評価基準?

昨日は、韓国の企業や財団が運営する保育所を3施設ほど見学しました。施設はとても充実しており、保育環境は国家の評価基準によって均一的に準備されています。どこでも同じような施設、同じような保育、同じような環境があり多少の設備の差があってもほとんど同じサービスが提供されていました。

当然、日本の病院と同じく同じ病気で通院するのにあまりにも異なる治療をされたら患者さんは不安で病院にいけなくなりますから同じサービスをするというシステムが機能しています。それと同じで韓国の学校もその同じ質を求めて一定ラインの標準化がされているように感じました。

しかしあまりにもそこに「質」というものを求めすぎると似たような同じものが最高だと信じて本質から外れてしまうように私は思います。韓国では整形手術が流行っているといいます、みんな同じような顔になっているのは来てみるとすぐにわかります。

先日もニュースで、ミス韓国を選出する出場者リストの写真には同じ顔ばかりが並んでいました。これを見た人たちからはコメントで「同じ顔ばかり」「姉妹が出ているのか」「一人が何回も応募しているのか」というものであふれていたといいます。

これに対し韓国事情に詳しい文筆人の但馬オサム氏が「韓国人の〝美の基準〟というのは、ものすごく狭いのです。ひとつの美の型が決まると、皆それに合わせて作る(整形する)のが韓国の感覚です。私は〝韓国式たい焼き美人〟と呼んでいます。たい焼きのように同じ顔が量産されるということです。ミスコンで同じ顔ばかり、ということは、つまり、美の理想型に近い、全員美人ぞろい、ということで、むしろ〝褒め言葉〟になります」と指摘したといいます。

誰かの定めた評価基準に従っていれば理想という考え方は、果たして本当の質を高めるのかと私は思います。そういう意味で私はこの評価基準というものの用い方についてかねてから疑問を感じているのです。

韓国ではこの美醜が、その後の学校の成績や就職にまで関連してきます。誰もが同じ道を通り誰もが同じ理想を求めて競争して比較していたら劣等感ばかりが育っていきます。その劣等感を解消するために、美の理想の型に近づけるというのは本当に自分に自信を持つことができるのだろうかと思います。

「あるがままである権利」ということを昨日も書きましたが、ここにきてそのあるがままの権利の意味とその価値を再認識することができました。

一つの基準だけでなんでもやろうとするのは無理がありますし、その基準は時処位で変化しますからもはや理想は原理原則から離れています。理念を持ち実践し生き方で示す原理原則の体現者がそれぞれに必要であり、またその実践をする体現者が常に現れるように切磋琢磨しその物差しが歪にならないように常に注意していく必要を感じます。

私にとっての原理原則、その物差しは自然ですから、自然は人間の都合で変えられることはありません。常に自然に沿って自然体でいることこそがあるがままであるとし、今回の学びをまた子どもたちに還元していきたいと思います。

あるがままの権利

昨日は韓国区立の保育所と大学付属の保育所を視察する機会がありました。とても丁寧な保育を展開され、スペースも十分、教材も豊富で思っていた以上に設備が充実していて驚きました。ベースとなる評価基準や保育課程もしっかりしており、そのうえで施設長の判断で方針が展開されていました。表面上ではほとんど日本と変わらないその施設に改めて何が異なるのかという大局の観点を考え直す好い機会になりました。

そもそも保育は誰のためにあるのか、そう考えてみると親のため、国のため。子どものためなど色々とその主としているものが変わることで保育方法や概念も変わっていくものです。それは必ず保育現場に現れます。子どものためにといいながら実際には保護者のためにというところがほとんどで、理想と建前を使い分けている施設が多いのも事実です。しかもそれがもっともらしい理由がつくと、明らかに大人と子どもとが分けて語られるようにも思います。

本来、江戸時代に寺小屋という仕組みがあったころは学校は子どものためにありました。子どもが主体的に異年齢の中で一緒に学びあっていきました。師友の関係の中で、それぞれ道徳を学び、能力を高めそれぞれの持ち味を活かしながらどのように生きていくかを学びあったといいます。そこの教育現場を歴史を紐解いて深めていると、子ども主体の教育や保育が行われていたことがわかります。

