に道に迷わないようにとおもてなしし、送り火はご先祖さまが道に迷わずにあの世に無事戻れるようにと送り出すためのものです。

正月も同じですが、その期間を過ぎていつまでも家にいると悪霊になったり禍が起きると信じられました。あくまであの世の暮らしがありますから、こちらにいる期間だけということでしょう。名残惜しくてもお互いにこの世やあの世での役割や使命があり、それも日本文化のメリハリということでしょう。

私たち日本人を形成しているものはこの風習や文化の中で色濃くでてきます。現在は西洋文明が入ってきて、目には観えないものをあまり重要視しなくなりましたが本来私たちを形成してきたものに接すると懐かしい何かを思い出し、悠久の記憶にアクセスでき私たちの原点やいのちが甦ってくるのです。

懐かしい暮らしの実践は、私たちの未来へ向けた希望の実践でもあります。子どもたちのためにも根気強く、辛抱強く、どんな時代であっても変わってはならないもの、変えていくものを見据えて暮らしフルネスに取り組んでいきたいと思います。

いのちを守る実践

土地本来の樹木で森を再生する植林活動に長年取り組んだ植物生態学者で横浜国立大名誉教授の宮脇昭さんが先月、お亡くなりになりました。森林再生で「宮脇方式」(ミヤワキメソッド)を発明して4000万本の木を植え世界に貢献しました。

宮脇さんは、現在の多くの土地や森は過度な土地の開拓や、商用林の過剰などの現代人たちがやってきたことで土地本来の多様性や強さを失ってしまったといいます。その土地に適した植物を使って自立する森をつくることで自然本来の姿に戻そうというのが宮脇さんの提案することでした。

シンプルに言えば、本来の森に帰す、森の育ちを邪魔しない方式、自然農も同様に自然を尊重する甦生の仕組みということになります。

具体的なメソッドの特徴は、「本物の自然に帰す」「混色して密集させる」「毒以外は資源にする」「スコップ一つで誰でもできる」など、生態系を活かす知恵が仕組みの中にふんだんに取り入れられています。この方式で、300年の森を30年で実現させ、都市部にも生態系との共生を実現させています。つまり世界のあちこちで日本の伝統の鎮守の森をつくり守り育てる活動が広がっているのです。

地球温暖化で、一昨日から故郷では記録的豪雨で水害が起き、世界では熱波や山火事、そして砂漠化や砂嵐、バッタなどの大量発生、ウイルスなど気候変動はもう待ったなしで人間に襲い掛かってきます。この原因をつくったのは人間ですから自業自得ともいえますが、だからといってこのまま指をくわえて何もしないというわけにはいかないのです。子どもたちがいるからです。

未来のために何ができるか、そこでよく考えてみるとやはり唯一の方法は「自然を敵視せず、自然を尊敬し、自然と共生する」しかないと私は思います。そのために、どうやったら自然と共生できるかをこの日本から世界に発信していく必要があるのです。

私の提案する暮らしフルネス™の中には、この生態系と共生する智慧も暮らしの実践の中に入っています。発酵の智慧も、自然農の智慧も、生き方の智慧も、この森林甦生の智慧もまた暮らしの一つです。

日本人は、本来、スギやヒノキや松は暮らしの中で活用することが前提で植樹を続けていました。その暮らしをやめてしまっているから潜在自然植生も失われて森が荒れてやせ細っていったのです。近代の文明を全部をやめて、商業的利用をすべて停止してなどといっているわけではありません。

本来の豊かな暮らしは、半分は自然との調和、半分は人間社会での発展というバランスの中に心と物の両面の真の豊かさと和、仕合せがあります。極端な世の中になっているからこそ極端な対策が出るのであって、最初から調和していればそれは日々の暮らしの小さな順応で十分対応できたのです。

