昴年会~忘れるものと忘れないもの~

昨日、大掃除が終わった後、社内にゴザやちゃぶ台を出し古民家調にアレンジして忘年会を行いました。今年は魚醬を用いた出汁に、昔ながらの手作りで作られた練物を入れて美味しいおでんを皆で食べました。

また夕方からは、福岡の自然農園の田んぼではじめて無肥料無農薬で収穫した御米の籾摺りを手作業で行い、その玄米を伊賀焼の土鍋で炊いて一緒に食べました。それに自然発酵のマッコリや、ドイツの白ビール、自然酒やなつめやしの焼酎など、本物に囲まれた贅沢な素食を味わうことができました。

里山でもなく田舎でもなく古民家でもなく、都庁の隣の新宿のオフィスの中でも創意工夫すればいくらでも生き方も働き方も直すことができます。

また忘年会ということもあり、苦労は労いゆるしては、楽しいことはより楽しくなるように一年の思い出を深くじっくりと味わいます。なんだか忘年会というと、世間では大酒を飲み大騒ぎをして嫌なことを忘れてしまおうという勢いですが、私たちの場合は実践できたこと、またその仕合せ、御縁を味わい引き続き理念を大切にしようといったまるで同志と楽問をしているようで有難い時間になりました。

本能は本物を尊びます。それは本物を本能は感知することができるからです。私たちは古代から今まで、どのように暮らしてきたか、そこにはご縁を大切にし感謝をおもてなしに換え、心の穢れを祓い清めて魂を磨いていくようなことをしてきたのではないかと感じます。

冬至を過ぎ、新しい太陽が昇るとき祖神達は心を澄ませたのでしょう。

色々なことがあっても、一円観、全部善いことに転じていくのは「子ども第一主義」があるからです。理念に助けられ、初心に救けられ、道を歩んでいけます。忘年会を通して、忘れるものと忘れないものをまた再確認できました。

最後に、「昴」という星があります。

昴は一つの星ではなく、その星の周りに在る星々の星団のことを言います。一年一年、一人ひとりが時を経ることで内省により魂が磨かれ光輝きまるで一つの大きな星の光のように煌いていく・・・一人、深夜に公園を歩いて帰りながらそんな「昴年会」であったと感慨深い時間を過ごしていました。

来年もまた昨日のような光煌く昴年会になるように日々に信を入れ、素直に内省を深めて精進していきたいと思います。

夢を与える~生き方~

先日、メンターから興味深い話をお聴ききすることができました。

それは小学校の道徳の授業で、講評で呼ばれた時のお話です。

その授業は、イチロー選手が努力して夢をかなえたというような話だったそうですが、先生が「イチロー選手がなんで夢がかなったと思いますか?」という質問に子どもが「努力したから叶いました」と答えました。それに対して先生もまたおおむね同じように努力したら夢がかなうのですよと言ったそうです。

それに対してメンターは講評を求められ、こういったそうです。

「イチロー選手は努力したから夢がかなったのでしょうか、そうではなく夢があったから努力できたのではないですか」と。世間では努力を優先して夢を持たせようとしますが、本来は夢が先で夢があるから努力もできるのではないかというお話でした。

これをお聴きしながら感じたのは今の時代は会社でも学校でも国家でも、頑張れば夢がかなうとか、一生懸命であれば救われるとか、真面目にやっていればいつかはよくなるとか、そういう理由で夢を諦めるなという励まし方が多いように思います。

よく見れば結果的に努力することばかりを強要しているような指導や教育ばかりです。本来、人は理念や目的があってそれに向かって努力する生き物です。あの進化論のダーウィンも、根気強く研究して発見をするのも夢があったからじっくりと待つことができたのです。

夢があるというのは、きっとこんな未来が来ると信じて待てるということです。そしてその夢がかなうと信じ切っているから努力することを厭わないのです。

努力する力ばかりを先に持たせようとすることも確かに善き習慣を身に着ける上においては大切かもしれませんが、人生において生きて観て実感するのは夢を持つことの方がもっと大切であることに気づけます。

その夢とは、企業が自社をアピールするために広告しているような願望ではなく、そもそもの本質である初心(理念)です。

人は「何のために」を自覚することで安心して夢を追いかけることができます。それがなくなってしまえば、夢から自分が逃げてしまうことになるのです。一体、何のために努力するのか、そこには自分を大切なもののために使って生きたいという人類の根底にある共通する夢があるからのように思います。

