新しい世界~日本の種火~

昨日、カグヤと臥竜塾生と一緒に合同で新しいプロジェクトのミーティングを行いました。オリンピックへ向けて、日本の文化を見直しそれを発信していくために私たちが誇りにしているものが何か、その原点について語り合いました。

現在は、単にパスポートが日本国だから日本に住んでいるから、遺伝子が日本だからなどが一般的に日本国民だという認識の人が多いといいます。しかし本質として自分は何をもって日本人であるのかと、もう一度深く省みるとき改めて日本ということ、日本民族ということを考え直すように思います。

日本の文化をどれくらい理解し、日本の先祖のことをどれくらい理解し、日本の暮らしを理解し、それを悟りどれくらい本物の日本人であるのか、今の生活をもう一度見つめてみて考え直すと自分自身が日本人としての自覚が薄いことに気づきます。だからこそ世界が一つになるとき、如何に自分たち日本人が偉大かということを自覚し悟れるかが、誇りと自信を持って世界とつながることのように私は思うのです。

そのためにも自分たちがもう一度、日本の文化を掘り起こし再発見しつつ今まで積み重ねて伝承されてきた日本文化を甦生し、体現し、それを世界へと発信していかなければならないように私は思います。

禅(ZEN)を世界に広めた仏教学者の鈴木大拙氏は、西洋と東洋を超えて世界の中での日本を示した先人の一人です。改めて、日本文化を伝え、異文化の融和によって一つになり助け合っていこうとする先人の功績は今も私たちを勇気づけます。鈴木大拙氏が禅を広めようとした動機、つまり初心です。

「西洋の方と比べてみるというと、どうしても、西洋にいいところは、いくらでもあると……いくらでもあって、日本はそいつを取り入れにゃならんが、日本は日本として、或いは東洋は東洋として、西洋に知らせなけりゃならんものがいくらでもあると、殊にそれは哲学・宗教の方面だ と、それをやらないかんというのが、今までのわしを動かした動機ですね」

西洋から学ぶだけではなく、世界の中の日本人として西洋にも伝えなければならないものがあるという信念は深く共感します。そして後を生きる日本人に対してこう言い遺します。

 「日本を世界のうちの1つのもの、としなければいかん。今、日本が、日本がと、やたらに言うようだが、日本というものは世界あっての日本で、日本は世界につつまれておるが、日本もまた世界をつつんでおるということ、これは、スペースや量の考えからは出てこない。そのように考えるためには1つの飛躍が必要とされる。その飛躍が大事なのだ」

この飛躍のことを、英語ではマインドセットといいます。今までにない新しい世界に突如現れる新しい常識、時間でいえばそれをティッピングポイントとも言いますがある時、ガラリと意識が飛躍するような大転換が必要というのです。

そしてこれが新しい世界に入るということです。

私たちは日本人になるには、世界の中の日本であり日本があるから世界があるという境地を体得しなければなりません。そのためにも自国の歴史や文化を学び直し、自分がどう世界の中の日本人として生きるかを決めなければなりません。

自信と誇りもまたそこから生まれ、それを子どもたちが受け継ぎこの先の未来で世界の中で平和をきっと創り出してくれると思います。大和民族とは何か、何をもって和の民と呼ばれたか、今一度、世界が大転換期であるからこそ私たちの役目や役割は大きいと私は信じています。

引き続きこのオリンピックを通して、その日本の種火を世界へと弘げていきたいと思います。

 

 

子どもたちを見守る神様~お天道様~

天神信仰を改めて調べていると菅原道真公の生前の姿が観えてきます。現在では菅原道真公のことを天神様と敬い、学問や誠実、慈悲や正直の神様として崇敬していますが平安時代以後は恐ろしい神様として祀られていたといいます。

歴史を紐解けばわかりますが、天皇に対して国家に対して忠義が篤く、誠実だった人が時の左大臣藤原時平の妬みと嫉妬によって乱暴に追放され酷い目に遭ったことを不誠実なことだと人々が思ったからではないかと私は思います。

