自分をよく見つめ直す

人間は誰しも自分の思い込みといった観念に縛られて生きてしまうものです。それを価値観とも言いますが、その価値観だけで世界を満たしてしまうと真実が観えなくなってしまうことがあります。

本当のことは何か、何のためにそれをやるのかと常に自問自答して本質的に生きる人は自分の価値観によって真実が歪んでいることに気づきやすいように思います。また何かに没頭したり、集中していくタイプであればあるほどに自分の世界観だけに浸ってしまうこともあるように思います。

私もどちらかというと何かに集中してゾーンに入ると、周囲が観えなくなるほどに没頭していきます。その時は、周りは見えていませんから多くの方々にご迷惑をかけてしまうことがあります。自分の観えている世界に近づけようと努力するあまり、周囲への気配りができなくなるのです。だからこそ、自分が迷惑をかけている自覚を常に意識しできる限り周囲を信頼し、他人のアドバイスに耳を傾けたり助けてもらったりを心がけています。

すぐに他人に尋ねるのも、自分の思い込みや決めつけではないか、何か気づかない観点があるのではないか、そして自分が間違っていないかと確かめながら慎重に自分の世界観だけに浸らないようにと気を付けているのです。

人間は見ている場所や、立ち位置、そして長さや置かれている状況、等々によって観えるものは異なります。多面的に観たり、長期的に観たり、全体的に観たりすることで観え方も千差万別です。

そうやってあらゆる角度からその物事を観て深めていくといつかはその真実にたどり着きます。真実は、自分を含めてどう観えていたかということに気づき、そのものは一体何だったのかということを理解するのです。

そうすると、間違いが少なくなり、みんなと協力し合い物事に取り組んでいくことができるようになります。それが理念ともいい、初心ともいい、原点ともいい、本質ともいいます。

私は本質的にどうかにこだわるタイプのようで、そのために日々に内省し、内省したことで本当は何だったのかということを掘り下げていきます。自分自身の手入れを怠ると人間はすぐにここから離れていきます。

自分を過信せず、謙虚に自然に照らして修正していくことは、自分を知ることであり、自分を磨くことです。もっとも身近な自分を大切にするというのは、自分がどのような人間で、自分が何を信じ、何を求め、何に生きたいか、その生きたいことに対して今どうなっているのかを確認していくことです。

人間は、本質や理念があれば不平不満がなくなってきます。むしろ、今に集中し、今が充実していきますから外的要因は次第になくなり自分自身が精進していけばいいという現実の課題のみになっていきます。

自分というものとの付き合いができるようになって自立であり、迷惑をかけている自覚を持ち感謝で生きることができるようになっての自律です。協力はまさに自立や自律をするために最善の取り組みであり、社會は人間を育てるためにも必要なのです。

子どもたちにためにも、理念や初心を砥石にして自己の生き方を磨いていきたいと思います。