現在、子どもの権利条約の関係でそれを批准する国々は子どもを尊重していく必要があります。しかし実際には、何をもって尊重しているのかということを勘違いしているところも多いように思います。ただ子どものいうことを聞けばいいではなく、子どもと一緒になって成長しあっていくような場を用意していくことだと私は思います。

子どもの権利条約のモデルになったヤヌシュ・コルチャックは、「あるがままの子どもである権利」を言います。そして「子どもを理解することは、大人自身が自分をいかに理解するかである。子どもを愛するとは、自分自身をいかに愛せるかということ。人は誰しも大きな子どもだから。」と言います。大人と子どもとは一切分けてはおらず、如何に自分を理解して子どもたちを同じように愛していくか、自分自身になっていくことを述べています。

現在、保育現場にみられる姿はそういうものとは異なり大人と子どもがはっきりと分かれています。「とはいえ」という理由をつけながら大人になっていき子どもと自分を分けていく姿の先にあるがままである権利は成り立たないと私は思います。

保育の方法を語り合う前に、このあるがままである権利を如何に考えて保育を創りこんでいるか。「見守る」という考え方、いや保育という生き方の中にはここが明確な主柱になっているからブレずに原理原則から離れず世界標準を展開できるように私は思います。

引き続き、本来の子ども主体について韓国の保育事情がどうなっているのか視察から洞察してみたいと思います。

相互発展

昨日から韓国のソウルに来ていますが、こちらは気温が零下にもなりかなり寒い状態です。先日のシンガポールは35度近くまであって真夏でしたが、今回は急に真冬です。少し離れただけでもこれだけの気温差ですから体調も崩れるのも仕方がないのかもしれません。徐々に変わっていく変化の方が負担がないことを観ると、自然はとても生き物たちに親切です。

今日から学校視察ですが、昨日は空港の中で韓国文化の展示などを拝見してまわりました。使っている道具や言葉など、日本と韓国は昔から隣国として交わっていたことがわかります。韓国にきてもあまり異国のように感じないのはそれくらい交わり一緒にかかわってきた期間が長いからのようにも感じます。

例えば、言葉なども日本語と同じ言葉がたくさんあります。それに食文化についても似たような食材がたくさん使われていますし、音楽や芸術なども似ているところが多いといいます。顔も似ていて服装も似ていますから、いっしょに訪韓している異国好きのクルーも全然韓国に来た気がしないと言っていたのが印象的でした。

それだけ似ている国だからこそ、共通の課題がありまたその中でもお互いに注意すべき点が出てきます。切磋琢磨の関係もそうですが、お互いに似たもの同士だからこそ何を気をつければいいか、批評をするばかりではなくお互いの改善点や美点を学びあうことで互いに発展が持続できるように思います。

いろいろと過去の歴史は続いていますが、未来の子どもたちのためにもお互いの美点を発見し、互いに磨き合い徳を高めあうような相互関係が築けるといいように思います。私の友人の韓国人も今は中国で働いていますが、離れていてもお互いのことをいつも心配しあっている親友です。学びあっている関係には相互発展が継続していきます。

国の違いを超えてお互いのいいところを今日も発見していきたいと思います。

進歩と進化

江戸時代から明治に変わり一番変化したものに学ぶ場所があります。それまでは寺小屋や手習指南と呼ばれた場所が、学校というものへと名前も変化しました。それは単に建物が変わっただけではなく、目的も変わっていきました。そして今に至るまで学校の在り方はあまり変わっていません。歴史を見つめ、もう一度何のために学ぶのか、私たちは見つめる必要があるように思います。

そもそも寺小屋の時の学問の目的は「立派な人になる」ことを優先して行われました。お互いを磨き、如何に人格を高めるか、論語をはじめ仁義礼智信など人ととしてどうあるべきかを互いに学びあいました。寺小屋では異年齢でお互いに教えあい、思いやりや相互扶助の精神を尊んでいたとも言います。その当時、人口三千万に対して約五万の数の寺小屋が全国にあったともいわれます。今では、一億三千万に約二万ですから今の倍以上あったことになります。

