小さな改革

マハトマ・ガンジーの思想に、七つの大罪というものがあります。これは現代の人類の価値観に警鐘を鳴らすものです。そこにはこうあります。

1.理念なき政治 (Politics without Principle)
2.労働なき富 (Wealth without Work)
3.良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)
4.人格なき学識 (Knowledge without Character)
5.道徳なき商業 (Commerce without Morality)
6.人間性なき科学 (Science without Humanity)
7.献身なき信仰 (Worship without Sacrifice)

そもそも、これらの7つは本来はこうではなかったものがこうなったというものです。つまり政治は理念あるもの、富は労働するもの、快楽は良心あってこそ、学識は人格がつくる。商売は道徳であり、科学は人間性によるもので、本来の信仰は献身であると。この逆になっているのが今の時代の価値観ということです。

例えば、金融や経済などはわかりやすく一部の富の独占と貧困と飢饉によって貧富の差は拡大しています。道徳を忘れてしまえば、商業はますます世の中を非道徳の環境に貶めていきます。ガンジーはこういいます。

「私は、あなたが正しい手段で手にした資産を捨てろとは言わない。しかしその資産は、決してあなた自身のものではない。それは人々のために役立てることができるように、あなたに一時的に預けられているものだ。そのことを忘れてはならない。」

富や財産は決して自分のものではなく、これは単に預かっているものでありまたみんなで循環させていくために活用しようといいます。私たちの身体も同じで、預かっているもので正しい生の循環を止めてしまいどこかで留保し続けたらそこから癌になるものです。経世済民とは、誰かが富を独占し確保するのではなくみんなにサラサラと血液が流れ浄化されるように循環させていくところに幸福もあります。自然と同様に、自然から預かった環境を自分の天命を全うし、また好循環の一部として生を喜び全うしていくことが本来の姿です。

個人主義、利己主義が蔓延する競争と不安の世の中においては、商業が道徳的でなくなる理由はよくわかります。だからこそ、同時に道徳といった、徳が循環する経済を創造しようとしてこそそこに経済大国として世界を調和する大切な役割があるように私は思います。

そしてガンジーはこうもいいます。

「何かを訴えたい、意志表明したいと思ったときに、それを話したり書いたりする必要はない。行動し、生き様で示すしかない。私たちは一人一人の生き様を、生きた教科書にしよう。誰もがそこから学び取ることができるように。」

ということで、私は三浦梅園先生の慈悲無尽の生き方に感動し、それを実践して現代に甦生させてみようと思います。困難や非難もあっても、まずは試行錯誤してみてそれをみんなと切磋琢磨してこの時代の世代の役割を果たしていきたいと思います。

歴史に学ぶ

時代が変わると、人の価値観も変わります。偉い人になろうと人は努力しますが、時代の価値観が偉い人もつくりますから今の時代の偉い人は何かということを考える必要を感じます。

例えば、ある時代は徳の高い人が偉いといわれていたことがあります。その時代は、みんなで高徳の為政者を望みました。またある時代は、戦に強い無敵の為政者を求めてその人が偉い人になりました。またある時代は、お金持ちで成功者がもっとも偉い人といわれるものもありました。その時は、経済に影響を与えていることが偉い人となります。

時代が何を求めているかで偉い人も変わります。人間は、自分にとって有益であること、都合がいい人を偉い人にするものです。偉い人になった人は、その役目を演じて偉い人にまつり上げていかれるものです。実際には、偉い人に依存してしまえばみんなが自立することを怠ってしまいます。むかしから日本には、草莽というみんなで助け合ってみんなで偉い人になろうとする意識がありました。つまりは、自分には何ができるかと真摯に初心に向き合って互譲互助しながら自治を実現してきたものがあります。それが「講」という形でも各地に遺っているものです。

