国とは

国造りというものについて考えてみます。

そもそも国というのは、人間がどのように幸せに暮らしていけるか、共にどのような理念で生きていこうかというものの形や仕組みを顕しているものです。私たちが目指す理想の国家をどのように築き上げていくかという考え方です。

国家というのは、家の延長にあるもので家をどのように修めていくか、家族がみんな平穏無事に平和に暮らしていけばいいかを家長が願い定めそれを家造り、そしてその家を国造りにまで発展させていくように思います。

論語の大学に、「修身、斉家、治国、平天下」というのがあります。

よく身を修めたものが、家を調え、国を治め、そうして天下は安らかになるということです。等しく、どのような国にするかはその国の形を思い描いた人物によって決まってくるのです。しかしその人もまたいつかは死してあの世にいきますからその後のこともまた考えなければなりません。

そこで国の仕組みというものがあるのです。

昨日、奈良桜井市に居る自然農の恩師に導かれ学習しているとその国造りの仕組みを実感した気がしました。ここには三輪の大神神社もあり、その麓には卑弥呼の神殿や数々の国の姿が風土に今でも残存しています。

大国主の物語をふと思い出しました。因幡の白兎を助けた話、黄泉の国で蛇や虫たちと話ができた話、鼠の子どもたちを助けた話、兄弟の不正に義をもって挑んだ話、そして天つ神に国を譲る話、そこに大和の人柄を感じていましたが国造りの支柱もまたそこに起点があるように思えるのです。

そして古事記にも日本書紀にも、国造りで一人悩む大国主に海の彼方から光る啓示があり、ある詞を授けます。そこには「幸魂 奇魂 守給 幸給」を唱えれば、必ず国は為るというのです。

これは何かと私に問えば、農と医です。

自然農に漢方も同じく、国を造るということは人を造ることであるからその二つが必要なのです。人には、生き方を直すものが二つあり、そこには農と医がいるのです。この二つが壊れると国家が乱れてくるようになっているのです。

私には大国主の神話の中に、今の日本人が学び直すことが記されている気がするのです。

人心が乱れ国が乱れたことで大和というものを創業し直すのです。そこでどのようにすればいいかを遺しているのが纏向にあるように私には直観しました。

私以外にも、この国を憂う志士はいのちを天に誓ってそれぞれに立ってほしいと願います。
この大和の根本は私たちに魂の在り処を教えてくれるはずです。

本来の姿、国がどうあるか、その教えをもう一度、ここに学べばいいのです。

そうして個々の自覚を以って子どもたちに伝承するものを体現してほしいと祈るのです。

最後に、こう記したいと思います。

医には大医、中医、小医がある。小医は、病を治し、中医は人を直し、大医は国を治す。そのどれもは自分を修める指針、家を定める方針、そして国家の偉大な羅針であろうと思います。

遺していただいている偉大な大和魂に感謝します。

有難うございます。