場チカラ

先日から社内の場力を高めるための工夫を進めています。発酵場というものもそうですが、場というのはチカラです。その場が善くなるというのは、チカラが集まるという意味でもあります。

ここで場力について少し書いてみたいと思います。

そもそも人間にとっての場とは何か、それは何かが行われているところのことです。その場とは、料理する人は料理場とも言うし、工事する人は工事現場とも言います。場とは、何かが行われている場のことです。

その場がどのような場になっているか、それはそこで生きる者たちの生き方の場でもあります。その場は、それぞれの生き方が集積することで場にチカラが集中していきます。

例えば、暮らしというものがあります。その生き物たちがどのように暮らすかでそこに場ができます。これは人間に限らず、山川草木昆虫に至るまですべての生活が場に顕れてきます。

その生き方が自己中心的であればそれにそった場が現れますし、共生し貢献するような生き方があればそれに沿った場が顕れます。掃除一つをとっても、綺麗にすれば美しい場が生まれますし、ゴミで溢れかえっていれば粗末な場が生まれます。そしてそれは次第にそこで発生する関係性にも影響を与えていきます。

理念が初心というものは、そこに場を創ります。場チカラというのは、そこで実践したものたちの集積力によって場が顕れていくとも言えます。どんな場面でどんな場所でどんな場合にその人がどんな生き方をしたかが出て来ます。場を和ませる、場をわきまえる、場を活かす、場を明るくする、その場には、その場その場で発した場チカラがその場に集積するのです。

この集積力とは求心力とも言えます。地球が中心に引き寄せていくチカラの御蔭様で私たちは宇宙に飛び散ることがありません。それは地球の地場に守られているからです。この求心力は、活かそうとすることで場ができているとも言えます。

すべての生き物は育てるものではなく育つものです。教えないで育てないとしたら、育つわけですからそこには場があったということの証になります。場があるから育つのですから、そこで育つ生き物たちには場を明らかにする責任があります。場チカラがあるというのは、場に顕れるほどの生き方の実践が集積され文化になったということです。

その人の理念・初心・祈り・願い・思いが意識になり、場が顕現します。

つねに場を高めていくために、精進して沢山の御縁のつながりから発生する場チカラに感謝しつつ、その場チカラをお借りして子どもたちに伝承していきたいと思います。

背中で伝承する~本当の学び方~

子どもに限らず人は成長するとき、モデルになる人物を一つの指標にしていくものです。例えば、見た目であったとしても生き方であったとしても、自分が参考になるものをもとに見よう見まねで似せていくものです。

これらは対象物に「近づく」という言い方をしてもいいのかもしれません。

師弟関係などもそうですが、師の考え方や生き方を参考にして自分自身の何が似ていないのかに気づきます。そうやって自分が憧れた人との差異を確認しながら、薫風や薫陶を受けてそのものも変わっていくのです。

これは昔の日本では職人文化といいますが、実際には教えない教育を行うには教えないためのモデルが必要だからです。私にも同じようにメンターがいて、メンターの存在やその生き方、そういうものが自分の血肉の中に溶け込んでいます。共に憧れる生き方がある人や、同じ理念を持つ人、最終的にありたい自分を優先できる人は、自ずからベンチマーキングする人物に出会えるように思います。

人生はどこにいくかも大切ですが、誰と往くかというのはもっと大切です。

それは誰と往くかによって生き方が変わってしまうからです。

大人の背中を見せるということや、自分の生き方を遺していくこと、そして実践で示していくというのは、教科書には書かれていませんがどの子どもも、どの人間にも、大きな影響を与えるように思います。

一人ひとりの生きた背中を通して学ぶのは、本来の学び方です。先祖たちが遺してくださったものを紐解き、そこから学ぶのが本当の学び方。そして子どもたちに恥ずかしくない仕事を譲っていくのもまた今を生きる世代の役目であろうとも思います。

一人ひとりの真心の志事が、以心伝心して多くの人たちの真心になること。理念を優先して、実践を怠らないのはそれが「背中」で語ることになるからです。背中で語るのは背中で未来に向かって伝承を続けている真っ最中ということです。