改めて、歴史に学ぶ必要があるのは時代が変わっても普遍的なことを学び直し今どのようにあるかを問うためにあるように私は思います。

陽明学の安岡正篤氏がこのような言葉を遺しています。

「偉くなることは、必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なのは大地である。この大地は万山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せてあえていとわない。常に平々坦々としておる。この大地こそ本当の徳である。我々もこの大地のような徳を持たなければならぬ、大地のような人間にならなければならぬ。」

偉くなることは、大地になること。大地は本当の徳だといいます。徳を持つことこそ真に偉くなることであるといいます。またこうもいいます。

「ずるいことをやったり、人を押しのけたりして、地位や財産をつくるのも人間の能力、知能のひとつであります。それを使っていろいろのことができる。できるけれども、そんなことができても、これは人間としては少しも偉いことではない。社会的には偉いかも知れぬが、人間としてはむしろ恥ずべきことであります。何を為すか、何をしたかということと、彼はどういう人間か、いかにあるか、ということとは別である。」

社会的な偉さよりも、本来の偉さとはどういうことか、人間として恥を説きます。また同時に人物の偉大さについてはこういいます。

「環境が人をつくるということにとらわれてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう。人間は環境をつくるからして、そこに人間の人間たるゆえんがある、自由がある。すなわち主体性、創造性がある。だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境をつくる。人間ができないと環境に支配される。」

偉い人は環境をつくる人であると。環境に支配されない人であると。まさに、先ほどの大地の徳を観ては自立の本質を直感します。そしてこうも言います。

歴史はくり返す。たいていのことは古典の中にある。何千年もたっているのに、人間そのものの根本は少しも変わっていない。自分が創意工夫し、真理を発見したと思っているが、それは大変な錯覚で、すでに古典にのっていることを知らないのだ。」

人間の根本は時代とは関係がない。古典というのは、先人からの知恵であり子孫への伝承です。三浦梅園先生がいた時代、そして300年後の今。まさに今こそ、歴史に学び300年後の未来へ向けて対話をする場が必要だと私は感じてシンポジウムを実現することにしました。

混迷する世の中で、普遍的な道をどう切り拓いていくか。子孫のためにも、実践を積み上げていきたいと思います。

自然体の道

人は無理をするというのは過信があるものです。もっとできる、もっとやれるというように頑張りますがその時は自信ではないものです。ついなんでも無理をしてしまいますし、そういう教育を施されてきていますからそれが苦しみの原因にもなるのです。

自然体でいるということは、何よりも楽しめますが不自然になるから苦しくなり無理が発生するともいえます。

松下幸之助さんにこういう言葉があります。

『苦しかったらやめればいい、無理をしてはならない。無理をしないといけないのはレベルが低い証拠。真剣に生きる人ほど無理はしない。無理をしないというのは消極的な意味ではない。願いはするが無理はしない。努力はしても天命に従う。これが疲れないこつである。』

無理する人は、無理をしないのは頑張っていない、或いは努力が足りない、逃げているなど消極的なものと思い込み決めつけているものです。しかし実際には、天命にしたがうとかご縁を信じるという努力をしていないともいえます。全部必然と思い、無理をせずに取り組むことこそ自然体に近いように思います。

また無理をしないことは他にも大切な要素があります。松下幸之助さんはこうもいいます。

『富士山は西からでも東からでも登れる。西の道が悪ければ東から登ればよい。東がけわしければ西から登ればよい。道はいくつもある。時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。一つの道に執すればムリが出る。ムリを通そうとするとゆきづまる。動かない山を動かそうとするからである。そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、またそこに新しい道がひらけてくる。何ごともゆきづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。』

何か事件があったり、挑戦しているなかで行き詰ったり、困窮や困難に陥ったりします。しかしそういう時に、無理に同じことをまたやろうとするのではなく、別のやり方、別の観方、別の道があるとするメッセージとも受け取ればいいのです。つまり、無理をするよりもそこから別の道にいけばいいと楽観的に捉えていくことが大切だということです。道は無数にあるという考え方だからこそ、その方が別の道がひらくと思えばいいということです。