子どもたちが夢を観るのは、大人たちが夢中でいるからです。その夢中とは妄想ではなく、理念を真摯に実践しているという意味でしょう。

人生において子どもたちの身近にいる大人が苦しくても愉しそうに働くのは何よりの夢を与えるように思います。夢を創り与えるということは、生き方を示し生き方を与えるということです。

これからも理念を大切に日々に何のためにかということを忘れずに丹精を籠めて取り組んでいきたいと思います。

譲り合い~興譲と推譲~

上杉鷹山は学問を広めるために藩校を創設しました。その名前は「興譲館(こうじょうかん)」といいますが細井平洲が名付けたものです。「興譲」とは細井平洲の教えの根幹にあり、「譲(ゆずる)を興(おこ)す」と書いたものです。

 細井平洲も上杉鷹山も、学問を興すことで一体何を実現したかったのか、この二人が一緒に目指した社會が一体何によって実現すると信じたか、そこは「譲るを興す」のであると述べているのです。

細井平洲は人間にとって最も大切なことは「譲る」、つまり「相手を思いやる」ことであり反対に「思い上がり」、「相手のことを考えない自分中心の行い」が最も人の道に外れていると説いています。この「 思い上がり」とは、自分中心で「自分ほど物知りな者はいないなどと誇り、他人を見下す行い」のことで「人と人との交わりにあっては、この思い上がりの気持ちをなくして譲り合う気持ちをもてば、お互いの心が通じ合い、物事もうまく運ぶ」からであるといいます。

 二宮尊徳は「奪うに益無く、譲るに益あり」と言い切ります。

 相手を思いやらない心に「奪う」があります。人間がみんな自分ばかりを意識し、自分のことばかりを考えていては周囲の人たちからあらゆるものを奪っていきます。本人が気づいていないだけで、生き方が奪うになっていると社會は殺伐としたものになります。もしも生き方が謙虚で譲る実践をするのならば社會は次第に穏かで和やかに平和になっていくのです。

 この「譲る」という本質は、謙譲ともいいますが感謝を忘れていない生き方をしているかということでもあります。

 結局は自分が在るのは何の御蔭様であるか、自分が居るのは何の御蔭様であるか、自分というものが大いなるものにいつも譲られていることに気づける精神を持っているということです。

 そう考えてみると、自分の身体一つも両親をはじめ沢山の先祖の方々の譲りによっていただきました。また今の自分の大切な人たちのご縁も沢山の方々のつながりと譲り合いによっていただきました。他にも食べ物からお金から、時間から機会からすべては譲っていただいたものばかりなのに気づくのです。

 譲り合いが大切なのは、自分がいつも譲られていることに気づけるからです。いただいたものをまた譲っていく、その譲り合いの社會こと思いやりの社會そのものです。

 それがなくなるから自分の代だけですべてを搾取したり、自分たちの時代で奪い尽くそうとそれぞれが思い違いをするのです。人間の欲望は奪うにあり、欲望を超えるのは譲るにあるのです。

 人が人である以上、もっとも優先するのは「思いやり」であると孔子も説きます。

 人間愛とは思いやりのことですから、社會がどうやったら次第にそうなるのかを環境を通して子どもたちを見守るのが私たち大人の責任であり実践しモデルを示す義務なのでしょう。今こそ上杉鷹山と細井平洲に習い、「譲る」ということをもっと一人一人が日々の生活実践に於いて具体的な事例で学び直していく必要性を痛感します。

社業を通して、しかと足元を踏み固めて実践の質を高めていきたいと思います。

メンターとメンティ③~仲間の絆~

メンターとメンティという相互の関係についてもう少し深めてみます。

映画の三銃士を会社で見る機会がありました。先日からメンターとメンティの在り方を深めているのにちょうどよく、仲間を通してどのように人物が関わり合っているかを関係性の中から再認識することができました。

三銃士で有名な言葉は、「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」があります。映画ではこれを「一心同体」と訳していました。

アトス、ボルトス、アラミスという国王直属の精鋭部隊で近衛兵でもある銃士隊で名を馳せる人物が三銃士です。そこにダルタニアンといった銃士を夢見る新人が入ってくるという話です。

