生き様

人間はその時々において学び方というものがあるように思います。例えば、様々な知識を詰め込んでいろいろな人に会って智慧を獲得していくという学び方があります。そしてその学んだ智慧を今度は、後に続く人たちやこれから学ぼうとする人たちが獲得できるように伝承していくような学び方もあります。

学び方というのは、つまりは道ともいいますが古来より受け継がれていくものであり知識や智慧というものは伝承されて次世代へと紡がれていくものです。

それを伝統文化ともいいます。

この伝統文化は辞書には「世代を超えて受け継がれた精神性」「人間の行動様式や思考、 慣習などの歴史的存在意義」と書かれています。

学び方というのは、生き方ですからその人の生き方が伝統として世代を超えて受け継がれていきます。

何を遺していくか、何を次世代へと譲っていくかと考えるときに、私はこの伝統文化の価値の偉大さを感じます。

会社や組織は、もって100年とも言われます。日本では300年以上続く老舗が400社以上あるともいいます。形あるものはいつかは必ず滅びますが、日本ではそういう伝統の精神が引き継がれて今にまで続くものが多いといいます。そこには道があり、その職種職業にも生き方があったからに他なりません。

例えば親祖の伊弉諾や伊弉冉をはじめその後に和を理念とした聖徳太子、国風文化の礎となった菅原道真などの生き方は、世代を超えて今でも私たちの暮らしや思想に影響を与えています。名前をいちいち思い出さなくても自然に自分たちの血肉となり精神となりいつまでも私たちの生活を見守り続けてくださっているようにも思います。

この伝統文化の偉大さというのは、生き方が継承されていくということです。

自分の生き方を遺すという偉業は、遠くの先まで観通し長い目で観て今何をすべきかということを問い、先人からの智慧を次世代へと揺るぎなく紡いでいくための徳行でもあります。

自分の身の心配よりも、世代を超えて子孫たちのことを慮る心はすべて思いやりから発心しているものです。

こういう志事に関われることは人生の一大事であり、何のために生まれてきたのかという答えを生きていくという生き様です。

引き続き生き様を優先し、その生き方を貫く人たちを支え、自らのその学び方生き方を高め続けて精進していきたいと思います。

 

活かし合う社會

もともと人はそれぞれに価値観が異なります。生まれ育った環境から、あるいは遺伝子の繋がりから、あるいはもって生まれた天性もあり性格なども異なります。その価値観の異なりは文化として出てきては、それぞれの個性、持ち味としてそれが社會の中でお互いに有効に活かしあいます。

これは自然界でも同じで、一つの植物は他を活かし、また一つの虫もまた他を活かし、お互いに異なりながらも活かしあう存在して自然は社會を創造しています。そこには一つの価値観だけで他を排斥するようなものはなく、お互いに必要な存在であると認め合っていることが大前提にあります。

その大前提が人間中心主義で崩れれば、人間以外のものは尊重しないという価値観があたり前になってしまいます。そうすると、何が自然で何が不自然かが分からなくなります。

現在、人類が大きな分岐点に来ているといわれるのはこの自然からの乖離が顕著になってきたことが原因だと私は思います。西洋から入ってきた人間中心主義が蔓延し、自然に活かされているということを忘れ、お互いを尊重し合うことをやめたことが加速度的に人類の危機を高めてしまっているように思います。

国家間においても、共異体であることを認めようともせずグローバリゼーションの名のもとにお金を用いて一つの価値観に塗り替えてしまおうとしていますが、それをすればするほどに多様性は失われより自然は破壊されていきます。

本来、それぞれの持ち味や価値観の違いはお互いを活かしあう上で大変重要な自然の摂理ですからもっと異なることを大切に他を思いやり排除するのではなく共に異なるままで活かしあおうとした方が自分が生き活かされる美しい社會が創造されます。

人類の未来のためにも、子どもたちの未来のためにもまずは自分の中にある刷り込みを取り払い、周囲の環境を改善し、実践によって気づき合えるよう学びを深めていきたいと思います。