寺小屋の特徴は習熟度を重視し、今のように一斉に年齢別に教えることを行いませんでした。師弟や仲間と家族的な雰囲気の中で学習を通して人徳を磨き合っていたようです。

明治に入り学校ができてから能力主義が入ってきて、人格よりもまずは平等に教育の機会を国民に与えて国民の能力を上げることを目的にされました。頑張れば頑張るほど評価されるという教育システムは、「自分」というものが優先され寺小屋のような思いやりや相互扶助の精神が減退していったとも言えます。今では学校では道徳という授業があるだけで仕組みはその当時の学校のシステムがより一層、競争や比較、その評価が優先され能力ばかりを磨く場所になっています。

その当時の目的は急速な近代化を目指し、欧米の教育システムをモデルに文部省をつくり学校制度をつくり教育を普及しました。とにかく能力主義を優先し、早く欧米の能力を獲得することだけに特化したのです。文明開化といってそれまでの日本の文化を否定してまで文明を優先した時代だとも言えます。その国が何を目指しているのかをみるのは今のその国の教育や学校を洞察すれば観えてくるものがあります。

今日から韓国の教育視察にいきますが、自分の国にいては観えないものも隣国で起きている課題を洞察し自国に照らせばその課題の意味もまた確認できます。近代化して今の国があるのはいいのですが、もう文明開化の時代ではありません。今の時代は文化伝承の時代であると私は感じます。もう一度、日本とは何か、日本人とは何か、世界の中でどんな役割を果たしていくのかを見つめる必要があると思います。

そういう意味でもこの寺小屋から学校へ変遷した歴史、そして学校になってからどのように今があってこれからどうなっていくのかを見つめるのが社會を育てていく教育者の本当の責任だと感じます。もう世界は持続不可能であることはそれぞれで自覚をはじめています。こういう時代だからこそ、進歩ばかりを追い求めるのではなく人類としての進化の方へと舵をきりなおす必要性も感じています。

引き続き子どもたちのためにも、歴史を鑑みながらアジアをはじめ世界の課題と向き合っていきたいと思います。

畳~日本固有の文化~

昨日、聴福庵にて66年間畳業を営み今でも本物にこだわって作っている方とお会いするご縁がありました。畳も大切に使えば60年以上使えるものだそうですが、今までの痛みもありまた大切におもてなしする客間でもあることから畳を入れ替えることにしました。

お話をお聴きしていると畳の魅力や、畳がなぜこんなに日本的であるかを改めて再認識する機会になりました。

そもそも畳というものは、中国から渡来した文化が多い中で完全に日本で生まれ育ち延々と今でも大切に受け継がれている日本固有の文化の代表的なものです。つまり、日本人が生み出した発明品であり日本人の暮らしと共に一緒に今まで生活の中で息づいて共生してきた大切な道具であるともいえます。

この畳は、古事記にも記され莚(むしろ)・茣蓙(ござ)・菰(こも)などの薄い敷物の総称でした。そして現存する最古のものとして奈良時代のものがあります。今でも奈良東大寺の正倉院に保管されているそうです。その後は、平安時代には寝具や座布団の代わりとして用いられ鎌倉時代頃には部屋や床の全体に敷かれるようになります。武家が主だった畳も、安土桃山時代からは町人の間にも普及し、江戸時代頃には庶民の家にも普及します。

畳の名前の由来は使用しないときは「畳んで部屋の隅に置いた」ことから、動詞である「タタム」が名詞化して「タタミ」になったのが畳の語源とされています。

畳の効果は素晴らしく、イグサや藁が敷き詰められることで断熱性保湿性に優れ空気を浄化する作用もあります。つまりは夏は涼しく冬は暖かいということです。また音を吸収し遮音する効果があり足元から静寂を演出します。それに黄緑色の配力は心を癒すリラックス効果もあるといわれます。イグサ独特の香りも、私たちの心に懐かしく感じ和室の空間に流れる穏やかさをさらに引き立てるようにも思います。

また科学的にいうと人間の皮膚が呼吸をしていると同時に光も吸収しているといわれます。人間には自分の皮膚の色に近い反射率の色を感じると安心できるという本能があるとも言います。この畳の部屋の反射率が日本人の皮膚の反射率とほぼ同じということもあり畳の部屋は安らぎを覚える空間になっているそうです。