これは会社でも同じく、生き方や哲学、そして実践をしている先輩に対して後輩が入ってくるのに似ている関係です。三銃士は絶妙な見守りを通して、仲間との信頼、結束の強さ、守るものの価値、自立しているモデルを自分たちのありのままの生き様を通して見せてはやらせてみて志に信を入れていきます。

もっと簡単に言えば自分のありのままの生き様を見せて本人に考えさせ、そして本人なりにやることを認めて覚束ないところはフォローしてあげるというように寄り添い大切に見守っていきます。

何かこの通りやれと指示命令をしてやったことだけを評価するのではなく、自分たちの生き方や生き様で手本を見せてはやってみろと挑戦を促し、その上でできないところはいつでもフォローするという安心感を与えます。そのフォローは出来事だけに限らず、ダルタニアンの向こう見ずで気が強い性格の弱点なども見抜き、三銃士は陰ながらフォローしていきます。

その中でダルタニアンは次第に助け合いを学び、成長し、立派に銃士として自立していくのです。

そもそもメンターとメンティとは、互いに信頼し合っているから絆が結べます。それは言い換えれば「一心同体」の関係です。それを仲間とも言います。この三銃士の話が美しいのは、本質的な仲間意識を観るからです。それは単に強い集団といるから安心というわけではなく、「一心同体」だからこそ安心だということです。

家族や真の仲間といった心の絆の清らかさと美しさを大切にしている安心です。

メンターとメンティとは生き方を通して、同じ生き方に共感し、その生き方をできるように見守り合い育ち合う存在ではないかと私は感じます。この関係は志と共にする生涯の「友情」と呼んでもいいのかもしれないし、同じ理念を掲げて命を懸けて共に戦う「戦友」と呼んでもいいのかもしれません。

そういう「真の仲間」に自分自身の心が絆を結べ、廻り合えることは何よりも仕合せなことだと思います。孔子や仏陀、キリスト、吉田松陰、同じ師を持つ弟子たちもまた、メンターとメンティだったのでしょう。

最後に、ダルタニアンは国王や王妃を助けた褒美として銃士隊になることを認められます。その信条は、国王を守るということの本質として真実、勇気など大切な生き方を貫くように約束します。

そしてダルタニアンがつい昔の癖で一人で何かを遣ろうとするときに、三銃士はその若者を引き留めこういいます。「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために(私たちは一心同体だ)」と、いつも仲間と一緒に闘うようにと促すのです。

三銃士はとても興味深い映画で、ここでは本当の強さというものは自分のみの力を頼り一人でやることではないと教えが入ります。真の強さとやさしさは、仲間の絆であるというストーリーです。

今の時代、なんでも一人でやることばかりを教育され刷り込まれてきましたが一人ひとりの真の自立において「仲間の絆」というものが如何に大切か、改めてメンターとメンティとの関係から観直してみたいと思います。

 

 

表現が自由~人格~

自由の森学園の音楽祭の2日目を見学しましたが、初日とは変わってそれぞれのクラスによる合唱が行われました。それぞれにクラスの個性があり、歌をよく聴いていたらそれぞれの色が観えてきます。

合唱というものは、呼吸を合わせて気持ちを合わせていくことで一体感が生まれその協力し合う一体感に人間は感動するのかもしれません。音楽ということの本質を主体的な発表を通して学び合う善い体験になっているのではないかと思いました。

私の昔の学校時代は、音楽の授業は好きではありませんでした。毎回、意味もわからずに無理に歌わせられ、歌えば間違いを指摘され、何回も間違ったところを歌い直され、何の興味のわかない歌を只管に授業が終わるまで練習させられます。学校のテストのように正解かどうか、ちゃんと教科書通りかが優先させられまったく楽しい思い出がありませんでした。

1回の本番の達成感のために音楽を利用するのも一つの考え方ですが、私にとっての音楽は鳥の声や川のせせらぎ、木々の風に揺らぐ音や、動物や虫たちの鳴き声です。神社にいけばいつも穏やかで静かな音楽が流れ、いつも一体感を感じています。

