仕事は生き方

先日、BAの打ち合わせ中に脳出血で倒れた左官職人さんが手術後の経過がよく麻痺もなく無事に回復しているというお知らせがありました。一緒に家をつくり、思いを込めて取り組んでいる間は心を通じ合わせていく仲間ですから急な出来事に大きなショックを受けたのを思い出します。

この左官職人の方は、人格が素晴らしく何よりも左官仕事を心の底から愛しています。以前、一人で黙々と朝早くから夜遅くまで取り組んでいる姿をみて一人でずっと何日も同じ作業をしていて辛いことなどないのですかとお聴きしたら「左官仕事が好きなので辛いと思ったことは一度もない」と笑顔で返されたのを覚えています。

あの時、好きな仕事ができる仕合せというものと同時にこういう人に仕事をお願いしたいと思ったものです。

仕事は生き方が現われます。

実際に、好きな仕事をする人と、仕事を好きになる人がいます。そこには目的意識を持っているかどうかが深層心理に隠れているように思います。

例えば、人生を一度きりとしたときにこの今の仕事もまた一度きりです。大切な人生の時間を愛おしむように使うのだから、自分を何に活かすか、自分をどう使うかは人生の貴重な今の集積になっていきます。

その今の心の持ち方をどのように正対して歩んでいくかは、それぞれにその人の人生の取り組み方や姿勢が深くかかわります。自分の人生を大切にしている人は、どんな出来事もご縁も自分の人生の充実や学びの糧にして発達し発展を楽しみ味わうことができます。人はすぐに仕事に優劣をつけたり、価値のあるなしをつけたり、評価をつけては損得などを言いますが本来の仕事にそんなものはないのです。

技能や技術、結果だけではないそこに生き方があることを忘れてはいけません。

最後に、倒れた時はなぜこのタイミングでこの場所でと悲しい気持ちになりましたがこうなってみてよく考え直してみると私と二人の時であったこと、私がすぐに救急車を呼んですぐに来たこと、その後、迅速に手術したこと、左官も一仕事終えて次の打ち合わせの時機であったこと、応急処置もスムーズだったこと、すべて運が善かったことの連続であったことに気づきます。

無事に祈りが通じて回復していく吉報を得て、人間万事塞翁が馬であることを改めて感じ直しました。

私の取り組む生き方は、この人間万事塞翁が馬そのものです。子どもたちにも私の生き方が仕合せにつながるように祈りながら歩んでいきたいと思います。