型破り

「守破離」という言葉があります。これは日本の伝統文化の仕組みの一つであり、芸に関する一つの知恵の境地です。もともとは、千利休の訓をまとめた『利休道歌』の中で「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したとあります。

私の認識では、現代でいえば初心を忘れず目的や本質を守るためには型破りであってもいいという解釈をしています。そもそも何のためにやるのかがズレているのに型ばかりにこだわっても意味がありません。もちろん、型があることは尊重していてもその型に嵌るばかりに本来のあるべき目的まで忘れたら本末転倒です。

本当は型を守ってきたから原型というものがわかり、それを時代の変化に合わせて破り続けてきたからたくさんの流派が誕生しました。そして最初の型に囚われなくなることで自由に自分らしい原型を磨くことができたともいえます。

物事には、常に原点があります。原点があるから原型があるともいえます。しかし原型は原点ではありません。あくまで型であるからそれは原点回帰するための一つの手段として存在しているのです。しかしその型が、一つの常識になり型=原点のように語られてしまうとそれこそまさに道から外れたものになっていくのです。

そもそも先人たちの産み出してきた型はすべてにおいて手段です。一つの道をどの手段で実現するか、そして自己をどう磨いていくか、それに尽きます。時間と共に手段が増えていくということは、それだけ手段の型がたくさんできることでありそれだけ型破りも出てくるというものです。

本質を磨き切って原点回帰したものほど、型破りであるように周囲から見えます。それは本人は型を理解しちゃんと型をその時代、その場所、自己同一させ型守りをしているのですが周囲から見るとそれが型破りになってしまうのです。

道を志す人は、型を創造していきます。そして中興の祖のように原点回帰していく人は、始祖との邂逅を行うのです。

これから宿坊の甦生に取り組みますが、周囲からきっと型破りといわれると思いますが私にとっては原点回帰であり目的や初心を磨き切るつもりです。未来の子どもたちに、本質を譲り遺していきたいと思います。

未来の結果

日本の伝統家屋や民家ではよく「ヤモリ」を見かけます。これは家守や守宮とも書き、家を守る存在としてむかしから大切にされてきました。アジアの国々でも、縁起の良い生き物として神様のように崇めているところもあるそうです。

基本的には夜行性ですから昼間は軒下や天井の裏などにひそんでいますから見かけませんが、夜になると窓ガラスにはりついたり、網戸にいたり、障子を走り回ったりと賑やかです。

寿命は長くても10年から20年くらい生きます。冬はなるべくじっとして過ごして春から秋にかけて活動しています。湿気の多い時期、家を壊すシロアリや虫たちが出てきますがヤモリがいる御蔭で人間の手が届かない場所までスルスルと隙間を通って駆除してくれます。他にも私たちが苦手な害虫としているゴキブリ、蚊やハエ、蛾なども食べてくれます。

私たち人間は暮らしの中で相性が善い虫たちと長い時間をかけて共生関係を結んできました。トンボやクモなどもですが、人間に害があるものを駆除してくれる存在です。ヤモリはその代表的な生き物であり、ずっと今まで一緒に暮らしを営んできたパートナーの一つということになります。

このヤモリは爬虫類で、肺があり心臓があります。とても素早いのですが、愛らしい目や顔をしているので近くでみるとなかなかのものです。基本的には臆病で人間にかみついてくることもなく、歯もないので痛くもありません。

それにヤモリはむかしから縁起物として富の象徴ともいわれてきました。他にも夢にでると良いことが起きるなどともいわれています。これだけ様々な言い伝えがあるというのは、ヤモリが出てくるときはいつも何か良いことがあったということ。言い換えれば、ヤモリの後には善いことがあるのではないかという準備をしたということでもあります。つまりヤモリと吉兆の縁を起こすのです。

不思議なことですが、先人たちは子孫たちに大切にしてほしいものを縁起にして善い存在として接していきます。何か自然において私たちにとって有益で共生できると信じればそれが目先の現実では理解できないことでも縁起担ぎをしていくのです。

これは何回も繰り返される経験の中で特に善い結果が出たものをいつまでも覚えていて、その結果につながる前兆をよく思い出し、その前兆であるものを縁起のよいものにしていくという考え方です。つまり幸運を引き寄せていくための智慧と工夫がそこにはあるのです。

