永遠の余韻~魂の航海~

人生は人それぞれで違うように人の夢もまた人それぞれで異なります。みんな誰にしろやりたいことがあり、そのやりたいことを成し遂げようと人はみんな産まれてきます。

しかし実際の社會に出て見渡せば、そんな我儘は許されないと厳格なルールと秩序によって特別な人や特殊な人を認めようとはせずに十羽一絡げにしてはその価値をなくしてしまおうとします。本来の価値はダイバーシティ(多様性)であり、それぞれが異なるからこそ持ち味を活かせ本来の人間としての歓びや倖せにつながる役割に気づくことができると私は思います。

そういう意味では人生は誰にしろ冒険であると言えます。

私が小さい頃から大好きだった冒険家に植村直己がいます。今になってなぜあんなに大好きだったのかを自明してきました。夢をあきらめず、好奇心いっぱいに子ども心のように生きて働いた生き様、そしてその心の大きさに惹かれたからです。

今になって齢を経れば経るほどに、同じように生きているだろうかと自分の冒険心を内省します。枠があっても枠を超えていく、前人未到の境界線を引き直していく、常識にとらわれず真実や本質を実践によって子どもたちに伝えていく、その生き方に感動するのです。

植村直己は下記のような言霊を遺します。

「大切なのは夢の大小ではなく、その夢に向かってどれだけ心をかける事が出来たか。心の大小が大切なのだ。」

心の大小といいました。まさに心をどれだけかけるか、そこに夢の価値があるのです。人からなんと言われても、自分の真心がそう思うのなら至誠天に通じるとして人事を盡すのが夢ということです。

「人の生きる本当の価値は、お金や肩書きなどではなく、夢を追い求め一瞬一瞬を精一杯生きることにあります」

そして心が決めたなら二度とない今を真摯に生き切ることが生きている喜びであり、産まれてきた充実であると自身の体験と実感から語り掛けます。さらに事に正対しては下記のように言います。

「あきらめないこと、どんな事態に直面してもあきらめないこと。結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。」

希望を失わなかった、好奇心を忘れなかったというように私は解釈しています。しかし最後は冬のマッキンリーの登頂で山頂に国旗を遺し同時にいのちを失ってしまいます。その植村直己は私たちにこう伝えます。

「冒険で死んではいけない。生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である。冒険とは生きて帰ることなんです」

吉田松陰も植村直己も、至誠を貫き最期は非業の死を遂げましたがその魂は燦然と光り続けて子どもの心に燃え続けています。人がなんといおうが、その人が遣りきった人生というものは永遠の余韻が遺るように思います。魂はまるで死んでおらずいつまでも後に続くものたちへ受け継がれていくかのようです。

過去の偉人はみんなすごいことを成し遂げているから蛮勇だと思われがちですが、実際は大変な臆病者であったといいます。植村直己も冒険家の資質とは臆病であることと言い切っています。負けない戦いができるもの、謙虚に己に打ち克つものだけが到達できる境地こそ真の臆病者=達人ということなのでしょう。

最後にこの言葉で締めくくります。

「始まるのを待ってはいけない。自分で何かやるからこそ何かが起こるのだ。」

自分で何かやるからこそ何かが起こるというのが世の中の事実です。誰かが何とかしてもらうのを待つような自分の一生ではなく、自分が何とかしようと自らの実践を積み重ねることで世界を丸ごとを素晴らしく変化させていくことに生きるのです。

人類が目指す理想に向かって、冒険家たちを集めて無二の航海を楽しんでいきたいと思います。

 

 

 

新しい道

人はそれぞれに役割があるように思います。その役割とは全体の中で自分がやるべきことは何か、自分にしかできないものは何かを感じて実行する力のことです。その広さをどこまでの広さでみるか、どこまでの高さでみるかで自ずから使命の設定も変わってくるものです。