最後に宮脇さんの遺した「いのちの森づくり」の言葉を紹介します。

「日本には、世界には無い『鎮守の森』がある。木を植えよ!土地本来の本物の木を植えよ!土地本来の本物の森づくりの重要性を理解してください。土地本来の森では高木、亜高木、低木、下草、土の中のカビやバクテリアなどいろいろな植物、微生物がいがみ合いながらも少し我慢し、ともに生きています。競争、我慢、共生、これが生物社会の原則です。いのちの森づくりには、最低限生物的な時間が必要です。潜在自然植生の主木は深根性、直根性で、大きく育った成木を植えても育ちにくいものです。大きくなる特性を持った、土地本来の主木群の幼苗を混植・密植します。生態学的な調査と知見に基づいた地域の潜在植生による森づくり、いのちと心と遺伝子を守る本物の森づくりを今すぐ始めてください。潜在植生に基づいて再生、創造した土地本来の森は、ローカルにはその土地の防災・環境保全林として機能し、地球規模にはCO2を吸収・固定して地球温暖化の抑制に寄与します。生態学的には画一化を強要させている都市や産業立地の生物多様性を再生、保全、維持します。さらに人間だけではなく人間の共生者としての動物、植物、微生物も含めた生物社会と生態系、その環境を守ります。本物の森はどんぐりの森。互いに競争しながらも少し我慢し、ともに生きて行く、というエコロジカルな共生を目指しましょう!あくまで人間は森の寄生虫の立場であることを忘れてはいけません!森が無くなれば人類も滅びるのですから。」

私が感銘を受けたのは、本物は耐える、そして本物とは何か、それは「いのち」であるということです。一番大切なものは「いのち」、だからいのちの森をつくれと仰っているように感じます。

いのちの森は、鎮守の森です。鎮守の森は、古来よりその場の神奈備が宿る場所、それを守り続けるのはかんながらの道でもあります。子どもたちの未来のために、私も子どもたちのために未来のために、いのちを守る実践を公私ともに取り組んでいきたいと思います。

 

線香と徳

盂蘭盆会で昨日から準備をし火をたいてご先祖様へのおもてなしをしています。この時機は特に線香との縁が深くなるので、引き続き線香についてもう少し書いてみます。

昨日のブログでは、お香の伝来に関することで日本書紀にある聖徳太子のことなどを書きましたが今のような棒状の線香になるのは16世紀半ばに中国から伝来し17世紀半ばころから国産されるようになったといわれています。

具体的には日本では『御湯殿上日記』や『実隆公記』、『言継卿記』などの文献に室町時代には伝来していたといわれています。その当時は公家の贈答用品でした。国産で線香がつくられたのは諸説ありはっきりとしていないといいます。一つには、長崎で五島一官という人物が1667年頃に造り始めたという説。もう一つには堺で線香の形状が発明され一般に用いられるようになったという説があります。

もともとこの線香は、正式には「綫香」と書きます。この「綫」という文字は「細長い糸」という意味です。細く長くすることで燃焼時間を伸ばし香りの発生を一定にし燃焼が安定していることから扱い易いことから今でも重宝されています。

江戸時代では、この線香は時計の代わりにも使われたといいます。禅寺では座禅を行う時間の単位として、約40分の燃焼で「一炷(いっちゅう)」としました。

また線香の種類には、主に「匂い線香」と「杉線香」というものがあります。匂い線香は椨(タブ)の木の樹皮を粉末にしたものに白檀や伽羅といった香木の粉末や他の香料、炭の粉末、その他の材料を加えて練り、線状に成型・乾燥させたものでできています。そして杉線香は3ヶ月ほど乾燥させた杉の葉を粉砕機や水車を用いて粉末にしたものに湯と糊を加えて練り、線状に成型・乾燥させたものでできています。現代では、煙が出ない線香がでたり、ハーブやラベンダーなどの香りの線香もできています。

時代の変化でお香も辿ってきた歴史があり、香道といってその奥深さを味わう実践も弘がっています。本来は、仏教で誕生したもので盂蘭盆会では供養として線香は欠かせません。仏教の経典、俱舎論には人があの世にいくと生前に徳を重ねた人は良い香りを食べることができると記されています。先祖や故人に振る舞うおもてなしとして、線香を焚くことはその徳を偲ぶことにもなると思います。

最後に、では線香は何本をあげてどのように焚くのかという疑問があると思います。私もよくお寺などで色々な立て方をみては、どれが本当だろうかと思うことがあります。調べてみると、宗派で様々で1本~3本くらい、横に寝かせているものもあります。

ある宗派では、一本は一心不乱、二本は戒香・定香、三本は三毒を焼くという意味であるといいます。どちらにしても、本数の問題ではなく大切なのはその真心で線香をお供えするということに仕合せを感じます。

子どもたちがいつまでも安心してこの先も生きていけるよう、先祖や故人の見守りに感謝しその徳を偲んでいくことを伝承していきたいと思います。

 

