戦いを省く意味

中国の孫武によって書かれたと言われる「孫子」という有名な兵法書があります。特に有名な原文に「戦わずして勝つ」というものがあります。

具体的には「百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。」とあります。これは百回戦って、百回勝利を収めたとしても、それは最善の策ではない。実際に戦わずに、敵を屈服させるのが最善の策であるといいます。

戦略とは、文字通り戦いを略すとあります。戦わなくてもいいのならば、戦わないようにするのがもっとも最善な戦略という意味に解釈します。

そもそも自然界には天敵というものがあります。蛇とカエルだったり、フクロウとネズミだったり、他にも作物に対する病害虫、病原菌なども天敵になります。つまりは通常なら敵わない相手があるということです。人間の天敵は誰かといえば、今はほとんど天敵がいなくなっていますからそれは人間自身ということになります。

人間の欲望であったり、人間のごう慢さであったり、人間の持つ自意識など自分に克てるかどうかは数千年の歴史の中で私たちが向き合ってきたものです。戦争が起きるたびに私たちは繰り返し悲惨な体験をしその都度、学び直して人間の中にある天敵と戦わないでいい方法を模索してきたともいえます。

先ほどの孫子でいえば、「三十六計逃げるにしかず」とあり常に天敵だと思えば逃げることが何よりも戦いを省くことになりそれが最上なのだという解釈になります。

これは戦うか逃げるかのことを言っているのではなく、如何に「戦わないか」と常に戦争を避けるかという戦において肝心なことを中庸によって語っているように思います。よく競争や戦争など争う中で生きていると、臆病者と呼ばれたり、勇敢だと叫ばれることもありますが、戦いを省略できいのちを守れるのならそれにこしたことはありません。

しかし先ほどの天敵であっても、子どもを守る親が子どもを守るためにいのちがけで立ち向かうこともまた自然界にはある当然の真理でもあります。大切なものを守るということ、それが大前提にあってはじめて先ほどの「戦わずして勝つ」という道理は成り立つように思います。

常に最善を盡して、子どもたちのお手本になるような生き方と実践を積み重ねていきたいと思います。