和の心

人間にはそれぞれ価値観がある。

それは今まで生きてきた中で、様々な体験や経験を通じて学んだものがある。
そして、時にはそれが先生であったり親であったり、上司であったりと、それぞれの価値観で正しいと思ったことを信じて人は歩んでいく。

自分が、どこに価値を置いて生きていくのかを知っている人は、自分を知っているということになる。また、逆に、自分の価値観が分からない人は、自分のことをよく分かっていないということになる。

人は人と出逢い、その人との価値観の相違や同異により自分とマッチングするものを探していく。そして、生き方もそこで変わってくる。育ち方があるとするならば、今までどのような機縁に出逢い生きてきたのかというのは自分の今を観透かすにはとても役に立つ。

人は、時代の変化、環境の変化で自分を変えていくことが求められる。時代が前へと進まなければいいけれど、世界も時も流転するし循環している。国際メンターシップ大学の吉川先生も仰っていたけれど、変化とはメビウスの輪のように変化するときには加速度的に交差し反転し繰り返しながら進化する。

そして、その時に重要なのが価値観に対して柔軟かどうか。

つまり素直かどうかが鍵を握る。
以前、このブログでも書いたけれど、素直なのは、価値観に対して柔軟だということ。

そして逆に、自分の価値観が正しいと決め付け相手や周囲に反発し自分を変えない人は、価値観に対して頑固という。そしてそれをやり続けるために、性根も一緒に曲がり、判断も湾曲屈折し、何をやってもうまくいかない。なので、ひねくれたり、意地っ張りだったりを貫き通し、そしていつまでも同じ環境を求めて、同じ場所を探し続けて転がり続けることにもなる。

もちろん、それが良い悪いではなく、本人の価値観なのだから自分がそれを深く理解し、それにあったものが幸せだと気づくのであればその道を探し求めていけば最後には自分の価値観に合うところに出逢い、幸福をつかむのだとも思う。

しかし、人間は社会の中で様々な環境や時代の変化に対して自分を進化成長させていかなければ大きく変化する世の中でみんなと一緒に支え合い共生していくことはかなり難しい。

昔、私自身、上司に、とんがってもいい、とんがってぶつかっても最後には丸くなるのだから大きくとんがれと育てていただいたことがある。

今でも、その言葉の御蔭で、会社を経営し、大きくとんがって社会のお役に立てるように大きく価値観を進化させて新しいものを生み出そうと努力している最中だけど、だからといって頑固になれということではないし、ひねくれろと教えてくれたわけでもない。

もっと大らかに素直になれ、そして純粋なまま歩み続けろという意味だと今では感じている。

変わるというのは、私の定義では価値観の優先順位が変わるということでもある。

もちろん価値観を定めて優先順位を変えないからこそ、人ともぶつかるし、敵もできる。しかしその先に、信念が醸成され、怒りを社会を浄化していくための情熱に転換していくこともできる。

そして、その自分を超えた大きな「思いや願い」のような価値観が一人ひとりの心に伝播し、世の中を地球の意志である在るがままに易える原動力にもなるのだと思う。

そして、価値観に対して素直にするような実践が昇華されていけば、自然に和の心が持てるようになる。自分が在りながらも相手を受け容れることができるという敬愛の精神、和の心。

この国には、聖徳太子以前より天孫降臨、八百万の神々の示す理念として和の心がある。
だからこそ日本には、様々な融合宗教があり、様々な融合芸術、つまりは「和」があるのだと私は思う。

和の心を自然に持つあの子どもたちには、これからのずっと素直に活き活きと自分らしく生きてほしいと願う。だからこそ、見守る私たち大人はいつも和の心と素直な心でまず自分たちが実践を通して未来を切り開いていきたい。

自分こそが、子どもたちの未来になり、今こそが、変えることのできる瞬間なのだと肝に命じて一期一会に日々を使っていきたい。

これからも常に変化というものを恐れず、真理を追究していくかんながらの道を歩むことを誓います。