質の追求

人類はかつて生産性を高めるためにあらゆる工夫をしてきました。生産性を高めていくのは、質と量がありますが量が増えていくことで質は次第に下がっていきました。その下がってきた質をそれ以上下げないようにするためにあらゆる工夫を凝らしてきました。

それが科学や工業の発展につながっているともいえます。しかし、本来、質を高めていけば量は減りますが質はさらに高まっていきます。量が少ないからこそ質は上がります。かつての先人たちは量が少なくなっても、それは永く使えるものになっていきますから敢えて量を少なくする戦略をとってきたのです。

ここ数百年で人口を爆発的に増やし、大量生産を可能にした人類はますます質を下げていきました。そしていくら進歩したと発表しても、質がそれで本当に上がったのかというとかえって下がってしまった質の中での最高を目指しているのであって本来の質には戻ることはできません。

量の拡大というものは、時間を短縮するものです。短期的に効果を発揮することを優先する場合は一時的に量を確保することはいるでしょう。しかし長期的に効果を発揮するには必ず質を選ぶ必要があります。

長い年月生き残るための智慧は質を守っていくことです。それは量を優先しないということです。現代は資本主義で大量消費による利益の無限の拡大を競争の中で目指していますから、その中での質はあくまで短期的な効果のみで優劣を決められてしまいます。

歴史や伝統文化に取り組めば組むほどに、手間暇や準備をかけて人の手で丹誠を籠めて限りなく質の高いモノづくりを観ていたら人類の永続してきた理由に気づきます。私たちの先祖は、自然と同じリズムとサイクルでどれだけ安心して暮らしを営むことができるかを第一に考えてきたように思います。

そこには人生の質をはじめ、ありとあらゆる質を追求して今でいう非効率的なことに人生を費やしていきました。しかしそれが何百年と続く中で、如何にそれが大切であったかに気づき先人たちに向けて頭が下がる思いを持ったに違いありません。

何世代も先のことを真摯に考え、質の高い生き方を選んでいくということが結局は洗練された人類を産み出したということでしょう。縄文時代のような人たちは決して古代の何もできない原始人だったわけではなく、もっとも質を追求した先人の姿だったのかもしれません。

だからといって今更原始人に戻れというのは乱暴な話ですから今と向き合って今なら何が質を高めたことになるのかということを暮らしを通して提案していかなければなりません。

私が考える「暮らしフルネス」とは、人類の原点回帰でもあり子孫へ向けた智慧の伝承でもあり、また人類の質の追求でもあります。あらゆるものを混然一体にしつつも原点だけは見逃すことがないように丁寧に初心を忘れずに取り組んでいきたいと思います。