正面ばかりで口八丁手八丁で理論的に説明したりするのも大切ですが、歩んだ背中には決して敵いません。

常に背中を見られているという意識を忘れず、背中で与えられる安心感を伝承できるように自分自身の学びの姿を通して子どもたちを見守っていきたいと思います。

家での住み方

すべての生き物は住み家があり、それぞれが御互いを思いやり住み分けをしています。先日ブログでいきものの鳴き声が時間帯で異なることを書きましたが、共生とは互いを思いやり尊重しあっていく和の心が解け合ういのちの道理です。

今まで地球上で私たちは御互いを尊重し合っていままで暮らしてきましたが住み分けが狂い、何度も世界を巻き込む戦争がおきて人間の争いはまだまだ続いています。

そもそも自分の住み家を大切に守り、住み家がいつまでも持続可能になるように丹念に手入れをしていたから私たちはその住み家を中心に生活が成り立ちました。特に農耕民族である先祖たちは同じ場所を何百年も動かず、先祖代々その土地で暮らしを成り立たせてきました。今では住み家が崩れみんな田舎を捨てて都市に出て、過疎地ではお年寄りだけで生活をする始末です。

本来の住み分けが機能せず住み家が衰退しているというのは住まいを持つ人たちの生き方が変化してきているからです。住まいを大切にするというのは、自分の心を大切にするということでもあります。住まいが殺伐としたり、暮らしから遠ざかっているというのは物が氾濫しなんでも粗末にして生きている生き方の現れとも言えます。そこには貧困があります。本来の豊かさは貧乏かどうかではなく、一つの暮らしの中に様々な心のゆとりや余裕があるということです。住み家があるのはモノとココロの両面が満たされる安住があるということです。

昔の古民具や、骨とう品などをみていたら物が大切にされてきたことを感じます。それは何世代も使われ、手入れされたものには何か大事な心が宿っているように思います。コンビニで簡単に買っては捨てている便利なものとは異なり、そこには暮らしの残り香が薫ります。

私たちは住まいの中に暮らし、住まいには生活があります。

その生活が物に顕れ、その生活が空間の中に表現されていきます。どんなものが集まって来るか、それは御縁です。これは人も同じく自分の成長と共に集まって来るものや大切にしてきたものが磨かれ輝きはじめます。その住居はまるでその人そのもののように人相が出て来ます。これを家相ともいうのかもしれません。そしてどんな御縁でそこまでたどり着いたのか、そこには天相、地相、人相といったタイミングや機縁に結ばれています。

住歴を大切にする真心は、自分自身の御縁を大切にする誠実さと比例するように思います。

そして「終いの住み家」という言葉があります。これの意味するのは最後に安住する場所が家ということです。心が安寿し澄む処、住み方そのものが家族家庭そのものです。

常にどんな一家でどんな家で暮らしていくか、それを創るのは自分自身の生き方です。家での住み方を忘れず、一家の暮らし、一家の初心を子どもたちに譲っていきたいと思います。

和の家

先日、和の部屋について相談があり色々と深める機会になりました。和の部屋といえば、通常では畳があり押入れや襖があるものを和室だと思っていることがあります。

しかし畳も昔はなかったもので、押し入れや襖もわりと歴史的には古いものではありません。実際の日本はじまりの住まいは何か、それは古事記に書かれています。

「伊弉諾命、伊弉冉命の二柱の神はおの馭盧島に天降りして其處に先ず天の御柱を御作り、倶に御住ひになった。八尋とは一尋、二尋と數える八尋にあらずして八は彌と同じく數多きをたたえ唱うる言の葉なれば即ち幾十尋の御殿の意なり。彌栄なる館なるにして我が國初めての御殿なりせば家屋建築の始めなり。我が國の神々達は穴に宿る神に非ず、木の枝に巣造るに非ず、程高き営みの神なり。」