正直で誠実だった人物に対して、不正直不誠実であることで如何に天のお怒りに触れるか、つまりは日本古来からある「お天道様がみている」という概念とつながっていたのではないかと思うのです。お天道様が見ているということに対して、やはり不正直や不誠実ではいけないと、死してなお人々に生き方を説いたのが菅原道真公の恩徳であったようにも思います。

上杉謙信や吉田松陰、大義に生きた人たちは死んだのち神社に祀られます。生前の徳が死後にはっきりと観えることで周囲がその人物を神格化するのですが、言い換えるのならそれを神格化する人々の中にその大義を感じる力があるわけで何が忠であり何が義であるかを理解しているから祀るということでもあります。

古来からある大事なものを大事に優先して生きた先人の遺徳に自分たちも同様に生き方を見つめようとしたことでいつまでも篤く崇敬されていきます。全国に天神系神社が1万2千社あるのは、このように誠実や正直、忠義に生きることが大切だと深く信じる生き方をしようとした人々があるという証拠でもあります。

その後、天神様が学問の神様としての信仰が広く浸透していくようになったのは江戸時代に入ってからだといいます。江戸時代の寺小屋の様子を記した文献には、子どもたちが机を並べる教室に必ず天神様が祀られてあったことが記されています。それに寺小屋へ入学する子どもを必ず両親たちが天神様に参拝するという風習もあったといいます。

そうして次第に天神様は学問の神様から「子どもたちを見守る神様」に変化していきます。

また天神様といえば有名な童謡「通りゃんせ」があります。この通りゃんせは江戸時代に創られたもので作詞者は不明になっています。歌詞はこうなっています。

「通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ」

この歌詞の中の「この子の七つのお祝いにお札と納めにまいります」とは当時は今と違って子どもが数え歳7歳まで無病息災で無事に生き残ることが稀だったことに加え、その7つの時期を終えると半人前の大人になると考えられていたため7歳までは神様の内、7歳までは天神様の守護の内ということになっていたからだといいます。

おそるおそるその年まで油断なく子どもを見守った親心や、天神様に大切に守ってもらっているというお天道様への畏れもまたあったのではないかと私は勝手に想像していますが語り継がれる童謡の中には人の生死のどうしてもどうにもならないことの無常さも入っているようで複雑な心境もあります。

しかしこのように天神様が子どもを見守ってくださる神様になり、今でもそのままに子どもたちが無事に学問の道を歩めるようにと祈り願う人たちの信仰によって篤く崇敬されて引き継がれているのは間違いありません。

「7つまでの子どもを見守る」という意味では、私たちの本志本業もまたこの天神信仰の本質と合致しています。保育の時期を見守りの中で過ごした子どもたちが信じる心を持ったまま大人の社會の中で自分らしくあるがままに自然体に生きて助け合い、幸せで平和であるようにと願う思いに保育の道を祈ります。

今年の聴福庵で天神祭が保育道を実践する子どもを見守る先生方と共にお祭りができることに深いご縁と仕合せを感じています。

引き続きいただいている機会を学びのチャンスにして初心伝承に取り組んでいきたいと思います。

 

 

和の甦生

以前、国際人のことを書きましたが今の時代は国際化の中で自分たちがどのように生きるのかを見つめる時代でもあります。私は若いうちからヨーロッパや中国に留学した経験がありますからその国の文化に触れ、どのようにこれから自分が生きていくかを考えたのを覚えています。

日本は島国だからか自国のことばかりになってしまうことが多く、世界のニュースや世界の動向を意識する人が少ないような気がします。今はこれだけITや流通が発展し、それぞれの国に人が行き来する時代になって国境がなくなり国際化したのだからもっと自分の国の文化に対する意識も高まっていなければならないのに自分の国の文化や歴史に興味を持っている人が圧倒的に少ないように思います。

先日、日本の保育についてメンターと話し合う中で「日本をもう一度見直そう」という話がありました。その中で「異なった文化の人たちが如何に協力するか、世界と和していくことが日本をよくすることだ」と仰っていたのが印象的でした。