つまりは畳は土壁や木などと同じく「呼吸」をしているということです。私が感じる日本家屋の特徴は呼吸です。この呼吸は「息をする」ということ、つまりは「生きている」ということに尽きます。生きているからこそ、一つ一つの道具には「いのち」があります。そのいのちを大切に扱い、大切にいのちを伸ばしていこうとする作り手と使い手の「真心」があって「和」の空間は活かされていくのです。

イグサを育てている人の生き方、そのイグサだからこそ大切に作りたいという作り手の生き方、そして私たちがそれを子どもに伝承しようとする生き方、それが三位一体に寄り添って今回の畳替えが行われます。

12月には畳を私たちも一緒につくるという体験も得られます。この貴重な体験から日本人とは何か、日本の原点とは何か、日本の心とは何かをもう一度深め直したいと思います。

日本固有の文化に誇りが持てるような機会を子どもたちに伝道していきたいと思います。

 

学問道楽

昨日、一年ぶりにドイツに一緒に保育視察研修にいった仲間たちと熊本で同窓会を行いました。もうドイツに一緒に行ってから6年が経ちましたがこうやって毎年、欠かさずに歳月を共に噛みしめ、お互いの成長やご縁、その人生の物語や苦労を分かち合えることに感謝を覚えます。

同じ師に学びその後のお互いのことを語り合う、この人生の妙味があってこそ学問道楽の幸福を知るように思います。

江戸時代に伊藤仁斎という人物がいました。京都で私塾「古義堂」を1666年に開き、その門下生は3000人を超えていたといいます。ここに学びに来る人たちは豪商から農民まで幅広く、その徳を慕って集まりました。この私塾は明治末期、1905年まで続きます。

この伊藤仁斎の学問は、人の道についてです。人としての生き方を問い、自ら実践の中で学び改善していくこの学びはたくさんの人たちに人道の在り方を伝道していたように思います。独自を掘り下げて愛が実徳であると真心の実践を説き、自ら人の道を示す生き方を貫いていた仁斎の教えは人々の心を深く導いたように思います。

私も師の御蔭様で学問道楽の妙味を知り、如何に真心を尽くしていくことが人の生きる道であるか、また如何に内省し実践を重ねて自らの徳性を磨いていくか、そういう学問の妙の中にこそ人の生き方があることを教えていただきました。

孔子や孟子はもうずっと以前に亡くなり、他国の人でしたがその道は連綿と受け継がれ歩む方々によって今に伝承されていきます。学問道楽は決して道楽息子などの悪い意味で使われることではなく、この時の道楽は道を歩む道楽のことです。学問は、自学自問でありどんな徳性を天が自分に与えてくださっているのか、そして自然と一体になったとき自分の中にある真心の姿と邂逅できる仕合せに愛を感じることのように思います。

活かされている実感があって共生の歓びもあります。恩師というものは導師であり、この学問道楽に導いてくださった方のことです。そして導師があってこそ同志もまた出会えます。君子の徳を身近に感じられることは、人生において何よりもかけがえのない有難いご縁とご恩をいただいたということかもしれません。

論語に『君子の徳は風である、小人の徳は草である、草は風にあたれば必ずなびく』とあります。こうやって徳になびいていく人たちを見守りながらその人たちの支えになれることにもまた仕合せを感じます。

最後に伊藤仁斎の言葉です。

「勇往向前、一日は一日より新たならんと欲す。」

また同窓会で元気と勇気をいただきました。引き続き、子どもたちの未来のために自分のできることを真心で尽力していきたいと思います。

 

自他一体の活かしあい

人間には孤独と孤立というものがあります。孤独というものは自分自身の中にある本来の自己と向き合って自己を磨き成熟させていくための大切な時間でそのことによって自分というものと邂逅します。しかし孤立というものは、人と人との間の絆やつながりを切って自分勝手に我を通すときに一人ぼっちになります。自己中心的な生き方は孤独よりも孤立を広げていくように思います。