大切なのは、挑戦をし続けること、継続して目的地に向かっていくことであってそのためには一度、降りてもいいし、別の道を探してもいい、最後まで諦めていないのだからそれは逃げたのでも努力していないのでも、頑張っていないのでもないのです。

人生は、ちゃんと自分の目的に向かうように潜在意識や内面の自分、あるいは本当の意識は導いていくものです。それを信じて、道は無数にあると思うこと、これしかないではなく、あれもあるこれもある、自分にしかない道があると辿り着くことの中に人生の妙味があるように思います。

追い込まれないよう、追い詰めないよう、自然体で何でもちょうどよかったと楽しく融通無碍に道を歩んでいきたいと思います。

一線を越える人

昨日まで神奈川から私の尊敬する方が滞在されていました。この方は、若い時から自由に生きていてすべてのことに対して一流の感性を磨かれています。その方がつくるものは、すべて芸術品でそこには一切の妥協もありません。自分というものを知り、自分というものを探して日々に研鑽を怠らない。まるで剣道の達人のような風情を醸し出しています。

最初にお会いした時も、その佇まいは徹底されており二度目にお会いした時は愛や懐、その大きさを感じました。三度目にお会いした時は、愛の深さや厚い優しさ、純粋な生きざま、人間力を感じました。

かつて西南戦争のとき中津藩の武士、増田宋太郎という人物が西郷隆盛のことを「一日先生に接すれば、一日の愛生ず。三日先生に接すれば、三日の愛生ず。 親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は善も悪も死生を共にせんのみ」とまでいった言葉があります。

人は人間力を観るとき、その人の器の大きさ、そして一緒にいることでその人の深い愛を感じるのです。自由に生きると愛を生きることになります。そして愛に生きる人に触れると人はその愛の大きさに感動するのです。

人間力を磨き上げていくなかで、人は同時に愛も高めていくように思います。西郷隆盛は「敬天愛人」を座右の銘にしていました。まさにそれを感じる一日になりました。

人は感動することと、感動させるということがあります。人を感動させるというのは、その人が一線を越えていることを感じさせます。この一線とは何か、それは私心を捨てるような一線ではないかと私は思います。西郷隆盛は、「総じて人は自分に克つことによって成功し、自分を愛することによって失敗するものだ」ともいいます。

人は何かのためにという目的を持ちます、そしてその目的はそこにいのちを懸けてでもというものがあります。その人が、それをするのは何かのいのちを懸けているのです。そういう本来の自分というものを持てる人は、自由人であり仕合せな人であろうと私は思います。

人生の中で、同じような生き方や生きざまを志す人に出会い、薫風をいただけることはとてもありがたいことです。子どもたちや未来世代のために、学んだこといただいことをさらに研鑽を積み、還元できるように精進していこうと思います、

ありがとうございました。

道育

世の中では有名でなくても偉い人といわれていない人でも立派な方がたくさんおられます。市井の賢人や偉人、あるいは聖人ともいうべき人がおられます。その方々の生き方や言葉には、知恵だけではなく魂が宿っていて心を深く打つものです。

人にはそれぞれに気づいたり学んだり発見したりとタイミングがあります。そのタイミングは、鳥の雛が卵から産まれ出ようと殻の中から卵の殻をつついて音をたてた時、それを聞きつけた親鳥がすかさず外からついばんで殻を破る手助けをする啐啄同時と同じです。

求めているときに、絶妙な手助けがある。これはまさに一緒に学び合い育ちあう関係だからこそ実現するものです。

そう考えてみると、これはすべての生き物に当てはまることです。植物であっても、種を蒔いても芽が出るかどうかは種によります。いくら雨が降っても、求めていなければ芽吹くことはありません。また季節のこともあり、栄養なども同じです。昆虫も等しく、それぞれがそのいのちの成長に従って適切に与える存在があることで啐啄同時は存在することができるのです。