香福

盂蘭盆会の準備で、今年も室礼をしご先祖様を迎える準備をしています。その中でお香のことを深める機会がありました。少し整理してみたいと思います。

もともと日本最古のお香の記録は推古3年(595年)現在の淡路島に流れ着いた大きな流木を薪にして火にくべたら何ともいえない高貴な香りがしたことが発端だったと日本書紀に記されています。この時、驚いた島民がこの立木を献上したところ聖徳大使がこのお香を嗅いですぐに「香木である」と答えたといいます。

びっくりした島民がすぐさまこの流木を献上したところ、この香りを嗅いだ聖徳太子が「沈である」とお答えになったそう。【沈】とは香木・沈香のことで、この頃にはすでに香木の存在が知られていたということが伺えるエピソードです。このころはすでに仏教が伝来していますから中国から入ってきた漢薬(香原料)が使われていたといいます。これが現在の焼香になっていきます。

淡路島は、現在でも線香の生産量日本一を誇ります。まさか日本のお香の歴史が淡路島からはじまったということは私も知りませんでした。

その後は奈良時代に入り、鑑真和上が授戒、建築、薬草などを日本に伝えました。その中に唐から持ち込んだ薬草や香原料を調合してより効能の高い薬もつくられました。この調合の仕組みでいくつものお香が発明されました。この時代のお香の効能は、魔除け・厄除け、防虫などで用いられます。そして東大寺の正倉院には、日本最古の香袋(匂い袋)が収蔵されています。

ここから聞香や組香などの香道が開いていきますが、このお香は奥が深く今回の記事では書ききれそうもありません。

私は、日ごろから白檀のお香を好んで使っています。この白檀は仏教との関わりが深い植物で数珠や仏像、位牌(いはい)などの仏具にも使用されます。お釈迦様を荼毘したときにもこの白檀が使われたといいます。

この白檀は、木の幹の部分が白っぽいことから「白檀」と呼ばれるようになったといいます。科学的にはサンタロールという成分の香りですがこの成分は化学合成できないため大変貴重なもののままです。

仏教では、お香を供えることを供養としています。このお供えするというのは、仏様やご先祖様へのおもてなしでもあります。心を沈めて線香をたき、手を合わせて故人へ御供養、おもてなしをする。

まさに室礼の原点であり、一年の中でこのお盆の時期がもっとも私にとっても心安らぐ暮らしの仕合せの時間になっています。子どもたちにもこの線香の歴史と意味を香福と共に伝承していきたいと思います。

自然と離れず

気候変動が気になるニュースばかりが世界で放映されています。今年は作物をはじめ季節のあらゆるものが2週間くらい前倒しになっているのを感じます。また寒暖差も激しく、今までの緩やかさがなくなってきているようにも思います。

世界はコロナであまり話題になっていませんが、実は本当に深刻なことはこのコロナではなく気候変動から発生する様々な自然災害だと私は感じます。

自然災害といっても、大雨や地震などのほかにも緩やかな災害というものがあると思います。それは時間をかけて砂漠化していくものであったり、逆に水没していくような環境の変化です。他にも、動植物が変化に耐えられず死滅していくことなどもその一つです。

こういうことを話すと脅しているように感じたり、極端な意見という人もいます。しかし人間はもしもに備えるからこそ災害に対応できるのであり、その予兆を直観できなければ自然と調和して対応していくこともできなくなります。

都会的な生活は、自然環境を無視して存在します。もしくは自然を敵視し、徹底的に排除していきます。その生活が慣れてしまえば、自然への畏敬を忘れてしまい自然をなめてしまいます。そうなると、ほとんど対応がでずに思考停止してしまうでしょう。

そうならないように自然から半分は離れずに半分は寄り添う生活をしていくことが日本人の伝統的な暮らしの智慧であったのです。その証拠に、古民家は半分は自然で半分は人工的です。

これを今の時代も上手に調和させていけば、時代が変わっても私たちは自然と共生しながら人類の社会を永続的に発展させていくことができるように思います。

時代的に今は、大きな分水嶺を迎えています。暮らしフルネス™の実践にそって、これからの生き方を子どもたちに伝承していきたいと思います。

場の甦生~みんなの場~

昨日、有志たちと一緒に故郷の滝行の場にある古い建物を解体してきました。ここは、非常に歴史のある山岳信仰の場所で800年以上前には非常にたくさんの山伏たちがここに立ち寄り修行をしたところと言い伝えられています。