ヤモリが縁起がいい、そして幸福や富の前兆とみるのはヤモリを大切にしてきた家が繁栄してきたという歴史的な結果を多く見てきたからでしょう。これは健康であることや、生き物や周囲に思いやりがあることや、場が整っていることなどもあると思います。

そう考えてみるとヤモリは、その人間のかつての結果を伝える大切な存在のような気がしてきました。口伝や伝承、縁起などには必ず結果に元ずく事実があります。その事実は経験の集積によって顕現した智慧ですから、子どもたちの未来の結果のためにもその智慧を伝えていきたいと思います。

暮らしの定義

英彦山の宿坊の甦生をはじめるにあたり、何を初心にするかということを再確認しています。もともと私は子どもたちの1000年後のことを憂い今、何をすべきかを考えてカグヤという会社を起業しました。そして、子どもの憧れる生き方と働き方を伝承していこうとし、暮らしフルネスというものを定め、その場を磨いています。

そもそも暮らしというものは何かといえば、人間の生き方を表現する場のことです。

例えば、僧侶が暮らせばお寺になるし、山伏が暮らせば宿坊となります。現在は、仏教が檀家制度をとって墓地や葬式などの形態がメインになって場のようにいいますが本来、仏陀がいた頃のお寺とは僧侶たちが住みそこで仏の生き方を実践した場がお寺のはじまりの姿だったといいます。

なので私の思う暮らしの甦生とは、どのような生き方をするのか、そしてどのような働きを実践するのかを日本人の先人先達たちの姿から学び直しその徳を現代につなぎ直そうとしているのです。

本来、暮らしそのものはその人の持つ人間性や精神性、魂が現れてくるものです。その人がどのような生き方をし実践するかが丸ごとすべて詰まっているものが暮らしです。何を大事にしているか、どのような想いを育てているか、そして何を実現しようとしているのか。その一つ一つが、暮らしを通して場に感化されていくのです。

だからこそその場には、その人の暮らしの真心が薫ります。

現代は場をすぐに環境というものの言い方で置き換え、最近では見た目が華やかであればその場がさも価値があるかのように広報したりします。これは営利のためです。しかし本当は、場には人が着いているのであり主人の生き方が中心になっているのですから自然に薫ってくるものなのです。

お寺であれば坊主、宿坊であれば坊主、庵には庵主がいるように、主人の生き方があっての場であるということです。その場があることで、私たちの風土や国土はさらに歴史を重ねて磨き上げられ国宝となっていきます。

残念なことに今の建築というものも専門家によって美術品のようなハコモノになってきていますが本来の建築は主人がいのちを吹き込んでいくものです。建物と主人は決して分業し切り離せるものではなく、主人が代わり続けても生き方が変わらないから建物としての場が甦生し続けているのです。やはり肝心なのは主人の存在であるのは間違いありません。これはすべてに言えるのです。

家であれば家主がどのような暮らしを実現するか。そこに場があります。むかしは修練する場を道場といいましたが、今は西洋文明が覆いかぶさりましたから場と道が逆転している時代です。だからこそ原点回帰し、場道と名付け私はその生き方を暮らしフルネス™と定義したのです。

子どもたちが1000年後も安心して立命できるよう、見守り続けられる場を醸成していきたいと思います。

湿度から学ぶ

日本の風土は高温多湿です。この時期の平均湿度は74パーセントくらいあるといいます。私の今居る家も、大雨が降り始めましたが湿度は84パーセントあります。これは空気中の水分がどれくらいあるかを示したものです。

私たちの身体は、自分にとって快適な体温を一定に保つために常に気温や気候に合わせて活動をしています。暑くなれば冷まそうとし、寒くなれば温めようとします。この変化が激しいと、それだけエネルギーを必要とするためかなりの負担が身体に生じて夏バテや熱中症の原因にもなるといいます。

一般的に私たちが快適と実感する湿度は40%から60%といいます。40%を切ってしまうと肌や目などが乾燥し、インフルエンザウイルス等が活発になります。そして逆に60%を超えてしまうとダニやカビが活発になります。