今の時代のように、詰め込み教育や放置教育ばかりをしていたらこの啐啄同時のことはわからなくなるでしょう。覚えないのは単に勉強不足と思うようになり、できないのは指導者やその環境が悪いからとなるのかもしれません。

本来、教育というのは道の中にあるものです。志を持つ者同士が、どのようにその道を歩んできたのかを訪ね、そこにお互いに必要な知恵を分け合います。またそれぞれの徳性や性格、そして才能や感性などの異なりもあり適切にアドバイスをし研鑽する方法を導いていきます。

それぞれに道で学んできたことがありますから、お互いにその道を語り合い学び合うときに道がまた拓けていくのです。教育というのは、本来は道育であり、自然と共生して存在するようなものです。

子孫のためにも、あるべき原点を学び直しながら新たな道を拓いていきたいと思います。

捨聖の甦生

空也上人の生き方に憧れて遊行を実践した人物に、一遍上人がいます。この人物は鎌倉時代の方ですから空也上人が逝去されてから270年後の人物になります。一遍上人特に止住する寺をもたず、一生涯全国を巡り、衆生済度のため民衆に踊り念仏をすすめ、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)といわれた方です。

その一遍上人が門人への説法で空也上人がどういう人物であったかを語られています。そこには、こうあります。

「また上人、空也上人は吾が先達なりとて、かの御詞を心にそめて口ずさび給ひき。空也の御詞に云(いわく)『心無所縁(中略)譲四儀於菩提《心に所縁なければ、日の暮るるに随つて止まり、身に所住なければ、夜の明くるに随つて去る。忍辱の衣厚ければ杖木瓦石を痛しとせず。慈悲の室深ければ、罵詈誹謗を聞かず。口に信(まか)する三昧なれば、市中もこれ道場。声に随ふ見仏なれば、息精即ち念珠なり。夜々の仏の来迎を待ち、朝々最後の近づくを喜ぶ。三業を天運に任せ、四儀を菩提に譲る》』と。

木造空也上人像にある、口から迸る六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)の実践とはこのような遊行の姿を示されたことがわかります。暮らしの中で、生き方として念仏の生き方を実践されたことが何よりも尊いと感じます。遊行のなかで如何に暮らしの徳を磨いていくか、まるで仏陀のような生きざまに感銘を受けます。

またこうもいいます。

『求名領衆(中略)更盗賊怖《名を求め衆を領すれば身心疲れ、功を積み善を修すれば希望多し。孤独にして境界なきにはしかず。称名して万事を抛(なげう)つにはしかず。間居の隠士は貧を楽とし、禅観の幽室は静なるを友とす。藤衣・紙の衾はこれ浄服、求め易くして、さらに盗賊の怖れなしと》』

閑居で暮らせば貧も楽しく、座禅のように暮らせば静寂であることが仕合せである。シンプルな衣装や紙の袋は手に入りやすく清浄である、それに盗賊に奪われるものもないとあります。

「上人これらの法語によりて、身命を山野に捨て、居住を風雲にまかせ、機縁に随て徒衆を領し給ふといへども、心に諸縁を遠離し、身に一塵もたくはへず、絹帛の類を膚にふれず、金銀の具を手に取る事なく、酒肉五辛をたちて、十重の戒珠をみがき給へりと云々。」

このように空也上人は、いのちは山野に捨て居住を持たず云々とあります。つまりは、色々なものを手放してそぎ落とされて顕現した徳そのものの姿があったように思います。

今の時代でも空也上人のような生き方ができるでしょうか。この時代のことに思いを馳せてみると、政治的な宗教が盛んな世の中で民衆の中で何も持たずにただ遊行している姿で歩んでいく僧がいる。

