グリーン天職バイブル

先日、私たちが購読しているエコ情報誌オルタナより「グリーン天職バイブル」という就職情報誌が発刊された。

これは、会社選びのモノサシを変えるとして、規模でもなく売上でもなく、社員数でもなく、ブランドでもない、「志」を優先して自らの仕事を選ぼうという趣旨で制作されたものになる。

夢を持った学生の方々もボランティアで編集に参加し、経営者と語り合いながら取り組んで完成させる。そのプロセスにもとても意味があり、本当の就職活動とはどのようなものなのかを突き付けてくるものだと思う。

深くその発刊の意志に共感し私たちもそのグリーン103社の一社として協賛して掲載させていただくことになった。

私も学生の当時はきっと分からなかったけれど、もし今、自分の身を置く会社を選ぶなら必ずその経営者の理念や志を深く確認し、自分の使命とシンクロニシティができるかとうかをモノサシにする。

当然、仕事とは人生の一部でありそれは自分を社会で活かす掛け替えのない一期一会の場なのだからその優先基準や軸が最初から盲目になっていたらその後も幸せになるはずはない。

自分の決断の軸、つまりは初心や起因がどこからなのかというのは未来の方向性の確認のようなものだと私は思う。

分かりやすく、目に見える安易な情報や我欲を優先すれば必ず不釣合が生まれその歪みによって自分の天真が発揮できなくなってきたりする。

どんなに困難そうに見えても、自らの選んだ決断が志からだったのであればそれを貫くとき、人は本物になるための成長をはじめるのだと思える。

そういう意味では、このグリーン天職バイブルも、そのオルタナ編集長の森摂さんの存在、そういう人がこの日本に出てくるということ、つまり内容や賛同した経営者がどうこうということではなく、「世の中にこういうものを出していく」という情報発信自体こそが価値のあることだと私は思う。

私も今の仕事を通じて気づくことがある。

今までの古い慣習から残す大切なものを重々学んだ上でも、そこに時代にあわなくなってきている疑問を感じ、そのままにせずバランスを取るためや未来の子どもたちに本質を譲りたいと一念発起し、勇気を持って世間や社会に対して自ら行動を起こしていくと様々な偏見とも出会うことになる。

その偏見と向き合い、その偏見を丸ごと受容するとき今までに観えてこなかった本当の問題が現れ、そしてそれに向き合っている無二の同志とも出会ったりする。

私も社業を通じて、様々な刷り込みと向き合う中でたくさんの仲間や本物の実践家に出会ってきた。

こういう出会いがあるから人間の世界は面白く、感動に満ちているのだと思うことがある。

今から社会へ出ていく方々、この世の中は本当は素直に生きられる場所もある。それを見つけ出すには、自らが主体で情報を発信していかなければ引き寄せることも受け取ることもできなくなる。

情報はまるで大きな河のようなもの、受け身であれば流されるもの。
如何に主体となってその河の流れになりながら自分を活かすのか。

理念も信念も、そういう日々の実践により可視化されていくのだと私は思う。

私たちの向き合う保育園幼稚園の子どもたちもいつの日か社会へ巣立つとき、自らの力で自分の天職に出会うようになってほしい。

だからこそ、まずは我々がその実践を示し、世の中に対して主体を持って志の情報発信をしていきたいと思う。