湿度によって、ウイルスやカビが活動しますから常に湿度を一定に保つための工夫が必要になってくるのです。現在の住宅では、気密性が高く部屋の空気はこもっています。なので除湿すればすぐに乾燥し、水分が増えればずっと残ります。本来、微風が通れば自然に湿度は一定に保たれるのですが風が通らなくなるとあっという間に湿度の管理は難しくなります。

伝統的な日本家屋は、この湿度との関係を常に意識して設計されてきました。また家屋に使われる材料もどれも湿度を意識したものばかりです。例えば、障子、土壁、畳、建具に囲炉裏などどれも湿度を調整するためのものです。

湿度が高すぎるときは吸収し、低すぎるときは加湿します。つまり車のハンドルの遊びのように、変化が緩やかに発生するように調整する役割を果たしているのです。あとは、もともと隙間が多く、ほとんど外界とつながっているような建て方をしていますから常に風が通り、そのうち快適な湿度に回復して保つようになっているのです。

そうはいっても、梅雨前線が停滞して暑さが厳しいときはどうしようもありません。そんな時は、きっと窓を開けてあとは拭き掃除をしてカビが発生しないようにしたのでしょう。それに冬の極度の感想には、囲炉裏で常にお湯を沸かしてお茶をたてて対処したのではないかと思います。自然と共生していたころは、私たちは湿度を身近に感じて暮らしを営んでいたように思います。

都会では、総合空調で空気清浄機でコントロールされているためあまり湿度とかカビとかウイルスとかも気にすることはありませんでした。しかし田舎に暮らし、伝統的な家屋に住むと如何にそれらが身近であったかを実感します。

見方を変えれば、湿度の御蔭で発酵食品は保存でき、ウイルスなどの予防になり感染症を抑えてくれるということでもあります。それに湿度の変化で身体は常に五感やエネルギーを使いますから自然にお腹もすいて美味しくご飯が食べることができます。

健康を考えたら、自然と共生する仕組みを活かしている暮らしの方が快適に安心して長生きできるように思います。子どもたちに、湿度との関係から学び直すことを伝承していきたいと思います。

自然から学ぶ

自然物を観察していると、如何にそれが発明に満ちているものであるかがわかります。虫も植物も、また微生物にいたるまで、なぜそのような能力を持つのか、そしてその形状になっているのかを観察するほどにその発明のすごさに感嘆するのです。

私たち人類は、飛行機をつくり空を飛び、新幹線をつくり地上を高速で走りますが虫や魚たちはもっと以前からその能力を持っていたことがわかります。他にも近代科学が追いつこうとしているものは、すでにほとんどが自然の中に存在しているものです。

長寿の仕組みも、毒を解毒する仕組みも、ミイラから蘇生する仕組みも、すべて自然界のものがすでに発明済みのものばかりです。むかしの人たちは、その自然界の発明したものをうまく真似し、時には取り出してそれを暮らしの智慧として活かしてきました。

人間が傲慢にならず、よく自然を観察したからこそ発見できたのであり、発明したわけではないのです。謙虚に物事の本質を見抜けば、この世の発明はすべて発見であるということでしょう。

発見するためには、よく自然を観察する洞察力や探求心が必要です。なぜ、それができるのか、なぜこうなっているのかと自然の仕組みを解明するための意識が磨かれている必要があります。

自然にそうなったのは、なぜ自然にそうなったのかという原点回帰を知ることです。

私たちの好奇心は本来、あらゆる自然の姿に向いているものです。それが知識を得ることで自然への観察が劣化していきます。また当たり前すぎるもののことを人は考えることがありませんから、当たり前のことをちゃんと見直してみる学問への姿勢が求められます。

身近な虫一つからでも、身近な出来事一つからでもなぜ自然がそうなっているのかを観察すればするほどに驚きの連続です。自然物はまさに、神様や創造主の智慧そのものであり私たちには真似できない奇跡の仕組みと働きをもっています。

子どもたちには、自然から学ぶことの大切さを伝承していきたいと思います。

周期意識

生き物にはそれぞれの周期というものがあります。私たち人間は24時間周期で活動していることになっていますが、魚などはそれぞれの周期をもっていたりするといいます。特に月の満ち欠けによって、魚は潮の動きや海のリズムに合わせて活動しますから周期がそれぞれに異なっているということです。

