美しい言葉

先日、お会いしたある方から永六輔さんとの思い出話をお聴きする機会がありました。永六輔さんは放送作家、エッセイスト、作詞家、随筆家などいろいろと肩書がりますが、実際には「言葉の偉人」だったのではないかと私は感じました。

美しい言葉を記し、そして使える人はその生き方も美しい人です。そして美しさは本質的であったり、自分らしくあったり、深い愛によってさらに磨かれていくように思います。

この私たちが使う「言葉」は何によって磨かれていくかということですが、それは人生体験の質量であることはわかります。自分の実体験を深く掘り下げて、自分が体験から学んだことが使う言葉に顕現してくるからです。

例えば、傷ついたり辛い思いをしたり苦労をした人が似たような境遇にある人に共感して語る「言葉」はその人を救い導く含蓄があります。それは本人が人生で真摯に向き合って心を痛めたからこそその痛みが分かる人になるのです。

純粋な心を持っている人は、その純粋な心がむき出しになっていますからその分、無造作に傷つき痛むものです。しかしその心の傷や痛みを持ったまま前に歩んでいく人はその純粋性が磨かれてその人の深い魅力が輝いていくものです。

人間はどれだけ自分のこととしすべての物事を捉え、体験していくかで他人事ではなくなります。そうやって体験したことを一つの言葉にしていく、言葉に籠めていくことではじめて心が言葉になります。音楽にある詩や歌には、その「言葉」を伝える力があるようにも思います。

その言葉は、その人が大事にしてきたもの、大切だと思っていることが入っています。だからこそ、何が大切か、何が大事かといつも自分から発する言葉を大切に遣っていくことが重要なのかもしれません。

永六輔さんの遺した詩や言葉は、今でもたくさんの人たちの心支えになっているように思いました。

最後にいくつかその言葉を紹介します。

「自分が傷つかないで、怒ったり、叱ったりする人がいるけど、自分も傷ついて説得力がつくんです。」

「目を見つめて、一緒に笑い、一緒に泣く気持ちがないなら、他人の話を聞かないで」

「生きているということは、誰かに借りをつくること。 生きていくということは、その借りを返してゆくこと。 誰かに借りたら誰かに返そう。 誰かにそうして貰ったように、誰かにそうしてあげよう。」

「叱ってくれる人がいなくなったら、探してでも見つけなさい 」

「他人のことが気になるのは、自分が一生懸命にやっていないから」

「人の死は二度ある。 最初の死は、肉体の死。 でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。 最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。 そう僕は思っています。」

私も言葉を大切にして、永六輔さんのように生きる体験を真摯に味わい、人々の心の痛みがわかる自分らしい言葉で記憶に遺るような生き方を目指していきたいと思います。

椽の下の舞~縁の下の力持ち~

諺に「縁の下の力持ち」というものがあります。これは語源の由来を調べると、聖徳太子が建立した大阪の四天王寺の経供養で披露された「椽(えん)の下の舞」だといいます。

この「椽(えん)の下の舞」は昭和40年代になるまでずっと非公開で行われてきた秘事です。観客が一切見ていないにも関わらず、舞い手は努力して舞の練習をし舞い続けたのです。ここから陰で努力することや苦労することを指す言葉になったといいます。 その後は、時代の流れで言葉の意味を分かりやすくするために、「椽の下」を同じ発音の「縁の下」となり「舞」は「力持ち」に変化したとあります。

この「椽の下」の「椽」とは何か、これは訓読みで「たるき」と読め、屋根板を支えて棟から軒に渡す部材「垂木」のことを指しています。この垂木は最近、聴福庵の「離れ」の瓦葺きのときに屋根瓦を支えるために大事な役目を果たしていた印象深かったものです。この椽の下は、単に庭先にある縁側の下を支える木ではなく屋根や重い瓦を支える重要な「垂木」なのです。「えん」という字を椽から縁にしたことで、庭先に出ている縁側のイメージがついてしまいますが本来は家の屋根を守る垂木だと思うとその意味が違って感じられます。また「舞」のことを力持ちとされていますが、本来の伝統的な舞は「祈りや供養」のことを指していました。

