偏り

人は誰でも放っておくと、一人とかく偏っていく、つまりは独善的になる。

自分が良いか悪いかも、自分本位で物事を判断していると自分の見方次第でその評価はどうにでもなる。例えば、そこに正義を振りかざせば、そこに悪が生まれるし、正しいことを行うには思いやりがいるけれどその余裕は心が真に醸成されて中庸でいなければ至善であることは難しい。

まだ私もブレることが多く、中庸であることができないときのためにも身近に尊敬している顧問がいて、色々と公人としての自分がどうなのかを見極めていただき助言をもらうことにしている。

これは常日頃、ややもすると自分が偏った判断をしてしまわないかと心配でありその中でいつもその本質を捉えてくれるパートナーや師の存在があるから、皆にとって総合的に最適であり、優先順位がブレない判断を可能な限りできるような仕組みにしている。自分の影響力や感化することの大小をきちんと把握していけば肩書きに沿って自分を正していくことができるのではないかと私は思っているからだ。

その顧問と先日話しているとこんな話があった。

「私も今までたくさんの会社の顧問をしてきたけれど、オーナー経営者はとかく独善的になる。しかし、もちろんそれでもいいけれど、必ず次第に偏ってくる、だからこそ、自分を自分でいつも疑い、公人として公正な判断ができるようにしようと、いつも自分を正している経営者は、繊細さと大胆さをあわせもっていてやはりそこに直観が冴えるのであり、日々のそのために自律した姿勢がとても尊敬できる」と仰っていた。

私も仕事で園長のパートナーや顧問となって、平和で幸福な共生社会の理想の実現に向かって同じような見守りを行っている。

このカグヤのコンサルタント業の実践の一環で、社内でいつも論語を拝読することにしているのだけれど君子としてどうあるべきが常に本質で道理にかなっているかをその都度学びその味わい深さにとても感心している。

しかしコンサルタントが実践にて経営者を感化するには公正公平な公共な評価と言う本質のモノサシが理解できているということがとても大切なものだと私は思う。

もちろん、人間を人間が評価すること自体がどうかという中で、現実は評価をやらないといけない以上、数字だけでというわけではなく、全体のバランス、誰もが不平等や不公平を感じないということを尽くすには本当に哲学が要るし、自分が仲人として中庸で行えているかという自立にもよる。

よく会社では給与などを業績でみんなを一緒に上げるだの下げるなどをやるけれど、あれは決して平等ではない。本当の平等とは誰もが納得しているということになるのだから、誰が観てもこれは確かに公正だと感じるものでなければならない。それは個々が納得できないと当然難しい。

しかしその評価が偏るとそれはすぐに公正なものではなくなるから、相互に主軸になっているものがなければそこに道理が優先されない。何を優先するかが決まっているから理が適うということだ。

もしも大手企業のように、役割を業務評価という品質や相対評価、絶対評価などで細分化されると分かりやすく可視化されるけれど、それはあまり大きく変わらない微細なものになってしまう。人間が判断する要素を取り除き過ぎればそれはマニュアル的になり、当然大規模にやるならそれもいいけれど、もし私たちの会社のようにこだわりを持って自分にしかできないことをその組織でやろうとするとそうはいかない。

そういうところは常に理念を主軸にしているし当然役割や責任分担もダイナミックにチームで変化し融合し進化し続けるのだから、当然評価の仕方も、大きく異なってくる、そうすると例えばチームで進めるうえでどれだけ如何に個々が信頼できる人格を持って自立できているか、その他、理念に対してどれだけ緊張感を持ち努力できたかなど自立度を総合的に見極める必要がある。

当然、組織や集団はそこに集まる目的や目標があり、それに向かって皆で取り組むことが大前提になる。そういう一人以上の仕事は、決してプライベートではないからこそ公私ともに自分は公共のものになるといことになる。

そう思うと新入社員教育で何より大事なのは、自分の影響力を自覚することからはじめるといいと私は思っている。なぜならそこに、もし自分勝手な決め付けた正しいを持ち込むと誤った行動、つまりは自分勝手になってしまうからだ。

偏るというのは、自分が公共の中にいることを忘れるところから始まる。これは経営者であろうが、一般の社員であろうが、自分の影響力が分からないほど自分のことばかりで一杯に仕事を満たすことでそうなってしまう。

忙しいからと本質を見失えばその先にあるのは、孤独と孤立という他に迷惑を懸けることを優先する生き方になってしまう。それではみんなと力をあわせて人との幸せを感じながら大きなことを実現することはできない。

だからこそ、私たちカグヤのコンサルタントは子どもたちの未来を預かっているのだから子どもたちの声をちゃんと聴き届けられるよう中庸にて偏らないことを理念で取り組み、常に刷り込まれず、本質と道理にこだわって自律した存在でありたいと思う。

子どもたちの未来のためにも、何よりも私たちが守りたいものを優先するために自分の影響力を正し、常に本質からブレない実践に立ち返り不動の精神で見守りと保育の道を確かめて導ける存在になろうと思う。