つい私たちは、昼と夜の2つでリズムを取りますが海の中や土の中、穴の中にいる存在は周期というものがそれぞれに異なるのです。

ほとんどの生き物は、24時間周期ですがそうではない生き物がいるのも事実です。そこから考えてみると、もし地球外の生き物で36時間や120時間などの周期のものがあればそれに沿ってバランスをとるのかもしれません。

自然界には13年と17年の周期で大量に発生する周期セミ(素数セミ)というものもあります。同じ種のみで一度に繁殖し、循環の巡りが長いためそれだけ生き残れるという戦略でもあります。

周期は生き物だけではなく、太陽や地球にも存在します。その周期の組み合わせを体内記憶にもって、私たち生命はその周期に沿って暮らしを営んでいるのです。

最近では、短い周期のことしか、またはすぐに目に見えてわかる周期のことだけが話題になりますが本来が非常に長い周期を私たちは生きているともいえます。人類の歴史も、その他の生命たちの経過も、絶滅期があったり繁栄期があったりと周期を繰り返してきたのです。

どうにもならないこともある中で、私たちは周期をもっているという意識を持つだけで通常の時間やスケジュールとは別の次元を持つことができます。周期意識をもって暮らしていきたいと思います。

カビから学ぶ3

カビのことを深めてきましたが、最後にはやっぱり日本の国菌である「麹菌」(学名:アスペルギルス オリゼー)を書いておきたいと思います。この国菌は2006年、日本醸造学会によって「われわれの先達が古来大切に育み、使ってきた貴重な財産」であるとし「国菌」に認定してからのものです。

このカビは、和食を支えているカビであり日本人の健康を支え続けてきたカビです。日本酒、漬物、味噌、醤油、みりん、酢、甘酒、あらゆる日本の代表的な和食の発酵食品をつくりだすことができます。

このカビは、日本にしか存在しません。日本の風土の中で時間をかけて育ってきたもので海外では育たないとも言われます。このカビの菌は、分類わけされると5種類あるといいます。黄麹菌(きこうじきん):味噌や醤油、白麹菌(しろこうじきん):焼酎、黒麹菌(くろこうじん):泡盛、紅麹菌(べにこうじきん):豆腐よう、鰹節菌(かつおぶしきん):鰹節という具合です。

この麹菌はカビですからそのものを食べるわけではなく、麴菌の代謝で作られた成分を食べるのです。この代謝物は酵素ともいい、たんぱく質をアミノ酸に分解する「プロテアーゼ」や、でんぷんを糖に分解する「アミラーゼ」、脂質を分解する「リパーゼ」など、たくさんの酵素を生成していきます。その御蔭で、人体に有益なビタミンB群、必須アミノ酸やミネラルそして食物繊維などが摂取できるのです。

実はこのカビは、むかしは非常に人間に有毒であったといわれます。他のカビと同様に、毒をもち、悪影響を与えていました。説として有名なのは、アスペルギルス・オリゼーによく似た「Aspergillus flavus(アスペルギルス・フラバス)」という種類がいます。この アスペルギルス・フラバスは猛毒であるアフラトキシンを生産することで有名です。この猛毒を生産するアスペルギルス・フラバスを日本人が無毒になるまで育てたことで誕生したのではないかといわれています。それが私たち日本の国菌の由来でもあります。

つまり「和」を保つ、和にする力、和食を支える麹菌は、猛毒を無毒にするまで一緒に育て上げた共生の結晶ともいえます。日本人の先人たちは、家畜といって動物を大切に家族のように扱い暮らしてきました。牛や馬、鶏や犬などももともとは野生で狂暴だったものが愛情深く育てて関わることで人間と一緒に暮らしていくものに変わっていきました。

今でいう養殖は、養鶏などをみても狭い場所で厳しい環境ですがむかしは家の周囲で同じ家畜として一緒に豊かに暮らしを営み、助け合っていました。

日本の和を支えるというのは、この伝統的な日本人のいきものやいのちに対する思いやりであり、それをもって有毒などものを無害化し、敵対していたものも仲間にしていくのです。

