浄化する農法

昨日は、自然農の田んぼに田植えを行いました。取り組みから10年目に入りますが、年々収量を減らしていきます。本来は、収量を上げていくのが当たり前でしょうが敢えて収量を減らすことを実験しています。

実は、むかしの田んぼと名付けた千葉の神崎の田んぼもまた収量を減らしています。現代は、大量生産大量消費の時代ですから逆行するようなことをすると変人奇人だといわれますが、本来は分相応の量に調整して生きるのが人類の智慧であるのです。

現在は、先人からいただいた智慧を蔑ろにし、便利に量産しますが果たしてこれが本当に自然の理に適っているかを考えている人は少ないように思います。自分の利益ばかりをみんなが追いかければ、その利益競争の結果として全体が貧しくなることもあるのです。

田んぼであれば、生態系が減少し、多様性も失われ、そこにある自然の循環を歪めて生命の楽園が非常に貧しい場所に換わっていきます。そもそも田んぼの一部を私たちも他の生命と共にお借りしているという意識と、この田んぼは人間様のものでよそ者は一切入ってはならないという意識では田んぼ自体の持つ定義も個性も異なっていきます。

私が一緒に取り組んでいる伝統農家さんの田んぼはみんな生態系が豊かであり、生き物たちの楽園で生命が溢れんばかりに漲り、その中で稲がイキイキと育ちます。当然、農薬も肥料も追加せず、自然に任せて自然が喜ぶような農法を行います。

そのためには、人間が取り過ぎないことが重要なのです。アイヌ民族では、自然の利子分だけをいただくという謙虚な言葉があります。あくまで自然のために尽くし、その結果として得られた多少の利子分だけで生活を営むということです。

質素倹約に努めて、自然の掟を守れば、その利子だけで十分一族を養っていくことができます。現代社会においては、みんなが売り上げ競争をし利益の確保ばかりに躍起になりますから利子ではなく、借金でみんな一族を養おうとします。

その借金は利子ではないから、子孫へのツケになります。このツケは、次第に大きくなり返せないほどになってしまいます。田んぼであれば、田んぼの土が枯れてしまい肥料の肥毒や農薬の薬害によって作物が育たない場所になってしまうのです。

だからこそ、私たちは敢えて自然が喜ぶように収量を減らすこと、そしてその分、その田んぼの生き物たちが安心して謳歌して暮らしを楽しめるような場を確保することが重要なのです。

自然農の田んぼは、この時期は沢蟹やエビ、オタマジャクシにカニワナ、蛇や蜘蛛などの子どもがたくさん生まれています。田んぼで田植えをすれば、小さな生き物たちが溢れ、まるで一つの保育園のようです。

その保育園で環境を用意して見守る私は、まさに保育者ということでしょう。私が保育する環境は、適度な距離感によって和を与え、枯草を集めて稲に布団をかけて安心させます。多様な生き物社会の中で、みんなと共生し貢献し合って生きていけるように配慮します。

これだけを守れば、今年もまた立派なお米になってくれるでしょう。当然、このあとは雑草が生えて多少の草刈りや、スズメが来る時期は紐で防いだり、見守りと手入れは必要ですが田んぼの清々しさは御蔭様で年々増すばかりです。

私の実践する農法は、きっと自然が喜び運の善くなる浄化する農法です。浄化とは、いのちを尊重し合うことで透明で純粋な光のような存在に近づけその中でいのちたちがそのままあるがままをオープンに見せながら生き活かしあう場を育てることです。

これから1000年を見据えた教育は、むかしの田んぼの智慧から学ぶべきではないかと私は思います。この智慧を、具現化して実際の保育現場に届けていきたいと思います。

いのちの場

引き続き、メビウスガーデン(無双庭園)を造園していますが改めて流転や円転、回転や輪廻などのチカラについて深めています。

そもそも遠くには銀河、そして身近にも台風など私たちは回転するものの中で存在しています。地球は自転をしていますし、すべてのいのちは生死を繰り返し、無機物から有機物へそしてまた無機物へと永遠に無限に生死流転する存在でもあります。その中で私たちは多様性を獲得し、そしてまた統合されていくのです。

相反するものを一つにする力、これがいのちの根源的なものです。まるで異なるもの同士が合わさるときのエネルギーとして、そこに回転のチカラ(スパイラルエネルギー)のようなものが創出されます。

