場の甦生~みんなの場~

昨日、有志たちと一緒に故郷の滝行の場にある古い建物を解体してきました。ここは、非常に歴史のある山岳信仰の場所で800年以上前には非常にたくさんの山伏たちがここに立ち寄り修行をしたところと言い伝えられています。

その後、明治以降に炭鉱の採掘の関係で韓国人の方々がたくさん来られその中でこの滝行の場を使って参拝していたといいます。山岳信仰や自然崇拝は古来から、世界の各地にありますからむかしは宗派なども関係がなくみんなで自然に祈祷をしていたのでしょう。

この信仰の場も、以前はいろいろな人たちが各地から集まり国を超えてみんなで参拝していたといわれます。争うこともなく、互いに尊重しながらその場所をみんなで大切にしていたといいます。

現在は、すぐに誰の土地であるかと土地争いばかりをしている話をききます。境界線で争ったり、相続で争ったり、売買で争ったりと、本来の土地の持つ「場」の意味は失われ個人主義の中で利ばかりを争います。

本来、場所はみんなのものであり誰かのものではありません。これは地球も同じく、自然も等しく、人間だけのものではなくすべての生き物たちが共有しているものです。権利の主張し法律で裁けば、自分のものになってしまっていますがそんなものは本来一つもないのです。

みんなで共有の場を持つというのは、お互いにその場所を大切にしようと思うようになります。あくまでその場をお借りするという意識があれば、いつまでも借りたままに大切にします。それを自分の土地となると好きににしていいとなれば、なんでも自分の利益と都合のよいようにしていくのでは廃れていく一方です。

みんなのものだからこそ、大切に守っていく心も育ちます。そのためにも、みんなものという意識を持つための「場」を整えていく必要があるのです。

「場」が整っていくというのは、みんながその場に対して深い絆を結ぶことにもなります。場というのは、言い換えれば「みんなの場」であり一人でできるものではありません。

その場に集まった人たちが、どれだけ場を大切に思い磨いたかでその「場」は清らかにもなり美しくもなり、そして力も持ちます。善い場所には、必ずみんなの働きがあり、聖地のような場にはそこに関わってきた人たちの祈りや願いが場に遺っています。

私は場道家を名乗っていますから、場を磨き整えることが暮らしの中心です。子どもたちにいつまでもみんなの場が活かされていくように場の甦生を磨いていきたいと思います。

伝承の恩恵

日本にある民俗芸能の一つに「獅子舞」というものがあります。これは日本ではもっとも多い民俗芸能の一つです。この民俗芸能は、世界大百科事典にはこうあります。

「民族それぞれの社会生活の中で,住民みずからが演者となって伝承してきたきわめて地域性の濃い演劇,舞踊,音楽の類をいう。いずれも,地域の生活・風土と結びついて伝承されるものだけに郷土色が濃く,そのため日本では郷土芸能,郷土芸術などと呼ばれる。この種の芸能は世界のどの民族にも存在するが,欧米のような,墨守よりも創造に情熱をかける国々では,いわゆるフォークダンスのようなものも自由に編作・創作の手が加えられて,昔ながらの伝統を残すものが少なくなっている」

民俗芸能は、たくさんの種類がありますが私たちの郷土にはこの獅子舞がまだ伝承されて実施されています。この獅子舞の由来はインド由来という説もありますが最古の記録としては、1世紀ごろの中国に始まったといいます。その漢書には「象人若今戯魚蝦師子者也」(象人は、今の魚蝦・獅子を戯するがごとき者也)と記されます。

それが日本に伝来したのが奈良時代だといいます。そして全国に広がったのは、16世紀のころに伊勢で正月に飢饉や疫病除けに舞われるようになりました。それが伊勢詣でや伊勢講などの発展と合わせて江戸に広がり、悪魔祓いや縁起物、また祝い事や祭礼で舞われることから全国的に広がったといわれます。

かつて山伏たちも権現舞といって、正月とか家の祝事などに各戸を巡って、家内繁盛、五穀豊穣、災厄鎮送を祈祷する舞を演じたそうです。私たちの地域にも、法螺貝を頭にのせて邪気を祓うという行事もあります。