私は世界でこの日本の「和の心」は、現代のアップデートすべき人類の方向性や生き方にとても重要な役割を果たすと信じています。だからこそ、暮らしフルネス™を実践し、暮らしからそれを子どもたちに伝承していく必要を感じるのです。

すべてを敵視するのではなく、一緒に地球に暮らす仲間としてどう調和して暮らしていくかをこれからも私たちは生き方として学び直していくことは欠かせません。先人たちの和の心を継いでいきたいと思います。

 

カビから学ぶ2

カビのことを深めていますが、カビは人類にとっても世界にとっても必要な存在であることがわかります。地球の約4割ほどに存在する理由は、カビが地球にとってとても大きな役割を果たしているからです。

昨日も書きましたが、カビは細菌でも植物でもなくキノコや酵母と同じ真菌類です。この真菌類は、細菌とは違って細胞の中に遺伝子を納める核を持っています。そして分解することによって生きています。

つまり、この地球の循環において分解するという何よりも重要な働きをしているということになります。私たちの今の社会は分解する生き物に容赦ない仕打ちをしていきます。

例えば、ごみ問題も分解できないようなプラスチックなどの素材をつくります。他にも防腐剤や防カビ剤、抗菌剤などをつかい、徹底的に分解させないようにします。コンビニのおにぎりや菓子パンなども、ほとんどカビがつくことがありませんからそれだけ薬品漬けにしているということです。

私の小さい頃は、おにぎりもパンもあっという間にカビが生えて食べれなくなりました。テーブルの上に食パンを置いていたら、ものの数時間で水気がとんでそのあとカビがびっしりと生えて気持ち悪いと何度も捨てていました。今では数日経ってもそのままですから違う意味で気持ち悪さを感じています。

分解というのは、動物でいえばカラスなど、虫だと蟻などもあります。もしもこの世に分解する役割のものがいなければ地上は死骸だらけで溢れてしまいます。ちゃんと土に帰す存在や、もう一度、いのちの巡りを促す働きをする存在があるから私たちは地球で共生していくことができるのです。

カビは敵にして排除するのではなく、人類にとって善いものは積極的に取り入れて、害のあるものは予防して増えすぎないようにすることがカビとの上手な付き合いになるということでしょう。

上手に付き合うには日ごろからの小まめな掃除、風通し、湿度を発生させないように工夫することなどがあります。どうしても日本の風土は高温多湿でカビの天国のような環境です。なのでカビが多いというのは運命的です。これは自然の仕組みですが、最初から戦っても勝てないとわかっているのならできる限りその敵対する状況を避ける戦略をとるということです。

一つは、天敵と出会えば逃げるが勝ち。そしてもう一つは、運命的であれば予防するというものです。自然界はこの智慧によって生命たちはみんな上手に暮らしを営んでいるものです。

カビは、善いものを取り入れることも予防。そしてカビのバランスが崩れないように調整して発生をコントロールすることが予防ということになります。生き物たちにとっては、分解者の恩恵を如何に享受されつつも、分解者があまり寄り付かないようにするかというバランスが鍵です。

子どもたちのためにも、いのちを壊すような化学薬品を摂取させるよりもカビと上手に付き合う智慧を伝承していきたいと思います。

 

カビから学ぶ

最近の長雨で、カビがたくさん繁殖しています。日本という国は、高温多湿の風土ですからカビがいないところなどはありません。現在、わかっている範囲だけでも9万種類のカビがいて室内の空気1m³中には、いつも数個から数千個カビの胞子が浮遊しているといいます。空気中には常に一定の湿度がありますから、カビは常に存在しているということになります。

このカビというのは、酵母やキノコと総称して真菌と呼びます。カビは糸のような菌糸と小さな種のような胞子からできていて菌糸の先端から栄養や水分を吸収して成長し胞子によって増殖していきます。

今でも毎年、新種のカビは発見され続けています。実際には地球上に生息する微生物のうち実に36%がカビの仲間だといいます。もはやカビは、先史時代よりもずっと前、地球誕生の時から一緒に暮らしている家族のような存在でもあるのです。

とはいえ、カビが生えるのはあまり気持ち良いことでもなく健康被害もあるものもありますからバランスが崩れるほどに大量発生されていたら困ってしまいます。早めに対応してカビが生え過ぎないように配慮していくしかありません。

