和やかなテクノロジー

最近、ある人の紹介で「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)のことを知りました。これはシンプルに言えば、人、情報、自然が一体になって調和したテクノロジーのことを言うそうです。

もともと今のような情報社会になることをユビキタス・コンピューティングの父とも言われる有名なエンジニア、マーク・ワイザー氏はすでにその当時から予見していました。そしてそのワイザー氏が、現代のようなユビキタス・コンピューティングの時代に「カーム・テクノロジー」というコンセプトが必要になると予言していました。

このコンセプトは、テクノロジーが暮らしの中に溶け込み、自然にそれを活用しているという考え方です。このコンセプトは約四半世紀を超えて、人類に求められてきているテーマになっているということです。日本でも、この考え方を実装するためにmui Labという会社が京都に創業しています。この会社が監修したアンバー・ケース著の『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(BNN 2020年)にわかりやすくその内容の一部を整理しているので紹介します。

「テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない」

「テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなければならない」

「テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない」

「テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない」

「テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない」

「テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない」

「テクノロジーの最適な容量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である」

「テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない」

もともと、この「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)はなぜ必要になるのか。これは私なりの考え方では、自然を尊重するなかで如何にテクノロジーとの共生をするかは人類が生き延びるための普遍的なテーマだからです。これは避けては通れず、やり過ぎればどの文明も自分たちの技術によって滅ぶのです。これは歴史が証明していますからいつの時代でもその時代に生きる人が取り組む課題になるのです。そしてこの課題が発生する理由は、そもそも道具というものを使い進化するということの本質にこそあります。

元来、道具というものは、全て使い方から産まれるものです。そして使い方は、使い手の人間力そのものによって最大効果を発揮します。使い手が如何に人間的な徳を磨いてきたか、そしてその徳を積む環境の中で道具と調和をはかったきたか、そこには時代に反映された生き方と働き方があります。

道徳と経済の一致の話も同様に、人はどの時代においても謙虚や自然への畏敬、そして自分たちの文化や歴史を洗練させてきました。この時代においても、それは必要で今の時代は特にテクノロジーで便利になり過ぎているからこそ危険なのです。

自然環境が破壊されるのもまた、その行き過ぎた消費文明の中の技術主義にこそあります。技術が技術を調和するには、確かに私もこのカーム・テクノロジーが行き過ぎたテクノロジー依存の人類には必要だと実感しています。道具だけ進化させても人間力が伴わなければ片手落ちになるからです。それは、今の人類の核の利用をみても明白です。

私ならこういう時は先人に倣います。自立した先人たちがずっと大切にしてきた伝統的な日本の和の暮らしをととのえながら、その時代に発明された道具を必要最小限で最大の効果を発揮する仕組みを知恵として生活に取り入れるのです。

私が提唱する暮らしフルネスは、古民家の懐かしいもの、宿坊の仙人的な知恵に囲まれていますが文明のテクノロジーは否定していません。むしろどれだけテクノジーを人間力で高められるかに興味がありそれを実現させようと取り組んでいるのです。これを徳という砥石を使ってやりましょうと話しているのです。言い換えれば、私なら穏やかではなく「和やか」というでしょう。そしてこの和やかな暮らしこそ、人類を救うと私は確信しています。

和やかなテクノロジーを、この日本、この福岡の地から発信してみたいと思います。

枝垂れ桜と懐かしい未来

昨日は無事に守静坊の枝垂れ桜の支柱を交換することができました。もう200年も生きている老木ですが、今でも見事な花を咲かせてくれます。もともと幻想的な場所にある宿坊が、この枝垂れ桜の御蔭でまるで仙境のような佇まいを与えてくれます。

代々のこの宿坊の主人が、ずっと大切にしてきた枝垂れ桜は英彦山の歴史をずっと見守ってきた存在です。枝垂れ桜からこちら側を観れば、この時代、また新たに宿坊が甦り、その宿坊を守る人々、そして集まる人々、そして英彦山の未来をまた眺めているように思います。

私たちは主観で自分が見ている視点でばかり物を見ていますが実際は、向こうからも観られています。その観られている目線には、物だけではなく、時代、歴史、先祖、神々や天といった多くの視点で観られています。

人生はそういう意味で、詩であり、詩そのものを生きているともいえます。そしてその詩は、ずっとむかしから今まで繋がり続いているものです。

大勢いで作業をしながら、ふと心静かに振り返ってみるとむかしも同じように多くの人たちが集まり桜を守り、一緒に食べ、笑い、そして助け合い未来を信じてバトンを渡し続けていた光景を直感しました。