イザナギとイザナミが、はじめて高天原に降りてきて造営した住まいが私たちの祖親のはじめての住居「八尋殿」です。一尋とは、人が手を拡げたときの寸法を言います。これを八尋とするとちょうど畳二畳分くらいのサイズになります。この八は、末広がりの八を意味しますからここの住居から無限に広がりはじめたということです。

私たちの祖親の家屋建築の原点はここです。私たちの親は穴に住んだのでもなく、木の上に巣をつくったのでもない、天に向かって真っすぐに伸びた柱を地に立て、床を建て住んだということです。

今の時代は、高層ビルや広大な豪邸が価値があるかのように売り買いされていますが本来の住居はとてもシンプルなものです。

例えば生き物によっては、泥を固めて巣にしたり、草を丸めて家にしたり、石を積んで塒にしたりと、それぞれに住まいのカタチは異なります。私たちの先祖が、何をもって住まいしたかを知ることはとても大切なことだと思います。住まいの出発点を和合生活にしたこともまた私たちの先祖たちの真心だと思います。

そして和とは何かと考えるに、如何に本来の先祖たちが伝承してきた暮らしに親しみとけ合うかということではないかと思います。それは例えば、共に暮らすものたちと如何に親しみを持っているか、そして心安らぎ仕合わせを感じるか、そこには余裕と真の豊かさがあるように思います。

豪華絢爛で贅を究めた芸術作品のようなところを住まいというのではなく、人々の暮らしや生活が息づく場所、そこがまさに家庭であり、たとえ独り身であったとしても共に暮らしているいのちの暖かさに触れ、深く味わいながら日々を豊かに過ごしていることが本来の住居であり家であるように思います。

そういう住居を持つ人は、和の心を持つ人とも言えます。秋になれば秋をしつらえ、冬には冬をしつらえる。まさに、小さな四季の変化をも愉しみ、部屋の中の花一輪にいたるまで愛でる澄んだ心があります。心の手入れというものは、日々の暮らしを愉しむ真心にあるように思います。

和室というものの本来の姿の本質は、「暮らし」の中にこそあるということが私が考える和の家です。和をもって尊しとなすとといったのは、聖徳太子ですがその聖徳太子は家屋を大切に手入れするように寺院を建築したといいます。法隆寺をふくめて、奈良のあちこちにはその暮らしが遺っているようにも感じました。

子ども達に本当に譲っていきたい伝承したいものを、自分たちが忘れないように生きていきたいと感じます。改めて日々の暮らしから、生き方を見つめ直していきたいと思います。

自然生態系を育てる

田畑に出れば様々な虫たちや動物たちが繁殖していることに気づきます。山林の中とは異なり、人間が作物をつくるために作業している場ですからそこには人間を中心にした独自の生態系が存在しています。

例えば、ピーマンやトマトを育てればそれを食べるカメムシが集まります。カメムシが集まればそれを捕食する虫たちが集まってきます。他にもそこに育てる野菜の種類によっては同時に増えていく虫たちもまた集まっていくのです。

このように生態系は自分たちが育てるものによってそれが餌になり、その餌を食べるものたちが増えることでまたその増えたものを餌にするものたちが集まっていきます。

一見、田畑では何も起きていないように観えても確実にそこには、人間の創りだした環境が出来上がっていると言えるのです。そうやって自分たちが用意した環境の中では、一時的に大量の虫たちが発生します。餌があるから増えることが出来るのですが、それを減らすために農薬をまいたりします。

実際は、少量ならば増えないものを一つを大量に育てるから別の一つも大量に増えていきます。そうやって増えていけばその周りにあった虫たちや動物たちの生態系も変わっていきます。本来、そこになかったものを育てるということは生態系を変えてしまうということでもあります。

田畑をはじめて何を育てるか、それは生態系を育てるとも言えます。それは自分のカラダにも言えるものです。人間の身体の中には無数の菌類が腸内で生息しています。その菌類の餌を何にするかは、腸内の生態系を変えてしまうことです。餌がどのようなものを食べ続けるかで腸内の菌類のバランスも変えてしまいます。あまりにも腸内のバランスが崩れるとお腹を崩しますが、これは田畑でも同じことが言えます。イナゴが大量発生したり、特定の虫や動物が現れて荒らされてしまいます。