私たちが感じている、回転のチカラとはその相反するものが競い合い相反し、同時に統合して調和するときそれを直観することができるように私は思います。

現代は、なんでも分けて考えるような思考回路になっています。言葉ができ、論理を産み、科学的に分析する知識を伸ばしてきましたがもう一つの直観的に理屈を超えた存在に対しての智慧が衰えていきました。

この本来、相反するものを受け容れる力。そして和してそれを更に活かす力。その時、私たちは自然の道理と人間の叡智を使い、一円融和することができます。その観念のことを私は、一円観と呼び、それをあらゆる場づくりに使っているのです。

今回のメビウスガーデン(無双庭園)もまた、この一円観を用いて場づくりをした一つの創造物でもあります。銀河と地球の自転の仕組みを取り入れ、万物の生命がその中で無限に円転する。それを土と石、水と火、植物と炭、日と影、風と雨、人工と自然、高と底、厚と薄、発酵と腐敗、昼と夜、あらゆる相反するものを組み合わせ一円融合させたものです。

文章で書くとやっぱり理屈っぽくなりますから、実際にはそこで創造されたものを食べるとき、自身の心身でそのいのちのチカラを感じることができるように思います。

食の本質は、いのちの螺旋のチカラを味わうことであり私たちのいのちの無限のエネルギーを覚醒させそのいのちのハタラキに気づくことです。私たちは活かされている存在であり、その活かされることを知るとき、宇宙万物に膨大ないのちの存在があり、それが自分の深部から滾々と湧いて流転することを知りいのちと一体になれるように思います。

いのちの本質を子どもたちに伝承するためにも、徳と場の一つとして可視化した一つの表現方法としてこのメビウスガーデン(無双庭園)を活用していこうと思います。

メビウスガーデン(無双庭園)

聴福庵の裏の庭にパーマカルチャーのスパイラルガーデンを私たちなりに解釈して温故知新したメビウスガーデン(無双庭園)を造りこんでいます。今まで自然農や古民家甦生、発酵保存食や見守る保育等々、私たちが学んできたことをさらに混ぜ合わせて昇華させた具体的に「場」には意味があります。

この「場」の体験こそが、新しい経済や新しい生き方、本来の永続的な暮らしを現代でも理解してもらうためにも効果があるように思うのです。

そもそもこの100年で私たちは今までの暮らしをすべて刷新するがごとくに便利で科学的な文明の価値観の中での暮らしに転換してきました。現在の持続可能なエネルギーの中には、原子力発電などもはいっており、こんなものがかつての人類のエネルギーとしては利用されることはなかったのです。

自然界にあるエネルギーを自然のままに活用するのではなく、人間がそれを科学的に加工して急速に使い込む形で科学を発展させさらにスピードを増して増幅させていきました。

この増幅という概念は、ゴミが出ても増やすという大量生産大量消費により競争力を高めていち早く先んじて地球規模で自分たちの優位性を確保しようとする人類の欲望を駆り立ててきたものです。

しかしこの現代の暮らし風のものは、あまりにも理に適っておらずこのままでは資源を使い盡し、生き物たちは絶滅し、人類の社会も歪みや格差が広がり続け、森林も消失し、空気や水が汚染され人体にも害がある循環が増し浄化が追い付かず地球規模で古からの持続可能な暮らしが失われていくのは自明の理です。

この現代の暮らし風の逆である本物の暮らしをしようものなら、今では変人扱いか宗教家、もしくは奇人などと周囲から呼ばれるほどです。私の取り組んでいることも、先進技術を取り入れていてもやっていることは古からの伝統的な暮らしを現代ならこうやればいいと示しているだけであり、それによって現代の価値観に一石を投じて未来の子どもたちのロールモデルの一つにしていこうとしているだけです。

実際に現代の世の中の逆を走っていくというのは、周囲には無意味であり不可思議に感じるものかもしれません。それはとても現代の価値観の中での生活ではリスクを取る事であり、意味不明でもあるからです。何も好き好んで周囲の批判や否定に晒されたいわけではありません。

子ども第一義の理念や初心から、何を今、なすことがもっとも意味があるのかを自分なりに考え抜いてそれを一つ一つ行動に移していくのです。その実践が、長い時間をかけて理想を具現化し、可視化されたものが多くの人々の心を揺り動かす切っ掛けにもなっていきます。

メビウスガーデンは、小さな庭園の中で無限で無双の場を可視化する一つの手段であり私たちの実験場でもあります。古からの自然との共生の暮らしを通して、如何に自分の分度を定め、自律し協力し合い、譲り、自然を喜ばせるか。

