懐かしい未来の覚悟

突然変なことを書きますが、人間には「時」という概念があります。そしてその時を中心に過去と未来という常識を持っています。過去と未来は、同じ方向にのみ進んでおりタイムマシンなどがなければ過去に戻ることはできません。そして時間が逆さに戻っていくこともありません。

私たちは時に縛られ、時を常識として認識し、時の中で自我というものを認識するのです。それでは、他の生き物たちはどうなのでしょう。この時という概念を持っているのか、植物や昆虫たち、菌に至るまで彼らのいのちは過去や未来というものをどのように認識しているのか。そもそもの時間の経過というものに囚われてしまっていたら、本当のものを知覚することは難しいように感じます。

懐かしい未来という言葉があります。これは過去と未来を同時に語るものです。本来、過去のことは歴史といい、未来のことは予言といいます。しかし、この過去と未来とをいくらそこで知識で認識しても、今ということの本当の事実を直観することはできているのでしょうか。

私たちは今を生きていて、過去を生きるのではなく未来を生きるのでもない。だとしたら、この今という現実が未来であり過去であるのなら懐かしい未来とは変わることのない普遍的な存在として生成していこうとも言えるのです。

いつまでも変わらないもの、人類がずっと地球の中で自然と一体になってきた暮らし。その美しい光景の一つになっていることは時を忘れるときにこそ思い出すものです。

本来、時空とは無のことであり、私たちは無であることで時の中に入ります。時の本来の意味は、無であり空です。懐かしい未来とは、その無であり空である暮らしの中に存在する今を生きることです。

今を生きる暮らしとは、悠久の営みの中で廻るいのちになることです。

本来のあるべき生き方を思い出すには、常識を超えて予言に生きるしかありません。それは予言そのものになるように今を生きる、懐かしいままに今を生きる、未来と過去を融合させた永遠の今になるとも言えます。

シフトとは、それだけ今を昇華し尽くすときにこそ発生するものです。私も今、天命に生きようとしていますが様々な時の縛りや刷り込みに縛られなかなか自分を全開放することができません。

子どもたちの懐かしい未来のために、勇気を出して素直に正直にあるがまま、ありのままに直観を生きていきたいと思います。