自然界というものは常に生態系が関係しており、その場所や広さ、周りの環境と密接なのです。私たちが作物を育てるとき、それは同時に生態系を育てているとも言えます。どんな生態系を育てていくかは、その人の生き方がきめるとも言えます。どちらにしても、大量生産大量消費は同じく大量の生態系を産み出しますから生態系を乱す範疇を超えてつくるということはそれだけ生態系に対する認識が必要になろうと思います。

自然の許容範囲を知るということは、生態系を学ぶということに似ています。どこまでが許容範囲なのかは、周りへの思いやりに比例するように思います。分を超えるとすぐに問題は発生しますから如何に謙虚であるかは、自然界の理法に適うかどうかを左右します。

自然は正直ですから、謙虚である意味を正しく学べます。子ども達のためにも生態系を思いやる農法を学び直したいと思います。

自然の戦略~棲み分けの音色を聴く~

生き物たちは同じ地球で生きていますが、それぞれの時間で棲み分けをしているものです。これはもし同じ場所ですべての生き物が活動するならば、雑多大勢の生き物たちで混乱してしまいます。

同じ地球の中で如何に御互いが同じ場所で生きていくかは、それぞれの自分の特性に合わせて棲み分けしていくものです。

一日の中でみても、かなりキメ細かく時間帯で活動が分かれます。例えば秋の虫でみても、夜に鳴くコオロギやキリギリスをはじめ、かなりの虫たちが秋の音色を奏でます。その中でも夕方から夜に鳴くもの、夜中から深夜に鳴くもの、そして朝方に鳴くものがいます。もっとも虫の音色が静かな時は、山の鹿や猪など野生の動物たちが活動します。

同じ音を聴いていても、耳を澄ませばそれぞれの時間帯にそれぞれの場所を棲み分けるのです。自然界は極力無駄な戦いを避けようとします、それは天敵というものを自覚するからかもしれません。共生とは、助け合うことですから助け合うことを優先すればするほどに棲み分けは成り立つのです。

そしてこれは人間でも同じように思います。わざわざバッティングするところにいて混乱するのなら融通無碍に自分の方を戦わない方へと移動していく・・・これを戦略ともいいますが、生き物たちはみんな自然の戦略を自分たちなりに持ち歴史を生き延びてきたとも言えます。

そう考えてみると、自然の絶妙のバランスとは自然の戦略に存在しているのかもしれません。御互いに助け合い、御互いに活かし合う、その中に本来の自然というものの姿が顕現しています。

それぞれが助け合う時、もっとも自然は絶妙なバランスを魅せてくれます。自然の音色を聴きながら、如何にこの世の中がいのちに満ち溢れているか、如何にこの世界がみんなで分け合って生きているか、そういういのちの音色が聴こえてきます。

食べて食べられる関係の自然界ですが、余計な分を食べないのも食べる分しか殺生しないのもその根本がいのちの助け合いの中で存在していることを自覚して忘れていないからでしょう。

変に我を捨てるとか、我を手放すとか、頭で云々をぐるぐる回す前に、当たり前の生活を取り戻した方がいいのかもしれません。子ども達に譲り渡していきたい暮らしとは何か、しっかりと深めてカタチにしていきたいと思います。

ゆたかな家~暮らしの実践~

海外の格言に「男は家屋をつくり、女は家庭をつくる」というものがあります。これは家を持つということの役割分担を意味するのでしょうが、男か女かではなく、どちらにしても家屋と家庭は家族の象徴です。

この家族というものの定義は何か、それは親兄弟という意味だけではなくそこには「共に暮らす仲間たち」という意味があるように思います。もしも定義を大きくするならば、同じ時代に一緒に生きる地球上のすべてのものたちは家族だとも言えます。