自分が何のために産まれてきて、自分が何を求められているのかを知ることは世界の中で自分が一体どういう生き方をするかを決心していくことに似ています。

例えば私の場合は、子どもたちのところにいて今までの人たちができなかったことを成し遂げなければなりません。もちろん今の人たちが行うことも必要なことであり、私はそれぞれの信念で取り組んでいけばいいと思っています。しかし業界や組織というものも時代の変遷と継承の中であまり村社会の秩序や既成概念による世間の常識に捉われすぎると変化が滞りかえって凝り固まって本質を失ってしまうこともあります。

そういう時は一度、ゼロに戻して自由に冒険をしてみないといけません。しかしこのゼロ冒険は固定概念の中からはほとんど起きません、それまでの否定はみんなできないのです。そういう時、敢えてゼロから冒険をするチャレンジャーがいります。危険な方を敢えて選択して、みんなを鼓舞してやってみせる人が要ります。時代はそういう人によって世間の価値観や考え方もまた刷新され、新しいモノサシを自分たちが持つことができるのです。こういう人たちのことを新たな道の開拓者と言います。

そういえば先日、蟻の通り道を観察する機会がありました。

同じように蟻が行列をつくりみんなが一つの道を辿っていく中で、敢えてその道を通らずに往く数匹の特殊な蟻たちがいます。その蟻たちは不思議な感覚で、近道や今まで考えもつかないような道を探し出します。そして一たび、新たな道を開拓したならばそれまで通っていた他の蟻たちもその新たな道に方向を転じて歩んで往くのです。

蟻だけではありません、常に誰かが冒険をしなければ新たな道は切り拓けないのです。

世間から変なことをしていると言われようとも、誤解され非難されようとも、またおかしなことをやっていると揶揄されようとも、前人未到の挑戦をしていかなければならない已むに已まれぬ大和魂もまたあるのです。カグヤもまたその一端を担うものであると私は信じて進んで往く途上です。戦略というものがなぜ必要かというのは、新しい道にたどり着くためです。

天を敬う思いやりや真心には人はみんな正直でいられます。人生を決して自分のモノだけにせず、志を定め天の命に従い人事を盡したいとするのは人は誰もが感謝に包まれている心があるからです。

自分の欲しているものは相手から手に入らなくても、いつもその時々に必要なものを全部丸ごと与えてくださるのが天でありご縁ある方々です。ここまで来れたのも天の御蔭様、今があるのも皆様も御蔭様だと念じて、枠の外に出て冒険し子どもたちのためにこれからも新たな道を切り開いていきたいと思います。

 

樹と話す~大和心~

昨日、樹と対話するということについて話を聴く機会がありました。例えば、樹を使い何らかの道具を創る人たちや、植木に関する人たち、樹医などは樹と対話をしてはその樹のいのちを見極めそれを伸ばす力があるように思います。

もし樹と話すと言うと、今の時代では不思議な人だと言われたり、もしくは奇人変人、何かしらの怪しい信仰の人などと言われそうなものですが現実に農家であれば土から学ばなければなりませんし、動物を飼育してもその動物から教わらなければできませんし、たとえビジネスでもそのビジネスそのものから勉強していかなければ本質を理解することはできません。

なので昔の職人と呼ばれる方々は”そのものと対話する”ということを基本に据えて学んできた人たちなのです。私たち日本人は職人文化を持つ種族であると世界も認めています。老舗企業がもっとも多いのも、職人的に様々な文化を伝承する技術が遺っているからです。これもまた、そのものとの対話をする方法で伝授します。

法隆寺宮大工棟梁の故西岡常一さんは、樹を通して飛鳥時代の工人たちと対話をしその時代に使っていた道具、槍鉋を復刻されました。このように時空を超えて、そのものと対話するというのは別に宗教地味ているなどという話ではなく本来、知識が増える前の私たちの先祖が当たり前に行っていた自然の学び方であったのです。

もしも私たちに言語と知識がなければ当然マニュアルは存在しません。そうであれば、私たちの学び方はそのものから学ぶということであったはずです。昨日は、樹の声を聴くということをテーマに、樹のいのちをどう伸ばすかについて体験しましたが、樹の特性を見抜きその樹が何の役に立つかを見定めそれがもっとも価値ある別のいのちへ変化するのを目の当たりにすると感動を覚えました。

