スロー

最近、旅行の仕方に特徴がある話を聴きました。

それは目的地に行くことが目的で、そのプロセスを大事にしていないという話です。旅行先を決めてそこに行った途端に、もう次の目的地について話し始めるという具合です。

目的そのものが目標になると、目標をすることが常に目的となるのです。

これを人生に置き換えてみても、目的や目標に達することが重要であってそのプロセスは早く過ぎてしまいたいという感じになるのは少しさみしい気がします。

人生の醍醐味とは何かといえば、その経過がどのように充実しているか、そのプロセスでどのようなことを学んだかということではないかと思います。人はめぐり逢いによって人生が彩りますから、出会いと別れ、そして発見と発展の面白さによってご縁に導かれ尊い思い出に見守られます。

本来、全てのものから学び、全ての出来事から問い続けることが道楽であってそれを味わい尽くしている中で人と共に豊かに暮らしていける思いやりや真心、正直や素直というものを実感することができるように思います。

最近では、他人の評価や如何に平均値の幸せや豊かさを掴んでその中にいることが価値であるかのように若い人を煽り、目的や目標ばかりを追っているときだけが安心するというような風潮もみられます。若さというのは、目標や目的が夢でありその夢の途中に活き活きわくわくするものであったものがそれをアイデンティティと勘違いして追い込まれている人が多くなっているのかもしれません。

派手なこと、他人とわざわざ違うことをみせようとするのは自信がないからそうなるのかもしれません。自信とは、自分が信じたものを学び続けるということであろうと思います。それは自然に他人とは異なるのであって、それが変に観えても信じるのであれば学問を楽しめば自ずから道が明らかになるように思います。

日本の文化を身に着けるということも、自信が持てますし、先人たちの智慧を温故知新していくのもまた自信になります。目標や目的を追かけることよりも、ゼロベースで自学自悟に学び続けて目標や目的に近づいていく日々を楽しむ心の余裕が真の豊かさを創りだすのかもしれません。

あまりに急いで焦って余裕がなくなるのは、スピード社会に心を着いていかないからかもしれません。そういう人は道を猛スピードで駆け抜ける高速道路が好きなスピード狂で、身近なゆったりと遊ぶ道草の本来の楽しみがわからなくなってしまうのかもしれません。

例えスピードが速くても、高速道路を長く走っても、それを仲間たちと行程を味わうほどの心の豊かさを持つことでよりそのスピードもまたスローに工夫して楽しめるのです。

スローとは、学ぶ、味わう、高める、重ねる、集める、譲る、育てるということです。

そして子どもは子ども心を遊びこむのに、このスローが何よりも大好きです。
それだけ子どもは活かされ活きる自然の時間、繫がり共に生きる意味に生きたいのでしょう。

「ZERO BASE EVERYDAY!」でどのような日々も道をスローに楽しみたいと思います。