風土の智慧

昨日は自然農の高菜の畑で除草を行いました。郷里の伝統野菜の継承のためにコツコツと育ててきましたが、ここ数年、連作障害などもあり土が弱りどうしても虫や雑草に負けてしまうことばかりでした。

今年は、土の甦生にも取り組むためマルチを敷いて様子を見ていましたがなんとか半分ほどは雑草とも共生し葉を出してくれていました。やはり8年くらい続けていると、高菜を好む虫たちが大量に発生してきます。

昨年は初期の頃の新芽の際にほとんど虫が先に食べてしまいまったく伸びていくことはありませんでした。手で取ってもとってもきりがなく、土の醸成と風通しが如何に大切なのかを学びました。つまり風土の智慧を得たということです。

この風土の智慧は、単に頭で理解できるものではありません、確かに身体全体で自然から体験により得るものです。智慧というものは、須らくこの体験というものが必要です。

体験が智慧を育て、智慧が体験を高めていきます。

風土の智慧は、風通しの価値に気づくこと、そして土の発酵の価値に気づくことです。この風を通すのは光であり、土を守るのは水であり、それらの調和には日と夜が必要です。そしていのちは、その中でゆりかごのように元氣を与えられて育ちます。

如何に人間がスマート農法などといって便利な機会で科学的につくっても、そんないのちの中にはいのちの充実はありません。元氣のない野菜を食べても、私たちは元気になることはありません。この元氣の素は、風土の智慧を存分に得ている中で育まれるのです。

そしてその風土には、関係性を持った人間の愛情が必要です。私たちは循環の一部になることで身体にその自然の一部を吸収し元氣をいただくからです。日々の食事で何をいただいているのか、決して忘れてはなりません。

農業は自然の一部になるわけですから、自然が元氣に調和すればするほどその一部としての私たちも元氣になってきます。畑が元氣になっていくのを観るのはとても仕合せです。

この後はカブラハバチの幼虫が増えてきますからまだまだ油断はできません。手で一つ一つ取ったらあとはうちの烏骨鶏たちの餌になります。うちの烏骨鶏もまた循環の一部です。

自然から風土の智慧を学び直し、この体験を世の中の経世済民に還元していきたいと思います。