現在、一つ一つの伝統を紐解き初心伝承を磨き深めていますがその根底には和の精神というものが根付いています。自然と共生し人々と和する・・その和の精神とは何かといえば、それは「平和」のことです。

大震災や大災害があったとき、日本は世界から尊敬されます。それは見事なほどに他者を思いやり、自制し自律し、他を受け容れ、助け合う姿を見せるからです。私はこれは日本独自の文化と歴史の結晶ではないかと感じます。

協力や協調、調和は私たちが実践する一円対話、そしてコンサルティングの本筋に定めているものですが日本の文化の後押しがあるからこそより大きな効果が現場で発揮されているのです。

明治以降、日本文化の価値が見捨てられ零落しその本当の意味や崇高さが伝統的な暮らしと共に衰退していきました。しかしこれからの子どもたちが国際化の中で如何に国際人として羽ばたいていくかと慮るとき、日本独自の文化が忘れ去られていくのは平和を世界に広げていく精神もまた忘れ去られるということであり、今、ここで何とかしなければという義憤に強くかられます。

私たちは親祖の初心が悠久の歳月を経て文化になったことを決して忘れてはなりません。

改めて日本を見つめ日本を見直し、古来からある日本文化を学び直し、それを転じて甦生し世界へ日本の文化を発信していく必要性を感じています。使命をもって、子どもたちのためにも和の甦生に取り組んでいきたいと思います。

心田を耕す

二宮尊徳の教えに「心田を耕す」というものがあります。そもそも人間のあらゆる荒廃はすべて心の荒蕪から起こると説きました。荒蕪とは、草が生い茂って雑草が生えほうだいで土地が手入れされずに荒れていることをいいます。荒廃は家屋などでいえば、荒れ果ててすさみ潤いがなくなっていくことをいいます。

この荒廃は心の荒蕪が問題であり、それを解決するには心田を耕すしかないといいました。私は自然農や古民家甦生を通して感じたものは、暮らしが失われることでこの心田もまた失われ荒廃していくということです。

本来、田であれ家であれ人が手入れを怠ればあっという間に荒んでいきます。なぜ荒むかといえば日々の暮らしを怠り忙しさにかまけて心の手入れをすることを忘れてしまうからです。

都会に住めば、忙しい日々を送る中で暮らしは消失していきます。特になんでも簡単便利に頭で考えたようにできる世の中になってくると、本来は有難かったことも当たり前になり、自分の都合よくいかなければ不平不満などが出てきます。それに拍車をかけてお金でなんでも解決しようとするあまり、さらに心を用いる苦労の方や、心を慮り丹誠を籠めるようなことがなくなっていきます。

古民家を一つ丁寧に建て直し、手入れをし甦生させていくともう十数年も置き去りになって雨漏りがして屋根が崩れ荒れ放題になっている隣家が気になってきます。一つ家を直せば、町並みは美しくなり隣の家が気になってくる。田んぼも一つ美しく手入れすれば荒廃された隣の田も気になってくる。こうやって一つ一つのことを手入れしながら、一つ一つ荒蕪を開墾して耕して手入れしていく以外に人々の心を直す方法はないのです。

二宮尊徳のいた時代は、大飢饉が続き食べ物がなくなり農民たちは重税で苦しんでいました。その中で村々は荒廃し人々の心もすさんでいたといいます。今は時代は変わり食べ物は豊富にありますが、都市一極集中で地方は少子高齢化が進み田畑や古民家は荒廃が進んできています。人々も重税がかかり、格差は広がりますます時代背景が似てきています。

一人一人が覚悟を決めて、暮らしを立て直し心田を耕すことによって荒廃を転じて幸福に目覚めていく必要があると私は感じます。

何をもって心田を耕すのかは、もう一度本物の暮らしとは何かと見つめ直すことからではないかと私は思います。本物の暮らしは、日々の心を耕します。かつての伝統的な日本の暮らしは感謝に包まれ謙虚に自然と一体になって日本人の心と共に慎まやかに継承されてきました。

文明が進んでも、生き方までは変わらず時代の進化は正常に行われてきたものが明治頃からそれまでの道から離れ戦後に様々な影響を受けて今に至ります。今一度、原点回帰し日本人としての生き方、つまり日本的な暮らしを甦生させ、本来の日本人としての心を耕していく文化を再興する必要を感じます。

