伝統の桶職人

昨日、八女市で90年以上続く九州で唯一の桶職人松延新治さんにお会いする機会がありました。この方は、川端誠さんの落語絵本「たがや」(クレヨンハウス)の主人公のモデルにもなった方だそうです。森の名手名人100人にも選ばれる伝統工芸職人でもあります。

工房の中を拝見させていただくと、全国各地から集まっているあらゆる木桶に囲まれていました。伝統の職人さんが居なくなっていく中で、かつてからの桶を大切にしたいと思っている人たちにとってはまるで救いの神です。

私も発酵をはじめ漬物樽や酒樽、味噌樽、その他、おひつや風呂桶をはじめ、様々なものを伴に暮らす道具として重宝してからはこれをどう手入れしながら大切にしていこうかと愛着をもって接してしました。すると古いものを譲っていただいたり、かつての古民具なども次第に集まってきます。その中には、どうしても修理しないといけないものもあり、その時に手入れ手直しをしていただけるというのは本当に学びも多く、日本古来の自然との共生の工夫を観直す機会になります。

今の時代は、桶ではなくプラスチックで大量生産されたものを使います。修理するよりは買い換えた方が安く、また今は修理不能のものばかりが売られています。そうなると、次第に修理が必要なもの、手入れを怠れない自然のものは大変で面倒だからと次第に遠ざけていくものです。

しかし長い目で観たら、自然物というのは大切に接して手入れをすればするほどに長持ちし、しかも修理ができて末永くずっと一緒に暮らしていくことができるのです。なんでも使い捨て、なんでも便利に買い換えていたらそういう有り難いつながりや、共に育ち助け合ってきたもったない御縁に気づく感性も鈍ってくるかもしれません。

今回は、今ではもう使われていないような歴史の古い木炭や薪で焚く鋳物つきの木の風呂桶の修理をお願いしましたが修理すればするほどにそのものをいとおしく感じもっと大切にしたいと思うように感じます。

職人さんが手作りで作ったものを、大切に手入れして大事に使っていくことは一緒にその道具と呼吸をして共生していくかのようです。工房の中は古き善きたくさんの修理待ち、修理済みの道具からまるで「これからもお願いします」というような声が聴こえてくるようで、新しい道具からは「温もりをいつまでも忘れないで」という声が聴こえてくるようでした。桶の歴史は平安時代より続き、生活の中でずっと私たち日本人と息づいてきました。嫁入り道具や御守道具、また祖父母の形見や思い出にもなってきたそれぞれの木桶の中に有る思い思いの人々、もったいないご先祖の真心を桶たちから感じたからかもしれません。

昔の発酵や、木の持つ素晴らしさを知ればしるほどに桶の魅力と自然と暮らした人々の感性に尊敬の念が湧いてきます。子どもたちのためにも、伝統を深め、その伝統が遺りその心を譲っていけるように自らが実践を積み重ねていきたいと思います。

分を弁える

刀や武士のことを深めていると、「分を弁える」という人格に気づけます。恥を知り、信義のため誠を盡す実践とはこの「分」という生き方のことを言うように思います。

今の時代は、分を弁えるという言葉は死語になってきたとも言えます。かつての日本は、他人様に譲る心や慎む心を優先してきました。それが次第に移り変わってきて恥を感じないような風潮が報道をはじめ広がっているように思います。恥は道徳のはじまりとも言われるように、恥の文化があったからこそ日本人の道徳力は高かったように思います。

分を弁えると言えば、同義語には「分別をつける ・ 弁える ・ 身の程を知る ・ 身の丈に合わせる ・ 分相応 ・ 背伸びしない ・ 欲張らない ・ 我を張らない ・ 欲を出さない 」などがあります。今では分を弁えるは、なんとなく偉そうにしないとかしゃしゃり出ないとかというように使われていますが実際は「我を張らない、私欲を出さない」などが本来の意味に近い様に思います。

「仰せの通りに」や「ごもっともで」などというのは、まず禮に沿って自分の都合を優先せずに大義を重んじるという生き方を実践していたように思います。すぐに自分勝手に自分中心に考えるような世の中になれば、我が出てきて私欲が入りますから身の程を間違い、礼儀をわきまえず、自分を過信過大評価してプライドを優先する人ばかりになってしまいます。

