日本の伝統的な教育

日本の伝統的な教育に寺小屋というものがあります。これはウィキペディアには『江戸時代の上方において、寺院で手習師匠が町人の子弟に読み書き・計算等を教えた学問施設である。「寺小屋」の名称は上方で用いられ、江戸における町人の子弟の学問施設は「筆学所」「幼童筆学所」と呼ばれた。』とあります。

江戸時代の日本人の識字率は75%以上であったといいます。イギリスでも25%、フランスでも15%だったことをみると如何に全国的に教育が盛んであったかが分かります。

この背景には今のように学校という施設が義務教育によって子どもたちを集めて一斉に教えていたのではなく、全国各地に私塾や寺小屋といった場所が約一万カ所以上開かれ、身分の差を超えて子どもたちに教育がいきわたっていたことがわかります。

その寺小屋での教育は、師匠は場を見守りながら子どもたち同士で学び合うというやり方が用いられていたのが古い文献などからわかります。薩摩の郷中教育なども同様にに、師匠や先輩、後輩たちが一緒一体になって学び合う「場」が創造され優秀な人材を多く輩出していきました。またそのころは安価な貸本屋などもあり、どんな貧しい家に生まれても学びたい人は自由に教育ができるような仕組みができていたといいます。

かつての「日本の教育の定義」は、江戸時代の武士の学校の最高峰でもある昌平坂学問所の学長である佐藤一斎のこの言葉から窺い知れます。

能く子弟を教育するは、一家の私事に非ず。足れ君に事うるの公事なり。君に事うるの公事に非ず。足れ天に事うるの職分なり。」

これは意訳ですが「子どもたちを教育するのは一家の私事ではありません。またこれは社會のための公の使命があります。そしてこれは公の使命だけではありません。子どもたちがそれぞれに天命を果たすための大切な本文なのです。」と。

本来、誰かが誰かに教え込みコントロールするために用いられた西洋式の教育とは定義が異なり、日本では「天命を果たす」ことができるように見守っていくことを教育の定義としていたように私は思います。

それぞれの子どもたちが、社會の中で自分の役割を果たしていくことでお互いの仕合せだけではなく全体の幸福につながっていきます。そのような社會を創るために取り組むことが教育者であり、その使命は天命を全うすることに由ります。社會を創るために命懸けで人を育てる志事こそが教育であったのですから、全国各地で平和で安寧な世の中を継続していくために寺小屋はとても大きな役割を果たしたように思います。

現代の教育と古の日本の教育、似て非なるものになっているように感じます。

古からの伝統的な日本の教育は世界に誇れるものでしたが、西洋式に換えてしまって変わったこの教育の定義をどれだけ原点回帰し温故知新できるかは今の時代の教育者たちに懸かっています。天命を活かすとき、社會は活かせます、その時、世界は永久的な幸福に包まれます。これは自然界がすでにお手本になっているのと同じです。

社會のため、天命のためにと改めて原点回帰が必要な気がしています。

引き続き、日本の教育のことを深めながら世界の多様性に一石を投じられるよう研究して発信していきたいと思います。