そのためにも一人一人が目覚め、まず独り荒れた田に入りそれを開墾し、荒んだ家に入りそれを甦生させる、その真心を磨いて人々の心に潤いを与えていけるような実践を積み重ねていくしかないと思っています。

先人の尊さには頭が下がります、二宮尊徳の積小為大を実践をしつつ子どもたちのためにも暮らしを甦生し心田を耕し続けていきたいと思います。

自律と自由と自分次第

昨日、自由の森学園の体育祭を見学する機会がありました。子どもたちがのびのびと自由に自分たちの体育祭を楽しんでいる様子にほのぼのとした雰囲気がありました。いろいろなことを外から強制せずに自分たちで物事を主体的に取り組むようになるには、自分自身と向き合う必要が出てきます。

自分自身と向き合う中で、どのようなルールを自らで設定するか。ここに自律を学ぶ意味があるように思います。

私の会社も自由にしていますが、その自由の意味が最初はわからず周りから与えられたルールに従ってきた人たちは困惑して最初は何もできなくなるものです。しかし周りを見渡して、誰かから与えられたルールではなく自分自身が決めたルールに従うことで得られる自由に気づきます。

それでも与えられた自由のことが忘れられず、誰かに決めてもらおうとしたり、責任者に自分の管理を押し付けたり、会社のせいにしたりトップのせいにしたり、もしくは権利ばかりを主張してきたりするものです。

本来、自由というのは自分で決められる自由です。それを最初からできないものだと決めつけて自分で決めようとはせず、誰かによって決められたものでそれは決して自分では決めてはいけないものだと考えるほど不自由なことはありません。

無理をして限界がくれば会社を辞めればいいと努力している人もいますが、こんなのは誰かの決めたルールに従って無理に働いているだけで自分から成長を楽しんで働いているのではありません。

自分で決める自由というのは、誰かがそれを決めていたとしても自分が納得していればそれは自由です。それが主体性を発揮しているともいえます。例えば、私も疲れた時や大変な苦労の時に、なぜこんなことをと思う時もありますがよく考えてみると自分で選んだ道ではないかと思い直せばその柵から自由になり前向きに明るく取り組むことができています。

これも先ほどの自律と自由の話の一つで、自分が決めたことを自分でやりきることほどの自由はなく、誰かにやらされて仕方なくやる不自由とは異なるものです。自分で選択したことに責任を持つというのは、決してつらいことではなく、よく覚悟を決めることは大変なことだと勘違いされていますが本来の覚悟を決めることは自由になることを意味するのです。

自由というのは、自分の人生に自分が責任を持つということです。決して誰かのせいにするのではなく、すべての人生は自分が主体的に創造する主人公であるのだとこの自分が創造する世界の全責任を自分が持つということです。

物事をどのように感じるのかもその人次第ですし、出来事や機会に対してどのように接するかもその人次第、時間の使い方も人生の使い道もまたその人次第。どんな境遇にあったとしても、それをどう活かすかはすべてその人の責任、その人の自由なのです。

そうしてみると、子どもたちがこの自分で決める自由を学び社會に出ていくというのはとても大切なことのように思います。不自由の中で一生を終える人と、不自由は自分自身が決めているのだと悟り、自分が主体的に世界の責任を持つと決めて自分ルールを持ち自由に生きていくのではその社會の未来も変わっていきます。

引き続き、子どもたちの可能性を感じつつも子どもの憧れる会社を目指しているのだから社會と自分自身と向き合い、どのようなすばらしい社會にしていくかを掘り下げ、世界のモデルケースを研究し、どんどん楽しいルールを会社で創り自律を高め、新しい自由を社業を通して世の中に広めていきたいと思います。

失われていく文化

昨日、佐賀県鹿島市にある創業100年以上続く漬物蔵「漬蔵たぞう」に訪問してきました。聴福庵の風呂に使う樽を譲っていただくことになり選定と発送作業を一緒に行いました。