獅子舞でも、獅子は疫病除けの効果があるとして邪気を食べてもらうために頭を噛んでもらったらいいと子どものころに何回も噛んでもらいました。小さな子どもたちがわんわん泣いていたのを覚えています。この獅子が噛むのは、「かみつく」が「神が着く」ということもあり縁起が担がれていました。

地域によってその舞の種類も音楽の種類も異なります。私の郷里ではこの獅子舞の音色を聴くと何か心に懐かしいものを感じます。すぐに思い出すこともでき、舞の様子が脳裏にすぐに浮かびます。

長い時間をかけて伝承し継承してきた民族芸能は、私の先祖たちがみんな同じように幼いころからその郷土の風土や風習の一端を担ってきたものです。故郷とのつながりは、私達の先祖が繰り返されてきた祈りや願いと結ばれています。

現代は、もう若い人が田舎にいなくなり地方のこういう民俗芸能を伝承する機会も失われてきました。意味があって受け継がれてきたものも、今では意味がなくなっているようにもなっています。

子どもたちが安心して風土の智慧を獲得できるように、今の時代に甦生させて伝承の恩恵をつないでいきたいと思います。

信仰の原点

人は自分の中で大切にしている場所というものがあります。その場所を守り続けることは、その人の心の故郷を守り続けることでもあります。私にも幼いころから大切にしている場所があります。その場所は、何か人生で大切な節目や自分が祈るような思いで心情を丸ごと開いて安心しているところでもあります。

その場所を守り続けるのは、守ろうとしているのではなく守られているからこそ守りたいと思うようになるのです。つまり人は皆、見守ってもらっていると実感するからこそ見守りたいと思うようになるのです。その人にとっての大切な場所は心の安心基地でもあるということです。

例えば、信仰というものもこれに似ています。

何か偉大な存在によって自分が守られていることを信じているからこそ、自分もその偉大な存在を信じ守ろうとします。信じるものは救われるという言葉もありましたが、救われると信じているからそうなるということでしょう。

信仰を守るというのは、いつもその関係を磨き続けるということです。それがお互いの関係を研ぎ澄まさせ、偉大な信じる力を引き出しあっていくことができるのです。

そう思うと、私たちはずっと今まで大切なものに守られてここまで来ました。今の私たちが存在しているということは先祖たちがずっと見守ってくださっていたからあるのは自明の理です。

自分がその先祖たちに見守られていると実感するとき、その先祖を見守りたいと思うようになります。こうやってお互いに見守りあうことによって私たちは今をよりよく生き切ることができるようになるのです。

他にも故郷の山や川、海などの自然、食べることができること、などもすべて私たちに与えてくださっているものです。それを実感するとき、有難いことに気づきそれを大切にしたいと思うようになるのです。そこから、それを守りたいと思うようになるのです。

この時代、守りたいと思っていたことが失われていくのを感じます。人間の目先の欲望によって、大切な場所もどんどん壊れていきます。これは自分たちがその場所に守られていることを忘れたことを意味します。

忘れたことを思い出すためにも、私たちはもう一度、原点回帰する必要があります。本当は何によって守られているのか、何に守られ続けているのか。この当たり前の問いに立ち返るということでしょう。

子どもたちに守り守られる存在を伝承できるよう、その意味や関係を磨きなおしていきたいと思います。

文化財の本質

文化財のことを深めていますが、実際の文化財というものは有形無形に関わらず膨大な量があることはすぐにわかります。私の郷里でも、紹介されていないものを含めればほとんどが文化財です。

以前、人間国宝の候補になっている高齢の職人さんとお話したことがあります。その方は桶や樽を扱っているのですが50軒近くあったものが最後の1軒になり取り扱える職人さんもみんないなくなってしまい気が付けば自分だけになったとのことでした。そのうち周囲が人間国宝にすべきだと言い出したというお話で、その方が長生きしていて続けていたら重宝されるようになったと喜んでおられました。

このお話をきいたとき、希少価値になったもの、失われる寸前になると国宝や文化財になるんだなということを洞察しました。つまり本来は文化財であっても、それが当たり前に多く存在するときは文化財にはならない。それが失われる寸前か、希少価値になったときにはじめて人間はそれを歴史や文化の貴重な材料だと気づくというものです。

そう考えてみるとき、私たちの文化財というのもの定義をもう一度見つめ直す必要があると感じます。実際に、私は暮らしフルネス™を実践していますが身のまわりのほとんどが伝統文化をはじめ文化財に囲まれてそれを日常的に活用している生活をしています。

