修験の甦生

英彦山修験の伝説のお薬を甦生する中で、改めて修験者の人たちの知恵を学び直しています。もともと修験者は、最先端技術を持ち、心技体共に洗練された人々であったことが歴史を深めると次第に自明してきます。

役行者が有名ですが、空海なども同様にみんな修験によって知恵を会得した修験者たちです。

その修験者は医術にも長けていたことがわかります。あらゆる心身の不調や、健康を維持するための様々な知恵や実践を伝道していました。むかしから、厳しい自然の中で鍛錬し生きるための方法を得ていましたから修験者の生き方が里の人たちの暮らしを支える一つの教えになったのです。

話をお薬に戻しますが、有名な修験者の薬には奈良の「陀羅尼助」や長野の「百草」などがあります。

まず陀羅尼助は、修験者の多い吉野山大峯山で伝承されたものでキハダの樹皮から名薬を作り出しました。このキハダの木の樹皮を剥いで乾燥したものを「オウバク」といいます。このキハダは、ミカン科の落葉性樹木で樹皮の裏が黄色いため「黄肌」とも呼ばれる木です。

もともとこの発明の伝承は修験道の開祖である役行者が今から1300年前大峰山の開山のとき、山中に生え繁るキハダを煮てそのエキスを取ったところ胃腸の病をはじめ色々な、内臓、外傷にも薬効のある事を発見したそうです。ちょうど7世紀末に、疫病が大流行したときこのキハダからとったオウバクを煎じて多くの病人に飲ませ救済したそうです。

もともとこのキハダは縄文時代の遺跡からも見つかっています。つまり太古の時代からお薬として使われてきたものです。役行者にはこの伝来の薬草の知識があり、何が身体のどこに効くのかをどこかで学び知っていたのかもしれません。その薬草調合の知恵活かしつつ、人々に心身をととのえる神通力を用いて疫病を退散させた妙薬になって今に至っています。

もう一つの、御嶽山の「百草」の方は、寿光行者(普寛行者の高弟)が王滝口登山道を開く際に協力してくれた王滝村の村人に対し「何も御礼するものがない。せめて “霊薬百草” の製造が今後役にたてば幸いである。」と王滝の村人に百草の製造を指導したのが現在の百草の始まりだといわれます。

これも先ほどの陀羅尼助と同じで修験者が「御嶽山の霊草百種を採り集めて薬を製すれば霊験神の如し」その製法を村人に伝授し200年以上にわたって大切に継承され今にいたります。

これもまた御嶽山で採れるキハダのオウバクのエキスを使っています。この百草という名前は、「百種類の薬草を使ったと同じくらいの効果がある」あるいは「百の病を治す万能薬」として「百草」と名付けたといわれているそうです。

修験者の間で大切に使われてきた薬草の知恵が、人々を病から恢復するためのお薬になっています。よく考えてみると、生きる智慧に溢れた人たちこそが修験者だったのかもしれません。

どんなに厳しい環境下でも、豊かに仕合せに生きる、そして生き残る。時代が変わっても、普遍的な生き方や生きるすべをもった人は、大事な局面において人々を導き、初心を忘れないように守ってくれているのかもしれません。

当たり前になってきて大切なことを忘れるときこそ、修験者たちに私たちは導かれます。山で生きる人、山の暮らしを守る人、山は私たちの本当のふるさとだからでしょう。山の薬草を使い、色々とこの時代の修験が甦生できるように色々と試行錯誤していきたいと思います。

心身の安心

脳腸相関という言葉があります。これは生物にとって重要な器官である脳と腸がお互いに密接に影響を及ぼしあうことを定義した言葉です。

もともと腸は「第二の脳」とも呼ばれる独自の神経ネットワークを持っており、脳からの指令が無くても独立して活動することができるからです。

例えば、緊張状態が続いたらストレスでお腹が痛くなったりトイレにいきます。犬や猫、また鳥なども同様です。これは脳が自律神経を介して腸に影響を与えているからです。

また腸内に病原菌が感染すると脳で不安感が増すという報告もあるそうです。それだけ腸と脳は常にセットで影響を与えあうのです。そこから腸内の微生物との相関関係を見直す動きも出ています。これが腸活でもあります。腸内フローラが整い、人体に優れた微生物が常在することで脳もまた健康を維持することができるということです。