最後に世界で有名なヴァイオリン職人の中澤宗幸さんがあるヴァイオリンを解体した際にその内側に詠まれていた素晴らしい詩をご紹介します。

「私が森にいた時、木陰で人を憩わせ
今はヴァイオリンとなって歌って人を喜ばせる」

まるで樹の心を代弁するかのような詩に、このバイオリンの職人の方はきっとその樹と対話をしていたのではないかと感じます。人は心があります、そして同時に”もの”にもまた心があります。これがわかることを日本では大和心があるといい、開祖代々から「もののあわれ」として数々の神話や物語の中でずっと語られてきたものです。それは私たちには本来自然の中で対話し聴く力が備わっていた、つまりはどのような”いのち”とでも真心で対話をしてきたということなのでしょう。

果たして豊かになったと言われている現代の私たちは、今ちゃんと対話をし本当に聴いているでしょうか、真心で聴こうとしているでしょうか。

先人たちの智慧はいつまでも光り輝き私たちに後世のためにどういう生き方をすべきかを訴えかけてきます。引き続き、子どもに関わる志事をするのだから聴けなければなりません。そして魂を磨き心を救いたいと祈るのだからこれからも聴くとは何か、話すとは何かということと正対し深めていきたいと思います。

 

 

 

自己有用感~存在価値~

人は有用であるか有能であるかということはとても大事な価値観であろうと思います。特に今の時代は自信を失っている人が多く、自己有用感を持てないという人が増えているようです。これは一言でいえば、自分が役に立っている実感が自分自身で持てないということです。

ではなぜこうなってしまうのでしょうか、そこには西洋文明の影響を強く受けた今の日本社會の価値観が関係しているように思えます。

人は誰かによって価値を定められ評価されているものです。それは自分を含めて、集団であったり国家であったり、自分の所属する場所に置いて自分自身の価値が判別されていくものです。本来、人は存在価値という価値があるのですが、能力価値だけをみるならば能力がない=不必要という解答になってしまうように思います。これは人や物が溢れてくると、あらゆるものを粗末にするようになり物質的豊かさの陰にある心の貧しさが広がっているからかもしれません。または信じるよりも疑う方が楽だと信じる努力を止めてしまうから自己防衛のために先に自ら評価を入れては勝手に自分の価値を自分で決め込んでしまい、自分の価値はこんなものだと先に裁いてしまうのかもしれません。どちらにしても何らかの理由で心を閉ざしているのです。

本来、価値というものは存在しているだけで価値があるものです。何かしら意味があって産まれてきたし、何かしらの価値は必ずあるのが自然界です。その価値を誰かの都合で一つの価値基準に合わせさせようとすればその基準に合えば有能であり、合わなければ無能というのでは誰でも自信を持つことができなくなるように思うのです。

人が自信を持つというのは、何かしら自分の価値を自らが認めているということです。言い換えれば自分の存在は必ず誰かの役に立っているという実感があるということです。それは決して何かしたから役に立ったのではなく、存在しているから役に立っているのだという実感です。

人は自己認識というものを他の人を通して行うものです。善い仲間がいれば、その仲間の中で自分が存在していいという実感があることで自分は必要とされていると感じることができます。そのためには自分から心を開いて仲間と本心を通じ合わせて、自分自身が周りを必要としていることを自らが発信していくことのように思います。

今の時代はなんでも一人で完璧にできる人を目指させる傾向が強くあります。完璧主義の刷り込みを持った人たちはたくさんいます。しかしもしも全ての事が一人で全部できるのならば他の人は要らないということになれば人類の人類たる由縁を忘れてしまいます。いくら便利な世の中になってもどんな人間も倖せになりたいのが本来の姿ですから、一見メンドクサイと思っても敢えて周りの人たちと仕事を分担してみる、一見自分でやった方が早いしミスがないからと思っても敢えて一緒にやってみる。そんな中ではじめて「楽しい」という体験ができ、その楽しい体験を通して自分が有用であることに気づくのです。