これを文化財と思ったこともなく、当たり前に日本の文化に慣れ親しみ今の時代の新しいものも上手に導入して流行にも合わせながら生き方と働き方を一致して日々の暮らしを味わっています。

そこには保存とか活用とか考えたこともなく、ごくごく自然に当たり前に暮らしの中で文化も文明も調和させています。農的暮らし、ICTの活用、和食に文明食になんでもありです。

そしてそれを今は、「場」として展開し、故郷がいつまでも子どもたちが安心して暮らしていけるように新産業の開拓と古きよき懐かしいものを甦生させています。私は文化財が特別なものではなく、先人たちの有難い智慧の伝承を楽しんでいるという具合です。

本当の問題は何かとここから思うのです。

議論しないといけなくなったのは、何か大切なことを自分たちが忘れたから離れたからではないかとも思うのです。山岳信仰も同様に、山の豊かさを味わい畏敬を感じてそこで暮らしているのならそれは特別なものではありません。そうではなくなったからわからなくなってしまい、保存とか活用とかの抽象論ばかりで中身が決まらないように思います。今度、私は山に入り山での暮らしを整えるつもりです。そこにはかつての山伏たちの暮らしを楽しみ、そして流行を取り入れて甦生するだけです。

何が文化財なのかと同様に、一体何が山岳信仰なのかも暮らしフルネス™の実践で子どもたちのためにも未来へ発信し歴史を伝承していきたいと思います。

人間がわからなくなっていくときこそ、初心や原点に立ち返ることです。この機会とご縁を大事に、恩返しをしていきたいと思います。

文化甦生

日本には文化財保護法というものがあります。この定義ですが、例えば世界大百科事典にはこう解説されています。

「文化財を保存し,且つ,その活用を図り,もつて国民の文化的向上に資するとともに,世界文化の進歩に貢献すること(1条)を目的とする法律(1950公布)。この法律にいう文化財は,有形文化財,無形文化財,民俗文化財,記念物および伝統的建造物群に分かれる(2条)。文部大臣は,〈有形文化財のうち重要なもの〉を重要文化財に,〈重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので,たぐいない国民の宝たるもの〉を国宝に指定することができる(27条)」シンプルに言えば、文化庁が文化財として指定したものを法律で守ることができるというものです。

この文化財保護法のはじまりは、1897年の古社寺保存法だといわれます。この古社寺保存法はそもそも幕末以来の動乱と社会変動、価値観の変化、明治政府による廃仏毀釈などによって古くからの歴史を伝え守ってきた寺社や旧家が甚大に破壊され同時にそれらが所蔵していた貴重な歴史的な重要なものが消えていきました。

近代国家になり西洋諸国に追いつくために、日本のそれまでの文化や価値観を否定したことで確かに急進的に文明を栄えさせましたが文化の消失は目に余るものだったのでしょう。そんな中でこの古社寺保存法が成立します。そこからこの文化財保護行政が今も続いていると言えます。

この古社寺保存法のあとは、「史蹟しせき名勝天然紀念物保存法」(1919年)、「国宝保存法」1929年の制定で保存の対象は社寺以外の宝物や史跡、植物などに広がります。それでも二度の世界大戦でさらに文化財は失われましたが1949年に法隆寺の金堂壁画が焼損する火災が発生します。これが大きな切っ掛けになり文化財保護法の保護体制を確立したともいえます。

この火災は、1949年朝7時ころに1200年続いた世界最古の木造建造物の法隆寺の国宝の壁画が火災で燃えるという事件です。放火の疑いもあるそうですが、電気座布団からの漏電が出荷の原因だと今では言われています。

この衝撃が世論を動かし、文化庁の設立含め、文化財保護法が拡充されていきます。

私が気になったものにこの後、焼損した金堂壁画を「十二面とも抜き取り 大宝蔵殿に保管」と、壁画を取り外して保管するという文部省の方針に対して法隆寺の佐伯定胤住職が「生体解剖に等しい」と強く反対したという記事です。この問題の本質は、実は今でも色濃く残り問題が継続されていると私は感じます。保存か活用かという議論もこの問題と本質は同質なのです。