「椽の下の舞」は、つまりは「人々のために人知れず祈り見守り続けていた存在」を知ったということかもしれません。

私たちは自分を中心に物事を考えて、自分の都合で目に見えるものを中心に解釈していくものです。しかしその自分を支えてくださっている存在に目を向けてみると、本当に多くの偉大な御蔭様によって見守られていることに気づきます。

私たちが雨や風や天災、災害から守ってくれているのは屋根です。その屋根があるから安心して私たちはその中で暮らしを営んでいくことができます。屋根がある安心感、屋根のある暮らしは、その屋根を支えてくれる「椽(えん)のチカラ」の御蔭様なのです。

いつまでもその屋根が家の中の人たちを守り続けるようにと祈り、むかしの大工たちが屋根の上には神様がいるとして屋根神様や七福神や鍾馗様、鬼瓦などで様々ないのりを祀ってきました。

四天王寺は聖徳太子が建立していますが、聖徳太子は民間信仰では大工の祖とされます。国家という家を形成するうえで、何が最も大切なのかということを理念として永らく密かに「椽(えん)の下の舞」を執り行われてきたのです。聖徳太子の「屋根を支えよ、そして祈りつづけよ」という初心を忘れてはならないという伝承を感じます。

「縁の下の力持ち」は、現代ではいろいろな使い方をされますがその本質を忘れはならないように思います。屋根がない家は家ではなく、屋根の存在を忘れて人は安心することはないということです。家の中心に屋根があること、安心して民が暮らしていける存在になることを祈り続けたのかもしれません。心を大切に守り祈り続けてきた大和の先人たちの智慧や真心に感謝の気持ちがこみあげてきます。

私も初心を忘れず、「椽の下の舞」を実践していきたいと思います。

全体こそ自分

今の時代は、経済効率優先の世の中で古いものは捨ててしまい新しいものばかりを購入していくことが当たり前になっています。古いものの価値はほとんど失われ、ただ古くて不便で非効率であるとして無価値のように裁かれています。

現在、日本の各地に出てくる空き家の問題も高齢化と少子化、若者の都市集中など、このままではいずれボロボロの街並みばかりを見かけるようになると思います。

先日、訪問したドイツの街は日本の街との景観や雰囲気がまるで異なります。これは単に文化が違うからという意味ではなく、日本のようにそれぞれが好き勝手に自分の好きな建物でバラバラの景観になっているのではなく、自国の文化風土にあったものをみんなで調和させるように建っていました。

特に西洋では、自分の家のことだけを考えるのではなく周囲の景観や全体がどうなっているかというところからそれぞれに皆で自律し合って街並みを保全しています。

日本人の現在は、自分さえよければいいという個々がバラバラになり全体快適や全体善のことなどを考える人が少なくなってきているように思います。これは単に家だけではなく、仕事においても自分のことさえしていればいいとし全体があって自分があることに気づかない人も増えています。

本来、社會というものがあってその中に自分が入っているから自分が守られ生活を維持していくことができます。道徳においても、なぜ自分がゴミを拾うのかを考えてみれば、それが全体にとって必要なことにつながっているからです。自分一人くらいと、自分が他人に迷惑をかけても問題ないという発想はそもそもの社會に対して自分から参画していないということです。

視野の狭さというのは、言い換えれば歪んだ個人主義の生んだ利己的な悪習慣の一つであり学問というものはその視野を広げるために必要なものです。人間は比較競争評価の環境下では自我や保身から利己的に傾くのです。その利己的な視野を広くするというのは、自分が存在することができている社會全体そのものを守ること、さらには自分が所属する世界を守ることに生きることで抜け出せます。自然界もそうやって循環しながらみんなで活かし合うのです。