その後、明治以降に炭鉱の採掘の関係で韓国人の方々がたくさん来られその中でこの滝行の場を使って参拝していたといいます。山岳信仰や自然崇拝は古来から、世界の各地にありますからむかしは宗派なども関係がなくみんなで自然に祈祷をしていたのでしょう。

この信仰の場も、以前はいろいろな人たちが各地から集まり国を超えてみんなで参拝していたといわれます。争うこともなく、互いに尊重しながらその場所をみんなで大切にしていたといいます。

現在は、すぐに誰の土地であるかと土地争いばかりをしている話をききます。境界線で争ったり、相続で争ったり、売買で争ったりと、本来の土地の持つ「場」の意味は失われ個人主義の中で利ばかりを争います。

本来、場所はみんなのものであり誰かのものではありません。これは地球も同じく、自然も等しく、人間だけのものではなくすべての生き物たちが共有しているものです。権利の主張し法律で裁けば、自分のものになってしまっていますがそんなものは本来一つもないのです。

みんなで共有の場を持つというのは、お互いにその場所を大切にしようと思うようになります。あくまでその場をお借りするという意識があれば、いつまでも借りたままに大切にします。それを自分の土地となると好きににしていいとなれば、なんでも自分の利益と都合のよいようにしていくのでは廃れていく一方です。

みんなのものだからこそ、大切に守っていく心も育ちます。そのためにも、みんなものという意識を持つための「場」を整えていく必要があるのです。

「場」が整っていくというのは、みんながその場に対して深い絆を結ぶことにもなります。場というのは、言い換えれば「みんなの場」であり一人でできるものではありません。

その場に集まった人たちが、どれだけ場を大切に思い磨いたかでその「場」は清らかにもなり美しくもなり、そして力も持ちます。善い場所には、必ずみんなの働きがあり、聖地のような場にはそこに関わってきた人たちの祈りや願いが場に遺っています。

私は場道家を名乗っていますから、場を磨き整えることが暮らしの中心です。子どもたちにいつまでもみんなの場が活かされていくように場の甦生を磨いていきたいと思います。

文化財の本質

文化財のことを深めていますが、実際の文化財というものは有形無形に関わらず膨大な量があることはすぐにわかります。私の郷里でも、紹介されていないものを含めればほとんどが文化財です。

以前、人間国宝の候補になっている高齢の職人さんとお話したことがあります。その方は桶や樽を扱っているのですが50軒近くあったものが最後の1軒になり取り扱える職人さんもみんないなくなってしまい気が付けば自分だけになったとのことでした。そのうち周囲が人間国宝にすべきだと言い出したというお話で、その方が長生きしていて続けていたら重宝されるようになったと喜んでおられました。

このお話をきいたとき、希少価値になったもの、失われる寸前になると国宝や文化財になるんだなということを洞察しました。つまり本来は文化財であっても、それが当たり前に多く存在するときは文化財にはならない。それが失われる寸前か、希少価値になったときにはじめて人間はそれを歴史や文化の貴重な材料だと気づくというものです。

そう考えてみるとき、私たちの文化財というのもの定義をもう一度見つめ直す必要があると感じます。実際に、私は暮らしフルネス™を実践していますが身のまわりのほとんどが伝統文化をはじめ文化財に囲まれてそれを日常的に活用している生活をしています。

これを文化財と思ったこともなく、当たり前に日本の文化に慣れ親しみ今の時代の新しいものも上手に導入して流行にも合わせながら生き方と働き方を一致して日々の暮らしを味わっています。

そこには保存とか活用とか考えたこともなく、ごくごく自然に当たり前に暮らしの中で文化も文明も調和させています。農的暮らし、ICTの活用、和食に文明食になんでもありです。

そしてそれを今は、「場」として展開し、故郷がいつまでも子どもたちが安心して暮らしていけるように新産業の開拓と古きよき懐かしいものを甦生させています。私は文化財が特別なものではなく、先人たちの有難い智慧の伝承を楽しんでいるという具合です。

本当の問題は何かとここから思うのです。

議論しないといけなくなったのは、何か大切なことを自分たちが忘れたから離れたからではないかとも思うのです。山岳信仰も同様に、山の豊かさを味わい畏敬を感じてそこで暮らしているのならそれは特別なものではありません。そうではなくなったからわからなくなってしまい、保存とか活用とかの抽象論ばかりで中身が決まらないように思います。今度、私は山に入り山での暮らしを整えるつもりです。そこにはかつての山伏たちの暮らしを楽しみ、そして流行を取り入れて甦生するだけです。