その樽はすでに50年以上経過しており、15年前から使っておらず今では蔵の中の大きなモニュメントとして活躍していたものです。蔵を拝見すると、その空間には発酵蔵として長年生き続けてきた息遣いを感じ発酵場があることを実感します。

私も自宅裏の森の発酵場で伝統の高菜漬けを種から育てて漬けていますが発酵場独特の空気感や酵母の醸す香りや佇まいには癒される思いがします。この蔵の中に置いてあった樽には、100年間漬物一筋に手作りで手掛けてきた人との思いや、その中で共に暮らしてきた菌たちも樽に住み着いているように思います。

その樽を使わなくなった理由をお聞きすると、桶職人さんがいなくなったことが一番大きいと仰っていました。これだけの巨大な樽のたがをしめることができる桶職人がこの地域からいなくなりメンテナンスができなくなったそうです。

この地域は、肥前浜宿といって長崎街道の脇街道として酒造を中心に栄えた宿場町です。本来は酒を醸造するために大きな樽がたくさんあったものですが、その樽も次第になくなり桶職人さんもいなくなって今に至ります。

本来、伝統文化というのは職人さんがいてこそ成り立つものでそのつながりの中で様々な伝統が維持できていきます。大工、左官そして鍛冶師と研師が一体であるように、この樽や桶と酒、漬物、味噌、醤油などの発酵師たちもまた一体なのです。

意味があってあった職業が今では西洋のものと挿げ替えられ、伝統のものを修繕したり修理する技術も失われていきます。消えていく文化というものは、連綿と続いてきた先祖の知恵が消えていくということです。

先祖の知恵によって数千年も生き続けてきた私たちはこの風土の中で生き残るために真摯に改良を重ね今も存在できていますが海外から入ってきた風土にそぐわない技術に安易に便利だからと飛びつけば取り返しのつかないことを未来に残してしまいます。

たとえ小さな種火であったとしても、その種火が遺るのならその種火からまた火を大きくしていくことができます。私が取り組んでいる伝統の高菜も種があるから続けられ漬け続けるから子孫へと継承していくことができます。

こんな時代だからこそ忍耐力が求められますが、何をもって成功というのか何をもって成長というのか、失われていく文化と向き合いながら子どもたちのためにもあらゆるものを甦生させ活かしていくために発明に挑戦していきたいと思います。

ご縁いただいたこの樽は、これから福岡県八女市の松延さまの手によって聴福庵のお風呂として甦生します。このお風呂の一つの物語が子どもたちに伝承され、末永く心に残っていく風景を醸し出すようにと祈り見守りたいと思います。

・・・義を見てせざるは勇無きなり。

たとえ目のくらむような巨大な壁に怯みそうになっても、失われていく文化を前に今、自分にできることから実践していきたいと思います。

好きになること~時間の使い道~

人は時間の使い方を観ればその人の生き方がわかるものです。その人が一日24時間を何に使っているか、また一週間の168時間を何に使っているか、さらには30日、1年とその時間をどう過ごしているかでその人の生き様が観えてきます。

例えば、一日の仕事を好きでやっている人は一日中好きなことに没頭していきます。好きでやっていることだからそれは単に時間を浪費しているのではなく、好きなことをするのに大切な時間を使っていることになります。

私も好きなことややりたいことが山ほどあって寝たくないけれど寝ないといけませんから寝ますが、寝ても覚めても好きなことのことを考えています。もちろんそれは単に趣味に没頭しているというものもありますが、やっていることがすべて一つの目的につながっていると感じることができればすべてのことが好きでやっていることに気づくのです。

やりたくないことや大変なことがあったにせよ、この時間は二度と戻ってこないものです。その時間をどのように大切に使い切るかは、その人の問題意識に由るものです。この体験はきっと誰かや未来に役に立つ、この経験はきっと何か大切な意味を含んでいると深めて内省を続けていれば後になってやっぱりあれはとても大切なことだったと気づきます。

そういうことが連続で起きてくると、好悪で仕事を選ぶのではなくそのすべてを愛せるようになってきます。よく考えてみると、好きになるというのは単に好き嫌いの好きではなく嫌いなところがあっても好きであるということです。つまりいろいろな欠点や問題があったにせよそれでも好きなっているということです。