私も、そして参加した人たちも同じようにその光景をむかし体験して今も繰り返してかのようにも感じます。これは果たして先祖の記憶なのか、その場所にいつまでも遺っていた記憶なのか、それはよくわかりません。

ただ一つ言えることは、これは初めてではないという感覚。懐かしい何か、そして未来というものの希望を繰り返し願い祈った信仰や光景に再び出会った感覚に巡り会ったということです。

巡り会いは、一期一会ですがこれは最初ではない。

みんなで記憶を再び味わいながら初心を何度も思い出す事。こうやって私たちは同じ場所同じ時を生き続けているのかもしれません。

枝垂れ桜がまもなく開花します。

懐かしい未来を、深く味わってみたいと思います。

真心の磨き合い

今日は、英彦山の宿坊「守静坊」の大掃除があります。有難いことに、大勢の方が片づけに加勢してくださいます。英彦山というお山の信仰の御蔭もあって、この半年間の間本当にたくさんの方々からのお布施や見守りをいただきました。

そして同時にいい出会いをたくさんいただきました。良縁というのは、想いの清らかなところ、純粋なところにあるように思います。そこには、皆さんご人徳があり、笑顔で仕合せを分かち合う場が誕生しているからです。

私は、場道家を自称していますが実際には皆さんの御蔭様で場ができ道がつながっています。私が一人で歩いでいるのではなく、同志たちと共に歩んでいく中で道ができてきます。

一人ひとり、大切なお時間をつかって駆けつけてくれたことはいつまでもその場所に記憶として遺っています。その記憶が、場をさらに醸成し色々な想いを引き付けてご縁を紡いでいくのです。

人は自発的に、真心で行動しているとき、本当の自分の姿を実感できます。心が先に動き、行動するときにこそその人の真の調和が発生しととのっていきます。真心は、さらにまた他の人の真心を集め磨き合います。

真心を磨き合う中に徳があり、私たちは徳を感じることで心の豊かさを味わうことができるからです。人が人と出会い、そして物語を共有する喜びもまたここにあります。

人生は一度きりです、時間もその時、一回キリです。

いつも思うのですが、毎回、同じことはなく、いつも思い出は新鮮です。私もこの英彦山や宿坊の御蔭様で、有難い人生の体験をたくさんさせていただいています。その恩返しができるよう、子どもたちに未来と希望をつなぎ立派な宿坊として多くの道中の同志を導き助けられるような場にしていきたいと思います。

ありがとうございます。

自立と自律

春は出会いと別れの季節でもあります。思い返せば、何かが終わるときは何かが始まります。そして同時に新しい扉を開くときは、古い扉を閉めていきます。開けっ放しのままもありますが、戻ろうとしても戻れず人生は前進するのみです。

自立というものは、自分が一人ではない存在であること、多くの人たちの支えや御蔭様であることを知るたびに成長していくものです。親元から離れてみたり、新しいことに挑戦していくたびに自分が如何に守られていたのかということに気づくものです。

人間はそうやって、守り守られる存在をつくることで自立していきます。一人だけでできることや、一人だけで生きることを自立のように教え込まれてきましたが実際に大人になってみたらそれはまったく違っていたことに気づきます。

実際に、一人だけでできることなどはこの世には存在せず一人だけで生きることはできないのです。この時の一人は、決して内面の自己と現実の自己といった本当の自分で生きるという意味ではなく、単なる社会の中で自分のことは自分でできるようになりなさいという意味だったのでしょう。

本当はここでは自立とはいわず、自律と言えば善かったのではないかと私は思います。ちゃんと自立について体験せず深めていないと、おかしな自立を押し付けることになります。これは生きてみてそうだったのだから嘘はありません。実際の社会ではみんなで助け合って支え合っていますから、自律は必要です。これは、協力することを学ぶことにもなり自分もみんなを支え見守る存在になっていくことのためになります。

みんな自分らしく自己を実現し、そのままであることでみんなを支えていけばこんな仕合せな社会はありません。誰かだけができて、誰かができないという歪なものではなく、みんな違ってみんないい社会が居場所も安心も立命もある社会です。

産まれてきた以上、みんなそれぞれにお役目がありますからそのお役目にみんなで感謝しあって生きられたらこの世は天国になります。人間社会は、色々な人たちがいます。何が善で何が悪かなどは誰にも裁くことはできません。だからこそ、みんなで尊重し合う社会を目指していかなければならないと私は思うのです。