振り返ってみると、私の人生体験でも脳とお腹の関係は常に意識することばかりでした。私はよく下痢をするのですが、確かにストレスや具合、感情の影響を受けているのがわかります。また玄米食やぬか炊きなど、発酵食品を食べている時は頭痛など発生しにくく気持ちも落ち着きます。

この感情や気持ちというものも、腸と脳と深い関係があることがわかります。私たちが喜怒哀楽、または安心や不安を感じるのは、脳や腸の働き、つまり自律神経が関わっているからです。

常に自己の心身をととのえていくことは、この脳や腸をととのえていくところからはじまります。心身が安心することで、人は幸福感を味わえ生きる喜びと調和します。

子どもたちに、智慧や場が残せるように色々と温故知新と試行錯誤してみたいと思います。

最善を望みながら

ここ数年、コロナで世界は翻弄されましたが現在は世界大戦のことで緊張が高まってきています。かつては、情報がない中である日突然戦争に巻き込まれていきましたが現在はある程度の情報は市民には伝わる中で展開していきます。

もちろん情報統制されていますから、何か本当の真実かはわかりませんが人類の意識がどのように変化してるのかというのはわかります。

例えば、コロナで発生した時の言い知れぬ恐怖、目に見えない不安などもあっという間に世界を席巻しました。そしてそのどこか感染症の閉塞感と経済不況からどう抜け出すかと藻掻いていた矢先に戦争がはじまりさらに経済は打撃を受けます。

まさか今の生活が一変するとは現時点ではあまり誰も考えておらず日常を送ることに専念しています。しかし、今回の報道を見ていてもみんな「まさか」の連続で今が更新されていくのがわかります。

まさか本当に侵攻してくるとは、まさか原発を攻撃し核を使うとか、そしてまさか第3次世界大戦に突入して核戦争がはじまるとか、そんなことは起きないはずだと思考停止してしまうのです。心理学用語に、正常性バイアスというものがあります。これは、どこかで自分は大丈夫と思い込んでいく思考です。そのことから危機に対して初動が遅れてしまうこともあります。

西洋の格言に「最善を望みながら最悪に備えよ」というものがあります。

まさに今は、そのようなときで準備を怠らずに同時に何が最善かに取り組む時期だと思います。そしていざ、事がはじまったのなら禍を転じて福にするためにあらゆるものに適応しながら船の舵取りを柔軟に対応しながら取り組んでいくしかありません。

本当に怖いのは、天災ではなく人災です。

人災こそ多くの人が亡くなり、悲惨な歴史が繰り返されます。日本は戦後77年経ちました。今は、とても大切な節目に入っています。だからこそ、諦めるところは諦め、まだ諦められないところはやり遂げるしかありません。

私は暮らしフルネスの実践こそが、戦争を真に終焉させると信じていますから身近なところから着実に形にしていきたいと思います。

伝統を守るための革新

ついに長年、農作業や私のハードな仕事を支援してくれていた軽トラックが廃車になることになりました。まだまだ乗れると思っていたら整備工場からも難しいと連絡が来ました。最後の仕事は、冬の英彦山での悪路での荷物運び。寒さ厳しい山の中で、頑張ってくれたこともありお別れが寂しく昨日は色々と思い出を振り返りながら掃除をしました。

これからまた新しい取り組みが始まるこのタイミングで、交代になりますが本当にこの軽トラックに私は支えられています。

改めて、軽トラックの歴史を調べるとそのはじまりはいつだろうかと思うと江戸時代の大八車にまで遡ります。つまり荷車こそ、軽トラックの原型ということです。そこから、1957年にダイハツからオート3輪が発明されます。これは前1輪、後ろ2輪の貨物車です。他にもマツダ、新三菱重工業などがこれを製造しました。

そして軽トラックの形になったのは1955年。スズキが同社初の4輪車であるスズライトを発売。そして1960年には東急くろがね工業がくろがねベビーという軽4輪トラックを開発します。これが現代の軽トラックの元祖と言われます。

私が今まで乗っていた車はスーパーキャリイでしたがこの原型の「キャリイ」はスズキ初の量産4輪車にして初の軽自動車である「スズライト」のトラック仕様として登場したものです。1966年にスズライトが取れてキャリイになりました。ずっとむかしから大きくモデルチェンジしていませんから、古い感じに思われていたからかあまり軽トラックがかっこいいとは言ってもらえません。しかし、この形が普遍的であって乗りやすく、私自身は軽トラックのこのもっとも機能的で合理的な姿を尊敬しています。

