一人ではない

生きていれば色々なことを感じて迷ったり覚めたりすることは当然だと思う。

その時その時の自分の心が如何に正しく澄んでいるか、そういうことを思うよりも先に自分の感情が波立ってくると迷いがおきてくるのも学びの歓びであると思う。

もともと自分が決めてあったものも、そういう時に揺らいでしまうのは穏やかで静かな澄んだ心が出にくくなっているからでもある。

人は思い思いに日常の中で様々な自分の欲求を満たしながらも、自らの道を歩んでいるのである。そうやって研磨しながら身を修めていくことで、格と徳が顕われてより一層澄み渡っていくのだろうとも思う。

自らの道がどんな悪路であろうが自分が決めたのだから最期まで遣り切ることではじめてその答えが次第に観えてくるのであろうとも思う。

長い時間をかけて行うことはすべてに地味な行為でもある。

その地味な行為の中に妙味を感じることは澄んだ心でしかわからない平穏な境地を楽しむことになるのだろうとも思う。

人は人によって心揺らぎ、また人は人によって心澄むことができるもの。
如何に人を愛し、慈しみ、思いやることが価値のある事か。

生きることは素晴らしいということに尽きているのだ。

安心してその命を全うするということは、その根底に何よりも信があることが大前提になっていてそれを支える人がいるから人は感謝とともに命の源を感じて今を楽しむことができるのであろうとも思う。

人は一人では生きられないのではなく、生きることは一人ではないということなのだろうとも思う。

世界を信じて人間を信じてすべての天地自然を信じて真我のままに寄り添い生きることが至誠そのものの天と通じて一体になることであろうとも思います。

なかなか人にはできないことを今までもやってきたのだから、ぜひこのまま迷わずに最期の瞬間まで大切に丁寧に真心のままで遣り切ってほしいと思います。

私も実践を共にしつつ心からあなたを支援していきます。

誠の日々を楽しみながら次なる旅路を脚下の道を味わい尽くしていけるといいですね。

互いに道半ば、元気いっぱいにまた今日も迎えましょう。