禅の僧侶で庭園デザイナー、多摩美術大学の教授でもある枡野俊明さんがあるインタビューの中での話に僧侶の生き方と孤独死についての問答でこう答えています。

「昔から、今でおっしゃる隠遁生活ですね、山の中に入って一人静かに本を読み、坐禅をし、自然と共に生きていくと。これは実は日本人の理想とするところなんですね。そういう中で静かに息を引き取っていく。西行法師なんかもそうですね。歌がありますけれども。それと今、社会で起きている「孤独死」と言われているのは、実は隠遁生活した方々は、周りの自然と全部と関係の中に生きているわけですよ、生かさして頂いている。ところが今社会で言われている「孤独死」というのは、そうではなくて、全部と縁を切ってしまっている。これは、私は、「孤独死」ではなくて、「孤立死」だと思うんですよ。孤立してしまって、周りとの関係性がない中で亡くなっていくという。これは非常に悲しいことなんですね。「孤独死」は、私は、ある意味の日本人の理想とするところでもあるんで、自然との関係の中で、自分の理想とする生き方の中で、それを成し遂げていくんであれば、それは私はいいと思います。」

ご縁の中で活かされている自分というものを感じながら生きているのは孤立ではなく、全部ご縁を切って生きていくのが孤立。人と人との間において孤立してしまうことは孤独とは意味が異なるということをおっしゃっています。

なぜ人が孤立するようになるのか。そこには自分が生きているわけであって自分が活かされているとは感じなくなるからかもしれません。たくさんの方々の御蔭様で成り立つ自分が仕事ができるのは、周囲の方々の無償の協力や援助、そして見守り支えられてはじめて自分ができたことになります。比較競争評価の中で、自分ばかりを周りから優位に立たせようとしたり、自分が評価されるために感謝されようとしたり、誰かと比べて自分を卑下したり他人を見下したりしているうちに人間は自己中心的な我が強くなっていくのかもしれません。

しかし立ち止まってよく考えてみたら、有り難いご縁に恵まれて一日一日は訪れて尊い今は過ぎ去っていきます。人生の妙味を最期まで味わっていきる生き方というものは、自然の中であらゆるご縁に結ばれて生きている自分に出会うことかもしれません。

そういう意味で隠遁生活というものは、孤立ではなく孤独と枡野禅師は仰っているように私は思います。不自然な自分の我を張り通せば張り通すほど周りとの不調和が生まれます。自分が自然体になって自分の心を開いて周りを信頼しつながり絆を結び無我になればなるほどに調和してご縁が広がっていきます。

今の時代、バラバラになりやすいのはこの社会が比較競争評価の中で常に自分ばかりを守ろうとし心を閉じて本心を分かち合わないような環境が広がっているからです。自分であまりなんでもやろうとはせず、誰かと一緒に進めることを学び直したり、いつも一緒にやっているという感覚を忘れないようにしたりして孤立しないように常に注意しなければなりません。一緒かどうかは自分の心が決めています。自分はと分けてしまう中には自分のことを放っておいてくれや自分のやりたい通りにしたいという我が邪魔をしているのかもしれません。

人生は一人でやるとキツイことも一緒にやれば楽しくなります。人と生き活かされるという関係は苦しみをよろこびに転じる妙法のひとつです。比較競争評価のすりこみに持っていかれないように皆で協力する必要があります。

相談できる仲間がいたり、いつも陰ひなたから手伝ってくれる人がいるということを忘れず、お陰様と感謝の心で活かされている自分のままに周囲もまた活かせる自分、自他一体の活かしあいに生きていきたいと思います。

一緒とバラバラ

先日から一緒とバラバラという言葉を深めています。一緒というのは家族的であり、その反対がバラバラですがそこには今までの教育や社会の環境の刷り込みがあるように感じます。今、人と一緒になろうとしてなれず孤独で苦しんでいる人たちが多いように思います。誰といても孤独を感じてしまう、もしくは何も感じない人になるのは本心のままであることを否定してきたことで発生しているのかもしれません。

そもそもその大前提として、もともと個人がバラバラだから一緒になろうとするのともともと一緒だから一緒なのだと信じているのでは意味が異なります。一緒になっているというのは、丸ごと信じているということです。そしてバラバラというのは言い換えれば部分しか信じていないということです。