私が保育を本業にするのは、それを実現するために必要なことだからです。

子どもたちがずっと未来にまで、安心して豊かに暮らせる世の中にしていくために社業を通して目的を貫徹させていきたいと思います。

暮らしの改善

今朝がた、久しぶりにメールが受信できなくなりブログもアップロードすることができませんでした。なのでこのブログは、別のメモに書いています。

気が付くと、かなりパソコンやスマホをはじめインターネットに依存しているのがわかります。連絡手段として当たり前に使っていますが、改めてこれがない時はどうしていたのだろうかと思い出せません。

そういえば、私の小さい頃は連絡手段は自宅の電話とお手紙や回覧板でした。電話もよく停電などで使えなくなったり、手紙も時間がかかるし、回覧板もまわってくるのが遅かったりと不便が当たり前でした。

なので、時間の約束をしたり場所を丁寧に決めたり、今後のことやもしもの時の判断などを話し合っていたように思います。不便の時の方が、もしもの事態に備えていたように思います。

今は便利で快適ですが、もしもの時には非常に脆弱になっていることがわかります。これは依存することが問題だということはすぐにわかります。持っているけれど、もしもの時だけという使い方と、持っているから問題ないというのでは対応も準備も変わってきます。

人間にとっての災害というのは、突然にやってくるものです。しかも、想定外のようなことが連続して発生してきます。その時、生きる力、生き延びる力が大切です。そしてその力は急に出るものではなく、日々の自立した暮らしの中で磨かれていきます。その自立した暮らしとは、あまり便利に依存せず自分の元々持っている力、自分に元来備わっているものを使っていく中で磨かれていくものです。

いつでも原点回帰できるように、真に自立した自己を磨き高めることが修養であり子孫への無事悠久の暮らしの伝承になります。古いものと新しいもののバランスを見極めながら、引き続き暮らしを改善していきたいと思います。

修験の甦生

英彦山修験の伝説のお薬を甦生する中で、改めて修験者の人たちの知恵を学び直しています。もともと修験者は、最先端技術を持ち、心技体共に洗練された人々であったことが歴史を深めると次第に自明してきます。

役行者が有名ですが、空海なども同様にみんな修験によって知恵を会得した修験者たちです。

その修験者は医術にも長けていたことがわかります。あらゆる心身の不調や、健康を維持するための様々な知恵や実践を伝道していました。むかしから、厳しい自然の中で鍛錬し生きるための方法を得ていましたから修験者の生き方が里の人たちの暮らしを支える一つの教えになったのです。

話をお薬に戻しますが、有名な修験者の薬には奈良の「陀羅尼助」や長野の「百草」などがあります。

まず陀羅尼助は、修験者の多い吉野山大峯山で伝承されたものでキハダの樹皮から名薬を作り出しました。このキハダの木の樹皮を剥いで乾燥したものを「オウバク」といいます。このキハダは、ミカン科の落葉性樹木で樹皮の裏が黄色いため「黄肌」とも呼ばれる木です。

もともとこの発明の伝承は修験道の開祖である役行者が今から1300年前大峰山の開山のとき、山中に生え繁るキハダを煮てそのエキスを取ったところ胃腸の病をはじめ色々な、内臓、外傷にも薬効のある事を発見したそうです。ちょうど7世紀末に、疫病が大流行したときこのキハダからとったオウバクを煎じて多くの病人に飲ませ救済したそうです。

もともとこのキハダは縄文時代の遺跡からも見つかっています。つまり太古の時代からお薬として使われてきたものです。役行者にはこの伝来の薬草の知識があり、何が身体のどこに効くのかをどこかで学び知っていたのかもしれません。その薬草調合の知恵活かしつつ、人々に心身をととのえる神通力を用いて疫病を退散させた妙薬になって今に至っています。

もう一つの、御嶽山の「百草」の方は、寿光行者(普寛行者の高弟)が王滝口登山道を開く際に協力してくれた王滝村の村人に対し「何も御礼するものがない。せめて “霊薬百草” の製造が今後役にたてば幸いである。」と王滝の村人に百草の製造を指導したのが現在の百草の始まりだといわれます。

これも先ほどの陀羅尼助と同じで修験者が「御嶽山の霊草百種を採り集めて薬を製すれば霊験神の如し」その製法を村人に伝授し200年以上にわたって大切に継承され今にいたります。

これもまた御嶽山で採れるキハダのオウバクのエキスを使っています。この百草という名前は、「百種類の薬草を使ったと同じくらいの効果がある」あるいは「百の病を治す万能薬」として「百草」と名付けたといわれているそうです。

修験者の間で大切に使われてきた薬草の知恵が、人々を病から恢復するためのお薬になっています。よく考えてみると、生きる智慧に溢れた人たちこそが修験者だったのかもしれません。