職人の志事

昨日は無事に聴福庵の床の間に、砂鉄塗の壁が塗り終わりました。たくさんの左官職人さんたちが見守る中で、一人の左官職人が真摯に壁に向き合って黙々と塗っていく姿には深く心が打たれるものがありました。

職人の志事に取り組む姿勢、まだお若い方でしたが親方について学び、親方が見守る中で真剣に塗っている様子に講習を受けていた他の左官職人さんも次第に目が奪われていくのがわかりました。

職人たちはまるで本物の家族のように温かい感じがして、一緒にいるととても居心地がよく、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。みんなで同じ道に生き、同じ釜の飯を食う、こんな当たり前のことが懐かしく感じるのは、それぞれが日本文化そのものの受け継いで根っこがつながっているからかもしれないと感じられました。

みんな言葉は少なくても、それぞれが材料をつくってみたり、調合を変えてみたり、また塗り方を試してみたり、正解のないものの中からもっともその素材を活かしどのような壁にするのかを研究して周りをみながら研鑽を積んでおられました。

今回、来庵された左官職人さんたちはほとんどが独立してそれぞれの場所で左官仕事を請けておられる方々ばかりでした。日ごろはみんな離れていますが、お互いにみんなそれぞれの持ち場で真摯に挑戦し努力していると思えるから存在そのものが励みになるそうです。

そう考えると、師や仲間の存在があるからその人はさらに向上していこうとする。道の中で誰に出会うかどうかは、その人の生きる姿勢で決まります。

働く姿勢は、そのまま生きる姿勢なのです。

昨日の道場では、心構えをまず親方の姿勢から学び、技術はそれぞれの現場で日々に真摯に磨き、その実践を身体と行動で示す。その生き方を確認する機会であったように思います。

昨日も道具に対する姿勢について、たとえ年上であってもそれは間違っているとその道具への姿勢を叱責したり、あるいは火加減一つにしても厳格に指導したり、あるいは塗りにくくないかと配慮をしたり、あるいは弟子の悩みを朝からじっくり聴いてアドバイスをしたりと、そこには気づきと学びが凝縮された場が醸成されていました。

今回の体験で、左官職人たちがあのように自ら学び、自らが主体的に同じ道の上で切磋琢磨していく姿に本来の学校のあるべき姿を感じることができました。

なぜあのようになるのかをもう一度見つめ直し、日本古来からの精神の伝承、さらには文化伝承の仕組みを引き続き紐解いていきたいと思います。

砂鉄の壁は、紫黒の中に星がキラキラと煌めき、陰翳の中で瞬いている宇宙のようです。この宇宙空間の中に、私たちも存在させていただいていることを改めて悟り、このことを忘れないでいようと初心を定めました。

今回の左官講習ご縁に深く感謝しております。それぞれがお元気でお志事に邁進し、皆様にいつの日かまたお会いできるのを楽しみにしております。本当にありがとうございました。

道の師弟愛

昨日から聴福庵の床の間の砂鉄塗のための準備を、各地の左官職人さんたちと一緒に行いました。夜はそれぞれ自己紹介をしながら左官の仕事や生き方について語り合う豊かで味わい深い時間を過ごすことができました。

若い職人さんたちはみんな一生懸命で、親方の指導を受けて真剣に土の配合や塗り方などを学び取っていました。親方も弟子たちや左官職人さんたちの持ち味や性格を見抜き、それぞれに必要なアドバイスやまた励ましをしていたのが印象的でした。

そこには単なる技や能力を教えるのではなく人間としてその弟子たちや職人たちが健やかに成長していくのを見守っているようにも感じ親方の愛情と仲間たちの親愛の情に心が温かい気持ちになりました。