運の善い暮らしができることが、新しい時代の一つの尺度になっていくと私は信じています。運の善いとは、自然に従い自然に沿って、自然を喜ばせるような生き方をするということです。

引き続き、自粛中の世の中で場を活用したこのメビウスガーデン(無双庭園)と共に暮らしを楽しみたいと思います。

 

チャンスを活かす

昨日は、自然農の田畑を整える作業を行いました。いい風が吹き、まさに新緑の季節に入りこれから種を蒔き、苗を植えます。自然の四季と共に暮らしを行うのは、それだけで運気を高めてくれます。

グローバリズムの台頭で、人類は都市型の集中した消費の社會を形成してきましたがその脆さを今回の新型コロナウイルスによって直面しています。自粛するしかなく、自宅に居続けて過ごすという日々を送るしかありません。

感染症は、何度も人類を滅亡寸前まで追いやってきましたがそのどれもが都市型の人と接触する場所で、しかも海外を行き来する人たちによってもたらされてきました。

物流を発展させ、交流人口を増やすことによって経済を発展させてきましたが人口密度が集中し、海外からの人々が容易に行き来することになったということはそれだけ感染量のリスクも高まったということでもあります。今回のことを省みると、人口が80億人を突破したところくらいから自然界が許すはずがないと感じていましたがいよいよ人口減に傾く最初の合図が入ったのではないかとも感じました。

自然界では、天敵というものがありそれが絶妙なバランスで調和を助けてくれます。増えすぎると減るというのは、自然の摂理でありこれは誰も変えることはできません。自然の摂理とは、真理であり、掟でもあります。子から親が産まれないように、また川が下から上に流れないようにすべてのものには決まった道理があるということです。

それに逆らえないのだから昔の人たちは敢えて逆らわないで謙虚に生きていく方法を取ってきました。それが足るを知る事であり、分度を保つことであり、自然に感謝してお互いに助け合う社會を築き上げていくことでした。

現代の社會のもろさは、この逆を走っているところにあります。このまま欲望に任せて、分限を超えつづけ自然を敵にして誰かを蹴落としていくよいな社會が果たして人類にとってどうなのかということが突き付けられたのです。

私たちはみんなで立ち止まったのだから、子どもたちの未来を思えば今回の機会をチャンスにして生き方を見直し先人に倣い、新しい社會をもう一度見つめ直して取り組むこともできるはずです。人類が滅亡する前に、何度も自然はチャンスを与えてくれます。そのチャンスを無駄にしないように、目覚めた人たちが立ち上がっていくしかありません。

子どもたちが安心して末永く暮らしていけるように、このチャンスを活かしたいと思います。

信用第一(信徳目)

BAにある水風呂に甦生させた鉄の羽釜は、「稲むらの火」で有名なヤマサ醤油でかつて醤油をつくるために用いられていたものです。このヤマサ醤油は、1645年から続いている老舗で業界第2位のシェアを誇ります。ホームページを拝見しても非常に徳の高い経営をされており、変化を恐れずに果敢に温故知新しているのがわかります。

そもそも老舗というのは、時代の篩にかけられても生き残っている企業ということです。それはどの時代にも必要であったということの証明でもあります。その企業の暖簾を守り続けてきた結果として老舗という称号を与えられます。

この老舗とは何か、私は「信用」であるように思います。

信用とは、確かなものであり、正直・誠実さの顕れでもあります。そこに頼めば間違いがないと、時代を超えて信頼されている徳のことです。

大切な理念や家訓、文化をそれぞれの時代の人たちが真摯に守るために挑戦を惜しまずに実績を積み重ねてきて生き残ってきた「信用」が商売になっているのです。

確かにその時代時代の流行があり、その時々ではあらゆる競合他社が産まれ時には倒産の憂き目にあうようなこともあると思います。しかし流行は過ぎてしまえば、風邪などのように元通りに落ち着きます。その時、人々はまた老舗の信用を安心して頼るようになるのです。

つまり老舗は、流行に左右されずに確かな存在として人々の安心基地になってきたということです。どんなに時代がブレても理念や初心はブレないというその生き方。その生き方を守る家人たちの働き方が、100年も500年もまた1000年も続く礎になってきたのです。