話を戻せば古いものを大切にしなければ、世の中は新しいものと古いものが無造作に増えてしまいます。新しいものもそのうち必ず古くなりますから、それを壊し捨て続けることが果たしてどこまでできるのかと真摯に現実と向き合ってみれば現在の政策や経済原理が如何に大きな矛盾と限界とツケを子孫へと払うものであるのかは火を見るよりも明らかです。

だからといって、皆が進んでいる方と逆に歩めば周りからは奇人変人扱いされて理解されることもありません。人は自分で考えず周りに合わせて思考を停止して生きていく方が楽だからかもしれません。私も別にだからといってマイナス思考になって悲観すればいいと思っているわけではなく、現実を直視しそれを半分は世間様のため半分は自分のためだと全体にとっては善いことだろうと気楽に楽しめばいいと思っています。心は義憤もありますが、実際は有難い一期一会の体験をさせていただけているのだから感謝で人生を歩んでいきたいと思うのです。

つまり長い目で観ることも全体観であり、利他に生きることも全体善、そしてみんなが喜んでいる働き方も全体快適、この「全体」があっての自分であるということを決して忘れないように、自分をどのようにマネージメントし続けるか、どのような自助習慣を持ち続けるかが重要な生き延びるための知恵になると私は思います。

組織も国家も、世界にも、生き延びるための知恵とそれを活かすための勇気とそれを維持していく習慣が必要なのです。

引き続き、今と未来の子どもたちのためにも社業を通して子ども第一義の全体善の仕組みを現場で伝承していきたいと思います。

刻の記憶

昨日は、聴福庵の銅雨樋の設置を無事に終えることができました。壊れていたところからの水漏れや水はねが激しく、家が傷んでしまいそうだったのでなんとかこの梅雨の合間の晴れ間の時に交換ができて一安心です。

本来は、古い雨樋を修理して復古創新して甦生させたかったのですがどうしてもむかしの銅の雨樋が探し出せず現在の壊れた雨樋を新しいものへと交換するしかありませんでした。

今は、まだ古民家に銅雨樋が馴染まず光沢が出てピカピカに輝いていて違和感がありますが経年変化をして赤褐色、褐色、暗褐色、黒褐色、そして緑青色に変わっていく様子を年々楽しめる豊かさがあります。この変化の過程は数か月で赤褐色、数年で褐色、その後は数十年が暗、黒褐色、そして竟には緑青色になるという具合です。あと何年、生きられるかわかりませんが自分の次の代になるまで楽しめる銅の変化を継承し体験できることは有難いことです。

むかしから銅は永久と呼ばれるくらい耐久力が高く、日本では重宝されてきた素材です。屋根や雨樋に使われる理由は、銅の表面にできる保護被膜が腐食の進行を防ぐことによります。次第に酸化してできた緑青は雨水や酸素が触れる面にしか発生しないので、銅の内部まで錆びることはほぼありません。これが永久と呼ばれる理由です。またこの緑青はかつては猛毒などという誤認も昭和59年に厚労省が勘違いであることがはっきりしています。

銅のはじまりは銅は青銅器時代(紀元前3,500~1,200年)からで、日本では安土桃山や江戸時代によく用いられるようになりました。今では、家の内外だけではなく銅は電気製品など含めあらゆるところで活躍しています。リサイクルもしやすく、加工もしやすく、貴重な素材としてあらゆるところに重宝されています。

今では暮らしのあちこちに銅は使われ、経年変化した銅を観ているとどれもうっとりします。特に調理器具周りの銅製品は、木や竹の道具と相極まって調和して日本の価値観を醸し出します。経年変化とは、長い年月の付き合いによって深い味わいを出していくのです。この深い味わいが出てくるのを楽しめるのが心の余裕であり、その変化の中に刻の記憶がしっかりと詰まっているからこそそのものに深い味が顕現するのです。