この一緒に暮らしたものたちこそが家族だとしたら、家屋と家庭とはもっとも身近で生活を共にした仲間たちの住まいだとも言えます。それは決して独り身だから家族がいないというわけではありません。ある人は植物と暮らし、ある人は熱帯魚や虫たちと暮らし、その他動物たちと食べ物を分け合い、そして御互いを見守り合いながら暮らします。私の家も、帰ってくれば様々な生き物たちに「ただいま」と挨拶をし、「お変わりはないですか」と健やかで安らかでいるかを確認していきます。それは対話をしているとも言えます。対話がないというのは本当の意味で孤独であり孤立です。自分が共に暮らすというのは、そのものと対話しながら生きているということであり、関係性を結んだ仲間たちとの生活は安心し愉しいものです。

家に帰るというのは、一緒に暮らしている仲間たちに会いにいくようなものです。そこには御互いが思いやり、御互いが必要としあって存在している絆があります。仕合わせというのは、暮らしの中にありますから暮らしを亡くして働くというのはまるで幸せを遠ざけている生き方です。

一家の一員という意識は、周りの仲間との関係性の中で育まれていきます。「ただいま」「おかえり」という、戻って来る場所、原点、自分の心が休まる場所が家だとも言えます。家の中に生きている生き物たちや御縁があったものに囲まれることで自分が活かされ生きていることに気づけば心は自然に安まるものです。

よく孤独死だとか孤立死だとか将来を心配をする前に、まず自分の家がどうなっているか、そして「暮らし」がどうなっているかを今一度見直した方がいいのかもしれません。生き方が住み方であり、家の持ち方が生活の生き方ですから常に「暮らし」は生きていく上での初心ということでしょう。初心がどうなっているかが間違えば、暮らしから遠ざかり貧しくなってしまうかもしれません。いくら豪邸で立派な家でも、そこに暮らしがなければどこかそこに真のゆたかさは感じられません、それよりも質素で小さな家でもそこに「暮らし」があり一緒にいきている仲間がいるのならそこには本当のゆたかさがあり味わい深い「家」があり、見守り合う「家族」があります。

家屋・家庭・家族、それらを結び取り纏めている一家はその人のかけがえのない財産です。その財産に見守られているからこその安心感の中で人は生長し自立し、一生の物語を飾っていきます。そしてどんな仲間たちとの思い出に飾られた人生かは、一人ひとりが一緒に暮らした中で周りの家や家族に顕れてきます。つまりゆたかな人生を送る人には、一緒に生きるものたちとのゆたかな物語、ゆたかな暮らし、そしてゆたかな家があるということです。

一人ひとりのゆたかな暮らしこそが、社會全体のゆたかさを創造していきます。ゆたかさの実践とは「暮らしの実践」ですから、しっかり暮らす人は社会全体もゆたかなものに換えていくように思います。

暮らしのゆたかさが家の象徴であり、その人の象徴ですから子ども達のためにも「暮らし」を丁寧に見つめて実践し、仕合せを味わっていきたいと思います。

生き方と住み方

先日、あることから「住まい」について考える機会がありました。「住居」というのは、単なる部屋ではありません。住まいはその人の暮らし、つまりは生き方を支える器でもあり、それは家とも言い、家はその人生の中心とも言えます。

以前、「あなたはどんなものを食べてきましたか?」という食歴のことを聴くことを書きましたが、「あなたはどんな家に住んできましたか?」もまた住歴といって大切なことです。ここで確かめているのは、つまりどんな暮らし方をしてきて今があるか、そしてどんな生き方をしてきたかの確認なのです。

生き方が素敵な人は暮らし方も素敵です。生き方と暮らし方は、その全体の働き方まで決定づけますからここの中心や基本を蔑ろにして本質の方を正すことは難しいように思います。

人は「暮らす生き物」ですが、どのように豊かに暮らすかでその人の心の豊かさや醸し出す人柄が滲みでてくるものです。そしてその暮らしの基本が「家」であるのは自明の理です。

私が共感する建築家に清家清さんがいます。この方は「住居学」を深め、住まいとは何か、そして住み方とは何かということを突き詰めておられた建築家ではないかと私には感じます。私自身も、子どもの憧れる生き方や暮らし方、そしてそこから「家」を考え、どんな家に住み、どんな住み方するのかを考えるときの基本として参考にしています。