親方というのは、その道を究めその道で先を生きた人です。その親方が自分の歩んできた道から、葛藤し悩む弟子たちに生き方を語り、その姿でこの仕事の美しさや使命感、さらには何が人生において大切なことであるかを優しく諭します。そこに兄弟子や指導を受けた先輩が、他の未熟な弟弟子たちに「親方の顔に決して泥を塗るなよ、つまらない仕事をして名前を汚すなよ、心構えが甘いものや幼稚な技能をやるなよと本気で研鑽を積むように」と親方がいないところで厳粛に指導しておられました。

こうやって職人たちはその場で一緒一体になって、心技体を学びます。優しく穏やかに見守る親方と、厳粛に指導する先輩職人、そしてそれを受けて生き方を見つめる若弟子の姿、この伝承の学び合いの美しい瞬間に立ち会えて仕合せな気持ちになりました。

今の時代は、一般的な会社では師弟関係などはありませんしあくまで仕事とプライベートは分かれていますから生き方や働き方まで指導してもらおうなどとは思ってもいない人が多いでしょうし、何かあればパワハラなどと言われ遠慮してあまり深入りしないのが今の世の中の風潮です。

しかし道に入るというのは、生き方を変えるというこですから師は弟子に本気で愛情を注ぎますし、志を持った弟子はその愛情を受けて必死に育とうとします。師弟愛というのは、教育の原点であり、伝承の要諦です。

最後に、ある若い弟子の一人が今の左官の仕事は大きな会社の下請けでモルタルばかりを塗り自分のやりたい伝統の土壁や古来からの左官の仕事ができず煩悶し葛藤している人がいました。親方が、その状態を見守りながらあなたがどうするかとその弟子が覚悟を決めるのを寄り添い見つめているのを感じました。その若い弟子は、「親方に出会わなければ一生私はこんなことにも悩むことはなかった、土(生き方)に出会えたのは親方とのご縁があったから」と仰られていました。確かな「導き」を感じた瞬間に、伝統が伝承されていく心安らかな思いがしました。

最近は私も人生の後半に降りていくなかで特に日本人の次世代の未来のことばかりを考えるようになりました。

子どもたちには「生き方を学び直すことで道は拓ける、その生き方を一つでも多くこの世に遺したい」と願い祈るばかりです。

子どもたちが健やかに自分らしい人生を歩み、日本の先人たちの智慧や文化に見守られ根とつながり仕合せに花咲、実をつけ、種になれるよう、引き続き私の天命に従って遣りきっていきたいと思います。

永久の間(トコノマ)

明日、いよいよ待ちに待った床の間の壁の砂鉄塗が行われます。1年半越しに、準備をし伝統の左官親方とお弟子さん、また技術を学びたいと各地から左官職人さんが来庵され文化伝承の場として使われます。

この床の間への私の思い入れは大変強く、この床の間の甦生は暮らしの実践の中でも特に重要な意味を持っています。最近ではマンション住まいになり、床の間がなくなってきた家が増えていますが私たちの先祖は常にこの床の間に神様を祀り大切に暮らしを積み重ねてきました。

改めて床の間とは何かと説明すると、一般的には和室の一隅が一段高くなっているところで掛軸や置物、生花などが飾られています。しかし本来の床の間は、16世紀頃に登場した書院造りに取り入れられた「主君の座」だったといいます。そこは神聖な空間で、またハレの場であり、その主人そのものが顕現する場です。

この「トコ」という響きは、「トコシエ(永久)」、「トコヨ(常世)」と同じ音を持ち、古来から「永遠」という意味で語られます。一家の求心力や、一族が絶えることなく永久に続く象徴そのものが「床の間」であり、この床の間こそ家全体の中心であると私は思っています。

またかつての暮らしがいまでも色濃く残る沖縄では、「床の間は屋敷を守る男の神様がいる神聖な場所なので、床のある和室を一番座と呼び住宅の中で最も高貴な場所である。」と言い伝えられています。実際に、明治頃までは、床の間には神様が宿ると信じられ、神様が依り代になるものを設置し、そこに神様が入ってきてくださる空間であると信じられていました。