例えば、世界最初の畳油醸造の老舗に室次本店があります。その室次醸造の家訓にはこういうものがあります。

「良い醤油を造りたいなら、自分を磨け。 醸造にはごまかしはない。 誠心誠意がなければならない。 その人柄や性格がその味に香り、色に出てくる。」

これが理念になり文化になりそこで働く人たちが何よりも優先してきた生き方がこの醤油のすべてを証明して信用が確立され今に続いているように思います。まさに、良い醤油をつくるということがどいうことなのか。この人間としての「信用」を守り続けてきたからこその今があるのです。

どの時代においても歴史的に観返せば、企業は大きいか小さいかが問題ではなく、「信用」があるかどうかが本来の問題なのです。信用がない会社は長続きせず、信用がある会社だからこそ生き残ることができるのです。

生存戦略としてもっとも大切であり重要なのがこの「信用を守る」という智慧であることは歴史が証明しています。つまりこれは決して企業だけに限らず、人間社會において何よりも最も重要なのがこの「信用第一」ということでしょう。

信用を守るためには、変化を恐れずに果敢に挑戦を続けていく必要があります。そしてもっとも大切なものを守るために、あらゆるものを活かし未来を見据えて行動していく必要があります。

まさに現在は、時代の分水嶺でありそれぞれの企業が大きく試されるときです。私も信用という徳を守るために、日本を代表する先人たちの老舗に生き方を働き方を学びながら実践を積み重ねていきたいと思います。

暮らしのロールモデル

これから自然農園の田畑を、暮らしフルネスの農場として甦生するために昨日は大勢で畑の草刈りを行い、荒地を甦生して耕しました。日差しが強くて、体力をだいぶ消耗しましたがいつものむかしの田んぼでのお昼ご飯のように玄米を竈で炊き、採れたての新玉ネギを使ってハヤシライスをつくりみんなで一緒に食べたら疲れも取れました。これから畝をつくり、マルチをして種蒔きをして収穫まで見守ります。

思い返せば、自然農に取り組んでから随分と長い月日が流れました。肥料も農薬も使わずに耕さずに草も虫も敵にしないという農法でしたが山間の野生化した荒れ地では人力でいくら手入れをしていても害獣たちが波のように押し寄せ、また雑草の生命力が明らかに人工的な野菜を凌駕し、なかなか自然循環の一部として許してもらえるようにはなりませんでした。

しかし、約10年の間、伝統の高菜を育てているうちにその境目というかどこまでが許されてどこまでが許されないかということを学びました。もちろん、農薬や化学肥料は一切用いないのですが今の時代に存在する科学は道具もある一定のものは活用して賢く取り組むのです。

かつては自然農だから一切耕さないと意地をはっていましたが、場所や農地によっては多少の手配は必要です。私の自宅の庭は、完全に自然農の理念で簡単に野菜がつくれます。それは住宅地がある場所であり、自然はやや人間側に傾いているため害獣もおらず、虫も雑草もそんなに強力ではありません。つまり人間が里山のように形成している場での農業のやり方と、完全に人里離れた山林の傍の場での農業のやり方では異なるということです。重複しますがなんでも一律にマニュアル通りにいくようなことは一切なく、その場その場に応じた工夫と改善は必要なのです。

古民家甦生を通して私はその辺の柔軟性を身に着けました。そのものの徳を引き出すことが何よりも優先するものであり、それ以外のものはある程度は裁量に任せて工夫の余地があるのです。

大事なことは、徳を引き出すのであれば道理は叶うということです。

これから野生化の農場をうまく管理して、そこに新たな自然循環の実証実験の場にしていきます。自然に寄り添い、自然を喜ばせるために如何に人間が自然から学び自然に近づき、自然の許容範囲に対して折り合いをつけつつ、全体の徳を引き出していくか。

挑戦ははじまったばかりですが、新しい取り組みにわくわくしてきました。何年たっても青春は失われず、いつまでも情熱は子ども心のままです。こういう時だからこそ、みんなのお役に立てるように暮らしのロールモデルを模索していきたいと思います。

ミルクランドの閉店

長年、私たちの社員の食を支えてくださっていたミルクランドさんが4月末で閉店することになりました。創業者の小寺トキさんと出会ってから十数年間、栃木の青空農園で自給した無農薬の野菜や野草を上手に調理された最幸のものを毎日お昼に食べさせていただきました。

安心安全の食の提供といった、信念に裏打ちされた日本でたった一つの店舗であり、未来の日本の子どもたちにとっても必要な場所でした。急なお知らせに、如何に当たり前ではなかったかを、当たり前などないということも再確認し、どれだけ感謝を伝えていただろうかと複雑な思いにもなりました。

