人生の物語~個性~

人は物事を考えるときに、無理やりに二つに分けて理解しようとするものです。これは善か悪か、正しいか間違いか、できるかできないかなども極端に考えてしまうものもあります。

私が好きな心理学者に河合隼雄さんがいます。発達障がいの勉強をする際に、その著書や対談テープを随分参考にしましたが実際は人生というものとどう向き合っていけばいいかという指南書のようなものがほとんどでした。

その中で分けるということについて書かれている文章があるので紹介します。これは、小川洋子さんとの対談の中からの抜粋です。

「河合:分けられないものを分けてしまうと、何か大事なものを飛ばしてしまうことになる。その一番大事なものが魂だ、というのが僕の魂の定義なんです。
小川:数学を使うと非常によくわかりますね。
河合:お医者さんに、魂とは何ですか、と言われて、僕はよくこれを言いますよ。分けられないものを明確に分けた途端に消えるものを魂と言うと。善と悪とかもそうです。だから、魂の観点からものを見るというのは、そういう区別を全部、一遍、ご破算にしてみることなんです。障害のある人とない人、男と女、そういう区別を全部消してみる。」『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮社)

人間は、分類の中でしか人間は認識しないものです。私たちの会社も分類分けの中には入っておらず、無理やり分類分けされていますがわからない人には変な会社と呼ばれています。

結局は分類の中で人は物事を自分の都合で分けては認識していますが、実際の世の中は分類分けできない複雑で矛盾なものであるのです。中庸や中心などというものもそうですが、そのままに観得る状態であってはじめてその意味を感得できるように思います。

物事にはわからない部分があるからこそそこに物語があるように思います。わかりきった人生を生きるのではなく、分からない部分を愉しむ心の余裕やゆとりがあるからこそ目には見えない部分が実感できるようにも思います。

頭ばかりよくなり現実を自分の思い通りにしようと我を強くしていけば、次第に思い通りではない愉しいことも感じる力がなくなってくるように思います。分けないというのは、頭でわからないところを直感するということです。

物事を直感するとき、そこに偉大な物語があることに気づきます。二分法ではなく、直感法で理解するには体験による気づきと内省、振り返りを優先する生き方に換えていくことかもしれません。

最後に、河合隼雄さんの言葉です。

『物語の「主人公」は自分。人間は一人ひとり違うのですから、それぞれが自分の物語を作っていかなければなりません。』
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『「せっかく生まれてきたこの世で、自分の人生をどのような物語に仕上げていこうか」という生き方の方が幸せなんです。』
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『僕の言い方だとそれが「個性」です。「その矛盾を私はこう生きました」というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです。』

たった一つのたった一人の自分の物語が人生です。その人生の物語を面白く愉快にしていくのも自分自身です。マジメに考えることも大事ですが、マジメの中に遊びがなければ物語に気づけなくなります。

今のような時代だからこそ、敢えてふざけて生きてみたいと思います。子ども達にも遊びの中でその人らしい物語を生きれるように、自分自身がチャレンジしていきたいと思います。