かつての日本は「分を弁える」ことで、御互いに自らを正し修行をし「自分に打ち克って」いくことを美徳としていたということではないかと私は感じます。自分が今あるのは何の御蔭か、先祖の御蔭、主君の御蔭、天地神明の御蔭であると常に忘れずに分際分限を弁えていたということです。

すぐに自分の力であると過信し、自分が特別なものだと傲慢になると人は分を弁えることがなくなります。そこから人は周りへの思いやりよりも、自分を愛しすぎるようになり人の話を聴けなくなり素直さと謙虚さを失っていくようにも思います。

身の程を知るというのは、足るを知る感謝の心が基本にあり自分が御蔭様によって譲られてきたことを自覚する謙虚な心の醸成です。分を弁える人の謙虚さの中には、いつも感謝を忘れていない実践が光ります。これも日本人がずっと大切にしてきた生き方、日本古来からある真心の徳目の一つだったのでしょう。

今の時代は教育により歪んだ個人主義が蔓延し、それらの個がせめぎ合って競い合い自己ばかりが優先される時代ですから「克己復礼」などという分際のことはあまり意識されないように思いますがかつての武士や侍をはじめ日本人が大切にしてきた精神文化は刀と共に消えていったようにも思います。

改めて日本刀のことを深めていると、なぜ刀が人を選ぶのかということも実感しました。人格なきものが刀を持つということは、単なる私心が武器を持っただけです。こんな武器ばかりをぶつけ合い私心で争い合うのでは平和とは言い難いようにも思います。本来何を磨くのか、武士の魂と呼んだものが何だったのか、侍が大切にしてきた徳目、分を弁えることを改めて観直したいと思います。

私自身振り返っても未熟さが身に沁みますが未来の子ども達のためにも、御蔭様の心で分を弁える実践をつとめていけるよう精進していきたいと思います。

 

美しい暮らし~民藝の心~

日本刀をはじめ、かつての民藝品や伝統工芸品を深めていると「美」とは何かということが観えてきます。昨年、美しい暮らしと御縁がありそこから美について深めていますがこの美というものが如何にその美を創る人間と深い関係があるかということを実感します。

日本民藝館の柳宗悦は、「美」を民藝の中に見出した方です。日本民藝館のHPにその民藝の定義が記されています。

『下手物(げてもの)とは、ごく当たり前の安物の品を指していう言葉として、朝市に立つ商人たちが使っていたものであった。この下手物という言葉に替え、「民藝」という言葉を柳をはじめ濱田や河井たちが使い始めたのは、1925年の暮れである。「民」は「民衆や民間」の「民」、そして「藝」は「工藝」の「藝」を指す。彼らは、それまで美の対象として顧みられることのなかった民藝品の中に、「健康な美」や「平常の美」といった大切な美の相が豊かに宿ることを発見し、そこに最も正当な工芸の発達を見たのであった。 また、柳は独自の民藝美論を骨子とした初の本格的な工芸論『工藝の道』(1928年刊)を著し、工芸美の本道とは何かを説き、そして来るべき工芸のあり方を示した。また、1931年には、雑誌『工藝』を創刊する。この雑誌は、「暮らしの美」を啓発する民藝運動の機関誌として重要な役割をはたしていった。 』

柳宗悦は暮らしの中にある美を「用の美」と定義し、「用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である。」と言います。そしてこうも言います。

「人々は美しい作を余暇の賜物と思ってはならぬ。休む暇もなく働かずしてどうして多くを作り、技を練ることができるであろう。汗のない工藝は美のない工藝である。」

汗のないものづくりの中に美はないと、ここでの汗のなさはその人のものづくりの改善を通して行われる人格陶冶することのない汗のことではないかと私は感じます。直向きに改善を続けていく姿勢の中に温故知新があり、またその中にこそ真のものづくりがあります。

柳は「過去のものといえども真に価値あるものは常に新しさを含んでいる。」とあります。この真に価値のあるものとは、理想に向かい改善を怠らない克己の新しさのことではないかと思います。四書五経大学にある「日々新た」の新しさのことです。