音楽の愉しさは、自分の心の中の自由に由ります。

自分の心の中に自由はあるのだから、それを自分でどう掴んでいくか、そこには音楽が大いに助けてくれると思います。学生時代は学校への反発からかバンドも組み、編曲しライブもし、オリジナルで歌を表現し、今では社業で歌を作詞し一緒に歌い充実した今を演出するためにも音楽を用いています、

自由を求める心に音楽を活用するというのは、新しい発見がありました。今後の社業でもさらに活用してみようと思います。

自由というのは、自由か不自由かの自由はありません。本来の自由とは、そういう比較対象するものを超えたところに存在するものです。自由が分かるのなら自立するというのも、それは自らが自由に気付ける人格を備えているからということなのでしょう。

マハトマ・ガンジーに「私は人格をすべて表現するために自由を望む。」があります。

よく表現の自由とか言われますが、表現が自由なのです。

如何にオープンにいるかというのは、如何に自由でいるかということです。自分の本心や本音を隠したままで我慢をしては人格を表現することはできません。自分の人格のままにいられるのは周囲をはじめ自分を信じるからです。

周りに迷惑をかけなくなるのは、そこに全体への思いやりが育つからです。つまり思いやりのない自律などなく、周りにオープンではない自立など自由ではないのです。

引き続きどのように自由な環境によって子どもたちの心が育つのか、じっくり観察し探究してみたいと思います。

自由に楽しく~やりきる~

昨日、自由の森学園の音楽祭に参加することができました。

子どもたちによって企画され運営される音楽祭は、「楽しむ」をテーマに沢山の「有志」といったグループが構成され、それぞれに演舞や音楽を表現していきます。日頃の部活動の延長になっていることや、学校の文化を実感できるもので子どもたちのパワーに圧倒され青春をする様子に暖かな気持ちになりました。

その音楽祭のレジメの最初のページには実行委員長のお言葉として「オッシャー!!音楽祭だぜ!!今を楽しむことに集中すること、楽しむことに全力をそそぐこと、楽しめていないヤツは今すぐ楽しむこと、分かった?よし、いい子、それじゃぁね。」と書かれています。

初日はサンバにはじまり、27グループの有志がそれぞれに自分たちの企画で出演していました。話を聴くと、50以上のグループの中から予選で選ばれて出てくるそうでみんな自信をもって取り組んでいるのが伝わってきました。

学校運営といっても、大人の理想と建前を使い分けている学校が多い中、ありのままに見せてくれて安心して取り組んでいる子どもたちをみていたら可能性というものは自由の中にあることを改めて実感します。

一人ひとりの主体性という言葉も、自由を伴う言葉です。学校側が何かしてくれることを期待するのではなく、自分たちで運営をしていこうとする子どもの姿に主体的に取り組む意義を実感しました。

アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディにとても有名な言葉が遺っています。

「Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.」(国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。)

そもそも学校に自分は何をしに行くのか、学校に来て何をするのか、それを自ら明確にしていくのも刷り込みを取り除くには必要だと思います。学校には理念が必要です。そしてそれは会社でも同じです、会社にも自分は何をしにいくのか、会社で仕事をすることで自分は一体何をしたいのかということを自覚していなければなりません。

会社に理念があるのはそもそもの目的があり、どれだけそこに自分自身が主体的に参画しているかということが問われるからです。誰かに何かをしてもらうことばかりを求めて国家にすがり、社會にすがり、組織にすがっていたら、いつも与える側と貰う側という二つに分かれてしまいます。その時点で、人間社會は仕合せにはならず自由もまた喪失してしまうのです。

お互いに活かしあう社會というものは、一つの理念のもとに共に運営に携わるということでしょう。この自由の森学園に共感するのは、理念が学校運営に具体的実践として顕現しているところです。

引き続きJ・F・ケネディに「Liberty without learning is always in peril; learning without liberty is always in vain.」(学問を伴わぬ自由は危険であり、自由を伴わぬ学問は空虚である。)があります。

私なりの解釈では理念を実践しない自由など危険そのものであり、実践も自由もない学問など意味がないということでしょう。自分が素直でオープンで本当の自分自身であるかどうか、世界の中の一人として社會で自由かどうかが自分が「生きている実感」のことでしょう。

