昨日は、無事に仲間に昨年末に調えた法螺貝を手渡す一期一会の時間がありました。時間が経つと、その時の願いや祈りや思いが少し遠ざかっていきます。改めて法螺貝を持ち、丁寧に心寄せて感じているとその声のようなものが改めて聴こえます。
自然物との仲介のように人の間に立つと、それまでに観えなかった風景が色々と顕現してくるものです。人は我が少なくなってくると、そのものの実体が鮮明に出てきます。歪めている物を取り払えば、ある意味ですべてのものは音や声を発しているということです。
心を研ぎ澄ますことは、このよにあるいのちの声を聴ける境地に入るということです。
音や振動というものは、言葉のような道具とは異なるものです。人間はあらゆるものを道具にしていきました。そのことで万物を活かし徳を譲られて今があります。
しかし今のような時代、道具が氾濫し、乱用されてしまっているからこそ原点や原始、初心などに帰る必要を感じるものです。
それは物だけではありません、食をはじめ場や鬨というような空間や調和などもその一つでしょう。
法螺貝は調和を司る先生です。
引き続き、英彦山の谷から心を鎮め調えて唯一無二の音の響きを宇宙に放っていき、観えない世界と観える世界を結び波動を調えていきたいと思います。