美術品のように飾るのを保存とするのか、それとも信仰として歴史の事実を伝えそのままそれを暮らしの中で磨き続けて甦生させるのか。その違いだと私は思っているのです。

そして今年、また文化財保護法が改正されました。そこには文化財を単に保存するのではなく活用していくことを念頭に行われたといいます。

今、私たちは未来の子どもたちのためにこの問題と正対していく必要を感じています。文化財というのは本当は何なのか、そしてそれは何のためにあるのかということにです。

私なりの答えは出ていますが、この答えを生きるためには果敢に原点回帰と復古起新に挑戦していくことです。本質を見つめながら、本来の文化甦生に取り組んでいきたいと思います。

文化遺産から文化活産へ

前の時代のものや先人たちが遺してきた文化財というものは、前の人たちが築いたものです。それをそのまま引き継いでしまうと私たちは前の時代のものを今の時代のものに変えていくことでそれが単に遺産ではなく一つの活産になっていくのです。

私は古民家甦生をはじめ、あらゆる文化遺産の甦生を試みていますがそれは今の時代に生まれたものとしての使命があると感じているからです。

先人たちのやり遂げたことを尊敬し尊重しながら、それを今の時代でも同じように実践し、前の人に恥じないように甦生させていく。この連続こそが本当の意味での文化であり、伝統を守るということなのです。

それを現代では、遺産を保護するということによってかえって何も手を出すことができなくなり活産のものまで遺産にしてしまうといった本末転倒になってきているものもあるように思います。

文化財を本当の意味で保護するとはどういうことか。私にしてみたらそれはこの時代の人たちが文化を甦生させていくということなのです。甦生なくして本当の意味での保護はないということです。

よく考えてみれば、建物が遺産になっていますが実際にはその時代にずっと長く続いていたその場での暮らしというものがあります。それが守られているからその結果として建物が手入れされ続けて今まで残っているのです。その場の暮らしがなくなれば、当然の結果として建物もなくなります。その建物だけを遺しても、中身がありませんから建物だけを保存するのに莫大な費用が掛かり続けます。

経営でいれば、使わないし投資回収もしないものに資金を投下し続けるということです。それが大事なものであるのなら、きちんと資産にしてそれを活用していく必要があります。その活用の仕方は無数にありますから正解はありません。しかし大切なのは、その文化を磨くことをやめてしまった遺産にしないということです。

例えば、日本人であれば和食というものがあります。その和食を食べなくなれば和食遺産というものができます。その和食を食べることもしないのに、只管和食文化を守ろうとすればどうなるでしょうか。永遠に和食が続くようにするには、和食を食べ続けられるように和食を甦生し続けてその時代に相応しいものに革新していくしかないのです。

日本の伝統工芸もまた然りで、材料を保存するとあってもそれを維持するためにどれだけの費用がかかるのか。その材料を短期的には保護できても、長期的にみたら使わないものをただ生産し維持することが難しいことは誰でもわかります。

本来、当代に生まれた人たちはそれを当代でも活かせるようにしていくことで経済や産業を発展させていく使命があります。時代は巡りますから、また3世代くらい廻るくらいで原点回帰していきます。するといつまでも遺産ではなく、活産として暮らしの中で私たちは伝統文化の恩恵を享受され続けていくのです。

文化を守るためには、その場の暮らしを一緒に甦生させていく必要があります。私が「文化の甦生」と合わせて「場の甦生」にこだわるのはこの理由からです。

活産にしていくことは、今までの祖先の御恩に報いることです。子どもたちのためにも、遺産を磨き甦生させ活産にしていきたいと思います。

 

保存は目的ではない

むかしから人々は大切なものをみんなで守ってきました。それは信仰であったり、風習であったり、生活習慣であったりもですがそれを伝統や文化という言い方もします。

その実践をしてきた建物などは、今でも文化財として認定されて保存されています。しかし現代は、その文化財の保存は文化庁や行政が行うことになりあまり地域やそれまで守ってきた人たちとの関係も薄れてきています。

その当時は、何かの店舗であったり役場の代わりだったものが時代が変わり使われなくなっています。誰も来なくなったものもかつては役目を果たした建物だからと文化財として保存することになります。

確かにその文化があったこと、歴史があったことの価値を後世に伝えることは大切です。しかしそれが保存だけになってしまえば、維持するのにも大変な労力と費用が掛かってしまいます。

