素のまま

自分というものの自己像というものがあり、人は観念によってできている。

それは様々な人から影響や、自分の価値観によって自分というものを思い込み自分のメガネによってのみこの世界を観ているといっても過言ではない。

そのために、本来の自分ではない姿にに苦しんでいる人たちもたくさんいる。

例えば、自分というものは本来素朴でおとなしいと思い込んでいる人が実は活発でエネルギッシュだったりするようなもの。他にも、こういう人だと自分でも思い込んでいたけれど実は・・・というように、この実はという実体が本物かどうかというのは本人も無自覚であることの方が多い。

それを様々なキッカケにより気づき、自分と向き合うことで本来の自分に出逢っていくのも人生なのだと思う。環境が形成していく自我や、人との出会いによって関係性を与えていく自我ある。

繫がりや関係性の中で、人間は形作られ観念によって生きているのである。

子どもたちは、自分というものをそのままに出して歓び楽しみ生きている。

何かがなければ楽しいという定義があるのではなく、何もなくても楽しいのである。周りに、自然と同じような見守りさえあれば情緒が安定し子どもらしく楽しんでいることができる。

私も自然が好きで、そのままで何もしない余計なものがない世界の中に居ると心が静かに穏やかになって自分本来の素のままが顕われてくる。

自然は心をオープンにしていくものだとも思う。

文化や文明が人間社会を形成し、その中で自分というものを分からないようにするのは人工的であるからでもある。人工的が悪いというわけではなく、人工的であることを自然と定義してしまっていることに勘違いがあるのであろうとも思う。

元々の根源的な姿というものは、子どもの中にすべて存在して残っている。このままの姿で社会を形成できるようにするかはそのその環境構成を主る人間の持つ理念によるものである。

子どもたちが生きる力とは何か、素のままとは何か、もう一度掘り下げて保育というものを見直していきたいと思う。

私自身は、自己像というセルフイメージをもう一度再定義し直し、これからの人類の進むべき未来の姿を生活を通して体現していきたいと思う。

挑戦することばかり、素のままで楽しんでいきたい。