実際に、空間という字は、「空」と「間」からできている言葉です。これは入れ物のことであり、器を示します。神様がどれを依り代に降りてこられるか、次々に家の中に入ってきてくださる八百万の神々がそこに鎮座し、その神様をお祀りしおもてなしする至高神聖な場がこの「床の間」であると私は直観するのです。

もっとも清浄で神聖なその永久の空間を、どのようにするかは聴福庵がはじまったときからの主人としての大きな命題でした。それが地球の星魂の欠片でもある砂鉄を用いることができるご縁が本当に有難く、感謝の念が湧いてきます。

この家の暮らしの中心の床の間の甦生は、すでにはじまった聴福庵の息吹と誕生の大きな節目です。これから子どもたちのために風土や初心を伝承していくために主人のいのちが入る瞬間です。

炭と鉄に見守られ、火と水に支えられ、心玉が磨かれて光り輝いていく日本刀のように和魂円満の永久の間を味わいたいと思います。

 

変化の要諦

人は誰にしろ自分の常識というものを持っています。それを価値観とも言いますが、自分の与えられた環境が当然としてそれを常識にしてしまうものです。またその人がそれまで育ってきた環境によって常識はより強く形成され、自分の見ている世界や考え方が正しいと思い込んでしまうものです。

そうやって思い込んでしまった常識は、環境が変わると取り払われるものもありますが思い込みが強い場合は無理矢理に自分の常識に当てはめようとしてしまうものです。そうすると、本来の姿も湾曲して理解したり、自分の常識と異なるものを批判したり否定したり、さらには常識に従うように強制したりするものです。

人間関係において意見がかみ合わず折り合いがつかないのもまた、自分の常識を捨てられず手放せなせず、お互いに思い込みで話が平行線のままぶつかり合うことのほとんどがこの常識を毀せないことが理由です。

常識が毀せないというのは、自分の価値観から外に出れないということでもあります。自分がこうあるべきと思い込んだり、誰かや環境にそうあるべきと思い込んでしまうとそれを当然であると無意識にそれを正当化してしまいます。そうやって一度正当化したものは、考えられることもなく当たり前のことですから間違っているかどうかなども疑問にも思わないのです。

本来、正しいかどうかや常識であるかどうかよりも大切なものが本質です。何のためにやるのかと、目的に応じて優先順位を定めていかなければ理に適いません。この理とはあるがままの実相を理解する力であり、理由や意味を常識に囚われずに素直に見極めることができる力でもあります。

常識に囚われたり自分の思い込みが強い人は、自分の価値観の視野から抜け出しませんから必然的に視野が狭くなります。その視野は、自分の殻を破れないという言い方をしたり、自分の思い込みの外には出ようとはしないとも言えます。行動範囲も視野に応じて狭くなり、創意工夫もまたマンネリ化して変化することができなくなります。

如何に自分の常識や価値観を毀していくか、そのためにはあるがままに素直に人の話が聴けなければなりません。人の話を聴く中で、鵜呑みにするのではなく相手の言葉に一理あることを学ぶ必要があります。そうするためには、その意味する理由、つまりは理念や目的を確認し、その本質に対して自分の価値観や常識を毀し続けていく変化を求めていく必要があります。

そしてそれは新しい自分の発見をし、新しい常識を創り続けていくことでもあります。自分の常識に世界を従わせようと意固地になり頑張るよりも、自分の方を新しい常識に合わせて変えていけばいいというのが変化のコツです。

そして変化のコツは、如何にその新しい自分になっていくのを楽しむか、古い自分を毀し、新しい自分に出会い続けていくかという自分の視野を広めて価値観を柔軟にしていくプロセスをたくさん持つということです。

一生の中で、狭い視野の中で居続けているとそのうち周りの環境の変化に取り残されていきます。頑なに自分の価値観や常識から抜け出さないように努力するよりは、思い切って自分の価値観よりも大切な理念や目的に向かって自分を変え続けていこうと思う方が楽しい変化に富んだ豊かで充実した日々が過ごせるように思います。