時の変化は、単に過ぎているわけではなくどのようにその時を過ごしたかという時の味わいがあります。時の味わいを楽しめるのは、いのちの存在を身近に感じるからです。

変化を楽しみながら、変化をつくり出しながら、変化を味わい、かけがえのない刻の記憶を生きていきたいと思います。

 

日本の子ども観

日本にはむかしから大切にされてきた「子ども観」がありました。日本の諺にも、千の倉より子は宝、金宝より子宝、子に勝る宝なし、子宝千両、貧乏人に子は宝、子は第一の宝、子は人生最上の宝、年とれば金より子、我が子に替える宝無し、など沢山のものがあります。

子どもは決して大人にとって自分に都合のよい「宝」ではなく、生まれながらに宝の存在であるという子ども観があるということです。この宝は金銀や紙幣などの富のことを指しているのではないことはすぐにわかります。では何を宝というのかということです。

もともと人間は、生まれながらにして徳というものが備わっています。この徳は、道心とも言い、現代ならば道徳心とも言います。生まれながらにして思いやる心や優しい心があるということです。赤ちゃんを見て誰もがほほ笑むのはその赤ちゃんの赤心に触れるからです。

時折、野生の動物たちや昆虫たちも小さな存在である赤ちゃんに対しては種族を超えて守り育てようとします。それは赤ちゃんという存在に、自然に特別な何かを感じているからです。

この宝という言葉を私がもっとも理解するのに印象深かったものは天台宗の宗祖の最澄の遺した下記の言葉です。

『照千一隅、此則国宝』(一隅を照らす、これ則ち国の宝なり)

この一隅とは、自分の今いる場所を指します。意訳ですが、その場その場で一人ひとりが道徳を実践することこそが国の宝になるといになるという意味です。

そしてこう続きます。

「国宝とは何ものぞ、宝とは道心なり」と。

最澄は宝を道心と定義しました。むかしブログで紹介したこの道心とは、私の言葉では「初心」のことです。この初心は、その人がそもそも備わっている真心、もしくは大和魂や純粋な精神などと言ってもいいかもしれません。一人ひとりがはじめから持っているその初心を、それぞれが人生の中で大切に守ることができるのならそれが天下の国宝になるということです。

むかしの親祖や御先祖さまたちは本来、人間というものをどう捉えていたか。そこから受け継いできた本物の子ども観を見つめ直せば、日本の子ども観の真実が観えてくるものです。

引き続き、初心伝承を通してその初心によって一人でも多くの人たちの仕合せが引き出されていくように子ども第一義の実践を追求していきたいと思います。

 

不易と流行~いのちの恩寵~

ドイツ視察研修が昨日で終了し、今日から日本への帰国に向けて移動をする予定です。今回もとても学びが深く、改めてこれからの日本の未来をどのように導いていけばいいかと考える善い切っ掛けになりました。世の中は常に変化して已みませんから学ぶことを止めることはできません。常に本質的に取り組む中で新しいものをどう取り入れていくか、つまりは学問の不易を高めていくことで今を刷新していくのです。

もともと日本には「不易と流行」という言葉があります。これは俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の初心の一つです。この初心が生まれた背景には、芭蕉が奥の細道で源義経を慕い、その所縁の地を訪ねるなかでむかしから和歌で詠われたきた憧れの場所があまりにも変わり果てた姿にショックを受けたことからです。その場所を見つめていると失われたもののもののあわれと同時に、古来から言い伝承されたものがその場所に遺っているものも観ることができ、永遠というものの本質を知り、変わり続けていくものの中にこそ「永遠」の今があるのだと悟るというところにあるといいます。

人生も同様に、どんな人間であっても初心を守り続けていくためには変わり続けていかなけれなりません。一度、これでいいと分かったからや悟ったからと、結果が出た云々次第で簡単に変化を已めてしまったならばもはや本質を維持することもないのです。

どれだけ多くの経験を積んだとしても、そしてどれだけ膨大な知識を習得し知らないことはないほどになったとしても、世の中が無常に変化する以上、学ぶことを已めてはならないのです。学ぶというのはそういうことなのです。