しかし、ここからまた前に進み新しい未来がはじまりますから感謝のままに私たちがその志を継いで安心安全の食の提供を発展させていこうと思っています。

思い出してみると、最初にいただいた青空農園で収穫した菜種から油を搾取しそれで採れたての野菜で揚げてくれた天ぷらの味は今でも感動が甦ます。体調がわるいときでしたが、食べるとすぐに元気になりました。食べることのチカラを感じた瞬間です。

そして出張が続き、食が乱れ体調が崩れたときもまた出張帰りに社内で食べた自然の味が心身を癒してくれました。仲間と穏やかな空気のなかで食べる安全のお弁当は人生の歓びを増やし、安心をさらに増幅してくれました。

また日々にミルクランドのスタッフの方々と、付箋紙を使い様々な対話やメニューの感想、味付けなどのことをやり取りするなかで私たちもまた食を考えるきっかけをいただいていました。お土産を交換したり、近況を報告し合ったり、親戚のような関係に心温まる絆をいただきました。

年末の大掃除のあとの仕事納めでは、店長と一緒に深夜まで会社で飲んで振り返りをしてお互いの頑張りを見守り合いました。お酒を飲むとすぐに寝てしまいましたが、大事な話はちゃんと聞いており笑い、楽しい時間の御蔭で新たな年の励みになりました。

最後は、こだわりの強い人たち同志で人間関係でしょっちゅうぶつかりあっていましたから時には相談にのり、またある時はアドバイスや仲裁に入り、持続し合うために協力して乗り越えてきた思い出が残っています。

愛する場所はなくなりましたが、愛する思い出はいつまでも心に続いています。

この愛する思い出をよりよくしていくのは、この先の新しい思い出をさらに発展させてつないでいくことです。あの出会いがあるから、今の出会いがあります。私たちは出会いを積み重ねていくことによって、過去の出会いの意味を完成させていくのです。

心が続いていくように節目を迎えることは、人生の思い出を手入れする機会でもあります。終わっても終わらない関係が、未来を創ります。子どもたちの未来のために、私がその志を受け継ぎたいと思います。

徳積の生き方

先日、ダスキンの社長を務めた駒井茂春さんの言葉を知る機会がありました。その中の「損の道」の話は、私の徳積財団の思想と非常に近いものを感じて新しい時代を感じました。本当の意味で、この損の道を理解している人はどらくらいいるのでしょうか。今は、得が全体を覆ってしまっていますから余計にこの損の本質を理解することが難しくなっているように思います。

改めて、駒井茂春さんのこの「損の道」の言葉から深めるきっかけになればと思います。

「世の中には損の道と得の道があるのですが、得の道を行こうと思ったら満員電車です。損の道を行ったら、ガラ空きなのです。損の道とは、自己を大いなるものに没入させながら損得勘定にとらわれず、他人のために努力する。そういう生き方です。」

真心の生き方は、まさに正直であり誠実です。その道はガラ空きですから周りに人はいませんがすれ違う時に深く心に残ります。まさに損得勘定ではなく、天を相手にした生き方がここから感じられます。

「人生というものは、『出しただけしか入ってこない』というのが私の結論です。何を出すのでしょうか。それは、モノを出すこともあるでしょう、お金を出すこともあるでしょう、知恵を出すこともあるでしょう、汗を出すこともあるでしょう。何でもいい、人さまのお役に立つために一生懸命に出したら、その出しただけのものは、ちゃんと神さまから入れていただけるということです。」

出し切るというのは、全身全霊で丹誠を籠めて取り組むということです。その時、無私は利他になり万物一体善、自他一体の境地に入ります。まさに自然体そのものでお役に立てるように私も思います。

「野越え、山越え、歩いただけが人生です。人生ははるかな旅路と言われますが、
どこへ行ったかということより、どんな旅行をしたかということが大切です。ゴールよりも、野越え、山越え歩んでゆく一日一日のプロセスこそ人生の旅です。今日こそは、新しく生まれ変わるチャンス。悔いのない一駒一駒を、大切に真剣に歩んでゆきたいものです。」

まさに生き方のことで、一期一会にご縁を活かしたか。そしてそれを内省し、自分が体験したことを真摯に深くじっくりと味わったか。人生の充実はまさにこの日々のいのちの使い方が決めているように思います。