文字も読めず学識もそんなにない民衆に、さらにいうなら言葉も異なり地域の特殊な文化があるなかで普遍的な徳の生き方を伝道し伝承していく、ただ南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいと。そして上記のような、六波羅蜜の姿を体現してみせること。

そぎ落とした先にあったのがこの念仏だったと思うと、今の時代でもこれはとても大切なことがわかります。知識をつけて、みんな言葉も文化も理解している世の中ですが苦しみは相変わらず増え、さらに執着や欲望や争いは際限なく拡大を続けています。

手放したりそぎ落としていくというのは、私の言葉では「磨く」といいます。磨いてシンプルにしていくことは、足るを知る暮らしを甦生することになり一人一人が徳に目覚める生き方になっていくように思います。

先人の遺徳を偲び、その道を後から踏みしめながら道を甦生させていきたいと思います。

 

遊行の源流

暮らしの中の遊行巡礼をはじめると、空也上人とのご縁が出てきました。もともとこの空也上人という方は平安時代中期に活躍した念仏僧で、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも呼ばれています。生れは延喜3年(903)とされ、醍醐天皇の皇子とも言われています。

もともと空也上人は、「優婆塞」と呼ばれ、「俗聖(ぞくひじり)」とも呼ばれていました。得度しても僧名の光勝を名乗らず自らは空也の沙弥(しゃみ)を名乗っていたといいます。

「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路や橋、井戸や寺院をつくり町中を遊行して乞食し、布施を得れば貧者や病人に施したと伝承されています。そして遊行のありさまは絵画や彫刻にあるように短い衣を脛高(はぎだか)に着て草鞋(わらじ)を履き、胸に鉦鼓(しょうこ)台をつけて鉦(かね)を下げ、手に撞木(しゅもく)と鹿角杖(わさづえ)を持ち行われていたといいます。この遊行の鑑のような生き方をなさっておられた方でその後の一遍上人などにも多大な影響を与えています。

有名なものに木造空也上人立像があります。死後250年以上経ってから制作されたものですがまるで、目の前にいるかのような一度見ると忘れられない像です。これは運慶の四男 康勝の作といわれます。一様に首から鉦(かね)を下げ、鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、草鞋履きで遊行する姿です。6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、開いた口元から吐き出すように取り付けられています。

これは「南無阿弥陀仏」の6文字を唱えると、空也上人が阿弥陀如来の姿に変わったという伝承を表しているからだといいます。

六波羅蜜を遊行を通して実践し、それがその時代の人々の心を癒し苦しみを安らげ、心魂を鎮めたのかもしれません。

また私は鞍馬寺に深いご縁がありますが、空也上人が鞍馬山に閑居されていた話も知りました。その閑居していたときに、いつも鳴いている鹿を愛していましたが定盛という猟師が射殺しました。これを知った空也は大変悲しみ、その皮と角を請い受け、皮を皮衣とし、角を杖頭につけて生涯離さなかったといいます。また、鹿を射殺した定盛も自らの殺生を悔いて空也の弟子となったともあります。これは英彦山の伝説とも似ていて共通点があります。そのことから鞍馬寺は浄土教の聖地として発展したといいます。鞍馬山にはその旧跡という「空也の平」という名の場所もあるそうです。

大分では国東に空也上人の開基した興満山興導寺というお寺もあります。また九重町の宝泉寺では空也上人が諸国遊行の途中この場所に経ちより農家に宿泊したお礼として持っていた杖を大地に立てたといいます。その杖がのちの大杉となり、天禄三年(972)この地に大地震がありその大杉が倒れたあと根元より突然温泉が湧出したといいます。そこで驚いた村人たちは、わき出る温泉のほとりに一宇の寺院を建立して空也上人が宝の泉を下さったということで寺を平原山宝泉寺と定 め本尊に空也上人と大日如来を安置したという伝承もあります。

歩きはじめて、まさかのご縁がこの空也上人でした。てっきり法連上人かと思い込んでいましたから、道はやはり歩いてみなければわかりません。引き続き、遊行を深めながら知恵を学び直していきたいと思います。

