徳の循環

昨日、無事に徳積堂カフェのオープニングイベントを終えることができました。講師の福永晋三先生からは歴史のロマンをみんなでお聴きでき古代の徳を掘り起こすいい機会になりました。

みんなでその後、一人ずつ語り合った時間がとても上質でみんなで気づいたことを語り合う空間の中にまた徳を感じました。私たちは当たり前すぎて気づかなくなってしまったものが空気や水や太陽や月や徳です。

月の光のように暗闇の中で、明るく優しい様子に私たちは徳を思い出すものです。私は敢えて徳というものを可視化するような取り組みをするのは、この徳を思い出すことをみんなと分かち合いたいからでもあります。

本来、徳というものは目に見えるようにするものではありません。それに徳を積むということをわざわざ口に出すことでもありません。それを敢えて徳積みをするといい、徳を可視化までするという矛盾をしてまで行うのには理由があるのです。

老子や松下幸之助も徳は、道を真心をもって実践してはじめて真の徳であると定義しています。当然のことながら、徳を積んでいると思えないほどに至誠で純粋なものの中に真の徳はあります。無為自然であり、宇宙の偉大さと徳は同一です。

しかし私たち日本人の先祖は、感謝をはじめ「有難い存在」、つまり「ありがとう」と意識し口にすることによって当たり前ではない存在に気づき続けようと暮らしを整え続けてこれまで工夫してきました。傲慢になり我欲に負けて、当たり前ではない存在を当たり前だと思うようになり数々の失敗と反省を繰り返してきました。自分が特別な何か特別に選ばれたものであるかのように、思い通りにいく世界にいることで自然から離れて人間だけの世界を築いてきたのです。

その結果として謙虚さを失い、現在の環境破壊を続ける文明を野放しにするところにまで到達してきました。時代の転換期である今は、敢えて当たり前ではないことに気づきそれを可視化して暮らしをもう一度、みんなで整え治す実践が必要だと私は感じました。

そこで、暮らしフルネス™を提案し、徳を可視化して循環させるという敢えて徳積というものを磨くことお手入れすることや、またそのほかの循環や場を通してみんなで歴史をもう一度創りなおして真の豊かさを味わっていこうと声掛けをするのです。

私が決して徳が高い人で徳を積むことを上から教えるようなことは絶対にありません。むしろ、徳を積みたい、徳の循環と共生したいと強く願い実践を磨いていきたいと思うだけです。

最後に、老子の徳の解釈で締めくくります。

「上士は道を聞きては、勤めてこれを行なう。中士は道を聞きては、存(あ)るが若(ごと)く亡(な)きが若し。下士は道を聞きては、大いにこれを笑う。笑わざれば以(も)って道と為(な)すに足らず。故に建言(けんげん)にこれあり。明道は昧(くら)きが若く、進道は退くが若く、夷道(いどう)は纇(らい)なるが若し。上徳は谷の若く、広徳は足らざるが若く、建徳は偸(おこた)るが若し。質真(しつしん)は渝(かわ)るが若く、大白(たいはく)は辱(じょく)なるが若く、大方(たいほう)は隅(かど)無し。大器は晩成し、大音(たいおん)は希声、大象(たいしょう)は形無し。道は隠れて名なし。それただ道は、善く貸し且(か)つ善く成す。」

道徳こそ、循環のはじまりなのです。

子どもたちに徳の循環を結んでいきたいと思います。