今回、入れ替わる新しい軽トラックはやはり同じくスーパーキャリイですがキャビンを長く伸ばしたものになります。これはシート後部が広くなり、シートも倒せるようになっていて荷台も工夫されています。しかも色を深いグリーンにし、英彦山や農地での景観に入っても違和感がないようなデザインのものにしています。

伝統を守るために、どのメーカーも革新を続けます。私はこの軽トラックは、見事にそれを実現しているように思っています。何よりも大切なのは、目的や初心を失わずに時代の価値観に合わせて微調整を続けていくことです。

今までの感謝とこれからの感謝を忘れずに、学び続けていきたいと思います。

漬物をつなぐ

昨日は天日干しした伝統の堀池高菜を仮漬けしました。ここから1週間近く漬けてから、本漬けといってウコンなどを加えて木樽に移動して他の高菜と合わせて漬けこみます。

もう11年近く漬け続てけていますし、もともとは百年以上続く老舗の高菜の菌が棲みついていますからそこで漬けることで独特の風味を産み出してくれます。種のことをブログで書きましたが、実はこの菌との共生や生き方もまた伝承していきたいものの一つです。

漬物というのは本来保存食でもあり塩は私たちの健康を守る大切な食材でした。ローマ時代には、塩が給与で支払われていたことで今のサラリー(給与)の語源になっているともいいます。かつての日本の食文化である一汁一菜は、ご飯とみそ汁と漬けもののことでした。塩とご飯、おむすびもですがこれが私たちのいのちを長年支えてきた基本のものです。

現代の塩はあまりいい塩がなく、むかしの塩づくりは自然に沿っていましたから健康を維持するのには欠かせないものでした。縁あって今、100年前の梅干しを一壺いただいていますがその塩は今でもしっかりとしていて味も美味しいです。100年以上保存できるものは、この塩が関係していることをそこから学びました。

漬物の原理は、塩の浸透圧を使います。浸透圧は、水がもともと濃度を一定に保とうとする力のことです。野菜の中の養分が外に出て、その分、塩が中に浸透していきます。その養分が菌たちの繁殖の栄養になり発酵してその野菜を別のものへと転換していきます。

重しをのせますが、これも水分を出やすくなるのと重力の力をつかい沁みこませて安定させる効果もあります。この野菜の水分で野菜が漬かることで漬物は完成します。空気に触れると腐敗菌が発生するので、塩分のある水の中に漬かることで腐敗よりも発酵を促進させます。

後は、塩分濃度さえ調整していけば、何年でもその漬物を食べ続けることができるのです。体にとっては、発酵した菌を取ることで腸内フローラも元氣にし、腐敗を防止します。漬物を食べると元氣になるのは、この発酵の仕組みをそのままに体に用いているからです。

いい塩、いい菌、いい野菜を食べ続けることで私たちは健康の基本を保つことができていました。今の時代のように多様で飽食の時代は、健康を保つことが難しくなってきています。医療がその分、発展発達して治療もできるようになりましたがその分、治療費もかなりの額になっています。この時代に生まれてきたらこれが当たり前なのかもしれませんが、本来の健康環境とは程遠くなっているかもしれません。

時代がまた揺れ戻され、何らかのかたちで治療ができなくなってきたらきっと私たちの日本もまた一汁一菜に回帰する日もくるかもしれません。その時、この漬物を守ること、塩を守ること、智慧を守ることは子どもたちのためになります。

今、やっていることを信じて、粛々と繋いでいきたいと思います。

種を守る

昨日は、郷里の伝統野菜の堀池高菜の収穫をしてきました。今年は、とても小ぶりですが逞しく健やかに育っているのは触った感じからも伝わってきました。毎年、一年を一緒に過ごす作物があることはとても豊かで仕合せなことです。

作物も種もそれは単なる呼び名であって、本来は一緒にこの世を生きる大切なパートナーです。そのパートナーとの一年一年の思い出や支え合い、その暮らしがあるということは何よりもかけがえのないものです。

お互いに貢献し合うことや、お互いに助け合うことで私たちは存在の絆を結ぶことができます。これは、生きものたちのすべての根底にある願いでありその価値の源泉です。

みんなただ生きているだけですが、その生きているだけで貢献する。物も同じく、すべてその存在理由はお互いの共生や貢献のためにあります。そしてその中でも、特に暮らしで支え合う仲間たちはともに働き、ともにその時代を生きていきます。

