実に為る

自然農に取り組む中で、年々日々に次第に様々なことが実になっていくのを感じます。

それは天候の中で右往左往し、作物の成長過程に試行錯誤し、その時々の環境の変化に一喜一憂をしてきた経過が実になっているようにも思うのです。

一つのものが実になるまでに、私たちは多くの出来事を必要としています。

今の時代の安易で便利な人間農とは異なり、自然の中で育てていくということはその全てを有難いと謙虚に念じつつ歩ませていただいているという実感を得るのです。

実というものは、単に見た目が実になったかどうかではなく、その過程が実であるのです。

その過程をどのような環境の中に置くかというのはとても大事なことのように思います。ビニールハウスで肥料や農薬を使い、過保護過干渉な環境で育ててもその見た目の実は同じように大きくなり、形になります。

しかし、厳しく慈しみ深い自然の中で自然と共生しつつ互いに貢献しあって揉まれた環境の中で育ったものはその実は多少小さくても中身はとても詰まったものが穣るのです。

生きるということは、単に形だけがそれなりになることを目的とするのではなく、その人生の体験や経験を如何に充実させていくことができるかということであろうと思います。

だからこそ、何が自然であるかを理解したならば自分の人生体験を如何に大切にしていくか、不自然を已めて自然に感謝しつつ謙虚に日々を生き切っていくかを勇気を出して選択していくことが何よりも重要なのです。

実がつくものは、日照り、風、そして時には水、さらに新鮮な空気に豊かな土壌、多くの虫たち、周囲の草花の中で自分の役割を全うするときにこそ実を践み全うすることができるように思います。

その全てを人間都合にしていくことなど、とても勿体ないことをしているように思います。自然と融合していくことで御蔭様を感じていく幸せは何ものにもかえがたい無二のものだからです。

思い通りにいかないことは、同時にその実が充ちていくのを感じればいいのです。簡単便利にはいきませんが、そこに自分を転じる面白さがあり、そして感謝に恵まれ謙虚を楽しむ醍醐味もあるのです。

実をつけるまでには、その尊い自然の見守りが入っているのです。そして実は、その尊い見守りを次世代へと譲っていくための糧になるのです。

自然から教えていただくことばかりですが、安心と立命を味わっています。この体験もまた実になるのでしょう。その実を子どもたちの自然へ転じて譲っていきたいと思います。