私も常に自分の生き方が誰かのためになる、自分の人生が世界の役に立っている、自分の実践が世界を変えると信じています。今ある数々の実践のすべてはそのためです。

世界の中で自分という主体が、どれだけ世界の一部として貢献するか、そこには感謝があり謙虚な生き方があります。自由とはそういうものをすべて丸ごと含んでいる言葉なのでしょう。自ずから由るべきは自分なのです。他人に支配された方が楽かもしれませんが、それではいつまでも人生は誰かのものになってしまいます。自分で決めた人生、自分の本気の人生、誰かのモノサシに従ってばかりではなく自分で納得していく人生こそが真の自由です。

そういう体験を子どもたちにさせているということの価値を再認識しました。今年30周年を迎えるそうですが、創業者の理念は継承され人間とは何か、人格とは何か、人の仕合せを重んじている校風に私たちの会社の理念に共通するものを実感しました。

私たちにも理念がはっきりあるのだから安心して子どもたちが憧れる生き方を大人の手本になるように、あの子どもたちの青春する姿のように「自由に楽しく=やりきっていきたい」と思います。

 

 

メンターとメンティ②~信の徳~

メンターとメンティ①のブログで紹介した上杉鷹山と細井平洲は、互いに見守り合う関係においてとても参考になります。

上杉鷹山は、第九代上杉藩主として立派に藩政を改革し立て直し、終生民の幸せに尽力した人物として今でも名君と慕われます。この上杉鷹山が十四歳のとき、二十三歳年長の細井平洲と邂逅しメンターとメンティとして互いに真心を通じ合わせてお互いの人生に多大な影響を与え合います。

その細井平洲は享保十三年(一七二八)に、尾張国知多郡平島村の農家の次男として生まれ、名古屋、京都、長崎で勉学を積み重ね、後に江戸で塾「嚶鳴館」を開き、諸国の人びとを指導していました。尾張藩校明倫堂の初代校長でもあります。
この細井平洲の教えは知行合一であり、これを鷹山は『学・思相須つ』、つまり「学問(学んだこと)と今日(現実)と二途にならざるように実践実行せよ」といつも話されたそうです。すなわち、学問をするということは、知識を得るためだけのものではなく、学んだことを生活に生かして実践しより善くしていくことだと断言していました。

いつの時代も知識と行動が分かれているのは、知識ばかりに偏り大量に詰め込んできた教育の弊害ということです。「知ることはできること、わかることは努力すること」と私もいつも話していても、どうしても現実が変わらないのはそれだけ教育が生き方に影響を与えたものだからです。生き方を変えるというのは、人生を変えるということですから知識だけで変わるはずもなく、どれだけ善き習慣を与えるかということなのでしょう。

この二人のメンターとメンティのやり取りの中で、私がとても大好きな見守りのエピソードがあります。それは鷹山が、初めてのお国入りに当たって平洲に会って助言をいただいた時の話です。

鷹山は尋ねます「私は幼いままで藩の人々に藩主として臨むことになります。不安で心が落ち着かず、薄氷の上を歩むような気持ちで怖くて緊張しています。私は一体どうすればよいのか、ぜひ教えてください」と。

それに対して平洲は「藩主となるあなたに最も大切であると思うこと、お手本にしたほうが善いと思うことはもう全て教えています。あなたは、これからは「現実の政治」を実践していかなければなりません。藩の人々の暮らしを豊かにしていくためには、まず自らが身を正しく修めて、絶えず努力して、自分の信じるところを貫いていかなければなりません。」と語り掛けます。

そしてここからが大好きな名文「勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや」です。

意訳ですが「『自分を信じる』、これは勇気のある者だけができるのです。勇気ですよ!勇気なくして、どうして政治ができるでしょうか!いよいよその時が、やってきたのです。」と話すのです。

これに鷹山は「大事なことを教えていただきました。私は終生このことを帯に書いて忘れないようにします。」と答えたのです。

ここにメンターとメンティの生き方と働き方が合致したのを感じます。共に人生の中で、大事な局面において何よりも学び合っていたのは本気の覚悟です。知識として教えただけではなく実践も同時に教える。これがメンターの役割ではないかと私は思います。

知識だけでは人生は何一つ変わることはありません。人生とは、生き方が何よりも優先されそれに付随して知識が必要なのです。知識で先に刷り込まれてしまうと、その根本を見失ってしまうのかもしれません。実践の大切さが維持されるのは、メンターとの邂逅を求めるその人物の真摯な人生との向き合いがあるからでしょう。