どんなに厳しい環境下でも、豊かに仕合せに生きる、そして生き残る。時代が変わっても、普遍的な生き方や生きるすべをもった人は、大事な局面において人々を導き、初心を忘れないように守ってくれているのかもしれません。

当たり前になってきて大切なことを忘れるときこそ、修験者たちに私たちは導かれます。山で生きる人、山の暮らしを守る人、山は私たちの本当のふるさとだからでしょう。山の薬草を使い、色々とこの時代の修験が甦生できるように色々と試行錯誤していきたいと思います。

心身の安心

脳腸相関という言葉があります。これは生物にとって重要な器官である脳と腸がお互いに密接に影響を及ぼしあうことを定義した言葉です。

もともと腸は「第二の脳」とも呼ばれる独自の神経ネットワークを持っており、脳からの指令が無くても独立して活動することができるからです。

例えば、緊張状態が続いたらストレスでお腹が痛くなったりトイレにいきます。犬や猫、また鳥なども同様です。これは脳が自律神経を介して腸に影響を与えているからです。

また腸内に病原菌が感染すると脳で不安感が増すという報告もあるそうです。それだけ腸と脳は常にセットで影響を与えあうのです。そこから腸内の微生物との相関関係を見直す動きも出ています。これが腸活でもあります。腸内フローラが整い、人体に優れた微生物が常在することで脳もまた健康を維持することができるということです。

振り返ってみると、私の人生体験でも脳とお腹の関係は常に意識することばかりでした。私はよく下痢をするのですが、確かにストレスや具合、感情の影響を受けているのがわかります。また玄米食やぬか炊きなど、発酵食品を食べている時は頭痛など発生しにくく気持ちも落ち着きます。

この感情や気持ちというものも、腸と脳と深い関係があることがわかります。私たちが喜怒哀楽、または安心や不安を感じるのは、脳や腸の働き、つまり自律神経が関わっているからです。

常に自己の心身をととのえていくことは、この脳や腸をととのえていくところからはじまります。心身が安心することで、人は幸福感を味わえ生きる喜びと調和します。

子どもたちに、智慧や場が残せるように色々と温故知新と試行錯誤してみたいと思います。

最善を望みながら

ここ数年、コロナで世界は翻弄されましたが現在は世界大戦のことで緊張が高まってきています。かつては、情報がない中である日突然戦争に巻き込まれていきましたが現在はある程度の情報は市民には伝わる中で展開していきます。

もちろん情報統制されていますから、何か本当の真実かはわかりませんが人類の意識がどのように変化してるのかというのはわかります。

例えば、コロナで発生した時の言い知れぬ恐怖、目に見えない不安などもあっという間に世界を席巻しました。そしてそのどこか感染症の閉塞感と経済不況からどう抜け出すかと藻掻いていた矢先に戦争がはじまりさらに経済は打撃を受けます。

まさか今の生活が一変するとは現時点ではあまり誰も考えておらず日常を送ることに専念しています。しかし、今回の報道を見ていてもみんな「まさか」の連続で今が更新されていくのがわかります。

まさか本当に侵攻してくるとは、まさか原発を攻撃し核を使うとか、そしてまさか第3次世界大戦に突入して核戦争がはじまるとか、そんなことは起きないはずだと思考停止してしまうのです。心理学用語に、正常性バイアスというものがあります。これは、どこかで自分は大丈夫と思い込んでいく思考です。そのことから危機に対して初動が遅れてしまうこともあります。

西洋の格言に「最善を望みながら最悪に備えよ」というものがあります。

まさに今は、そのようなときで準備を怠らずに同時に何が最善かに取り組む時期だと思います。そしていざ、事がはじまったのなら禍を転じて福にするためにあらゆるものに適応しながら船の舵取りを柔軟に対応しながら取り組んでいくしかありません。

本当に怖いのは、天災ではなく人災です。

人災こそ多くの人が亡くなり、悲惨な歴史が繰り返されます。日本は戦後77年経ちました。今は、とても大切な節目に入っています。だからこそ、諦めるところは諦め、まだ諦められないところはやり遂げるしかありません。

私は暮らしフルネスの実践こそが、戦争を真に終焉させると信じていますから身近なところから着実に形にしていきたいと思います。

伝統を守るための革新

ついに長年、農作業や私のハードな仕事を支援してくれていた軽トラックが廃車になることになりました。まだまだ乗れると思っていたら整備工場からも難しいと連絡が来ました。最後の仕事は、冬の英彦山での悪路での荷物運び。寒さ厳しい山の中で、頑張ってくれたこともありお別れが寂しく昨日は色々と思い出を振り返りながら掃除をしました。