ものづくりにおいて何よりも日本人が大切にしてきた心は美しい暮らしの中に遺っています。それは日本人の人格を遺すという願いと祈りなのかもしれません。人格を修め、人格を高めることがものづくりの職人たちの目指したところだったのかもしれません。人事を盡して得た他力によって仕上がった品物を観るとき、そこに人格陶冶の真髄を観たのかもしれません。人がもっとも美しいと私が感じるのは、懸命に真心を盡して澄まされ清らかな姿を観た時です。人が一心に研ぎ澄ましそのものと一体なって解け合い透明になっている瞬間には、真心を感じます。

その真心を観るとき、私たちは「美」の本質を直感しているように思います。日本人の暮らしの道具の中には御互いを思いやる美の精神が随所に遺っていました。これらの美の本質は謙虚に過去から今へと紡いできた後世の子ども達のことを思う親心に似ています。

最後に、

「されば工藝の美は伝統の美である。作者自らの力によるものではない。自らに立つ者は貧しさと虚しさに敗れるであろう。よき作を守護するものは、長い長い歴史の背景である。今日まで積み重ねられた伝統の力である。そこにあるのはあの驚くべき幾億年の自然の経過が潜み、そうして幾百代の人間の労作の堆積があるのである。私たちは単独に活きているのではなく、歴史の過去を負うて活きているのである。」

まさに御蔭様や他力、自分のチカラではなくかつての日本人のチカラによって今があることを忘れてはならないという柳宗悦の自戒が感じられます。子ども達のためにも、暮らしの美しさを日々に実践していきたいと思います。

日本の伝統

永い時間をかけて手作業で産み出されたものに伝統工芸があります。伝統工芸品の中には、その作者が誰なのかが分からなくてもそこに籠められた思いや心が作品に投影されているのが分かります。手に取ってみると、どのように使われてきてどのように使われたいのかが分かるような気がします。これもまた作品に魂が宿っている証かもしれません。

日本民藝館の柳宗悦にこんな言葉が遺っています。

「実に多くの職人たちは、その名をとどめずこの世を去っていきます。しかし彼らが親切にこしらえた品物の中に、彼らがこの世に活きていた意味が宿ります。」

これは誰の人生でも同じことで、たとえ有名ではなくても名前がこの世に残らなくてもその人の生き様は確実にこの世に活かされていきます。そしてその生き様が後の世の人の発見や伝承によって意味が宿るのです。

成功ばかりを望んでいるのではなく、自分の人生を懸命に打ち込むことで作品を遺すという生き方から私たちは伝統の価値を知ります。

また日本という個性と特色においてもこういう言葉で表現しています。

「近代風な大都市から遠く離れた地方に、日本独特なものが多く残っているのを見出します。ある人はそういうものは時代に後れたもので、単に昔の名残に過ぎなく、未来の日本を切り開いてゆくには役に立たないと考えるかも知れません。しかしそれらのものは皆それぞれに伝統を有つものでありますから、もしそれらのものを失ったら、日本は日本の特色を持たなくなるでありましょう。」

新しいものしか価値がないと思うような世の中の風潮もありますし、流行ばかりが人気で儲かるからと追いかける人もいます。しかし世の中の多様性が消失し、画一化されて個性のないものばかりが溢れてしまえば特色はなくなっていきます。

一見、オルタナティブと呼ばれる少数の存在は実はそれこそがその国の特色になるものでありその他大勢が特色とは呼ばないのです。多様な特色を併せ持つからこそ、その国のカタチもはじめて観えてくるものであり、そういう個性を大切にする人々が持ち場持ち場で踏ん張っているからこそその他大勢の個性も活かされ過去から未来へ大切な願いや思いが伝承されていくのです。

伝統というものは、太古から受け継がれてきた私たちの精神文化です。その精神文化をカタチにした人たちが職人であり、その職人たちの作品によって私たちは個性を自覚することができ尊重するように私は思います。

