新鮮と古熟

すべての生き物は成長をし続けていきますが、その成長は発達によって感じられます。その発達とは何かということですが、これは人間の一生で例えてみればわかるように思います。

赤ちゃんではじまり老人で終わる。この期間、私たちは生まれて死ぬまで成長を続けていくことになります。幼児期があり青年期があり成熟期があり老年期となります。

この逆はなく、生き物たちはこの順序で生命を辿っていきます。

例えば、人生を思い返せば幼児期の時はなんでも吸収し新しいことばかりに触れ挑戦を続けていき発達していきます。その発達は著しく上昇したり上手くなったりと刺激を感じることができます。そして青年期になれば、それを活かしてもっと発展させていこうとします。難しいことに取り組み、さらに自分自身の様々な力を試していきます。その後は成熟期が来て、大きな変化や刺激は少なくなりますが明らかに自分がその認識において自然体に取り組んでいることに気づきます。成熟し達すればその取り組み事態の質が当たり前になってきます。老年期はさまざまな衰えからそれができなくなり、一時的に葛藤しますが次世代へと伝承するために残りの生命を削って他のものたちの養分になろうとします。そういうことが自然に行われることで私たちの生命は循環していくのです。

そう考えると発達とは新しいことから古いことへの自然の変化のことです。これをどの期間においても、どんな変化の最中であっても新古の間を必ず辿っているということです。

常に新しい成長と古い成長があり、私の言葉で言い換えれば「新鮮」な発達と「古熟」な発達があるということです。成長発達はこの両輪が回り続けて変化を已まないことをいい、それを循環持続することで私たちは生命を自然の状態に保つことができるのです。温故知新という言葉もまた、これはその両輪が働いている状態の言葉であり中庸で理解するものです。自然の状態とは、万物が一体になって調和している状況のことで存在がすべての循環を邪魔せずに活かし合っているということです。

だからこそ自然体であることがもっとも変化に適うのであり、その成長発達を邪魔しないことが理想ということになります。しかし人間は知識や自我を持ち自然がわかりづらくなりましたから再び自然かがわかるようになるには、素直に学び続けて自分が自分に囚われないように変化し続けるしかありません。今を正常にすることができるのなら、その人は自然体に発達変化を遂げているということになります。

そのために日本の先人たちは様々な環境を用意して、自然から離れないように工夫してきました。自然体であることこそが、今をよりよく生きるための妙法であると悟っていたのかもしれません。それだけ私たちの先祖は自然を観察し自然に精通し、自然の智慧を体現しておられたように思います。

私たちは幸運なことに、先祖代々からの暮らしが今でも民族に伝承されています。日本家屋などその代表で床の間をはじめ、縁側、箱庭、様々な自然の道具がまだいくつか残っています。日本の伝統家屋には、その自然体で居続けるための学び、変化を已まないで自分も生き続ける智慧が凝縮されているのです。まさに子孫たちへの贈りものとして暮らしを自然体で生きるための仕組みとして遺してくださいました。

何百年も何千年も成長をし続けてきた民族の心は、この日本家屋の暮らしの智慧と共にあります。温故知新もまた、この日本の伝統的な暮らしの中で学び直せるものです。

引き続き、自然体に近づき、何が自然で何が不自然かを即座に看破できるように本質を研ぎ澄まし、子どもたちの未来のために譲り遺せるものを守っていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。