同時に今の時代に相応しいものに甦生させて活用していくことで、もともとあった文化の意味や歴史が現代につながるのです。

人が何かをするときは必ず理念ありきで、何を変えて何を変えないかを決めることが先にあります。何のためにそれを遺すのか、何のためにそれを修繕するのかをまず定めたなら変えるものと変えてはならないものが定まるのです。

そこからは大胆に手をいれて甦生させていけばいいのです。

結局、法律や制度に依存してしまい目的や理念をおざなりにしたら形的には保存できても本質的な保存ができなくなっていきます。これは文化財などに限らず、組織や会社、あらゆるものに同じことが起きます。

何のためにを定めたら、目的を忘れずにかかわる人たちと一緒に取り組んでいけばそこに智慧も生まれ、活用方法にいたるまで磨かれていくうちに達していくのです。つまり保存は目標にはなっても目的にはならないということです。

現代は、文化が物凄い勢いで消失していく時代です。私の取り組みが子どもたちの新しい文化の活用になっていくように取り組んでいきたいと思います。

適者生存の本質

適者生存という言葉があります。これは一般的には 「生存競争において、環境に最も適したものだけが生き残り繁栄できる」という意味で用いられます。自然界は、環境に適応していくものが遺り、そうではないものは淘汰されていきます。

つまり環境が変わるということは常に生き残りをかけてしなければならないということになります。その環境は、決して自然環境のことをいうだけではなく組織の環境であったり、関係性の環境であったりします。環境といっても、あらゆるものは環境の影響下にありますからそこには運もあるように思います。

ただ、一つ言えるのは環境に対してそれぞれがそれぞれに決断をして自分の道を決めているということです。大きな目でみたら、この地球上で私たちのいのちは循環しています。種を遺すということをたとえしなくても、他のものに食べられ、土になり、他のいのちを活かす存在してこの世に出てきます。

その時、その場、その空間において私たちは尊重し合いながら支え助け合い生きている存在であることは間違いないことです。

競争原理においての適者生存ということになれば、強いものが生き残り弱いものが死ぬ。そして変化するものが残り、変化できないものが滅びるということになっています。

しかし先ほどいったように相対的な物事の見方をやめて、全体的で総合的な見方でみればそれぞれに役割がありその役割を全うしているということになるのです。

この役割とは、この世での自分の役割のことです。

生き残るものだけが正しいのではなく、役割を果たすことが最適であるということです。それが本質的な「適者」ということでしょう。その再適者は、役割を通していつまでもこの世での役割を果たし続けます。そういう意味で生存というのは、役割が存在し続けているということでしょう。

私たちの日本人も、親祖の時から子孫に役割をたくさん担ってもらいその初心を伝承し続けています。御縁と役割は、どの時代の人々にも与えられその物語を生きてきました。ある意味では、私たちの人生は一つの記憶媒体でもあり、宇宙の中の記憶の一つとして適者生存を続けているのでしょう。

子どもたちにも、真摯に役割を生き切る生き方を示していきたいと感じます。日々を大切に生き切り、味わいたいと思います。

和菓子のはじまり

落雁のことから和菓子のことも深めています。もともとこの「菓子」は縄文時代、古代の人々がお腹が空くと木の実や果物を採って食べていたのがはじまりともいいます。木の実や果実を間食する、これが「果子」(かし)の原型なのでしょう。

今でも、お菓子といえば間食するものではありますが古代のころは食べ物を加工する技術もなく、果物の甘味はとても特別なものだったように思います。縄文時代の遺跡からは栗や柿などは栽培されていたことがわかります。それを次第に石臼などで加工する技術が発展してきました。

農耕はしていたもののどんぐりなども食べていたことがわかっています。そのどんぐりや木の実はアクが出ますから水にさらしてあく抜きをしてそれを丸めたものが発明されました。これが団子のはじまりともいいます。そして日本最古の加工食品ともいわれる「御餅」も発明されます。貴重なお米を原料にしたのでこれは神様に備える神聖なものとして重宝されてきました。

その後は、中国(唐)との交流や茶道が発展しこの菓子はさらに進化していきます。多様な素材や季節感を取り入れながら日本独自の和菓子という言葉も誕生しました。

和菓子には日本人の美意識や歴史の結晶ということになります。

和菓子には代表的なものとして、お饅頭、お団子、羊羹、上生菓子などあります。この和菓子は材料や製法で分類されることやその水分量によっても分類されることがあります。水分量が多めの生菓子と半生菓子、干菓子などで分かれることもあります。