結局は自己有用感とは、誰かと一緒に働くことで得られる「楽しい」感情のことです。自分の価値観の中で有能さがある人は、能力だけで判断して役に立つかどうかを決めつけて結果を邪魔しないために具体的にかかわることを避けようとします。しかし、何もできなくても一緒にやっているのなら後ろからエールを送るだけでも、もしくは思いやり心配して励ますだけでもそれは一人の人間として十分に役に立っているのです。

自分の中の刷り込みを取り除くのは今までの自分の評価や価値基準を脱却するほどに大変なことですが、その先にある倖せな仲間との邂逅であったり、人と一緒にいることの愉快さ安心さを味わえたりを思えばブレークスルーしようと挑戦することの価値を感じます。結局は有用も有能もそれは人との絆や結びつき、真心によってはじめて活かされるものなのです。

そのための第一歩として自分が本当は何ができるのかを親切に教えてくださるのは周りの仲間たちです。自分で決めつける前に仲間に聴いて、自分の何を必要としているのかを心を自分から先に開いて素直に受け止め本人が自分からそのままでいいと感じ進んで殻を毀していけるように心の見守りを強めていきたいと思います。

因果の妙法

仏教に自因自果という言葉があります。

この「自因自果」とは、自分のまいた種は自分が刈り取らなければならないという意味です。人は善行を行えば善行がかえってくることをなんとなく分かっています。しかし悪行を行っている分についてはなかなか自分が認めたくないものです。

実際に何かの事件が発生するとき、それはもうだいぶ昔に自分が蒔いた種が花が咲き実をつけたものです。善い種を蒔いていたから善いことが起きて、悪い種を蒔いたから悪い種が出たということですがそれがだいぶ前のことだから思い出すこともなく眼前に一喜一憂してしまうのです。

特に悪い種の場合は、相応の自分にとってつらいことが発生するものです。しかしその悪い種を認めてその種を蒔くことを止めて、別の善い種に変えようとしなければやはり同じように芽が出て実をつけてしまうのです。これは永遠に繰り返されます。

自分でも気づかないような悪習慣は、他の人に教えてもらったり、体験を素直に内省して改善していかなければその種を蒔くのをやめないものです。同じように善い種ということにも気づいて如何に全体に善い種を蒔き続けるかということも大切です。

昔から「善いことは御蔭様、悪いことは身から出たサビ」という言葉があります。

如何に自らが御蔭様を感じて善い実践を積み重ね、自分自身に打ち克ち、日々に手入れして磨き上げ錆びないように実践研磨するかは本人の心がけ次第です。

人はみんな放っておけば誰しも傲慢になるように欲深くできていますから、如何に日頃から謙虚に御蔭様を感じ勿体ない有難いと実践を積み重ねて余計なことをしないかが正しく因果を見つめることかもしれません。

しかし振り返ってみれば善い悪いはなく、ただ福があったというのが人生です。どんな種も芽が出て花が咲けば自然界のいのちの何かしらのお役に立てます。

どんな出来事からも学び、それをより善く活かしていこうとするのが天の真心かもしれません。善いことはもっと善いことへ、悪いことも転じて善いことへ、それぞれの持ち味を愉しみ活かすことが因果の妙法なのかもしれません。

日々に執らわれない心を育てていきたいと思います。

恩師

昨日は、一年ぶりに中学校の頃の部活の恩師に会いました。私はこの恩師の御蔭で本当に人生を変える大きな道しるべと心には宝をいただき今まで歩んでこれました。まさか25年ぶりに再会し、今の年齢になって色々とじっくりお話ができるなんて夢にも思わず人のご縁の奇跡にただただ不思議に思います。