そして学問においてどちらが上とか下とか、偉いとか偉くないとか、地位、名誉、権力があるかないかに関わらず、私たち人間は皆平等に日々に新たに学び続けていかなければならないのです。その学ぶ姿勢こそが、本来の人間の価値や人格、人徳を高めていくのです。

今回のドイツの学びでも、子どもたちが置かれている社會環境が急速に変化することによって教育に関わる人たちがさまざまな新たな取り組みや挑戦する姿を拝見することができました。また子ども観においては、そもそも子どもも大人もなく、子どもは何も持っていない存在ではなく、「すべてをもって生まれてくる」という当たり前の世界の基本理念も再確認することもできました。

現代の子どもと大人を分けた歪んだ人間観や、子どもは何もできない存在だという偏った子ども観を持ったならば人は平等や権利や自由などの本当の意味をはき違えてしまうものです。本来の人間の姿がどうであるのかを私たちは教科書から学ぶのではなく、刷り込まれていない純粋な人間の魂、子どもたちの姿から社會を見つめ直していく必要があると感じます。

本来の道徳とは、教えて備わるものではなく人間は本来それはもともと備わっているということを自覚することは何よりも環境の変化の中でも人間の尊厳を守っていくものです。思いやりや優しさ、助け合いや分かち合いなどはすべての人間、いやいのちに備わった天からの恩寵や恩徳そのものということでしょう。それをどう引き出していくかが、歴史を継承し先を生きたものたちの具体的な使命なのでしょう。

人間観を学び直し、これからの世界の平和のためにも不易と流行を実践し、今できることに挑戦し続けていきたいと思います。

参画協働意識

昨日は2か所のミュンヘン市内の保育園と幼稚園を視察しました。その1カ所は文化財になっている130年くらい前の古民家を改修して利用している保育園。もう1か所は、オープン保育や小さな科学者といった教材やノウハウの認定を受けた幼稚園です。

久しぶりに訪問して興味深かったのは少し前まではクラスという概念の中で各クラスの部屋の中にコーナーやゾーンが存在していましたが今回はすでにクラスがそのままコーナーやゾーンになっていました。つまり園の中にクラスが分かれているのではなく、園そのものがクラスという概念になっている感じです。

これは個々の子どもの発達や個性を大人たち職員みんなで見守るという仕組みであり、これはミマモリングソフトでよく言う、全体から個ではなく、個から全体を観ていくという仕組みと同じ方法です。このようにミュンヘンの陶冶プログラム(日本でいう保育指針や教育要領)の理念に沿って発展を続けていました。

ミュンヘンでは昨日書いた「参画」をどのように見守り育てていくか、それが保育に反映されています。以前、私もこのブログで紹介しましたが参画協働は一人ひとりがよりよい人生を成熟させ、社會の中で主体性を発揮していくためにも絶対的に必要な力の一つです。

そもそも参画とは協働することです。

人間が社會の中でそれぞれの持ち味を活かし協働するためには、単なる参加ではなく最初から参画している必要があります。言われたからやるではなく、指示だからやるでもなく、自分に関係があるからやるでもない。

自分が所属しているすべての世界において、自ら考えて自ら行動することが協働することです。協働というのは、日本では誰かと同じことをすることだったり、全体のために自分を使うことだったりという認識を持っている人が多くいます。

しかし全体のためにといっても、参画は全体快適のことであり、協働というのは一緒に物事を自他を分けずに一体になって取り組んでいくことを言うのです。

資本主義や歪んだ個人主義の刷り込みは、人々のつながりをバラバラにしていくことが無意識行われていくものもあります。いろいろな縁が結ばれながら社會は大きな生命体として発展していくのですが、その社會に責任を持とうとせずに自分さえよければいいという考えを持ってしまえば、世界はもっとバラバラになります。