今まで当たり前すぎて「勇気」というのをあまり考えてきませんでしたが、勇気とは人生の大事な局面において信じ合っているからこそ出てくるものなのかもしれないと考えるようになりました。信じているから勇気が出る、勇気が出るのは信じ合った証そのもの。

そしてその信の形として顕れる勇気こそ、「信の徳」なのかもしれません。

いつも勇気を与える存在になり、いつも勇気をいただいている存在であることを忘れないでいたいと思います。

メンターとメンティ①~親切という生き方~

メンターという言葉があります。

これはギリシャのホメロスの叙述詩『オデュッセイア』の登場人物である「メントール(Mentor)」という男性の名前から来ています。このメントールという男性は、オデュッセウス王の友人でもあり、王の息子テレマコスの教育を託された賢者でした。

そのメントールは王の息子にとり、生き方や判断のモデルとなり、指導者、理解者、支援者といった見守る役割を果たした人物です。このメントールが英語でメンターと言われるようになりメンターの対象者が「メンティ(Mentee)」ということになります。私の主観ですが、日本では吉田松陰と高杉晋作のような関係や、細井平洲と上杉鷹山の関係もまたこのメンターとメンティの関係のように思います。

もともと人は一人でやっているようで一人でやれることはありません。その人が結果を出せるのは、その陰に見守ってくださるメンターたちがいてはじめて事が実現します。

何かあればいつもメンターが助けてくださっているからこそ、メンティは立派に事を成し遂げることができ、メンターもまたそれを支援することでその人自身が志を完遂するのを惜しみなく助けるのです。

もともとメンターというのは、困っている人を助けるような存在です。つまりは見返りを求めない親切さがあるものです。今まで私がお会いしてきたメンターもみんな本当に自分のことを実の息子のように可愛がってくれて惜しみなく智慧や励ましやアイデアをいただきました。

その御蔭様をもって今日があり、今日があるのはメンターとの出会いがあったからと断言できます。そしてメンターもまた、メンターがいて同じようにメンティでもあったのです。

人は生きていく上で、実践モデルは必要です。自分にすべてをさらけ出して命を懸けて大切なことを教えてくださる存在がメンターです。教わる方もそれを命懸けで学んでこそはじめてメンティとも言えます。

つまりはメンターとメンティは共に本気であること、同等の覚悟をもつもの、道を共にし志を同じくするものたちがそう呼ばれるのではないかと私は思います。

善いメンターに出会いたいのなら、善いメンティにならなければなりません。つまりはお互いが「生き方としてのモデル」になったとき、ホメロスの叙事詩に画かれるような素晴らしいご縁や出会いの物語に恵まれるのです。

親切にしていくこと、親切にされたことを周りへお返ししていく生き方がメンターとメンティを育て、そしてその両方が子どもたちがお手本にする生き方の実践になって学問の素晴らしさを伝え、世の人々との関係を好循環させていくように思います。

自分がメンターでもありメンティでもあるのだから、常に学問は命懸けで実践していきたいと思います。コーチングもカウンセリングもどれもこれも基本は親切心と真心ですから常に自分の魂に問い出会いを磨いていきたいと思います。

対話~衆知を集める~

古代ギリシャの哲学者にソクラテス(紀元前470/469-399)がいます。高弟のプラトン(前427-347)らと繰り広げた対話のことを「ソクラテス的対話」(ダイアログ)といいます。つまりは「対話」についてはっきりと定義されます。

もともとソクラテスは、文字に書き残すことで大切なことが伝わらなくなると考えました。プラトン自身も文字では伝わらないことを知りつつも敢えてソクラテスの言葉を文字に起こしました。

そのソクラテスが何よりも重要視したのは「問い」ということです。言い換えれば「自問自答」のことです。周りが何かを言うことに対して答えを求めるのではなく、「対話」によってはじめて自分自身の中の答えに導いていくこと。

つまりは気づきや自覚によって、その意味を掴んでいくことの大切さを説きました。

もともと学問というものは、学校の勉強のように誰かが持っている答えを探し当てることではなく、自分自身が経験したことを自ら苦労して掴んでいくときに「問う」という学びが得られます。