最後にまた柳宗悦の言葉です。

「無名の職人だからといって軽んじてはなりません。彼らは品物で勝負しているのであります。」

本当に善い仕事とは、有形無形の品物となって後世に語ります。私たちが取り組む子どものための仕事もまた、現場の中に顕れます。どれだけ子どものためになったかは、子どもの姿の中に顕れます。私たちの作品は、子ども自身だからこそ未来の子ども達がそれを証明すると思います。

かつての日本の職人たちに恥じないように、日本人としてやり遂げていきたいと思います。

 

偏見よりも感覚を信じる

人がその人を観るのにその人を観ずに立場や肩書を見ようとする人がいます。例えば、どこの大学出身だとかどの企業に勤めているとかもしくはどんな役職でとかでその人のことを確認したりするものです。

しかしその人そのものを観るよりもその人の肩書を見た方がその人のことが分かるというのはほとんどないと思います。特に一生を伴にする人を選ぶのにその人の肩書だけで決めるということはしないように思います。実際にその人のことを知りたい場合はその人の人柄に触れ、どんな人物なのかを見極めることが人付き合いには必要のように思います。

もちろん人によっては肩書きなどに頼らず、その人の人望や人柄をよく観察し人を見極めるのが得意な人もいます。沢山の人たちと付き合っていく中で、信頼できる人や信用できる人、そういうものを直感するチカラが長けている人もいます。周りが凄いと思っているからすごい人と思ったり、世の中が評価するからきっと評価通りの人だと思ったり、そのうち自分の価値観が出来上がり偏見が入ってくるように思います。結局、誰かが決めた評価基準に従って判断することが慣れてしまえばそれを鵜呑みにして自分で判断するチカラがなくなっていきます。

人物を自分の目で観て、自分の耳で聴いて、自分の感覚で確かめるというような五感を使って行う判断よりも、誰かの評価に従った方が安全で安心だと思いこんだりします。そして自分で判断しないことをいいことに、誰かのせいにしたり言い訳をしているうちに余計にまた立場や肩書重視の偏見に陥っていくようにも思うのです。

実際にもしも肩書きや立場、職業などがなくなったとき自分が一体どうなっているのかと考え直してみてみるといいように思います。職業がその人ではなく、その人がその人なはずですから人は職業に集まるのではなく人望に集まっているのです。だからどの時代でも人望のある人はたとえ肩書きがなくなってもその人は他人に求められますし、志と実行力がある人はどんな場所にいても他人から探し出されるものです。

人が本来、人を観るのに大切なのはその人の人格ではないかと私は思います。

人格を磨き高めている人や、道の実践者、道の体現者は肩書きがなくてもその人が放つ場の雰囲気やその人の様相をみると一目でただならぬ感じがするものです。肩書きや立場などがない動物や昆虫の野生の世界は、相手が強いか弱いか、どういう存在かを直感しているはずです。生き残りをかけた自然界の中で伴に生き残るために誰と一緒にいるかの判断を間違うと大変なことになるからです。生き物たちはその感覚を伸ばし、生き残るための大切なセンスを養い続けているように思います。

誰に着いていくのか、誰と一緒にやるのか、この誰とは生き残りに深く関与します。それを大きな企業だからとか、公務員だからとか、肩書きを見てこの人は安定しているからとかそんな基準で選んでいてはセンスが磨かれないようにも思います。偏見こそがセンスを鈍らせ、センスは偏見によって失われていきます。

自分の目で観て自分の耳で聴き、自分の手で触る。

こういう五感を磨いていくことが、偏見を取り払う大切な体験なのかもしれません。子ども達が偏見によって差別し、差別によって苦しんでいる人たちがたくさんいます。個性すらも障害と呼ばれる時代、世間にある偏見に惑わずに自分のことを信じられるようになるためにも、自分の五感を使うということの感覚を磨いていくことを実践していきたいと思います。

恩の循環

「恩」という字があります。恩は自分が誰かや何かから受けた恵みのことです。よくこのご恩は忘れませんという言葉や、いのちの恩人というような使い方をします。この恩は、御蔭様の気持ちを忘れない心のことでありいつも自分がいただいている偉大な恩恵を忘れずに過ごしていることを実感し続ける謙虚な心でもあります。