一日の時間の使い方の中で、どれだけ好きなことに没頭できるかでその人の一生は決まるように思います。それは嫌いなことを排除しようとする努力ではなく、好きになっていく努力、それほどまでに好きになるほどに時間を大切に生き切ったかという自問自答の集積だと私は感じます。

時間をどのように使うか、それはその人次第です。

少しの時間も無駄ではないとその時間そのものを楽しんでいけるようになるには、自分自身の人生を好きになると同様に時間を好きになるということです。与えられたものに文句を言うのではなく、与えられたすべてのご縁を好きになること。

つまりは自分にとってもこの時間はもっとも相応しいものであると受け止め、それを真摯に時間に還元し時間に尽くしていくことのように思います。

この時間は二度とないからこそ、どの時間もかけがえのない大切な人生です。出会いを好きになり、ご縁を好きになり、経験を好きになり、ありとあらゆるものが好きになったとき、人は自分自身のことを本当に好きになるように思います。

自信と誇りは時間の使い方次第です。

引き続き、子ども第一義、すべての時間をその一点に集中して歩みを刻んでいきたいと思います。

宿る

昨日は、熊本から長くお付き合いいただき一緒に理念の実現に向かって取り組んでいるお客様が聴福庵にきてくださりお泊りされました。

すぐに箱庭を気に入っていただき、庭木がとても喜んでいるように見えると仰られありがたい気持ちになりました。ちょうど昨年、鬱蒼とした庭木の剪定を素人ながらに必死に行いすっきりさせ、その庭に年代物の春日燈篭や江戸中期の壺、そのほかにも竹垣や土器、睡蓮鉢にメダカを育て水盤、いろいろな道具も配置していきました。

それに苔も8種類ほどのものを混植し、観音竹や山の清流に流れている石や草草なども移動しました。それから約一年経ち、鑑賞していただけるものになりそれを誉めてくださる方が出てくると、庭に一つの空間が宿ったことを感じます。

そもそもこの「宿る」という言葉は、いのちが宿るや魂が宿る、もしくは宿命といういい方もします。この宿は、単に泊まる場所をいう場合と、宿るといってそこにすまうものがあるという意味もあります。

私たちの体にもいのちと魂が宿ることで存在します。宿っていないものはすぐにわかります。この宿るというのは、目には見えませんが確かにそこには思いや願い、祈りや精神、そういうものがいつまでも留まっているということです。

魂を宿しておくというのは、体がたとえなくなったとしてもその魂自体はその空間やその道具に遷して留めておくということです。それは物に限らず、言葉であったり、建物であったり、遺し方はいろいろとありますが大切なのは宿らせることなのです。

暮らしも同じく、そこの家で取り組んできたものはその空間に宿り続けています。それは継いでくれる人によってさらに高められ、確かに宿ったものに由って甦るのです。

私たちは死んでなくなるという発想を持つのは自分のことや自分の代のことだけばかりを考えるからで、死なない存在がある、つまり宿るのだということに気づけばその生き方やプロセスの方を大切にすると思うのです。

宿っているものを見てくれる人がいることがありがたく、この道をしっかりと踏みしめていきたいと決意と覚悟を新たにしました。

子どもたちのために、何を大切にし譲っていくか、本質を守り続けていきたいと思います。

志結

吉田松陰が死の直前に書いた留魂録というものがあります。これは辞世の句からはじまり、仲間や同志、弟子たちには「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」と記し、家族宛に「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」と記しています。

これと同じく、「諸友に語(つ)ぐる書」というものを遺しました。

ここに最後まで忠義に生きた吉田松陰の生き方が観え、深く共感するものがあります。

「諸友蓋(けだ)し吾が志を知らん、為(た)めに我れを哀しむなかれ。我れを哀しむは我れを知るに如(し)かず。我れを知るは吾が志を張りて之れを大にするに如かざるなり」

