永遠のいのち~場~

私の青春時代は、尾崎豊の詩を聴き、唄を感じて歩んできた記憶があります。今でもどの曲でも、歌詞を見ずに歌うことができます。それだけ私は尾崎豊の声を心身で聴いていたように思います。

人間は不思議で、頭で覚えたものではなく心身で覚えたことや魂が共鳴したことは忘れることはありません。単なる暗記的な記録ではなく、まさに魂に刻まれる記憶は時空を超えていつまでもその記憶として永遠に残ります。

この記憶はそのうち自己の中にある居場所と繋がり、自分の立っているところを気づかせてくれます。

自分が何処からきて、自分が今、何処にいるのか。

このシンプルですが、自分というものを深く理解し、自分というものの本質を認識することが自己を真摯に生きるための最初の問いになるのです。

尾崎豊の詩に「永遠の胸」というものがあります。

『永遠の胸』

作詞・作曲
尾崎豊

一人きりの寂しさの意味を
抱きしめて暮らし続ける日々よ
見つかるだろうか
孤独を背負いながら生きてゆく
心汚れなき証示す道しるべが

色々な人との出会いがあり
心かよわせて戸惑いながら
本当の自分の姿を失いそうな時
君の中の僕だけがぼやけて見える
ありのままの姿はとてもちっぽけすぎて
心が凍り付く時君を
また見失ってしまうから

人はただ悲しみの意味を
探し出すために生まれてきたというのか
確かめたい
偽りと真実を
裁くものがあるなら僕は
君の面影を強く抱えて
何時しか辿り着くその答えを
心安らかに探し続けていてもいい
いつまでも

受け止める術のない愛がある
消し去ること出来ぬ傷もある

忘れないように
全ての思い出が与えてくれた
心の糧を頼りに生きることを

そこには様々な正義があり
幸せ求めて歩き続けている
欲望が心をもろく崩してゆきそうだ
人の心の愛を信じていたいけど
人の暮らしの幸せはとても小さすぎて
誰一人心の掟を破ることなど出来ないから

今はただ幸せの意味を
守り続けるように君を抱きしめていたい
信じたい
偽りなき愛を
与えてくれるものがあるなら
この身も心も捧げよう
それが愛それが欲望
それが全てを司るものの真実
なのだから

断崖の絶壁に立つ様に夜空を見上げる
今にも吸い込まれてゆきそうな空に叫んでみるんだ
何処へ行くのか
大地に立ち尽くす僕は

何故生まれてきたの

生まれたことに意味があり
僕を求めるものがあるなら

伝えたい
僕が覚えた全てを
限り無く幸せを求めて来た全てを

分け合いたい
生きてゆくその全てを

心に宿るもののその姿を
ありのままの僕の姿を
信じてほしい
受け止めてほしい

それが生きてゆくための愛なら
今 心こめて

僕はいつでもここにいるから
涙溢れて何も見えなくても

僕はいつでもここにいるから

・・・

誰一人、心の掟を破ることはできないという言葉は私たちは宿命的に自分を生きることに全身全霊であり、同時に誰もが共に生きていくことに全身全霊であるという心の描写を感じます。

すべてのいのちは、自立することで一生を全うします。私たちは個としての自分でありながら、同時に全体としての個でもあります。自個を認識しながら、一体であることも認識するのです。

自他一体の境地に入るとき、人はそこに宿命的な心の深淵を覗き、その場所が絶対的な存在であることに気づきます。つまり宇宙の中にいる自分と出会うのです。その認識は、現代では物質的ではないため認識されることがありませんが私たちが産まれる前から、そして死んだあとも存在する「場」であることは間違いありません。

場を守るということは、自分を認識しその自分が自他一体でいるということです。

場の学校がどのような展開になっていくのか、時代の分水嶺にいのちを全うしてみたいと思います。