その方がこんな言葉を遺しています。

『住まいを考えることは、家族を考えることである。住まいをどうにかしなくてはと考えるあなたは、家族のことを案ずるあなたでもある。』(ゆたかさの住居学 エビデンス選書より)

この方の住まいの定義は家族であり、どんな家に住むのかはどんな家族を持つのかということです。そして住まいを大切にするのは、一家のこと家族のことを大切にしたいと思う自分自身がいるということの確認なのです。

私自身も、家に埋炭をしたり社内に備長炭を敷き詰めるのもすべては家内の健康や平安を祈る心から自生してくるものです。家を大切にしたいという思い、家内安全のネガイは家づくりにこそ出て来ます。

そして住まいについてさらにこう語ります。

『漢字には、住まいを指すのに二つの文字がある。すなわち「宅」と「家」である。この場合、宅はハードウェアとしてのハウス、家はソフトウェアとしてのホームにあたる。ところで、東京などの地下道で最近よく見かける路上生活者のことを、ホームレスというが、厳密にはハウスレスというべきであろう。』

つまり単なるカタチとしての「宅」ではなく、そのココロである「家」があると言います。ホームレスは厳密には家がないというべきであるといいます。家がないというのは、家族がないということでもあります。「家」ということの本質は、家族がいるということです。そしてよい家とはどのようなものが善いのかということでこう言います。

『よい家とは、お金をかけるだけではなく、本当に末永く愛着をもって住めるかどうかがキメ手なのである。』

お金をかけるかどうか、安いか高いかではなく、その家のことに暖かみを感じているかかどうか、そしてその家で暮らした日々に愛着を感じられるかどうかが「住まう」ということだという意味ではないかと私は思います。そこで暮らした日々は、そこで生きた思い出でもあります。だからこそ自分の人生史において、そこに愛心を感じて手入れをすることでますます家もまた家族もまた大事にしていけるように思います。

そして最後にこの言葉で締めくくります。

『家族の気配が常に感じられる家がいい』

家に帰ってきたとき、家族の気配がある家にしていくということ。それは御縁頂き授かっているものに感謝し、よく手入れをして日々に丹精を籠め、整理整頓掃除をし、よく行き届いている暮らしが其処にあるということ、そういうものに囲まれてその人の真心が息づいている、まさに豊かさが感じられるようなものが家であり家族であり一家であるようにも思います。

家はその人を顕すとも言います。そして生き方はまさに住み方ですから、生き方を変えるには住み方を変えていくことも大事なことです。家族や一家を大切にするというのは、家を大切にしていくことです。

子ども達に何百年も続くような安心した家を遺してあげられるように、住み方を観直し、生き方も観直し、引き続き深めていきたいと思います。

 

意識と能力

人が何かをする際や物事に取り組む際には、能力と意識というものがあります。能力があるからこなせる人と、意識があるから取り組む人がいます。同じ物事を取り組んでいても、そこには確かな差があることに気づくものです。

例えば、マニュアルを使ってテクニックだけでできるのならロボットでもできます。しかしそこに確かな意識を入れろうとすれば手間暇かけてでもその人の意識が籠ります。陶芸なども、機械で大量生産したものと手作りで丹精を籠めてつくられたものでは手に持った時の重厚な質感が異なるものです。

これはモノづくりにおいても、能力と意識とは確実に異なるものがあることを意味しています。では意識とは一体何かということです。

現在の科学では、意識のことをはっきりと証明できているわけではありません。意識を失うとあるように、一般的には脳が意識を持っているとして脳が死ねば意識がなくなると定義しています。しかし、実際は意識がないかというと生きているのだから生命は存在しているのです。例えば、動植物にいたるまですべての生き物には意識があります。意識というものが存在している証ですから、意識がないものは一切存在しないはずです。

バッタが飛び跳ねるのは能力ですが、バッタが生きているのは意識です。生きようとする意識があって、その次に能力が出てくるのが本質ですから能力が先ではないことは事実です。