ドイツの詩人ゲーテに「忘恩は一種の弱点である。有能な人で忘恩だったというのを、私はまだ見たことがない。」があります。自分の力でと勘違いすることほど弱点であり、恩を忘れない謙虚な人は皆それぞれに強みを活かすことができるのは周りの御蔭に気づいているからかもしれません。

そしてこの「恩」という字を、致知出版社の藤尾社長はこのように解釈しています。

『「恩」という字は「口」と「大」と「心」から成っている。「口」は環境、「大」は人が手足を伸ばしている姿。何のおかげでこのようにして手足を伸ばしておられるか、と思う心が【恩を知る】ということである』

自分が伸び伸びと日々に暮らしていけるのは、その蔭に本当に多くの方々の見守りがあるからです。両親をはじめ、先祖の方々、今まで自分を育ててくださり自分を助けてくださった本当に多くの方々がいることで今の自分が存在します。あの出会いもあの気づきも、あの言葉もあの親切も、もしくはあの厳しさもあの悲しさも、すべては今の自分をつくってくださった御蔭様の一つです。

恩を知るというのは御蔭様を知る心であり、御蔭様をいただいてばかりだからこそ何か自分も同じように恩返しができないかと感謝の気持ちに満たされるとき「恩」の意味を自覚できるように思います。しかし恩はその人にお返しすることはできず、その人もまた他の人の御縁によって恩をいただきそれを他の人に送っているわけですから同じように恩送りをして人と人の間で恩を循環していくしかありません。

そしてこの恩の循環のことを繁栄というように私は思います。

社會を発展させ繁栄させていくというのは、人類が倖せになっていくということです。そして人類の幸福を願うなら、この恩の循環を通して社會を繁栄させていくしかありません。その社會の繁栄は、自分の日々の生き方次第で行われますから日々の恩送りの実践こそがより善い社會を育てていきます。

その実践とは、受けた恩よりも少しでも多くを他の人の送ることです。ペイフォーワードという映画もありましたが、これは社會を育てていく最善の方法のように感じた記憶があります。

受けた恩や恵みを自分のものだけにせず、誰かに一つ多めに付け足して送っていくことが豊かさを約束し皆を仕合わせにしていく自然の摂理です。恩の循環を忘れないように御蔭様の心を実践していきたいと思います。

 

指示命令とマネジメント

世の中の状況は、かつて右肩上がりと言われた何をやっても収益が上がり拡大成長した時代からバブルが崩壊し右肩下がりになり低空飛行のような状況になっているともいえます。そもそもバブルというものが本来はおかしな状況であり、いつまでもそれが続くこともなくまたそれが訪れるという幻想もあるはずがありません。しかし右肩が上がりで成長していくという幻想はいつまでも刷り込みとして教え込み、教育や仕組みも戦後のものがほとんど変わらずにそのままです。

例えば組織では、個を強くして個をできるようにと育成してきました。一人の力で何でもできるようになるようにと指導し、組織に入れば役割と責任を与えました。そしてリーダーになるか、リーダーを支えるためにサポートするかという選択を決められそれに従うという方法です。

そこには主に指示をする人と、指示を待つ人という2つに分かれその思考もまたピラミッド構造になってしまいます。管理し管理されるという考え方が沁みこめば自分で考えて主体的に行動するということが分からなくなってしまいます。

管理されることを当然と思ってしまうと、そこには指示と命令がなければ動かない人になってしまいます。指示と命令する方も、指示と命令しなければ動かないと思い込んでしまいます。それが組織の価値観となってしまいます。

今の時代は多様な価値観を持ち、一人ひとりの個性を如何に発揮して衆知を集めて問題を乗り越えていくかといったことがどの組織でも求められます。つまり本来の組織の強みを活かすように原点回帰しているとも言えます。そこでは指示や命令ではなく、「協力」することで御互いの持ち味を活かすマネジメントが採用されます。当然、人が集まるのですからそれぞれが怠らずに自分を活かして貢献できれば組織は成長し続けます。

