キッカケとタイミング

私自身、日々、いろいろなものに出会いがある。

その出会いは、もちろん人と人があるけれど、人と物も、人と時も、人と環境も、そうでないものでも、様々なものと出会いそしてそれを受取って気づき、感動したり感涙することで生きる意味を知り、出会いで成長するということを学んでいく。

子どもたちも、毎日24時間365日、心を外部へ開き偉大な好奇心で様々なものに出会っている。
そして自分が一人ではないことへの喜びを知り、多くの出来事に感化していく、自分が在るようになる。

そして、繰り返しの中で忘れていてもまた一期一会に出会い「魂を揺さぶられる」ような日々を送る。

先日大阪でGTブロックセミナーを開催した時、講演いただいた私が尊敬している安家周一園長がこの魂が揺さぶられるという言葉を使い表現されていた。

子どもへの保育とは、そうやって環境を用意し見守ることで子ども自身の魂の揺さぶられる体験をどれだけたくさんさせてあげられたかだと仰っていた。

私も同感でそれを聴いて保育の本質を理解することができる。

たとえば、本気で正面から真っ直ぐ生きてみるとこの世の中は厳しく冷たい。
それでも諦めずに真剣に歩んでいると、その中にある無二の優しさ暖かさやがあることを知り人生が感動や感謝に彩られていく。

それぞれの道の刹那刹那に、暖かい周囲の見守りや新たな魂の出会いが用意されている。
これを「人生」と呼ぶのだとも私は思う。

決して無難に安定して何も起きなければそれはまさしく人生ではない、問題が次々に起こり自分の思いどおりにならなくてもふとした時に無限の出会い、発見に邂逅があり、そして魂が感動して成長していくことこそが人生というもの。

そして、まさにその人その人に絶妙なキッカケとタイミングが用意されている。

本人が今が良いかどうかで本気で飛び出すのかどうかは、心に深い情緒の安定がいる。
そのタイミングが良いかどうかの判断とは、決して自分勝手にできることはないと私は思う。

だからこそ、よく周りが見守りと思いやりを持って接することで本人が自分で気づき変わろうとする。それが生きるということに繋がって、変わりだす。

つまり、その子やその人が今が本当に良いタイミングかどうかは、自分のことを真心で信じてくれる人たちの愛の眼差しと無償の見守りにより、覚悟を決めるのが最も価値がある時だと私は思う。

そう考えると、関係性発達というのは信じることから始まり信じることで開かれる。

私はつくづくこの「保育・教育」という仕事は面白いなと本当に実感する。

私は、園の外からコンサルティングに入る企業だけれど、自らの社業と自らの信じる実践を通じ子どもたちを見守るということを園と手をつなぎ広げていくことに感動しない日は一日もない。

私自身、これからもたくさんの子どもを愛する本気の人たちに最高のキッカケとタイミングを用意できるように周囲を思いやる偉大な実践を続けていきたい。

いつも夢を語れる人たちを見守り、その夢を叶えられるような一期一会の仕事をしていきたいと願う。

良い仲間に恵まれ、良い師に恵まれ、良い出会いに恵まれ心から感謝しています。