これからまた新しい取り組みが始まるこのタイミングで、交代になりますが本当にこの軽トラックに私は支えられています。

改めて、軽トラックの歴史を調べるとそのはじまりはいつだろうかと思うと江戸時代の大八車にまで遡ります。つまり荷車こそ、軽トラックの原型ということです。そこから、1957年にダイハツからオート3輪が発明されます。これは前1輪、後ろ2輪の貨物車です。他にもマツダ、新三菱重工業などがこれを製造しました。

そして軽トラックの形になったのは1955年。スズキが同社初の4輪車であるスズライトを発売。そして1960年には東急くろがね工業がくろがねベビーという軽4輪トラックを開発します。これが現代の軽トラックの元祖と言われます。

私が今まで乗っていた車はスーパーキャリイでしたがこの原型の「キャリイ」はスズキ初の量産4輪車にして初の軽自動車である「スズライト」のトラック仕様として登場したものです。1966年にスズライトが取れてキャリイになりました。ずっとむかしから大きくモデルチェンジしていませんから、古い感じに思われていたからかあまり軽トラックがかっこいいとは言ってもらえません。しかし、この形が普遍的であって乗りやすく、私自身は軽トラックのこのもっとも機能的で合理的な姿を尊敬しています。

今回、入れ替わる新しい軽トラックはやはり同じくスーパーキャリイですがキャビンを長く伸ばしたものになります。これはシート後部が広くなり、シートも倒せるようになっていて荷台も工夫されています。しかも色を深いグリーンにし、英彦山や農地での景観に入っても違和感がないようなデザインのものにしています。

伝統を守るために、どのメーカーも革新を続けます。私はこの軽トラックは、見事にそれを実現しているように思っています。何よりも大切なのは、目的や初心を失わずに時代の価値観に合わせて微調整を続けていくことです。

今までの感謝とこれからの感謝を忘れずに、学び続けていきたいと思います。

漬物をつなぐ

昨日は天日干しした伝統の堀池高菜を仮漬けしました。ここから1週間近く漬けてから、本漬けといってウコンなどを加えて木樽に移動して他の高菜と合わせて漬けこみます。

もう11年近く漬け続てけていますし、もともとは百年以上続く老舗の高菜の菌が棲みついていますからそこで漬けることで独特の風味を産み出してくれます。種のことをブログで書きましたが、実はこの菌との共生や生き方もまた伝承していきたいものの一つです。

漬物というのは本来保存食でもあり塩は私たちの健康を守る大切な食材でした。ローマ時代には、塩が給与で支払われていたことで今のサラリー(給与)の語源になっているともいいます。かつての日本の食文化である一汁一菜は、ご飯とみそ汁と漬けもののことでした。塩とご飯、おむすびもですがこれが私たちのいのちを長年支えてきた基本のものです。

現代の塩はあまりいい塩がなく、むかしの塩づくりは自然に沿っていましたから健康を維持するのには欠かせないものでした。縁あって今、100年前の梅干しを一壺いただいていますがその塩は今でもしっかりとしていて味も美味しいです。100年以上保存できるものは、この塩が関係していることをそこから学びました。

漬物の原理は、塩の浸透圧を使います。浸透圧は、水がもともと濃度を一定に保とうとする力のことです。野菜の中の養分が外に出て、その分、塩が中に浸透していきます。その養分が菌たちの繁殖の栄養になり発酵してその野菜を別のものへと転換していきます。

重しをのせますが、これも水分を出やすくなるのと重力の力をつかい沁みこませて安定させる効果もあります。この野菜の水分で野菜が漬かることで漬物は完成します。空気に触れると腐敗菌が発生するので、塩分のある水の中に漬かることで腐敗よりも発酵を促進させます。

後は、塩分濃度さえ調整していけば、何年でもその漬物を食べ続けることができるのです。体にとっては、発酵した菌を取ることで腸内フローラも元氣にし、腐敗を防止します。漬物を食べると元氣になるのは、この発酵の仕組みをそのままに体に用いているからです。

いい塩、いい菌、いい野菜を食べ続けることで私たちは健康の基本を保つことができていました。今の時代のように多様で飽食の時代は、健康を保つことが難しくなってきています。医療がその分、発展発達して治療もできるようになりましたがその分、治療費もかなりの額になっています。この時代に生まれてきたらこれが当たり前なのかもしれませんが、本来の健康環境とは程遠くなっているかもしれません。

時代がまた揺れ戻され、何らかのかたちで治療ができなくなってきたらきっと私たちの日本もまた一汁一菜に回帰する日もくるかもしれません。その時、この漬物を守ること、塩を守ること、智慧を守ることは子どもたちのためになります。

今、やっていることを信じて、粛々と繋いでいきたいと思います。