しかしこの管理型の教育を受けて指示と命令の刷り込みを持っている人が急に個々の主体性を発揮して協力し合うマネジメント型の組織に入ってもすぐに動くことができません。例えば情報共有の仕方などがすべて変わって来るからです。指示で動いてきた人は、事前に情報共有などはあまりする必要はなくそれは指示する人の問題であり命令を待てばいいのです。しかしもしも命令も指示もしない組織は、御互いに最初から一緒に情報共有を続けなければなりません。情報共有をしなければ、御互いの持ち味を活かすところまではいかず空気を読むか指示命令を待つかになってしまうからです。

他にも一人でできることを良しとして育ってきた人は、周りと一緒に仕事をすることがあまりできません。管理され役割と責任を持たされるとその持ち場のことはきっちりとできるようになるために努力をすることを学びます。しかし主体性を発揮し協力する組織になると一緒に仕事をすることが重要になります。例えば、このプロジェクトは誰とやった方がいいか、この場合は誰の持ち味が活きるかというように常に思考は主体的になります。

指示命令で育ってきた人はこの持ち味というものが分かりません。同じことを他の人と同じようにできることを優先し、歯車の一つになりできなければ取り替えるということを良しとする組織観というものの中では個性や持ち味というものは邪魔になることもあるからです。

この組織が変わるというのは言い換えれば生き方が変わるということです。今までと別の組織観の中に身を置くには自分自身がその組織観の生き方に転換していく必要があります。それは身の置き所を単に変えればいいのではなく、自分の生き方そのものを変えるという転換作業が必要になるのです。

理念を中心に何を優先しているかを自覚したら、パッと自分の方を変えていくことが出来る人が柔軟性がある人です。学び直しができる人は常に今までの方法に固執せず、ゼロベースで学び続けていることで可能になります。

引っ張る率いるという方法ではなく、協力し衆知を集め持ち味を活かすという方法をとるのは時代の流れでもあります。

自分ができないことが悪いのではなく、誰と一緒にやった方が持ち味が活かされるか、これも一つの発想の転換です。保育や教育、経営は一つのマネジメントです。引き続き、組織マネジメントの刷り込みについて深めていきたいと思います。

透明な信条

佐藤初女さんの透明な生き方は、多くの人たちに日本古来の暮らしを考え直す機会になりました。本来の暮らしは何か、何をもって暮らしというのか、そのおむすびを握る丁寧な所作、万物をもったいないと活かそうとするいのちの扱い方を観て暮らしの本質を直感した人はとても多かったように思います。

今の時代はスピードや効率を優先し、大事にしてきた日本の心が次第に失われているようにも思います。何でも粗雑粗末にし、荒っぽく薄っぺらい行動をしていのちを傷つける人が増えたように思います。何でもいのちをただのモノのように雑に扱い周りを傷つけても平気な人が増えたように思います。そしてそのただのモノと同じように扱われていることにマヒし、周りにも同じように身勝手に利己的にふるまい乱暴であることにも気づかない人が増えたように思います。不親切や思いやりのないことがあたりまえになってしまうことで心は貧しくなり、そしてその人生もまた独りよがりのさみしいものになっていくようにも思います。

本来、日本人は心が豊かな民族でありそれは日々の丁寧な暮らし、もったいない心と共にあったように思います。初女さんの後ろ姿には、連綿と受け継ぎ大切に重んじられた大和心を感じます。その初女さんはこの粗雑粗末にかかわる話にメンドクサイという言葉が如何に美しくないかということをこう語ります。

『私、“面倒くさい”っていうのがいちばんいやなんです。ある線までは誰でもやること。そこを一歩越えるか越えないかで、人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩越えて。ですからお手伝いいただいて、「面倒くさいからこのくらいでいいんじゃない」っていわれると、とても寂しく感じるのです。』

もう少しだけのところに、利己的が利他的に転じる境目があるように思います。いのちの移し替えと同じく、透明な心に移るかどうかの極みで一歩が越えられない。この一歩こそ、実践の一歩であり、自分の決心した生き方を貫くかどうかの信念や志であろうと思います。

これは特別な大きなことをしなくても日々に大切にしたいと決めた生き方を優先し、自我に打ち克ちもしも理念を実践するかどうかのことです。人は思いはしても言葉にしても実際にその優先した理念を「実行」することが出来ないものです。敢えて実行すること、言行一致することこそが実践であり、その実践を行う心に「面倒だから」という思いは一切入ることはありません。