実際には、全国各地のその風土と風景と一体になった和菓子があり膨大な種類のものが日本には存在します。その土地の名産であったり、饅頭などはその土地土地で材料も味も、見た目も異なります。

多様な風土と和合して和菓子は今まで発展してきたのです。

現代では、和菓子の不人気なども相まってかなりの種類の地域の和菓子が失われてきました。長期保存ができコンビニで買える便利なスナック菓子を食べているうちに、多様な文化と風土のお菓子が消えていきました。

私は柏屋さんの饅頭が理念を含めて大好きですが、日本を代表する伝統和菓子が子どもたちにも受け継がれていけばいいと心から感じます。どんなものにもそのものの始まりと風土、歴史、文化があり、それを食べることで私たちは地域とのつながりや循環を繁栄させていきました。

食べることはただ自分の欲望を満たすためのものではなく、私たちは食べることで自然との感謝や共生、豊かさや幸福などを創造してきたのです。日本を代表する和菓子が、日本の未来を美しく彩るように暮らしフルネス™を通して見守っていきたいと思います。

落雁の価値

昨日、伝統菓子の落雁(らくがん)を専門でつくる会社を経営する方とお話をする機会がありました。この時季、お盆のころの落雁はいつも身近にあったものですが改めてこの伝統和菓子の落雁のことを少し深めてみようと思います。

落雁は、名前が特徴的ですが名称の由来には諸説あります。例えば、明の軟落甘 (なんらくかん) から「軟」が欠落して転訛したという説、また形が落雁に似ているところから近江八景 の一つ「堅田落雁」からという説、そして本願寺綽如上人がこの菓子を後小松天皇に献上した時に白色の地に黒ごまの点在する様が雁の渡る姿を連想させたので「落雁」としたという説があります。もともとこの落雁という言葉の意味は、「空から舞い降りる雁」という意味で秋の季語でもあります。

この落雁のお菓子に似ているものに和三盆がありますが原材料がまず異なります。落雁は米粉を使い、和三盆はサトウキビ(竹糖)を用います。

落雁は、このお米の澱粉質の粉を使い、様々な模様の木型に押し付けて圧縮し最後に乾燥させるという具合でつくります。他にも澱粉質の粉のみを蒸籠で蒸すやり方や、最初にすべてを混ぜてから蒸し上げて乾燥させたりと実際には様々な製法の落雁があるといいます。

もともとこの落雁は、中国から日本に伝わったお菓子だといわれます。釈迦の弟子が僧侶に振る舞ったお菓子ということから仏事に用いるお供え物の代表となりました。

具体的な由来は、釈迦の弟子目連(もくれん)故事からです。

目連の亡母が夢の中で天上界に行けず餓鬼道に堕ちているのを見つけました。その亡母に水や食べ物を差し出しても、炎となってどうしても口には入りません。そこで釈迦に問うと、「すべての修行者に食べ物を施せ。さらば母親にも施しとなるだろう」との助言をもらい修行者に甘いものの施しをしたところ、修業者たちの喜びが餓鬼道にも伝わり母を救った」とあります。この故事から落雁を先祖に備えるのは施餓鬼をして、餓鬼道に堕ちた者を救うための供養となりました。

そして広がったのは、江戸時代に茶道と共にその茶菓子として安価な材料で作った落雁が出回るようになり仏事に用いる特別なものだけではなく庶民のお菓子として親しまれ今にいたります。

現代では、甘い砂糖やチョコレートなどの洋菓子などの文化が流入してきたと同時にご先祖供養の風習も失われてきてあまり落雁を食べるという機会も失われてきました。また落雁もスーパーなどで売られているものは、見た目だけ似た落雁風のものばかりで食べても美味しくないのでさらに人気がなくなりました。

日本でもむかしからの製法で伝統的に落雁のみをつくる老舗もあとわずかに残るだけです。

子どもたちには、この落雁が持つお供えや室礼、そして信仰などとの深いかかわりがあること、そして日本人のお米を使った味覚、滋味を味わう大切さなどを私も伝承していきたいと感じます。

未来のために、大切なものを引き継いでいけるように落雁とのご縁を深めていきたいと思います。