人間はこれを勘違いして能力だけで物事をこなそうとしていると勘違いしている人がいます。仕事においても、能力があるからやっているという考え方では意識はあまり関係していないように思えます。しかし実際はどんな「思い」で取り組んだか、どんな「意識」でやり遂げているかで、その能力の違いはそのうち数百倍もの差が出てくるものです。

進化成長の中に能力がありますが、能力とは意識によって開花していくものです。意識が強ければ強いほどに、その人の能力はより一層周りの御役に立つために変化していきます。自分の意識がどうなっているのかを確認する機会は少ないでしょうが、どんな「思い」を持って取り組んでいるか、どんな意識で実践しているかは人生において何よりも重要なことだと思います。

「真心を籠める」という言い方もしますが、意識を籠めるというものも同義です。常にどんな意識で周りと接しているか、どんな思いで今を生きているかが本来の能力に比例して御力を発揮することができます。

できるできないと考える癖や刷り込みは、能力だけで物事をみてしまい裁いてしまう自分の価値観の思い違いです。まさに論語にある「今、汝は画れり」です。実際はできるできないではなく、やろうとしているか、本気かどうか、情熱的か主体的か、自らそれを遣りきると決心したかといった「意識」の方が本来は何よりも大事なのです。

意識はエネルギーですから、その人のエネルギーが強ければ強いほどに能力が開発され開花します。自分のエネルギーを常に高め続ける努力や、自分の意識をブラッシュアップし続ける実践は、何よりも自分自身の変革を促し、自分自身に近づいていくための智慧であろうと思います。

「意識が変わる」ことは人が変わることです。

自分の意識改革を行うためにすべての努力があるといってもいいかもしれません。心が感じたままに、心の感動を刺激し、魂を揺さぶり、意識を磨き続けていくことを大切にしていきたいと思います。

子ども達にも何よりも大切なのは「意識を籠める」「真心を籠める」ことだとし、行動と実践を積み重ねて精進するモデルになるように引き続き理念を高めていきたいと思います。

 

 

彼方の海道 完

久高島は、原始母系の社會が残存している島だと言われます。アマミキヨという女神を中心にノロと呼ばれる神女(巫女)たちが島でいのりを捧げる場所です。島では「男は海人、女は神人」という諺もあり、女性のほとんどが神職者として様々な祭祀を取り扱っています。女性は家族の守護者として、一生涯、夫、子をはじめ一家を見守り続けていく存在としています。

この島は、女性たちが完全に自給できる島であったと言います。島の東側にはたくさんのサンゴがあり、潮の満ち引きででてくる貝を採ったり、森には貴重な野草や、食べ物がありました。その他、近海の魚も採れ、暮らしを立てていたそうです。男の役割は、漁にでて留守にしていますからほとんどが女性たちで家を形成していたとも言えます。

フボー御嶽というところは、原始の魂が宿る場所と呼ばれ男子禁制になっています。アマミキヨといった祖神の魂が、その住居跡に遺っていると信じられています。ニライカナイをはじめ、「原始の魂」とは心の故郷でもあります。戻ってきたいと思える場所、帰ってきたいと思える場所、それが故郷「根のクニ」であろうと私は思います。そしてその根のクニには「見守られてきた思い出」がある場所だとも言えます。人は見守れるからこそ故郷(根のクニ)があり、見守られたところが故郷(根のクニ)です。そういう魂の故郷(魂の根)を持っているということは、生き死にを超えたところに存在するように思います。

民俗学の柳田国男さんが、同じ民俗学の折口信夫追悼会にて「根の国とニルヤのこと」としての言葉にはこうあります。

「つまり日本人が昔持っておったニルヤ、ネノクニという国は、モトの国、モトツクニであって、遠くの方、海の水平線の向こうのウナサカにあり、相応に楽しい所であり、人も時々は戻ってくることのできるところであったということであります」