教育という深淵に触れたのも先生があったからです。

自分の人生に正面から向き合ってくださって、その上で人間としてどう生きようかと一緒に歩んでくださったこと、そして大事な局面ではまるで自分自身に喝を入れて叱咤激励するかのように遠慮なく全身全霊で愛情をかけてくれました。

懐かしい思い出は、目を閉じ眼れば今も心の中に鮮明に残っています。

その先生から指導についてのお話を今、お聴きできるのもこのタイミングで私が大事なことを学ぼうとしているからかもしれません。不思議ですが「今必要だと渇望していたら誰かが必ず愛の手を差し伸べてくれる、いつもご縁は初志を離れない」ことも改めて実感します。

私が部生活を通して習った恩師からの戦略は、”勝つバレーではなく負けないバレー”でした。いつも試合がはじまると、相手のチームが勝っているように感じているのになぜか試合が終わったらいつも相手が負けているという戦い方です。相手の監督や選手からもいつも不思議がられていました。

これは日頃の練習こそが本番で基本、その上で如何に自分に打ち克つことが仕合いだと私たちも先生も一体になって戦ってきました。その結果として、敵は周りにはおらず自分自身であることもそこで学んだことを今でも覚えています。先生はいつも自らの実践として練習を重視し、いついかなるときも選手の姿を見守り、常にプレーを通して生き方をきめ細かく指導してくださっていました。

試合ではいつも練習を出せばいい、思い切ってやれといい、試合に負けたら先生の責任だからといい、試合に勝ったら一緒に克ったなと心から喜んでくれました。厳しい中にも深い思いやりがある優しい先生です。先生の生き方は私の人生観に於いて、多大な影響を今でも与え続けています。

最後に先生からいただいた有難い言葉がありました。

先生にも尊敬している先生がいて、その方にある質問をしたそうです。それは「私のような未熟で不完全な人間が指導しても良い人間などできないのではないか?」という質問です。それに対して先生の先生はこう答えたそうです。「世の中に完全な人間などはいない、その中でも自分で勉強して、”こんな人間であろう”としっかりと勉強しなさい。子どもは、小学生でも、中学生でも、高校生でも、自分のその顔つきとか目つきとかでちゃんと人間性が出てくるから。」と。

それを心に、生徒指導の道を歩まれてこられたそうです。まさに論語の「己達せんと欲して人を達せしむ」です。 生徒指導を30年以上勤めて様々な智慧を持つ先生はいつまでも私の先生です。

不思議なことですが今になってみて、尊敬していた先生の生き方を知り、私は深く薫陶を受けていたことを感じ、自分の志事が自分勝手なものではないことに改めて気づきます。初志に教えていただけるのはきっと自分が何を大切に歩んでいるかから離れていないからです。

これからも素直に正直に、指導の原点を学び直していきたいと思います。

素敵な誕生日プレゼントを有難うございました。

生き様

価値観が多様化する時代、それは言い換えれば生き方が増える時代とも言えます。その人がどのような生き方をするかは、その人が新しい価値観を創造するということでもあります。

生き方がブレナイ人というのは、自分を持っている人のことです。人の価値観を否定するわけでもなく迎合するのではなく、自分の生き方を定めているということです。よく勘違いされるのは、自分の価値観に固執するばかりに他を排斥し自分勝手に傲慢になるのはそれは生き方とは関係がありません。

生き方を貫こうと思ったら、周囲への思いやりが必要ですし、その生き方をするのは何のためにかということを心の深いところに育てて据え置かなければならないからです。何がもっとも大切なことなのか、そして世界の中での自分の役割とは本当は何なのかを突き詰め、自らの天命に応じて素直に従うような力量もまた問われるように思います。

以前、NHKの大河ドラマで「八重の桜」がありました。その中で、新島八重を夫である新島襄が友人あてに紹介する文面に「ハンサムウーマン」という記述が出てきます。そこにはこうあります。

