自然との関わり

現在、使われている言語や言葉は今を生きている人たちの価値観で定義がついています。時代時代に人々が価値観をつくりますから使われている言葉も異なります。その言葉が正しいかどうか、ちゃんと知恵を帯びているかどうかを確認するのは元々がどうだったかが伝承されているかどうかによるものです。

最初にどうだったかを知っていて、それを継承しているのならその言葉は歴史があり連綿と流れた物語を帯びています。しかしそれをどこかの文字や教科書でイメージで学ぶと本来のその言葉の意味も誤解していきます。

みんな誤解している言葉を使っているから、この世の中は思い込みばかりで対立も争いもなくなりません。思い込みではない本当のことを知るために、私たちは言葉を学び直す必要があります。

例えば、お米といってもどのように最初はお米をつくりなぜこれを食べることにしたのか。もともと食べるということは何か、お米はどのようなものか、お米を作っているものは何か、先祖は今までどうしてきたのか、深めていけば次第に元々のことがわかってきます。そのうえでお米という言葉を使うと、その人のいうお米には力があります。つまりお米の知恵を帯びているのです。

言葉は知識として学ぶのではなく、本来は知恵として学ぶものでした。最初は、私たちはそんなに多くの言葉も知らず必要もありませんでした。合図や音だけあれば心も通じ合わせ、知恵を分け合うこともできました。それは知恵を生きてきたからです。この知恵というものは、私たちが宇宙や地球の存在そのものである証でもあり誇りでもあります。

自分というものを知るためにも知恵は必要です。知恵を学べば、自ずから原初の自分に辿り着くこともできるからです。私たちは先人たちからこの先の子孫にいたるまで、ずっと知恵を生きています。いわば、知恵に活かされているといってもいいと思います。

自然体で生きるということも一つの知恵の顕現した姿ですし、この世はすべて知恵そのもので存在していることが自然ということです。自然との関わりというのは何か、それは知恵そのものになっていくことです。

私が仙人苦楽部をはじめたのもその理由の一つです。

子どもたちに徳積み循環を結んでいきたいと思います。