意訳ですが、「君たちはきっと僕の真心を理解していることと思います。これから先に死んで逝く僕のことを決して悲しまないでください。僕の死んでしまうことを悲しみ同情することは、僕の本心や真心を理解してくれたのではありません。もしも僕の本心や真心を深く理解して同情してくれるのなら、僕の志を受け継ぎ、この志を更に大きく実現してくれることなのです。」と。

ここに最後まで真心に生き切り、自らの志、その忠義に生きた吉田松陰の生き方が観え、深く共感するものがあります。

志は、自分の人生だけで完結するものではありません。何代も先のため、せめて七代先のことも憂い、自分がその使命を果たそうとするのです。志を継ぐというのは、それだけ物事を長いスパンで考えてその志のバトンを受け継いでまたそれを次に渡していこうとする試みなのです。

例えば、孔子や仏陀、キリストをはじめ、神話や伝説などもそれは語り継ぐ人がいたから今の私たちがその言霊と真心を理解することができます。数千年以上前の出来事が今でも生き続けているのは、その志を継いでくれた人たちがいたからです。

その志を継ぐことは、決して頼まれた結果を出せばいいのではなく同じ生き方をしていってほしいという願いと祈りに近いものがあるのです。自分の真心や本心は何か、それは未来の子どもたちや子孫のためにも、先祖のためにもこう生きたいという心そのものです。

その心のままに歩んでほしいと願い、その心が同じであるから共に同志が集うのだから守るべきは自分のことではなく志を守ろうとするのです。守るものがあるから生きられ、守るものがあるから本来の自分の使い道があるとも言えます。

何を守るか、何を信じるか、何のために生きるのか。

これらが志と結ばれ、その志が永劫に受け継がれ生き続けるのです。吉田松陰にこんなに惹かれるのは、志が同じくするからかもしれません。別に外国を追い払おうとしたのではなく、大和魂を守ってほしいというのが志だと私は思います。

引き続き子どもたちに大和魂を譲り遺すためにいのちを懸けていきたいと思います。

四季のめぐり

昨日は、聴福庵の箱庭のカエデの選定を行いました。昨年は、時期がずれていたこともあり大量の毛虫が発生しそれを食べる蜂もたくさん来ていていろいろと虫に刺されひどい目に遭いました。

今年は、昨年の四季の巡りを体験しましたからどの時期にどのような手入れをすればいいのか体が覚えています。田植えなどもこれから行いますが、何年も四季の巡りを体験すれば自ずから体が覚えて全自動的にタイミングを合わせてきます。

私たちは自然から離れて時計やスケジュールに体を合わせますが本来は四季の巡りに合わせていきているのがすべてのいのちです。そのいのちが四季に合わせるからこそ周囲とのタイミングも合ってきます。もっとも無理も無駄もなく、周りの様子を感じてどの時期に自分が何を動けばいいかを自明するのです。

本来、タイミングと合わせる力というのはもっとも大切な力です。タイミングが合わなければ何をやってもずれてしまうこともあります。そうなれば徒労に終わるばかりで何をやっても周囲との不調和が生まれるのです。

自然に四季があるように自分の体にも四季があります。その四季の巡りを熟知し体で体得するというのは自分のことだけではなく周囲のことも深く理解していくために必要なことです。

この四季の体得は、体を使って感じるしかなく、それも一年の四季の巡りを全体で掌握して時期を感じながら生き続けるしかなく、ここに人間の五感を磨き生き方ががらりとかわる理由があります。

何か自然物を自然に共に育つ関係を持てば、すべての生き物は四季に合わせて変化します。その変化に応じて自分自身を変化していくことで体が変わっていきます。体を四季に合わせて変化していくのは自然の道理に従って自分の感覚を研ぎ澄ませていくものです。

その研ぎ澄ませて感覚を得れば全体把握ができるようになります。人間はどれだけ大きく全体を観るかで自分の動きも変わってきますからこの感覚は人生を生き抜くためにはとても大切な力になります。

地球の流れとともにある生き物たちは、四季とともにあるとも言えます。引き続き四季に合わせて四季の巡りを学びつつ、自然一体の境地のままに道を歩んでいきたいと思います。