最後に、父からかつて紹介していただいた駒井茂春さんのメッセージ「自分から」を紹介して終わります。

「あなたから先に話しかけましょう。あなたの方からにこやかに笑いましょう。あなたの方からいさぎよく赦しましょう。あなたの方から勇気をもって詫びましょう。

『自分が変われば相手が変わる』

あなたが相手にこうしてほしいと思うことをまずあなたが実行することで世の中きっと楽しくなると思うのです。」

徳積とは、この磨き続ける生き方のことです。1000年後の未来に向けて、この今を大切に過ごしていきたいと思います。

自然のリズム~時間を味わう~

今回の新型コロナウイルスの終息後の新しい戦略をどのようにするかを、改めて今を見直しそれぞれのリーダーたちが見つめています。そもそも理念があり、ブレずに取り組んできている方々は、今回の機会を好機と捉え時代に合わせて自分たちの大切なものを守るために変化成長の大切な時を過ごしていると思います。

私たちもまた、今までやりたかったことをさらに発展させ新しい事業と取り組みの準備をはじめています。

特に昨年スタートした「暮らしフルネス」は、私たちの今まで保育で学んできたことの集大成を整理したものです。

子どもたちは、生まれながらに社會を創ろうをしていきます。赤ちゃんで産まれてからすぐに周囲の家族とコミュニティを形成し、その後は集団の中で友達をつくり自立した環境を創造していきます。

安心安全な環境があれば、自由に伸び伸びと子どもたちは自分たちのやりたいことを仲間と一緒に実現していくための社會を学び創造します。その環境の中には、生活のリズムがあり彼らにしか捉えていない時間軸があり、まさに時を味わい時と共に歩みます。これは自然界のリズムと同じく、私たちの生命は自ずから自立と協力に向かって成長しようとしていきます。

それが歳を重ねて様々な教育を施され知識が増えて現代社会の影響を受けるうちに大人になり時間管理をするようになり、次第に時間を味わうことが少なくなり忙殺されていくようになります。自然のリズムよりも人間の管理するリズムになっていくことで、心がうまく調律することができません。

本来、暮らしというものは自然の中に存在するものです。それを充分に味わうことは、暮らしを楽しむことです。時間というものの認識がズレてしまれば、自ずから暮らしは遠ざかっていくものです。

改めて、私たちは立ち止まった時、そこに別の時間が流れていることに気づくはずです。それが自然のリズムであり、そのリズムに沿って時間を大切に過ごしていく仕組みを私たちは暮らしフルネスの智慧として取り込みました。

これは私が保育で学んだこと、古民家で学んだこそ、自然農で学んだこと、伝統保存食で学んだこと、伝統工芸で学んだこと、そしてブロックチェーンで学んだこと、それらの徳がすべて凝縮されたものです。

時代は私の思っていなかった方向に進み、まだまだ大きなお役目をいただけそうな予感がしています。丁寧に、初心を忘れずに取り組んでいこうと思います。

時代のうねり

世界ではロックダウン後の終息宣言をする国家が増えてきました。医療崩壊を防ぎ、緩やかに感染を収めるという目標が達せられたところからアフターコロナでの新しい戦略が生まれ始めています。

まずは中国がいつものように今回の災害を活用して強かに経済活動を5Gに懸けて世界を席巻しています。なんでも使えるものは使い、どんな機会でも利を求めていく生き方はまさに大陸の産んだ文化です。

私たち日本人は、島国で育ち、自然と共生しながら質を追求してきた民族ですから利よりも暮らしの充実を求めていくようにも思います。自然に恵まれ、豊かな四季が暮らしを支えますから私たちは自然に心を研ぎ澄ませていきます。

コロナで世界が一度、立ち止まり、このあとどのように生きるのかをみんな向き合う機会を得ました。立ち止まり振り返った人たちは、コロナの前の元の姿に戻ることを求めず、コロナ後の新しい時代を創ろうとします。まさに私たちはコロナの御蔭で時代が変わる瞬間に立ち会ったと言えるように思います。

コロナ後の生き方と新しい働き方は、私たち人類の運命を易えるように思います。その運命には、つながるということの意味、一緒に生きる意味、集まることの意味、生きることの意味、働くことの意味が重なります。

今まででできなかったことを、新しいステージでもう一度やり直す。そしてそれは、過去の反省を見つめ直し、これからをよりよく生きる挑戦がはじまるという時代のうねりです。

この時代のうねりを活用して、私も子どもたちが100年後から振り返ったときあの決断の御蔭で今があるというようなものにしたいと思います。積小為大、まさにこれから私たちが取り組むのはその最初の一歩です。

アフターコロナの面白く豊かな暮らしフルネスを、カグヤと共に歩んでいきたいと思います。