今、私の手の中にある種もそして目の前の高菜も同じように時代時代の中で同じ「種」として生き、お互いにいのちを分け合いここまで生きながらえてきました。私がそうであるように、先人たちもこのいのちを大切に守りながらここまで生きながらえてきました。

だからこそ、このずっと一緒に過ごしてきた種を見捨てるわけにはいかず同じようにこの土地で、この土地に生まれた者同士で生き続けていくのです。

私が伝統固定種の種を守るのは、ただ種が失われるからではありません。私がこの種を守りたいと思うのは、この種との「生き方」であり、大切なパートナーとしての仲間や家族との仕合せな暮らしをこの先もずっと子孫へ繋いでいきたいと願うからです。

現在、伝統固定種の種をブロックチェーンのトレーサビリティで守る取り組みを企画していますがこれもまた伝統を守るための革新なのです。

日本の風土の中で、この風土が育て見守るいのちを補助していけるようにこの世代の役割を果たしていきたいと思います。

懐かしい暮らしの工夫

英彦山の宿坊の甦生が大詰めに入ってきています。今回の甦生は冬の厳しい時でしたので、大工さんはじめ職人さんたちにも難工事になりました。英彦山の冬の厳しさを体験できたのは大きなことではありましたが、先人たちはどう過ごしていたのだろうかと色々と想いを馳せました。

冬の山は、生きものの気配もほとんどなくなり食料もあまりありません。山はあまり畑もつくれませんから、きっと様々な保存食などを工夫して生活をしていたように思います。

またこの寒さをどのように凌いできたのかと思うと頭が下がります。

今ではぬくぬくとした生活をしていますが、かつては厳しい環境で寿命も短かったように思います。炭も高級品でしたから火鉢が使えるというのは、大名や武家、商人だけです。農家では、囲炉裏にたくさんの服を着こんでなんとか暖を取っていたのでしょう。

私はたまたま古民家甦生のことで、古い家の暮らしを甦生し、山などにもご縁がありますが都会にいたらほとんど味わうことのない生活です。

しかしここ100年程度の生活が現代の環境ですがそれまではずっと千年以上、このような厳しい自然と共生する生き方をしてきたのです。それが現在の便利で快適な生活の中には懐かしさというものをあまり感じません。

私はこの懐かしさが暮らしに与える影響はとても偉大だと感じています。その理由に、私たちは四季折々、自然と共に暮らしてきましたから自然と上手に一体になることで身体や心、あらゆるものを同時にととのえていくことができるからです。

たださすがに今のような便利な生活に慣れていていきなりすべてむかしの生活に戻すのは難しいことでしょう。

だからこそ、上手に取り入れることだと思います。それは、心の豊かさであったり、自然への畏敬であったり、工夫は色々とあるのです。

私の暮らしフルネスは、そういう体験がたくさんあります。子どもたちに千年後も遺していきたい懐かしい未来を実践していきたいと思います。

 

真の文明人

いのちは寿命を大切に最後まで使い切るときに喜ぶものです。最近は、寿命を伸ばすという言葉も聞かないくらいみんな消費することに没頭していきますが本来はなるべく消費せずにもったいなく使うことを大事にしていました。

捨てるという文化こそ、近代になって生まれた価値観でありその価値観によって環境問題も社会問題も荒廃の一途をたどっているともいえます。

例えば、回転数というものがあります。ゆっくりとじっくりと回すよりも、急回転させるとスピードが上がります。スピードが上がるというのは便利ですし消費行動です。スピードを上げて、回転数をさらに上げれば確かになんでもすぐに手に入るほどのものが増えますがその分、捨てるものも増えていきます。

これは全く合理的ではないうえに、寿命をみんなで短くしていく作業です。

人類は、あらゆるもののスピードを上げていきました。それは運輸、移動などの物質的なもの、そして時間というもの、さらには環境の自然循環であるものまで、本来のじっくりとゆっくりとみんなでゴミ一つ出ないような理想的でシンプルな状態を捨てて手に入れてきたものです。

そのことに由って、無理がたくさん生まれ無理した分があらゆる問題として浮上してきます。もう一度、スピードを落とそうとしても今更そんなことをすると時代遅れと揶揄されますからもはやブレーキを人類自体がかけられる状態ではありません。

もしかしたら、自然災害や隕石の落下など、現在の文明を一転させるようなことがあれば元に戻るのかもしれませんがまたそのうち同じことを繰り返すのでしょう。

そう考えてみたら科学というのは、自然から時を盗むことに似ています。自然の知恵を盗み、ある部分だけピックアップしてそれだけを便利に使い周囲の資源を急速に引き出すという技術。これは現在の量子でもAIでもバイオでもだいたい似通ったものです。