遊行の妙

遊行を実践してみると、一人ではなく二人でいることがわかります。もともと四国巡礼では同行二人という言葉があr、常に弘法大師と一緒に巡っているという意味で用いられます。しかし、実際には自分の中のもう一人の自分、自我と真我という言い方もしますがこの二人が常に対話しながら歩んでいるともいえます。

瞑想も同じく、この二人が次第に静かになって一つに纏まっていきます。すると、次第に静かになり穏やかになります。他にも、五感を調え六根清浄をするときにも一つになっていきます。

つまり歩くことで、別々のものが融和して一つになっていくということかもしれません。

そもそもこの世のすべては、二つが一つになっています。その最小単位は、火や水や風など五元素をはじめあらゆる一文字で語られるものが二つから形成されているからです。

火というものも、二種類のものでできています。熱いものと温かいものです。水もまた固まるものと固まらないものです。これらがバランスよく一つになっているものをみて私たちは火や水を認識しています。

そして二つが一つになるのは、静止しているときではありません。動いている時にはじめて一つになっている様を感じることができます。地球が太陽系をめぐり、自転しているとき私たちは地球を丸く感じられるものです。同様に、動的なときにこそ静止しているように感じられます。

道を歩くというのはその行為に似ています。そしてこの遊行は自らを知り自らになる道でもあります。

子孫のためにも、道を歩んだ人たちのあとを学んで伝承を味わっていきたいと思います。

信仰と感謝の暮らし

この時期の英彦山の宿坊は、空氣が澄み渡っていてとても心地よい季節です。あちこちの木々の葉も紅葉づいて秋の静けさに合わせて綺麗な光が差し込んできます。夜の月も清浄で美しく、明けの明星も一際煌めいています。守静坊では、囲炉裏の火がゆらめき、煙の懐かしい香りの余韻が充満していて穏やかです。

季節季節に喜びはありますが、この秋の豊かさは何よりの贅沢です。

そして今の英彦山は、水が少なく井戸の水量が激減しています。いつもは宿坊の周囲の小川もさらさらとたくさんの水が流れていますが今はほんの少しちょろちょろと流れる程度です。

水がなくなってくると、生活に利用するための水をもったいなく丁寧に使うようになってきます。

以前、鞍馬寺ですべての水道の蛇口に「お水さんありがとう」と書かれたものが括りつけてありました。それに感動し、すぐに自宅の蛇口にも同じように括りつけて忘れないようにと実践していました。しかし、水道水は蛇口をひねれば自由に出てくるためそんなにもったいないと感じにくいように思いました。今でも、ついシャワーなどは高温が出るまで出しっぱなしで水のことなどあまり気にしていません。

しかし英彦山の宿坊に来ると、水がなくなるとまた水量が元に戻るのにかなりの時間がかかってしまいます。そこで少しでも水が使い過ぎにならないように気を付けながら使います。すると、自然にお水さんありがというという気持ちになり、お水の使い方も変わってきます。あまりお水を使わなくていい方法を模索したり考えたりするのです。

洗い物や洗濯、水洗トイレ、シャワーなど今では当たり前に水があることが前提の生活用品や生活家電であふれています。水が足りないところでは使えないようなものばかりです。

不便によって本来の当たり前が変わっていくことで、意識も暮らし方も変わってきます。しかしその暮らし方の中に、もったいないと感じる豊かさと有難さがあり、感謝や信仰の仕合せもまた味わえるものです。

暮らしフルネスの一つに、このもったいないというものを味わうことがありますが英彦山の宿坊はお水のことをいつも深く感じられることが多くあります。一年中、水で溢れる梅雨や冬から春までの大雪にいたるまでお水の影響をかなり受けます。お水のありがたさを感じるほどに、また火の有難さも感じる場所です。