人は自分の価値観の器をどれだけ大きくできるか、如何に柔軟に自分を変え続けるかで人生の歩み方が変わります。もっとお役に立つようにと、もっとみんなの力になるようにと、目的や原点に対してサラリと変われる人はいつも本質的ですし自然体です。

引き続き、子どものためにせっかく夢に向かって挑戦していくのだから楽しく豊かに変化の日々を味わい尽くしていきたいと思います。

風土人の使命

懐かしいものに触れていると心が安心するものです。その懐かしさは決して物だけに限らず、景色や景観、食べ物や遊び、それに人柄や雰囲気などにも感じます。この懐かしさというのは、私たちが慣れ親しんできたものともいえます。

この慣れ親しんだものが身近にあることで、私たちは風土の存在を感じます。環境というものは、それまで暮らしてきたものが集まってできてきているものですから長い間一緒に暮らしてきた関係性というのは懐かしいものです。

文化が醸成されていく中で進化というものがあります。本来は、時間をかけて自分たちの文化に馴染むように少しずつ取り入れていくのが進化の過程ですが現代のように、文化の入れ替えといってそれまでの文化を異なる文化に換えてしまうというのは進化ではありません。

例えば、住宅においても食においても価値観においても私たちはアメリカから渡来した文化に総入れ替えしています。それまであった文化は、古臭く価値がないと捨て去り、新しく欧米から入ったものだけを新鮮で価値があると教え込みます。

少しずつ、日本のものへ和訳したり和合したりして自分たちの風土に即したものにすればいいのですがその時間がないのか、不便だからか、あっという間に風土を無視した取り入れ方をしていきます。

住宅においては、日本の田舎でさえ最近はまるでアメリカやカナダ、ヨーロッパにあるような住宅を建てます。またマンションなどもそうですが、鉄筋コンクリートで完全密封し総合空調を入れているところがほとんどです。風土に即していないから、大量の電気代やその他の費用を人工的に補てんしながら便利な生活を満喫しています。

しかし西洋にいけば、上手にアジアの文化を自分たちの中に取り入れて新しいものを生み出しています。それは住宅においても、またその他の食や衣服にいたるまで世界にある多様な文化を取ってつけたように挿げ替えるのではなく、時間をじっくりとかけてその国の人たちが自国の文化に合うように醸成していくのです。

日本の文化で海外で花が咲いたものには、禅や柔道、それに食でも寿司やうどん、先日の包丁やアニメなども世界にじっくりと取り入れられその国のものになっています。

本質は無視して形だけを便利に挿げ替えるやり方は何も考えなくてもお金さえあれば簡単に加工できます。しかし文化とは本来、本質を学び本質を取り入れることですからじっくりとそのものの文化が由来した意味や価値、自国の風土に照らしてどのように和で料理するか見極めるのがその風土人の使命でもあります。

懐かしいものや親しんできたものには、その意味や価値がしっくりくるように馴染んでいます。子どもたちのためにも風土人としての世代の責任を果たしていけるように、和魂円満の実践を高めていきたいと思います。

包丁の続き

先日、包丁のことを書きましたがもう少し書き足しておきたいと思います。そもそも包丁の歴史をかんがえてみると、はじまりは古墳時代にある石器によります。先の尖った石で食材を切っていたことが古墳から出てきています。

その後は、製鉄技術が発展し日本刀を経て今の包丁になっていきました。しかし包丁の質と量でいえば、かつての日本の暮らしや和包丁の方が遥かに発展しており、今の便利な三徳包丁一つで済むようなものとは異なりました。

なぜ和包丁が減っていったかと洞察するとこれは明治時代の文明開化の際に日本人が西洋食を中心に食べるようになったことが関係があります。西洋の料理は肉が多く、包丁も西洋式の牛刀を用います。これは肉には健などの固い部分がありますから体重をのせて切りますから和包丁のように引いて切るものではありません。しかし牛刀だけでは野菜や魚を切ることが難しいのでその後、万能包丁として三徳包丁というものが発明されその一本ですべての食材を切るようになってきます。