「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」

「生き方がハンサム」なのですとあります。これは八重の生涯を見て観たらすぐにわかります。新島譲は他にもこういう言葉で友人に自分の結婚観について紹介します。

「外国人は生活の程度が違うから、やはり日本夫人をめとりたいと思います。しかし亭主が、東を向けと命令すれば、三年でも東を向いている東洋風の婦人はご免です」

つまりこれは単に西洋か東洋かではなく、男か女かでもなく、お互いの意見を尊重してお互いに認め合い学び合い、そして助け合えるパートナーを言ったのでしょう。

これはまるで志を同じくし、話をよく聴き、自分はこう思うと話ができ議論し合える志士のようです。あの時代、維新の志士では男性ばかりが登場しますが新島襄の同志がたまたま女性であって八重であったということなのでしょう。

自分を持っている人というのは、その心に確かな志があります。

志がある人は、必ずや人物として多くの人たちに影響を与えていきます。そしてその影響を与える根幹にあるものこそ、その人の生き方がどうであるかということです。生き方がブレナイ人になるためにも、目の前の些事や周囲の押し付ける空気に流されず、坦々滔滔と地味粛々に自分の生き様を内省していきたいと思います。

真心の道

今から千五百年前に私たちの国を治めた仁徳天皇がいます。大変思いやりが深い名君として存在し、日本で最大のお墓仁徳天皇陵も大阪に遺っています。

その物語の中には、民を優先し自分を後にするという実践を行ったことが紹介されています。古事記には、その有名な話が紹介されています。そこにはこうあります。

「ここに天皇、高山に登りて、四方の国を見たまひて詔りたまひしく。国の中に煙発たず、国皆貧窮(まづ)し。故、今より三年に至るまで、悉に人民(たみ)の課(みつぎ)、役(えだち)を除(ゆる)せ、とのりたまひき。ここをもちて大殿破れ毀れて、悉に雨漏れども、都(かつ)て修め理(つく)ることなく、器(うつはもの)をもちてその漏る雨を受けて、漏らざる処に遷り避けましき。後に国の中を見たまへば、国に煙満てり。故、人民富めりと為(おも)ほして、今はと課、役を科(おは)せたまひき。ここをもちて百姓栄えて、役使(えだち)に苦しまざりき。故、その御代を称えて、聖帝(ひじりのみかど)の世といふなり」

意訳ですが、丘に登って国内を見渡せば民百姓たちの御米を炊く竈の煙がみえなく民たちが貧窮していることを知った。そのため三年は全ての民百姓への課役課税を免除することにした。自分自身は徹底した倹約を実践し、宮殿は痛み雨漏りしてもそれは器で乗り切り、雨漏りのないところに移って耐え忍びました。そしてのちに国内をまた見渡せば竈の煙が満ちていました。そこで民百姓は裕福になったということで課役課税をまたはじめました。すると民百姓は栄えているから誰も嫌がることもなく進んで取り組んでくれました。この豊かで幸せな時代を称えて聖帝の世と呼ばれています。

論語に、民信なくば立たずがあります。仁徳天皇にとっても、民があって私があるのだから民が富まないのに私が富むはずがないと言います。民が貧しいのなら私も貧しいと自他一体に自分を盡していきます。この自他を分けずに一心同体になって民と共に生活していくということの中に治世の本質が入っているように思います。

後世では、この御人徳を参考に二宮尊徳や上杉鷹山が出てきます。私たちの神話がまだ今も続いていて、この国がどうあるべきかを示すのが親祖より示されています。国のカタチを思うなら、どのような国のカタチを私たちが今まで経てきたかはとても参考になります。

小さな組織でも大きな組織でも、集団でみんなが暮らせばそこには一つの国があります。貧富かどうかではなく、みんなが真心や思いやりを優先する世の中はいつの時代も倖せが香っています。

その道が今でも続いているからこそ徳は孤ならず必ず隣ありということです。

勇気をもって先人たちの通った真心の道を目指していきたいと思います。

一期一会の糸

日々は様々な出来事が滝のように流れていきますが、人の一生は誰にせよ当たり前ではないことに包まれています。当たり前ではないことを言い換えればそれを「奇跡」と呼びます。