例えば、親でもなんでも見守る存在のことを自分自身が丸ごと信じ切っていれば安心しているものです。この安心こそが一緒を理解している場所であり、繋がりや絆を感じて一緒になっているのです。しかし不安や疑心暗鬼、疑念をいだいているのならすでにそれはバラバラの状態であり無理に一緒にしようとしても心がついてきていないのだから一緒になっているわけではありません。

そして一緒になれない理由の一つには、心を閉じていることが問題なのです。この心閉じるというのは信じないという心の態度です。信じられるまで相手を疑い、いつまでも自分が傷つかないように自分を守っていたら信じる人は現れません。ここまでは信じる、ここまでは信じないと自分で評価していたら疑うばかりで信じることができないからです。

信じるというのは一種の覚悟で、信じれるまで裏切るのではなく裏切られるまで信じるというように自分が信じたことを自分で信じるという行為によって成立します。これは単に盲目に感情的に信じようとするのではなく、自分の本心、あるがままの自分でいようと決めそこで人と関係を築こうとする心の態度です。今の社会は、競争、比較、評価と常に自分の身が危険にさられている世の中です。自分の身を守ることばかりに終始し思いやることよりも自己保身に走れば本当の自分をさらけ出すことはありません。そうやって自分を必死に守ってきたことで常に先に自分ばかりを気にするようになりそのうち相手との関係が築けずバラバラになっていったのでしょう。

バラバラになったものを無理につなげようとするのではなく、本来は競争しなくても比較しなくても評価がなくても、自分という存在はあるがままに認められているということを自覚することが自分を知り相手を知るための大切な要素であると気づくことです。あるがままの自分を認めることは、あるがままの相手を認めることです。ここは認めているけれどここは認めないというような自分自身に対する評価は、必ず相手に向かって向ける眼差しになり無意識に周囲に攻撃します。こういう自分のことを理解し、こういう自分でも愛してくれている人たちがいることに感謝できてはじめて今の自分を丸ごと認めることができるのかもしれません。

最後に作者不詳ですが、「一緒」になるための要諦を記した素敵な文章があります。

『一週間一緒に居たいなら、相手の好きな自分を演じること。

一ヶ月一緒に居たいなら、相手に合わせた自分でいること。

一年一緒に居たいなら、自分の気持ちを全部伝えること。

ずっと一緒に居たいなら、ウソをつかないでいること。』

引き続き、一番身近にいる自分自身との付き合いを内省により見直していきたいと思います。そして未来の子どもたちの社會が繋がりと絆で満たせるようにその解決するための仕組みと仕法を見出していきたいと思います。

下積み~潜龍~

昨日、ブログで書いた易経に「潜龍」という状態があります。私がもっとも好きな言葉で「確固不抜の志」があります。潜龍というのは飛躍する前の状態ということです。この時期に何をして過ごしているのか、そこにその人の真の志があります。人から認められようとするばかり、見た目ばかりの評価を気にしているのは潜龍とは言いません。もしも仮にその程度で認められたと満足していて大した精進をしないのならそれは志に生きているわけではないのかもしれません。

小林正観さんの本に帝国ホテルの料理長の話が出てきます。そこにはこうあります。

『帝国ホテルの料理長を26年間勤め、重役になった村上信夫さんという方がいます。厨房から初めて重役になった唯一の人です。十代のときに帝国ホテルの厨房に入ってからは、3年間、仕事が鍋磨きのみだったといいます。一切、料理に触れることが許されませんでした。何人もの少年が入っても1年以内にほとんどの人が辞めてしまったといいます。その中で村上さんだけは辞めなかった。「日本一の鍋磨きになろう」と決意して3年間鍋をピカピカに磨くことにしました。自分のところに回ってくる鍋には料理が残っていても、ソースの味がわからないように洗剤などが入れられた状態で来るのだそうです。それを全部、きれいに磨いた。自分の顔が映るくらいピカピカに磨いたといいます。そうして3、4カ月経ったところで「今日の鍋磨きは誰だ」と先輩が聞くようになったそうです。「今日の鍋磨きはムラ(村上さんの愛称)です」という答えが返ってくるとそのときだけは洗剤が入っていない状態で鍋が回ってくるようになった。村上さんはそれを舐めて、隠し味を勉強するようになり、立派な料理人になったという話です。どんな人も最初は、お試し期間があります。今おかれている状況に文句を言わずに黙々とやっている人に神は微笑むようです。「人生を楽しむ」ための30法則」(講談社)』

