茅葺との出会い

英彦山の宿坊、守静坊の茅葺屋根の準備がはじまっています。そもそも茅葺屋根に繋がるまでのご縁を振り返ってみると不思議なご縁で今に至っていることに気づきます。

思い返せばこの茅葺との出会いは、4年前に故郷にある私が幼い頃から参拝している8体のお地蔵様の建屋を修繕することがはじまりです。このお地蔵さまは私のふるさとの88か所巡りに配置してある石像の一部ですが、コンクリートでつくられた建屋も40年以上たちだいぶ傷みが酷く、屋根などは鉄骨が錆びて崩れてきそうな状態になっていました。

そこでこの場所が山の麓の景観のよいところにあること、また美しい桜の木があること、他にも紫陽花や山茶花、紅葉、梅など年中美しい花を咲かせますからそれに相応しい建屋はなんだろうと考えた結果、茅葺屋根の地蔵堂を甦生させたいと思い茅葺職人を探していたところ出会ったのが今回、茅葺屋根を葺き替えることになった阿蘇茅葺工房の植田さんです。

植田さんには、事情を話し、なんとかやり替えたいと伝えてたらちょうどその時にお地蔵さんと植田さんも縁があって一緒にやりましょうと盛り上がりました。しかしその後、地域の色々な理由から茅葺をすることができないということになりその話は中断されました。

不思議なことに、そのお地蔵さんの建屋から坂をくださったところにある江戸時代から続く藁ぶき古民家を甦生することになり天井の内側の藁ぶきを修繕するということでお願いすることになりました。そこで使われていた古い藁は、他の場所にある色々な藁ぶきの古民家の修繕に再利用されて甦生しています。

そこから少し経って、今回の英彦山の宿坊を甦生することになり最後の仕上げに茅葺屋根をするということで決まり昨日から我が家に職人たち5名が泊まり込みながら英彦山に通い甦生していきます。

お地蔵さんのことがなければ、私はこの職人と出会っていません。そしてこのお地蔵さんの建屋を修繕するために連絡した方がだいぶ以前に離れてしまった親戚だったことがわかり今では一緒に徳積財団を設立し運営しています。

英彦山の宿坊も私の名前をつけていただいた霊仙寺の前住職さんの寺院の傍で同じ谷にあり、その宿坊も山伏研究の第一人者の先生のご自宅でした。共通するのは、150年前の歴史の空白を埋めようと努力され甦生させるために尽力してきた方々の想いがあるということです。

想いがリレーのようにつながり、私の所にたどり着きました。私はその想いをつなぎ今、英彦山から茅葺を使って懐かしい未来を甦生させていきます。

なぜ今、こうなったのか、なぜ今、これをやっているのかは色々な人たちの想いがつながって今に至っているからです。お地蔵さんも、宿坊もすべて信仰の想いを残してくださった先人たち、そしてそれを渡してくださった方々、さらに私と周囲の人たちが次世代へとつなげていこうという願いや祈りが形になっていくのでしょう。

子どもたちに伝道し伝承できるものを、自分なりに努めていきたいと思います。