何が文化財なのかと同様に、一体何が山岳信仰なのかも暮らしフルネス™の実践で子どもたちのためにも未来へ発信し歴史を伝承していきたいと思います。

人間がわからなくなっていくときこそ、初心や原点に立ち返ることです。この機会とご縁を大事に、恩返しをしていきたいと思います。

文化遺産から文化活産へ

前の時代のものや先人たちが遺してきた文化財というものは、前の人たちが築いたものです。それをそのまま引き継いでしまうと私たちは前の時代のものを今の時代のものに変えていくことでそれが単に遺産ではなく一つの活産になっていくのです。

私は古民家甦生をはじめ、あらゆる文化遺産の甦生を試みていますがそれは今の時代に生まれたものとしての使命があると感じているからです。

先人たちのやり遂げたことを尊敬し尊重しながら、それを今の時代でも同じように実践し、前の人に恥じないように甦生させていく。この連続こそが本当の意味での文化であり、伝統を守るということなのです。

それを現代では、遺産を保護するということによってかえって何も手を出すことができなくなり活産のものまで遺産にしてしまうといった本末転倒になってきているものもあるように思います。

文化財を本当の意味で保護するとはどういうことか。私にしてみたらそれはこの時代の人たちが文化を甦生させていくということなのです。甦生なくして本当の意味での保護はないということです。

よく考えてみれば、建物が遺産になっていますが実際にはその時代にずっと長く続いていたその場での暮らしというものがあります。それが守られているからその結果として建物が手入れされ続けて今まで残っているのです。その場の暮らしがなくなれば、当然の結果として建物もなくなります。その建物だけを遺しても、中身がありませんから建物だけを保存するのに莫大な費用が掛かり続けます。

経営でいれば、使わないし投資回収もしないものに資金を投下し続けるということです。それが大事なものであるのなら、きちんと資産にしてそれを活用していく必要があります。その活用の仕方は無数にありますから正解はありません。しかし大切なのは、その文化を磨くことをやめてしまった遺産にしないということです。

例えば、日本人であれば和食というものがあります。その和食を食べなくなれば和食遺産というものができます。その和食を食べることもしないのに、只管和食文化を守ろうとすればどうなるでしょうか。永遠に和食が続くようにするには、和食を食べ続けられるように和食を甦生し続けてその時代に相応しいものに革新していくしかないのです。

日本の伝統工芸もまた然りで、材料を保存するとあってもそれを維持するためにどれだけの費用がかかるのか。その材料を短期的には保護できても、長期的にみたら使わないものをただ生産し維持することが難しいことは誰でもわかります。

本来、当代に生まれた人たちはそれを当代でも活かせるようにしていくことで経済や産業を発展させていく使命があります。時代は巡りますから、また3世代くらい廻るくらいで原点回帰していきます。するといつまでも遺産ではなく、活産として暮らしの中で私たちは伝統文化の恩恵を享受され続けていくのです。

文化を守るためには、その場の暮らしを一緒に甦生させていく必要があります。私が「文化の甦生」と合わせて「場の甦生」にこだわるのはこの理由からです。

活産にしていくことは、今までの祖先の御恩に報いることです。子どもたちのためにも、遺産を磨き甦生させ活産にしていきたいと思います。

 

和菓子のはじまり

落雁のことから和菓子のことも深めています。もともとこの「菓子」は縄文時代、古代の人々がお腹が空くと木の実や果物を採って食べていたのがはじまりともいいます。木の実や果実を間食する、これが「果子」(かし)の原型なのでしょう。

今でも、お菓子といえば間食するものではありますが古代のころは食べ物を加工する技術もなく、果物の甘味はとても特別なものだったように思います。縄文時代の遺跡からは栗や柿などは栽培されていたことがわかります。それを次第に石臼などで加工する技術が発展してきました。

農耕はしていたもののどんぐりなども食べていたことがわかっています。そのどんぐりや木の実はアクが出ますから水にさらしてあく抜きをしてそれを丸めたものが発明されました。これが団子のはじまりともいいます。そして日本最古の加工食品ともいわれる「御餅」も発明されます。貴重なお米を原料にしたのでこれは神様に備える神聖なものとして重宝されてきました。