志に生きる人は、どんな境遇であっても不平不満も文句言いません。その中で自分のできる最大限のことを惜しみなく勤めていきます。それは志を醸成する期間であり、その時こそ本物の実力をつける時期だからです。

困難や苦労に喜んで突き進む人はそうはいませんが、その時期が将来の大切なことを成し遂げるためのもっとも大事な期間であることは必ず将来につながってきます。だからこそ一切を怠らず、妥協をせずに理想に向かって邁進していくのでしょう。潜龍はただじっとしているのではありません、それは下積みをしている期間なのです。

「下積み」という期間は、何を下に積むのか、それはすべての基礎であり基本です。こういう基本や基礎ができている人は将来、初心を忘れずにその道の達人として一流になります。常に現状に満足せず、現状を打破して変化を已まない人こそ臥竜なのでしょう。

お試し期間とは試練のことです。

小人閑居にして不善をなさないよう、試練の時こそさらに挑戦を重ねて信念とともに歩んでいきたいと思います。

臥竜の道

昨日、保育環境セミナーの情報交換会で臥竜塾というものを主催している塾頭から話がありました。それはチャンスが来るまで力をつけて学びを怠らないということ、またそうやって積み重ねていたからこそチャンスが来るという話でした。

その臥竜塾の理念にはこう書かれています。

「四書五経の中の「易経」に書かれている中で、人が成長するために必要な事柄を龍の成長に例えた説明があります。「潜龍」「見龍」「君子終日乾乾す」「躍龍」「飛龍」「亢龍」の6つの段階です。私たちが学んでいる場の「臥竜塾」は一番最初の段階「潜龍」です。「潜龍」とは、まだ力を蓄えている間で、自分の力をひけらかすことはせず、あせらず、じっと我慢をする時期です。塾長の話しを聞き、保育の話のみならず、人の生き方、物事の考え方など、これから長い人生を歩んでいく上での教訓を学ぶ塾です。」

塾が開始するときから見知っていましたが、塾頭としてとても成長している姿を見て塾長の感化力の凄さと共に素直に精進してこられた塾頭の実践力に頼もしく感じて嬉しくなりました。こうやって見守っていく後人たちが育っていくのは、未来の子どもたちのことを思えば思うほどに有難く感じます。

私も臥竜という言葉が好きで、昔から三国志に出てくる諸葛亮孔明を尊敬していた関係もあり、易について学んだことがあります。臥竜とは、竜が臥せっている姿で天を見つめて潜んでいる姿です。易では千年に一度の大雨の時に天に駆け上がるとされています。

私はこの臥竜については自分なりに思うことがあります。私は竜が飛ぶかどうかではなくむしろ天を相手にして生きている姿に惹かれます。西郷隆盛に敬天愛人があります。人を相手にするのではなく、天を相手にせよという教訓です。

天を見つめて天の声を聴き、天と一体になっている姿にこそ臥竜の徳を感じます。天は自分に何を与えてくださっているのか、天はどのようなことを求めていらっしゃるのか、もしこれが天命ならば私はどう生きるのかと、常に天と対話して生きていくのです。

それがもしもチャンスや機会が一生訪れなかったにしてもそれは気にしない。大事なことは天与のいのちの使い方ということに重点を置く生き方です。

生きていれば自分の思ってもいないことがたくさん発生します。その際、自分の思っていたこととは違ったけれど自分が思った以上のことを与えていただいていると感謝できることこそがその臥竜の実力が備わってきたということではないかと思います。そして誰が見ていようが見ていまいが天が観ていると常に真摯に正直に真心を尽くして生きていく生き方こそが臥竜ではないかと私は思います。

誰かがなんとかしてくれると思って人任せにして言い訳をする人生ではなく、在野にあっても志を持ち天命を生き切るという覚悟を持った人はこの世の天運を司る竜になります。

引き続き私も同じ師に同行してきた以上、臥竜の道を究めていきたいと思います。