私はよく「わかった気にならない」と話しますが、これは分かるということは苦労してはじめて理解できるということを言うからです。頭ですぐに分かった気になる人は分かるということは学校の勉強のように知識を持つことだと勘違いします。

そんなことを分かってみても、現実の世界は何も変わることはありません。物知りになったとしても、それは議論や討論はできても現実には気づくことができないのです。

問いというのは、気づきのことです。

その問いを持ちつつ、行動し実践し努力苦労していくことで次第に気づきが自分のものになっていきます。刻苦勉励の精進によって体験が自分のものになったとき、はじめて「わかった」と思えばいいのです。

これらの自分自身との対話は、如何に自分自身が素直になっているかによります。その自我から離れた状態を人々の間にどう引き出すのかは、調和者(ファシリテーター)である人物の信念や哲学といった生き方が影響します。

そういう気づきこそが何よりも大切であると、このソクラテスとプラトンの関係からも読み取れますし、論語の中の孔子やその弟子たちとの対話からも感じ取れます。

日本語ではこれを「衆知を集める」としましたが、私たちの行う一円対話はこれを引き出していくものです。さらに実践を高めて、世の中に真理を広げていきたいと思います。

自然の本能~足るを知る~

今の時代は古い暮らしをしていた先住民たちの文化が壊れている時代です。グローバリゼーションという名の波が、世界中のあちこちにまで蔓延し多様な暮らしを一つの暮らしになるように変えてしまいます。

隣国の中国でさえ、15年前と今ではまったく暮らしが変わってしまい都市部ではかつての中国の様子がほとんど感じられません。今ではあの広大な国の僻地にまで大規模工場や娯楽施設、西洋的な住宅が増えてはそれまでの悠久の暮らしはなくなってきています。

アフリカやブータンなどという古い暮らしも次第にその波に脅かされています。もともと持っていたものの価値を否定し、若い人をはじめ自分たちが西洋人と比べて持っていないことを不幸だと植えつけられ、その不幸を避けるためには勤勉になるしかないと教育し不幸を抜け出すために必死に経済のために働くのです。

みんなが持っているのに自分は持っていないという考え方は貧しい考え方だと言われます。しかし本当は貧しいのではなく、足るを知らなくなることで不幸であるという生き方になってしまうのです。

老子に「足るを知る者は富む」があります。「足ることを知らないと不幸になる。欲が多すぎても強すぎても不幸になる。足ることを知ることに満足できる人は常に幸せでいられる」(老子第46章より)があります。

そもそもの貧しさとは不幸のことであり、豊かさとは幸福のことです。真の豊かさというものは、持っているか持っていないかということではなくすべて持っている、「今の自分のあるものはもっとも今の自分に相応しい」と満足し、だからこそ感謝して、その上で御恩返しになるようにさらなる生活を向上し自助練磨、修身精進していくようなものです。

畢竟、自分は誰とも比較できない自分自身であり、自分自身は絶対的に自分であるという唯一無二の自分らしさよりも誰かや周りと比較しては自他を羨みそして競争し、集団に餌付けされ飼いならされ本能を忘れてはまるで自転車操業のように毎日只管走らされて止まることを恐れ不安にさせられています。そうやって視野狭窄にし追いつめられては周りを巻き込んでいくのが今のグローバリゼーションの手法です。

そこに自分自身が負けてしまうことで不幸は蔓延してより多くの人たちが物が溢れて裕福なはずなのに仕合せに生きられなくなってきています。

かつての暮らしは、自然を優先し人間を少し下げて調和を重んじてきました。

今は人間が何よりも最優先で、自然であるよりも人間社會の中での上下の差や貧富の差にばかりフォーカスされては幸不幸を語られます。一度、破壊され喪失してしまったかつての文化の中にもう戻ることはできず一度走り出したら自転車操業しかありません。

もう一度、真の仕合せとは何か、真の豊かさとは何か、「足るを知る」心から見つめ直して本来の本能を呼び覚ましていく必要があるように思います。

足るを知る心とは、自然界の本能だからです。
自然の本能の減退こそが、人間の不幸だということです。

自然界の本能を育てて磨いて、本来の人間の仕合せを働き方と生き方の一致で新しい時代の真の豊かさを次世代へとモデルを示し譲っていきたいと思います。