都会や都市にはない、真の豊かさはかつての信仰と感謝の暮らしのなかにこそあります。いつまでも大切な恵みを忘れないように、場をととのえていきたいと思います。

徳の戦略 

江戸中期の徳の実践家で思想家の三浦梅園に、「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」があります。これは、西洋ではグレシャムの法則といって、「悪貨は良貨を駆逐する」が同じように有名です。私は、徳積循環経済に取り組み、ブロックチェーンの技術を徳で活用していますからこの辺の話は参考にしています。

そもそもこの三浦梅園が自著「価原」でなぜこういうことを言ったのか、それはこの明和9年(1772年)から発行された、南鐐二朱判は一両当りの含有銀量が21.6匁であり、同時期に流通していた元文丁銀の一両当り27.6匁と比較して不足している悪貨であったといいます。このことが南鐐二朱判を広く流通させ、このような計数銀貨が次第に秤量銀貨である丁銀を駆逐していったということもあったといいます。これよりも前の元禄8年(1695年)に行われた品位低下を伴う元禄の改鋳後にもまた良質の慶長金銀は退蔵され、品位の劣る元禄金銀のみが流通したともあります。

そしてグレシャムの法則の方は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来しています。これを19世紀イギリスの経済学者・ヘンリー・マクロードが自著『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し「グレシャムの法則」と命名してできた言葉です。

他にも調べると、似たようなことは古代ギリシアでも行われていました。劇作家アリストパネスは、その自作の登場人物に「この国では、良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」という台詞を与え、当時のアテナイで行われていた陶片追放(オストラシズム)を批判していたといいます。

今の時代もまた似たようなものです。これは貨幣に限らないことは半世紀ほど試しに人生を生きてみるとよくわかります。市井のなかで、「本物」と呼ばれる自然な人たちはみんな私心がありません。世間で騒がれている有名な本物風の人ばかりが情報消費に奔走し、あるいは流通し、同様に消費されていきます。実際の本物は粛々と自分の持ち場を実践し磨き上げ場をととのえています。そこには消費はありません。

そういう人たちは、世の中では流通せずにそれぞれに徳を積み、そうではないものばかりが資本主義経済を拡大させていきます。そもそも人間の欲望と、この金本位制というのは表裏一体の関係です。そして金本位制を廃止してもなお、人間は欲望のストッパーを外してはお金を大量に発行して無理やり国家を繁栄させ続けようとします。すでに、この仕組みで動く世界経済は破綻をしているのは火を見るよりも明らかです。国家間の戦争も歴史を省みればなぜ発生するのかもわかります。

かつて国富論というものをアダムスミスが定義提唱し、富は消費財ということになりました。この辺くらいから資本主義の行く末は語られはじめました。如何に現代が新しい資本主義など世間で騒いでみても、そもそものはじまりをよく観ればその顛末は理解できるものです。ジャッジするわけではありませんが、歪みを見つめる必要性を感じます。

実際の経済とは、経世済民のことです。その経世済民を支えるものは、相互扶助であり互譲互助です。つまりは、人は助け合いによって道と徳を為すとき真に富むということです。この時の富むは消費財ではなく、絶対的な生産であり、徳の醸成です。そういうものがないのに経済だけをブラッシュアップしても片手落ちです。

本来、テクノロジーとは何のために産まれるのか。それはお金を増やすためではありません、世の中を調和するためです。だからこそ、どのように調和するかを考えるのが技術まで昇華できる哲学者たちであり、思想を形にする実践者たちです。

私はその調和を志しているからこそ、ブロックチェーンで三浦梅園の生き方を発信していきたいと思っているのです。そこには先人への深い配慮や思いやりが生きています。

先人たちのこれらの叡智、そして知恵は何世代先の子孫のために書き綴られそれは魂と共に今も私たちの中に生きています。少しでも子孫たちの未来が今よりも善くなるように私の人生の使命を果たしていきたいと思います。