私は人類はブレーキを自分でかけることができたとき、真の文明人になる気がします。そのためには、自然を善く学び、自然から得た智慧を尊敬し、あくまで分を超えない程度で科学を用いる。

そこに真の文明人の徳を感じます。

子どもたちのためにもそのお手本になれるように精進していきたいと思います。

時代と人生の記録

私たちは歴史を生きていますが、その時に何よりも重要になるのは記録です。どのような経過で何をしてきたのか、それを遺すことはとても意味があることです。それを読むことによって、私たちはその出来事から真実を学ぶことができるからです。

ちょうどヨーロッパで戦争がはじまり、第二次世界大戦の頃のことを知りたいと思うようになります。あの時の虐殺の歴史や人種差別、あらゆる人間の行いがどうでったのかを考え直すのです。

アンネの日記というものがあります。

ユダヤ人迫害から潜伏していた場所で書き綴った日記です。この日記はアンネの一家が拘束された後、秘密のアパートで見つかりました。今ではその日記が世界中であららゆる言語で出版され多くの人たちに読まれています。

私たちは、その人生の記録や記憶は空間にいつまでも遺っています。しかしそこにアクセスするには、その空間と繋がっているキッカケが必要だったりもします。もちろん、遺跡や建物、そして暮らしという媒体でアクセスすることもできますが日記や詩などもその方法の一つです。

今の時代、あの頃に何が起きたのかを思い出し私たち人類は大切なことを忘れていないかを再確認する必要性を感じています。

アンネの日記から、いくつかの言葉を紹介します。

「私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当にすばらしい心を持っていると今も信じているからです。」

「私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。」

「あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。」

「澄みきった良心は人を強くする。」

「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを私は今でも信じている。」

「私が本や新聞記事を書く才能がなくても、いつでも自分のためには書くことができる。」

「私は、また勇気を奮い起こして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから。」

「私は、死んだ後でも、生き続けたい。」

私もブログや日記を毎日、書き綴っています。アンネには会ったことはありませんが、共感することがたくさんあります。こうやって書き綴っている間は、まるでそこにいるかのように日記を通して語り合うことができます。

時代を超えても語り合えるものにこの記憶や記録があるのです。

時代は変わっていきますが、どのとき、どう生きたかという魂の声や勇気を分け合いながらその時々の人生の記憶を子どもたちのためにも記録していきたいと思います。

観察の場

毎日、自然は大きくまた微細に変化して已みません。私たちは日々に何気なく暮らしていますが、空の色から土の様子、風の様子、あらゆる生命たちの循環、ありとあらゆるものが変化し続けます。

そして何も変わっていないように見えても、心身の状態、関係性の状態、あるいは宇宙の影響、無意識下での価値観の状況など刻一刻と変化しています。

その変化に気づくことができるかというのは、とても重要なことで私たちは自己を観察を通してあらゆるものを観察していくことで真の自己を捉えることができる仕組みになっています。

かつて日本人は、自然との共生において非常に豊かな観察を行っていたのがわかります。それは伝統的な古民家での暮らしや、日本人の詩のたしなみ、他にも美しい情緒を含んだ日本語の中にも観えてきます。つまり、私たちは日々に観察力を磨き続けて自然と共生する道を選んできたのです。

今のような時代、この日本人の暮らしてきた知恵や生き方は世界にとても偉大な影響を与えることができると私は思うのです。

日本の風土は瑞々しく、四季の変化は特に膨大です。その一つ一つの変化の中で、どのように自分たちをととのえて、何を活かしてどのように自然の動きを活用して生活を営むか。これは農の本質であり、私たちはずっとむかしからその中で百姓をしてきたのです。

百姓の知恵とは、この自然の観察によって磨かれたものではないかと私は思います。

私も、百姓のように様々なことに取り組みますが四季折々のタイミングに生きています。一期一会もまたここから発生してきたものです。自然は有難く偉大で、慈愛に満ちているものです。

どんなに大変な憂き目にあっても、また春が来て四季がめぐります。他の生き物たちも一緒にこの場所に生きてみんなで全体に対して自己を貢献させていきます。共生の原理を学ぶには観察の学問を実践することが普遍的です。

子どもたちにも、あらゆる自然との共生を観察の場を通して磨けるように様々な作法を開発してみたいと思います。