基なる礎。

最近、ソフトをより理解してもらうために各地で園内研修を始めた。
どちらかというと個人情報管理や危機管理、衛生管理などその都度必要を迫られる時事的な研修ではなく、「子どもたちひとりひとりの発達を保障するため」という園では必須項目でもある保育所保育指針・幼稚園教育要領に沿った発達理解と共通理解などについて行うことにしている。

園では、色々な研修に参加している。
しかし、研修でマスターするのは何も難しいテーマばかりを追っているから早く問題が解決して理想まで辿り付くという訳ではないと思う。

子どもの発達と同じで、やはり人の成長は段階があるのだ。
習熟度もあるし、偏りもあるし、タイミングもあるし、関係性もある。
だから、強引に無理をすればすぐに捩れてどこかで階段を踏み外し転がり落ちることが多い。

以前、私はバレーボールをやっていた。
かなり強い学校だったのだがそこでは基礎練習(走る・鍛える・見る・聞く)だけで2年もやった。試合出場なんてとんでもない、2年間はずっと試合にも出してもらえなかった。
きっとスポーツをやった方ならみんなそんな経験はあると思う。
まれに才能がある人がいきなり起用されるが、何らかの壁があると心か身体のどちらかがポキっと折れてすぐに再起不能になる。
3年にもなるのとさすがにそれはなくなると思っていたら、3年でも応用練習と別にどんな時でも相変わらず基礎練習は終わるまで続いた。

野球の王監督も、張本さんも素振りの量は普通の選手の基礎練習での量を軽く超えるほど桁違いやっていたそうだ。
先日TVでヤンキースの松井選手を取材していたがやっぱり素振りの量は凄い。

結局、すべての応用技術は基礎力があってはじめて手に入るものなのだ。
どんな凄いプレーヤーでも、毎朝毎日欠かさず基礎練習をしている。
しかし一流のアスリートまで行こうと思ったら貪欲に、工夫と努力、検証をしているかどうかがキーワードになるのだろう、それは頭も一緒に使うということだ。

ただ決して忘れてはいけないのが大前提としてその確固たる「基礎練習の意味」を心の芯で理解しているかどうかになってくる。
ニンゲンはそんなに強い生き物ではない、だからきっと「深い気付き」がないと続かない。

つまり我々も同じで仕事で何かを習得したいのならばその専門の芯の部分に気付き、それに関する基礎練習を徹底して行うことだと思う。

保育の場合は、それは「発達」になるのだろう。
健康・人間関係・言葉・環境・表現と五領域をしっかりと理解把握すること。
私は、それさえ日ごろからできていれば応用は自然に身につくと思っている。
保育の専門性は、子どもが獲得したその発達を深い見識で観る力だ。
花で言えば、根っこの部分が観れて語れ望むべき花にしていく工夫だ。
だからこそ、日ごろから根っこが見えるような特別な基礎訓練がいる。
お医者さんも写真屋さんも、修理屋さんも、植木屋さんも、みんな普通には見えない部分をみんなプロとしてみれるようになっている。

つい人は業界で有名で権威のある方が語る事例や特例にばかり目を奪われている。
安易にやるとひょっとすると本末転倒になるから気をつけないといけない。
この方々は、凄い人たちなので特例しか語らないからだ。
当たり前のことは、当たり前なのでわざわざ講演で発表したりしないからだ。

私の会社でも同じようなことでは組織マネージメントというものがある。
もちろん早く何とかしたいがこればかりは短い時間でやろうとしてもどうしようもないものはどうしようもない。やはり発達と一緒だからだ。

会社では、”企業理念”に基づく日々の約束・期限・納期・3S・確認、等々、報告連絡相談がそれになる。これは日々必ずやらないといけない、これは日々繰り返し見直さないといけない。そうやっているうちに、次第に身について観得るようになっていくこともある。

何でも軸はずらさないようにしないといけない。
基礎は目立たないし、気付きにくいがとても大事なことだから。

基礎練習をバカにしてはいけない、基礎は応用に繋がる唯一の道なのだ。