人の運命は人それぞれで異なり、霊妙数奇な組み合わせによってご縁が彩られます。あの時、あの一瞬で自分が変わったという体験が今の自分に出会わせています。

そう考えてみると、どれだけ必死に今を大切に生き切るかというのが当たり前ではない奇跡を味わえるということになるのです。

奇跡とはラテン語の古語によれば「驚き」のことを指します。驚きとは人智を超えた何か偉大な力が働いているということです。この驚いた出来事に遭遇する、その奇跡がミラクルという言葉になっていきます。

それに対して日本では御蔭様や有難い、勿体ないという言霊があります。これもまた奇跡に出会うからこそ顕現する言葉です。

人間はなんでも自分の思い通りにしていくことに執着する人や、自分の野心や願望ばかりに囚われていると、足元にある本当の倖せや、他人様から頂戴した思いやりや真心に気づかなくなるものです。そういうときは驚く心や感謝の心を忘れてしまっているかもしれません。

人は自分勝手で生きているのではなく自分が全体に活かされているという一期一会の実感は、当たり前ではないという奇跡の今を歩んでいく中でこそはじめて磨かれていくように思います。

出会いで人格を高めるということは、全体に活かされていることをいつも学び気づき直すということでしょう。

数奇な運命を生きるわたしと、数奇な運命をいただくわたし。
この「驚き」と「感謝」こそが一期一会の糸を結びます。

悠久のめぐりのなかで出会う自己との内省と対話こそ生活の基本です。

一期一会は私の自戒ですが、時は誰にせよ等しく過ぎ去っていきます。いちいち小我に呑まれてできそうにもないことに妄想を走らせず、自分の野望や願望に固執せず、二度とない今に素直心を定めて、訪れ来たものを選ばずに一期一会の糸を紡いでいきたいと思います。

御米

私たちは親祖よりずっと御米を食べて暮らしてきました。

それは国内にある様々な遺跡の中から、炭化した御米が発掘されていることからわかります。縄文遺跡の以前は、陸稲を中心に栽培され、弥生遺跡以後は、水田を中心に栽培されています。

そもそも私たちは自然の一部ですから何と共生をするのかを選択して生きています。この共生とはなくてはならないいのち同根、生死一道の関係のことです。その共生の相手に御米を選んだというのが私たちの親祖です。

人は食べたものでできているものです。何を今まで食べてきたかを観れば、その人のからだが何でできているのか、どこからでてきているのかが理解できます。その元を知ることが自分を知ることであり、その根を確かめることが自分を実現させることのように私は思います。

日本の全ての行事は御米と一緒に学んできたことがカタチになっているものです。それが今では私たちが一番長く食べてきたものを育てたことがないということに大変な危険を覚えます。古来からあるものから離れるということは、自分たちの姿を正しく理解できなくなるということでもあるからです。

御米作りというものは、一生涯の働きであり、御米を食べるということは私たちがなんであるかを知るただ一つの道だと私は感じています。

日本の自然思想家であり医者である安藤昌益という人物がいます。この方の「自然真営道」という著書の中で下記の一文があります。ここに御米とは何かということの真実が書かれているように思うので紹介します。

「米(こめ)は神と同音、米(よね)は世根、稲は寿根(いのちね)の略。稲荷とは人の神身皆稲なれば人常に稲を荷(にな)ふ意。飯は命師(めし)又は身師(みし)の転訛。寿(いのち)は飯中(いいのうち)の略。迷は米吾(わ)を去りて他にゆく意。即ち食を離れた時の心理状態に名づけしものである」

つまり古来、御米こそ日本人のいのちの糧であり心であったということです。

自分がどこから来たのかというのは、これからどこへ向かえばいいのかを自覚する唯一の鍵です。その鍵こそ私は御米であると確信しています。

今年もまた自然に沿った御米作りがはじまりますが、ここで御米から学んだことを後世のために譲り、そして人類の初心のために活かしていきたいと思います。