結局、独りよがりというのは、利己的であるということです。みんなが自分のことしか考えず、自分のことばかりを優先してしまえばそこに思いやりはありません。思いやりのある社會は、周りの人のことを配慮し、そのために「独りでも誰も見ていなくても自分の生き方や暮らしを周りのために粗雑粗末をしまい」という生き方を優先することです。丁寧な所作や丹精を籠めた行動は、その真心の為す業であろうと思います。また初女さんはこのようにも言います。

『何かにつけて、自分と言うものが先になっている。実践ということまでいかないで
考えるということに留まっている。言葉はたいへんに貴重なものだけれども言葉を越えた行動が伝えてくれることが非常に大きいのです。だから、私は、なるべく言葉を越えた行動をしたいと思っている、と。』

言葉を越えた行動をするというのは、「実践を優先する」ということであろうと思います。本当に思っているのなら、本当にそうしたいのなら、「実践」することだと仰っているように私は思います。私の定義している実践も初女さんと同じく、言うのならまず実践しましょうということです。そしてこの実践は全て身近な小さな行動で実現できるものしかありません。

最期にこの初女さんのこの信条を遺訓として受け止め綴りを締めくくりたいと思います。

 

『言葉を超えた行動が心魂に響く』

 

ご冥福をお祈りするとともに、透明ないのちを受け継ぎ私たちは私たちの道で子ども達のためにその大和心・大和魂を実践していきたいと思います。

 

 

透明の磨き方

透明さというものは、穢れを祓い清め洗い清める中で磨かれていきます。その透明さを磨くのに私はよく「遣り切る」という言葉を使います。この「遣り切る」ことは一期一会を大切に出し切ることであり、常に心徳を高め魂やいのちを輝かせるための磨き方のように思います。

人は本気になり真剣になればなるほどに明るくなります。この明るさは単なるマジメのもつ深刻な感じから出てくるものではなく、真剣で本気だからこそ出てくるものです。出し切るというのは何を出し切るのか、遣り切るとうのは何を遣り切るのか、それは「本気を出し切り、真剣を遣り切る」ということに他なりません。

佐藤初女さんは、透明さを磨き切った方でした。その磨き方が本人が語る言葉の中に遺っています。

『私はどんな時も自分の都合を優先せず、その人が求める形で出会いたいと思っています。何かに取り組む時、ある限界までは、誰でもできることだと思います。けれども、そこを一歩越えるか越えないかが、大きな違いになると思うのです。そして1つ乗り越えると、また限界が出てきます。そのように限界を1つずつ乗り越えることによって、人は成長しますし、その過程は生涯続くものだと思います。確かに、このような生き方は大きな犠牲を伴いますし、私は時々自分でも厳しいなあと感じる時があります。『忙しい』という言葉を、私はなるべく使わないようにしています』

最期まで一期一会に遣り切るというのは、最期まで「我」を優先しなかったということです。真心を盡して盡し切ったかということが、御縁に向き合う至誠であるように思います。自分よりも誰かのためにと見返りを求めずに真心を与え続ける人生というのは、常に犠牲を伴います。しかしそれでも真心や思いやりを盡していくことが透明さを磨くということになっているのです。あと一歩で諦めてしまう人や、あともう少しの努力でやめてしまうのは真心までいかないからです。人事を盡して天命を待つという言葉もありますが、人事を盡していないのに天命は待つことはできません。この真心までいくかどうかに、感謝で生きる道もまたあるように思います。

また初女さんは、こう言います。

「『私、苦しいんです』と訴える人に対して、頭であれこれ考えて解決の方向にもっていっても、それは本当の解決になっていないです。『そう、苦しいね。でも、もっと苦しまなくちゃ』って伝える時もあります。『初女さんは苦しいと思われることはないのですか?』という質問を受けることがあります。もちろん、私も活動を続ける中で、どうすることもできない心の葛藤が生まれることがしばしばあります。そんな時、私は苦しみを否定せずに、自分の心をまっすぐ見つめます。そしてどんな時も、苦しみを感じきることを大切にしています。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、もうどうにもならない、というところで『神様へおまかせ』に入るんです」