少しカビのことを分類わけされているので書いてみますが、よく見かけるのは黒カビ、赤カビです。これはお風呂などによくいて、私もこれは嫌いなカビで見かけるとよく掃除します。赤カビは酵母菌の一種です。そして白カビがあります。これは食品、パンや野菜などに付着します。いつも空気中に漂っているので付着して増殖するのです。またよくみかんなどに付着しているのが青カビです。食べ物のカビはそのまま廃棄するので掃除がそんなに大変ではありません。他は、木材などに発生している緑カビです。木造住宅では梅雨時期になるとでてきて木材を腐らせてしまうカビですから気を付けなければいけません。古民家甦生をしているので、この緑カビはよくみかけます。

これらの中には、カビ毒といってマイコトキシンという代謝物があります。これはカビの二次代謝生産物でヒトおよび動物に有害な生理作用をもつものもあります。これらのカビ毒を日々に大量に摂取すると様々な病気を引き起こします。なので早めにカビは取り除く必要があります。だからといってカビは完全に敵ではなく有用なものもあります。例えば、みそやしょうゆなどをはじめとする様々な発酵食品もカビが生成します。むかしから高温多湿だった日本はその環境を逆手に取り、最も上手にかびを活用している国になっています。他にも抗生物質や酵素製剤など医療で私たちのいのちを救っているカビも多くあるのです。

カビは私たちの生活の一部ですが、そのカビと如何に上手に付き合っていく暮らしは長年、自然と共生してともに暮らしを営み続けてきた日本人の智慧の塊です。

カビから、本来の在り方、暮らしそのものを学び直していきたいと思います。

場数の妙

私たちはバランスや調和の中で進化、変異を続けている存在です。これは昨日、ウイルスのことでも書きましたが何度も繰り返されるプラスとマイナスを組み合わせてゼロにしていく中で何回もしくは何億回に1度にだけ調和ミスが起こり形が生み出されていくのです。

広大な宇宙の仕組みと、この身近の最小の仕組みは原理と法則に従って同じことが発生しています。つまり私たちはどんなに分かれていると思っていても宇宙という空間の中で存在しているものですから当然、宇宙の原理原則の中にあるのです。

神話には、伊弉諾と伊弉冉の話で1000人をこれから黄泉の国に連れていくといったら1500人産み続けて増やし続けるという話がありました。もともとはこの世に死というものがなかったものが、このことで発生し、生死の数が微妙にずれるということになったのです。

現代科学でも、素粒子や原子や電子のことがわかってきています。もともと天文学的な回数の調和と破壊の繰り返しの中でのゼロが、ある時突然変異して形というものが出てくるということまでは解明されてきています。

これは私の仮説でもありますが、太陽系も銀河系も、この世の宇宙は基本的には規則正しく相対的なものが毎回、お互いの性質によって消しさってゼロになります。しかし物凄い回数か時間をかけて、ほんの小さな変化が誕生します。それはどちらかの性質がほんの少しだけ強いということでしょう。先ほどの神話であれば、生成するエネルギーの方が崩壊するエネルギーよりもほんの少しだけ強いということになります。

宇宙の本質は、無から生成発展していくということです。物を産み出す原理はこの循環の中で誕生する微細な変化が偶然にも奇跡的にも現れるということでしょう。発明もまた何度も何度も繰り返す中で、エジソンが電球を産み出したように誕生するのです。

そう考えてみるとき、私はこの「場」で誕生する「場数」というものが大きな意味を持つことを感じます。場は、現代科学では場の量子論というものが解明されてきています。場には、素粒子や波動がありまるで空間の中の無に意志が宿るように場が存在するというのです。

私は場の道場を運営し実践していますが、場は繰り返す中で場数が誕生し、その中で奇跡もまた発生してくるのを何度も見てきました。これを場数の妙と名付けています。私たちはこの宇宙の真理を語るのに、この「場」の存在がこれからは何より重要であり、場数とは人類が新たな困難を乗り越えるために必要な思想であり原理になるのは自明の理です。

子どもたちのためにも、場数の価値を伝承し場数を磨いていきたいと思います。