この三徳包丁の特徴は、肉や魚を捌きやすいように切っ先は尖り気味で刃先は反っています。ただし野菜の千切りなどにも対応できるように、刃の反り具合は非常に緩やかにできています。つまり西洋の牛刀と日本の菜切包丁の「良いとこ取り」をしているからこそどんな食材でも楽に切ることができるという訳です。

しかしこの万能包丁はホームセンターに販売されているその他の便利な道具などと同じで誰でも簡単に素人でもプロのように使えるというもので本格的にプロが使おうとすると使いにくいものになります。

三徳包丁は万能ですが、しかしやはり和包丁のようにその食材に合せて造られたものではないわけですからすべてが100点満点ではなくすべてにおいて平均以上くらいの使い勝手があるということです。万能は言い換えれば、可もなく不可もなしとも言えます。

私は「持ち味を活かす」という方に特に興味がありますから、全部が平均であるよりも強みも弱みも併せ持っているものの方がそのものらしいあるがままの個性が発揮され、みんなと一緒に存在する全体の中で活かしあえますから多種多様な包丁の方が豊かで楽しく感じます。

いくら三徳包丁があるからとはいえ、肉はやはり牛刀の方がよく、魚は出刃包丁、野菜は菜切包丁の方が本来の使い手にもよく、食材にもよいのは明らかです。なんでも誰にでも便利な方へと価値観が変化したのが明治時代以降だということが包丁文化からも観えてきます。

この明治時代以降の食文化の変化と共に包丁文化も失われてきましたが、今一度、明治時代の前がどうであったのかを学び直し、便利さを追求した先に合った今はどのように豊かになったのか、本来の私たちの先祖が大切にしてきた生き方や暮らしはどうだったのかを見極めていく必要を感じます。つないでいく文化の担い手は今を生きている私たちだからこそ、文化を知ることは自分のルーツを知ることなのです。

子どもたちに日本の文化を伝承していくために、身近な道具から学び直していきたいと思います。

包丁の文化

先日、聴福庵に古来のたたら製鉄法を用いた玉鋼の出刃包丁が届きました。和包丁の一つ出刃包丁は魚を捌くためのものであり、現代では肉を切るのにも用いられます。

出刃包丁の名前の由来は、「出刃包丁について確認できる最も古い記録は江戸時代の『堺鑑』であり、「魚肉を料理する庖丁」と紹介されている。その時には既に堺の名品として知られていたらしく、詳細な登場時期や普及過程などは明らかになっていない。 『堺鑑』には「その鍛冶、出歯の口もとなる故、人呼んで出歯庖丁と云えり」と記述されているが、これが普及や時間経過とともに「出刃」に変わっていったものと考えられる。」とウィキペディアにもあります。

なぜ出刃というのかと気になっていましたが、まさか大阪の堺にいる出っ歯の鍛冶職人が名前の由来とは思わず驚きました。大阪らしい感じがしますが、出刃包丁がよほどの使い勝手の良さと切れ味、個性のある鍛冶師だったのではないかと思います。

今ではスーパーでなんでも便利に用意してくれているため、昔のように魚の三枚おろしなどしなくなっていき出刃包丁も家庭での出番が失われてきました。肉も洋包丁を用いていますからますます出番がなくなってきています。

そもそも用途の歴史を辿れば、日本最古の包丁で現存しているものは奈良時代のもので奈良の正倉院で保存されていますがこの包丁は柄が長く日本刀に似た形をしているといいます。江戸時代になるまで、包丁はほとんど日本刀で切っていたということになりますからその切り方もまた日本刀に準じて「引いて切る」という切り方になったのでしょう。