私の言葉では「選ばない」ということです。逃げないと選ばないは同じ意味であり、全てを御縁の尊さで感じ切る、いただいている御縁に感謝しているかという祈りの実践でもあります。そして人事を盡し切ったならもうできることはないのだから後は天にお任せしようと祈り待つ境地しかないのです。それが「遣り切る」ことだと私は思います。

人間は誰しも出会いによって人生は変化していきます。

そして出会いをよくよく感じて内省するとき、その御縁や出会いは向こうから発見してもらって呼んでくださっていると感じるのです。つまりは「選ばない」ことの背景には、それは向こう側から自分を選んでくださった、自分にこれをやるようにと教えてくださった、自分にもっとも相応しいものをいただいたと自覚しているからこそ「選ばない」のです。

天命というのは探して得るものではなく、受け容れて得るものです。四十になって実感するのは、四十にして惑わずではなく、四十にして天命を選ぶのを已めたということです。天命を選ばないから惑わずになるわけで、人はその天命を選ばずに受け容れることでその後の人生の意味をしっかりと学問していくことができるように思います。

初女さんの生き方が、とても透明に徹しているのはこの人生への正対の覚悟、また一期一会に生きる決心の強さのように私は思います。

かつて東京で初女さんの講演を拝聴する中でもっとも強く印象に遺った言葉に『私はメンドクサイという言葉が大嫌いです、どんなことも決して面倒くさいと言ってはいけません』と静かに厳しく仰っていたことが今でも忘れられません。

真心や思いやり、本気や真剣さはこのメンドクサイの反対側にある言葉です。一つ一つを丁寧に丹精を籠めて生きていくことがその透明さがより磨き研ぎ澄まされることになっていくように思います。

追悼を籠めて書き綴っていますが、初女さんの偉大な後ろ姿に改めて学び直すことばかりです。子ども達のためにも、こういう方が遺してくださった真心を子どもたちに伝承していきたいと思います。

透明な実践

引き続き佐藤初女さんのことを書いていますが、「透明さ」というのは心が澄んだ真心の生き方のことをいうのだと私は思います。心が澄んだ真心の人は、作為もなく計算もなく、ただ思いやりに従って行動していきます。その思いやりによって行動することを私は「祈り」と呼びます。このような「祈り」こそが祈りの実践であり、澄んだ真心で丹精を籠めて丁寧に行動したことは相手の心を癒すように思うのです。

最初に佐藤初女さんを知ったのは、地球交響曲ガイアシンフォニーに出演していたことです。映像の中で、おむすびを握る姿の中に無心で相手を思いやり行動する祈りの姿を感じました。

その初女さんの話の中で、自殺しようとしていた青年の話があります。ある青年の両親が話を聴いてほしいと青年を森のイスキアに送ってきたといいます。ずっと傾聴していましたが泣いてばかりでご飯も食べず、もう遅いのでとそのまま休んでもらったそうです。一晩たって帰る際に、朝からおむすびを握ってそれを持たせたそうです。青年がその帰り電車の中で、タオルに包まれたおむすびをみてこんな自分のためにここまでしてくれる人がいる、信じてくれる人がいるのかと感動しそれからパッと人生が変わってしまったという話です。

真心を籠めて行動したことが祈りになり心に届く時、心が透明になりそれまでのいのちがいのりによって移り変わる、、私にはそう思います。私も透明な心や透明ないのちを実践していく中で、如何に相手がどうこうではなく自分が「真心を盡したか」どうかを重要にします。

人は相手に合わせて自分を盡すことが大事なのではなく、常に自分の心を省み真心を盡していくことが何よりも祈りそのものになるからです。

相手の心に寄り添うということは、相手の苦しみに寄り添うことです。相手の苦しみをじっと受け止めて、自分の苦しみとして受け容れることはまさに苦を楽にし福に転じる妙法であろうと私は思います。

なぜなら人は一人では苦しみになりますが、一緒になら幸福に転じるからです。人生の妙味はこの中庸の中にあり、人生の醍醐味は調和の中にあるように感じます。

引き続きかんながらの道、透明な実践を精進していきたいと思います。