その後は、中国(唐)との交流や茶道が発展しこの菓子はさらに進化していきます。多様な素材や季節感を取り入れながら日本独自の和菓子という言葉も誕生しました。

和菓子には日本人の美意識や歴史の結晶ということになります。

和菓子には代表的なものとして、お饅頭、お団子、羊羹、上生菓子などあります。この和菓子は材料や製法で分類されることやその水分量によっても分類されることがあります。水分量が多めの生菓子と半生菓子、干菓子などで分かれることもあります。

実際には、全国各地のその風土と風景と一体になった和菓子があり膨大な種類のものが日本には存在します。その土地の名産であったり、饅頭などはその土地土地で材料も味も、見た目も異なります。

多様な風土と和合して和菓子は今まで発展してきたのです。

現代では、和菓子の不人気なども相まってかなりの種類の地域の和菓子が失われてきました。長期保存ができコンビニで買える便利なスナック菓子を食べているうちに、多様な文化と風土のお菓子が消えていきました。

私は柏屋さんの饅頭が理念を含めて大好きですが、日本を代表する伝統和菓子が子どもたちにも受け継がれていけばいいと心から感じます。どんなものにもそのものの始まりと風土、歴史、文化があり、それを食べることで私たちは地域とのつながりや循環を繁栄させていきました。

食べることはただ自分の欲望を満たすためのものではなく、私たちは食べることで自然との感謝や共生、豊かさや幸福などを創造してきたのです。日本を代表する和菓子が、日本の未来を美しく彩るように暮らしフルネス™を通して見守っていきたいと思います。

落雁の価値

昨日、伝統菓子の落雁(らくがん)を専門でつくる会社を経営する方とお話をする機会がありました。この時季、お盆のころの落雁はいつも身近にあったものですが改めてこの伝統和菓子の落雁のことを少し深めてみようと思います。

落雁は、名前が特徴的ですが名称の由来には諸説あります。例えば、明の軟落甘 (なんらくかん) から「軟」が欠落して転訛したという説、また形が落雁に似ているところから近江八景 の一つ「堅田落雁」からという説、そして本願寺綽如上人がこの菓子を後小松天皇に献上した時に白色の地に黒ごまの点在する様が雁の渡る姿を連想させたので「落雁」としたという説があります。もともとこの落雁という言葉の意味は、「空から舞い降りる雁」という意味で秋の季語でもあります。

この落雁のお菓子に似ているものに和三盆がありますが原材料がまず異なります。落雁は米粉を使い、和三盆はサトウキビ(竹糖)を用います。

落雁は、このお米の澱粉質の粉を使い、様々な模様の木型に押し付けて圧縮し最後に乾燥させるという具合でつくります。他にも澱粉質の粉のみを蒸籠で蒸すやり方や、最初にすべてを混ぜてから蒸し上げて乾燥させたりと実際には様々な製法の落雁があるといいます。

もともとこの落雁は、中国から日本に伝わったお菓子だといわれます。釈迦の弟子が僧侶に振る舞ったお菓子ということから仏事に用いるお供え物の代表となりました。

具体的な由来は、釈迦の弟子目連(もくれん)故事からです。

目連の亡母が夢の中で天上界に行けず餓鬼道に堕ちているのを見つけました。その亡母に水や食べ物を差し出しても、炎となってどうしても口には入りません。そこで釈迦に問うと、「すべての修行者に食べ物を施せ。さらば母親にも施しとなるだろう」との助言をもらい修行者に甘いものの施しをしたところ、修業者たちの喜びが餓鬼道にも伝わり母を救った」とあります。この故事から落雁を先祖に備えるのは施餓鬼をして、餓鬼道に堕ちた者を救うための供養となりました。

そして広がったのは、江戸時代に茶道と共にその茶菓子として安価な材料で作った落雁が出回るようになり仏事に用いる特別なものだけではなく庶民のお菓子として親しまれ今にいたります。

現代では、甘い砂糖やチョコレートなどの洋菓子などの文化が流入してきたと同時にご先祖供養の風習も失われてきてあまり落雁を食べるという機会も失われてきました。また落雁もスーパーなどで売られているものは、見た目だけ似た落雁風のものばかりで食べても美味しくないのでさらに人気がなくなりました。

日本でもむかしからの製法で伝統的に落雁のみをつくる老舗もあとわずかに残るだけです。

子どもたちには、この落雁が持つお供えや室礼、そして信仰などとの深いかかわりがあること、そして日本人のお米を使った味覚、滋味を味わう大切さなどを私も伝承していきたいと感じます。

未来のために、大切なものを引き継いでいけるように落雁とのご縁を深めていきたいと思います。