海の彼方には根のクニがあったと言います。魂の故郷、自分たちが見守られた場所があったと言います。そこは魂の楽園であり、何かがあれば戻れる故郷があったといううことです。人々が疲れ斃れそうなとき、懐かしい場所があるということは何よりも魂を救います。かつてヤマトタケルの望郷の詩「大和はクニのまほろば・・」を思い出しました。私たちの望郷というのは、故郷への思いです。その故郷がいつまでもあることで私たちは外に出ていくことが出来ます。そして外に出たら帰る場所があるから安心できるのです。さらに柳田国男さんはこういいます。

『亡き人と会える場所と伝えられる』三井楽(みいらく)という地名の考証には、私は最初南島のニルヤ・カナヤが、神代巻のいわゆる根の国と、根本一つの言葉であり信仰であることを説くとともに、それが海上の故郷であるがゆえに、単に現世において健闘した人々のために、安らかな休息の地を約束するばかりでなく、なおくさぐさの厚意と声援とを送り届けようとする精霊が止往する拠点でもあると、昔の人たちは信じていたらしいこと、その恩恵の永続を確かめんがために、毎年心を籠め身を浄くして、稲という作物の栽培をくり返し、その成果をもって人生の幸福の目盛りとする、古来の習わしがあったかということを考えてみようとした。」と。

まさに久高島が「神の島」と言われる由縁です。一家を見守り、いのり支えられる場所、そして魂が戻る処こそ、私たちが永遠を確認する場所であったということでしょう。そこには神の仕業という仕組みがあり、具体的には稲作という稲を共に育てることをもっていつまでもその魂の故郷の生き方や暮らし方を見失わないようにという初心伝承があったのかもしれません。稲がどのように伝播してきたか、そして海上の道を先祖たちがどう歩んできたかの終始点は確かに琉球にあったのかもしれません。

そして同じ民俗学の折口信夫はこう言います。

「万葉人の時代には以前共に携へて移動して来た同民族の落ちこぼれとして、途中の島々に定住した南島の人々を、既に異郷人と考へ出して居た。其南島定住者の後なる沖縄諸島の人々の間の、現在亡びかけて居る民間伝承によつて、我万葉人或は其以前の生活を窺ふ事の出来るのは、実際もつけの幸とも言ふべき、日本の学者にのみ与へられた恩賚である。沖縄人は、百中の九十九までは支那人の末ではない。我々の祖先と手を分つ様になつた頃の姿を、今に多く伝へて居る。万葉人が現に生きて、琉球諸島の上に、万葉生活を、大正の今日、我々の前に再現してくれて居る訣なのだ。」

生き方を見つめるのならかつてどこから私たちが生き方暮らし方を訣別し分けてしまったのかを思い出す必要があります。分かれてしまって出来上がった社会が今の現実だとし、もしもこの今の社会が間違ったのではないかと心が気づいたのならまたそこでご破算にして初心からやり直せばいいのです。その初心を求めるとき、まだ全国各地の美しい故郷にはそれが遺っているはずです。そこに暮らす悠久の長い歴史を助け合い和の心で生き抜いてきた先祖たちを尊敬し、今の私たちの生き方をどう温故知新していくかは今を生きる私たちの本当の使命ではないかと私は思います。

そして私たちの先祖、「万葉人」は『言霊』を扱う民でした。その本来の万葉人の直流こそが琉球人だともいいます。私たちの先祖たちがどのように暮らしてきたかを求め探し出し、伝承する場所をどのようにして遺していくか、課題はまだまだ山積みです。

最後に魂を磨く時代、魂を救う時代、沖縄では魂のことを「マブイ」といいます。先日、沖縄で参加した朝礼である経営者の方から「魂を磨いている人たちをみると眩しい」と言われたことを思い出しました。

マブイを磨くのは、俗語ですがマブダチ(仲間)に出会い、マブシイ(本物の美しい姿)を顕現していくことかもしれません。引き続き、子ども達の三つ子の魂を見守るためにも、魂磨きを深めつつ実践していきたいと思います。

彼方の海道も今回で御仕舞ですが、引き続き島根へとつながりを愉しみたいと思います。子どもの故郷を遺して譲っていくために、いただいたいる御縁を大切に歩みを進めていきたいと思います。