独立自尊

人は人に寄り添って生きている。そして、ちゃんと自立していれば代わり変わりにそれぞれに役割を果たしながら自らの命を存分に発揮していこうとする。

この世に生まれてくれば誰しも、太陽や空気、水などといった大自然の恩恵を受けられる。そしてその環境の中で、様々な命が「正しく生きる」という行為を通じて自然と共生しながら自分の命を素直に尽くしていくようにも思える。

しかし、今の時代の人間の社会はその生きようと尽くそうとするものが余計な環境によって、他に生きながらえされているような人たちで偽造されることが通常になってしまっているようにも思える。

ここでは「生きる」とは、どんな環境の中でも自分の命を正しく存分に発揮することと定義したとする。

しかし、自らの身の回りを見渡すとどうだろうか?

生活に堕落し、便利に流され、怠惰に自分のやれることをせず、他人に自分の命の使い方まで依存し、任せ、その結果や中身までを他人のせいにしようとして何もしない人がたくさんいる。

誰かに作られた平均的な幸せや、与えられた幻の安らぎに刹那刹那に満たされることだけを欲して、只管に自分で考えないように情報を垂れ流していく社会になっているような感じもする。

しかも、人々も正しい教育を受けず、自分を修めることを怠り、偽造されたそういう環境の中で巧みに依存して、うまくいったいかないと一喜一憂するだけで自らの力を使わずに何もしない人がたくさんいる。

そういう人は、日々、朝から夜まで、誰か責任感が強い人や、何でもやろうとする人に寄生し自分の力を使わずにうまくやることばかりを考えて、ただただ言行不一致の日々に呆然と過ごしているような感じになっている。

こういうものも、きっと幼児期や今までの人生で誰かによる過干渉や過保護な関わりに刷り込まれ、自分本来の根本の力や自分の芽を育てることを避けて逃げてきたことの積み重ねで起きるのだと思う。

自分自身の自立のための主軸を定めず、ただ流されていたらこの今の世はとても生きるのが難しいのではないかと本当に心配している。

本来の人間社会は、個々の自分の命の正しい発揮からどのように社会に参画していくかを考えることで成り立つことができている。その中には、軽重、高低、強弱など様々な個が存在し、融和調和して自然の中で自立していこうとする生きるものの本質的な共生と貢献による社会の自立を目指す姿がある。

どこかに偏るのはその陰に、せっかく生まれたのに正しく生きようとしないでこの時代に依存し命を粗末にしようとする権力者や支配者の願望と欲望の現れなのだとも思える。何が良いか悪いかではないけれど、今の時代が良いものかどうかは、如何に周囲への思いやりがあるかないかということだけでも今の社会を計ることができる。

今の日本を含め、この社会を観るとはたしてどうだろうか?

周りに迷惑をかけているのに、それを返そうともせず、自分が見守られているのに自分を生かそうともしない、そしてただただ誰かがやってくれると日和見的に何もせずにうまくやろうとすることばかりが重んじられる世知辛い世の中になっていないだろうか?

そして、子どもたちはどうだろうか?

身勝手な親たちや、責任を取らない教育者たちが、目先の損得ばかりに囚われ、うまくやることばかりを教えて、子どもたちの生きる力を奪い去りそぎ取っていないだろうか?

今の社会に慣れさせるための教育ではなく、これからの子どもたちの社会を見守れるような教育に変えるのはいつのことになるのだろうか?

子どもたちは、見ていれば自然に自らのやりたいことを実現していく。
手を出さず、信じてみてあげることでどんどんその力を出そうとする。

人間は、生まれた瞬間、赤ちゃんの時からずっと死ぬまで本心本気で生き切ようとするのだ。
自分の力で生きようとするのだと、当たり前のことを信じずにそれをさせなくするというのはどういうことだろうか?

たとえ、その子どもがそこで力尽きようとしても、それは周囲のせいではない。

本人の生きる力は絶対に尽きるはずがない、それが生まれるということだし、生きるということだと認識すればそこに生きる力が開花していくものだと私は思う。

生きることを止めさせる権利は誰にあるというのだろうか?

生きようとするのは、誰しもこの世に生まれるときから決めていたこと。
それを本人が周囲からの刷り込みにより、楽をしただけ忘れているだけだと思う。

だとしたら、いかに本気で生きることができるようにするのか、自立することができるかは、私たちが見本を示すことで、子どもたちがこの世での使命を果たそうとする本当の理由に辿り着くことになるのだと私は思う。

何より自分が立つこと、それが人を救うことだし、この世で共生すること、あるがままの幸せを感じてそれが真理になっていくのだと思う。

自立しないというのは、それだけでこの世に来ている意味を忘れさせているのだと私は思う。

自立しないというのは、生きようとしないことに等しい。

これからの国を支えるリーダーたちはもう一度、自分のことをよく省みてなぜ自立する必要があるのかを考える気づきを大人にも施していく必要があると私は思う。

そして、そのリーダーはいつも自分が何かとても偉大な温かいものに見守られていることをよく知っている人たちになっていくのだと思う。

自分が生かされているということに感謝できる人たちであり、その生かされたことが分かるのは自立しているからこそできるのだから。

子どもたちには、自分が在る今の環境の中でどう自分を尽くしていくかを大事にしてほしい。そして、生きる力が備わっていることを信じられるようになってほしい、その生きる力を尊び、見守られていることを感じられるような大人になってほしいと願う。

道は、まだまだ遠大で広大。

まずは自分自身、自立ということを深めて周囲を見守る実践を尽くしていきたい。