歴史を継ぐということ

昨日は、郷里の炭鉱遺構でもある大門炭坑(原口炭坑)に見学にいくご縁がありました。長年、住んでいながらちゃんと見たのははじめてで,、ここの土地のオーナーの方に隅々まで案内していただきました。

ここは市が運営しているのではなく、完全に個人で整備し無料で開放して見学者に炭坑の歴史を遺してくださっています。かなりの広さに合わせて、竹林の伐採や除草など大変な費用や労力がかかっていると思いますが、これだけの炭坑跡はなかなか遺っておらず有難いことだと感じます。

ここは明治27年に開坑し、昭和38年ころに閉坑したそうで巻揚機台座などがまだまだしっかりと遺り、ボタ山も立派に存在しています。足元には、1億年前の木の化石でもある石炭が大量に転がっており、かつては黒ダイヤとして非常に価値が高く、燃料として人々の暮らしを支えたものですが今はひっそりとした佇まいにかつての歴史を感じます。

本来、自分たちの先祖が何をしてきたか、そこにはどのような文化があったか、そのルーツを知ることで私たちは自分たちのアイデンティティの源泉に触れていきます。特に子どもの頃に、どのような風土や環境の中で育成されたかが自分たちの将来の誇りになっていくこともあります。

よく私はどこどこ出身とか、幼いころからこのような行事をしてきたとか、何が有名だとか、自分たちを語るとき、自分たちの郷里や風土を語るとき誇りや自信を感じます。かつて留学した時、世界各国の人々が集まりそれぞれに自己紹介するとき最初に話をするのは自分が何処からきたものであるか、そしてこれから何処にいこうとしているか話していました。

それだけ私たちは自分を語るとき、自分が何者であるかご先祖様はどのような人であったかと伝え合うのです。今も残る世界各地の少数民族もまた神話を通して自分たちの歴史を語りルーツから今までを伝えます。

それが誇りであり、どのような生き方をした人がどのような生き様であったかと伝え自分はその文化を伝承しているということを語ることで自分を知るのです。

今ではこの炭坑跡も、お金にならないからと産業廃棄物を捨てる場所になったり整地されてソーラーパネルが置かれたりしています。この文化や遺構の価値に気づく人も次第にいなくなり、跡形もなくなくなり誰も語られなくなることは本当に残念なことです。

歴史を継ぐというのは、私たちがこの伝統の民族であり続けるということでもあります。子どもたちに、誇らしく感じてもらえ、自信をもって世界に出ていけるような存在にしていけるように真摯に時代を見つめ直して福に転じていきたいと思います。