江戸時代に入ると、平和が続き刀鍛冶の仕事が少なくなってきましたから包丁鍛冶師に転向していきました。江戸時代は例えば寿司の文化も開花しているように、他にもさまざまな食文化の発展と共に包丁鍛冶師も和包丁もまた進化していきました。

ちなみに寿司のはじまりは江戸時代後期の文政年間(1818~30)といわれ、創始者は江戸両国の「与兵衛寿司」の華屋与兵衛(はなやよへい)とも、江戸深川は安宅六軒堀(あたけろっけんぼり)の「松のすし」の堺屋松五郎ともいわれています。

そして明治時代に入ると西洋文化が入ってきて同時にいろいろな料理方法や料理と共に西洋のナイフが広まっていきました。特に牛刀という名前は、包丁で牛肉をさばくための包丁と言うことで呼ばれるようになったとも言われます。

そして西洋と日本の食文化を合体させた日本人は牛刀と菜切り包丁の機能を持つ「文化包丁」を創り出します。そして一般家庭でどの種類にも便利に使える「三徳包丁」になっていきました。今ではセラミックやステンレスの技術が入り、包丁はあらゆる素材で作られホームセンターなどでも販売されています。

私は現在、今の時代に包丁文化を甦生させている最中ですから敢えて玉鋼の包丁を用い研ぎ、学び直しながら創意工夫をしていますが改めて使えば使うほどに、その持ち味に感動しますから引き続きこの包丁の文化もまた子どもたちに伝承していきたいと思います。

風土と暮らし

昨日から京都の鞍馬寺に来ています。少しずつお山が秋の気配に色づきはじめて空の秋風の透き通った青さと流れる雲の白さ、そして緑が合わさって水がキラキラ輝いてみえます。

自然というものは、その風土の中で一体となって一緒に存在しているため小さな変化は全体の変化を促していきます。いのちが輝くというのは、その偉大な存在の中にあってすべての生命が一緒に生きている中でこそ燦然と輝きます。

もしもこれが人工的にバラバラになったのなら、それぞれが輝くことはありません。生き物がイキイキといのちを働かせてハタラクには、風土の存在が欠かせないのです。その風土の存在があって私たちは存在することができますから、常にいのちは風土と一体になっているということを忘れてはいけません。

循環という言葉があります。

これはいのちがめぐり、様々なものが有機的につながり存在していることを顕していますがその本質は共に生きるという共生のことを意味します。一緒に生きているからこそ、お互いの存在を思いやり尊重して生きていくこと。それが循環の意味です。現代では、部分だけを見てはバラバラにし、部分だけを排除しようなどとしますが万物はすべて共生していますから一つだけを除いたらすぐに全体の何かがバラバラになっていくものです。

存在の原点を忘れてバラバラになるということは、一緒に生きるのをやめるということでもあります。豊かで瑞々しい風土の中で、共に仲間と生きていけばみんなニコニコと仕合せに楽しく生きることができます。その反対に、自分さえよければいいと風土から離れ自分勝手に孤立して生きていけば誰とも分かち合えません。

だからこそ「自分」というものを決して勘違いしてはなりません。自分しか知らない傲慢な自分ではなく、謙虚にみんなと一緒に生き活かされる「自分というものの存在」を静かに見つめ直す必要があるのです。

一つの風土をそれぞれが生きる主人公としてみんなで分かち合うというのは、いただいている恩恵に感謝しみんなで一緒に生きていく自然の姿、みんなのいのちが輝く姿です。

子どもたちもこのいのちの原点に魂が触れることによって、自分がどの風土に生まれ一緒に生きていくのかを確認します。その根のつながり、いのちの原点が感じにくくなっている現代の環境において、その後大人になった人たちが本当の自分を見失っていることが増えているように私は感じます。

風土と暮らしがなくなることは、自分らしさがなくなることです。

人類の未来の子どもたちのためにもこの美しい風土が育てた本物の環境を三つ子の魂百までに触れてもらい、そのうぶな心に真相を伝承していきたいと思います。