現在の世界情勢をみてみても、保護主義を中心にそれぞれが自分のことばかりを自国のことばかりの利益を叫ぶようになりました。本来、人類は今まで何を大切にしてきて生き残ることができてきたか。

教育は社會そのものに通じていますから、すべての教育に関わる人たちはこのことを真剣に考える必要があると私は思います。

参画や協働は、日々の働き方の中に出てきます。単に仕事をするのか、それとも働くのか。人生でいえば、ただ学校に行くのか、それとも自分の人生を生きるのか。

自分の足で歩んでいく力をつけるためにも、参画協働の仕組みはこれまでの刷り込みを取り払う重要な鍵です。引き続き、ドイツ視察を通して参画協働の試行錯誤を洞察し社業でも活かしたいと思います。

 

 

ドイツのはじまり2

ドイツの歴史が近代に入ってきますが、ユンカー出身のオットー・フォン・ビスマルクがプロイセン首相に就任し、鉄血政策を推進しドイツ帝国が成立します。しかしその後の首相、ヴィルヘルム2世は親政開始と同時に帝国主義的な拡張政策に転換します。

このヴィルヘルム2世は、ヨーロッパを巻き込み第一次世界大戦を勃発させます。アメリカも参戦し、1918年キール軍港の水兵の反乱を契機としてドイツ革命が発生すると、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命します。ここでドイツ帝国は崩壊し、ヴァイマール共和国となります。

敗戦後、ドイツは(ヴァイマール共和国)は敗戦国として結ばされた講和条約のベルサイユ条約は非常に過酷な条件を課せられました。賠償金の支払いは困難を極めドイツ国内ではインフレが進み、賠償金の支払いが滞る事態となります。ミュンヘン一揆なども発生し、民衆の不満はどんどん加速していきました。

しかしシュトレーゼマン内閣の時期には賠償金の支払いに関しても条件が緩和され、インフレ対策も功を奏し、経済と政情も少し安定してきます。さらにロカルノ条約を締結し、国際連盟に加盟しようやくドイツは国際社会に復帰することとなります。

安定もつかの間、アメリカに端を発した世界恐慌に巻き込まれ経済が急速に悪化し混乱します。この時、あの有名なアドルフ・ヒトラーが台頭してくるのです。

政権を獲得したヒトラーは国内的には公共事業により経済の立て直しを図る一方で、「ニュルンベルク法」に代表される人種政策を実行します。さらに軍備を急速に拡張し、国外に向けて侵略を次々に開始していきます。ポーランドに侵攻した際に、イギリス・フランスはドイツに対して宣戦布告をし第2次世界大戦が勃発します。ドイツの勢いが強く、はじめにフランスが降伏、さらにイギリスを除く西ヨーロッパを制圧する勢いで勝利を重ねます。

しかし、ソヴィエト連邦のスターリンと結んだ「独ソ不可侵条約」を破棄し独ソ戦争に発展し、急速に勢いが衰え各地のドイツ軍は敗戦が続きます。最後にはベルリンがソ連軍により包囲され、総攻撃が行われヒトラーは自殺し1945年5月、ドイツは連合国に対して無条件降伏するのです。

敗戦後、連合国の占領、管理下に置かれたドイツは、1949年5月、米・英・仏の占領下にあった地域では自由主義・資本主義国家としてドイツ連邦共和国(西ドイツ)ができ、ソ連は同年10月に占領地域を共産主義国家としてドイツ民主共和国(東ドイツ)ができます。東西ベルリンの間に「冷戦の象徴」とも言われた「ベルリンの壁」が設けられ対立がはじまります。

そしてソ連の書記長ゴルバチョフが始めた「ペレストロイカ」の波が東ヨーロッパに押し寄せた結果、東欧各地で民主化が起こります。1989年11月、東西ベルリンを隔てていた壁の検問所がなかば自発的に開かれ、ベルリンの壁が破壊されます。これにより東西の往来が可能になりドイツが再び統一され大国としてEUの中核国になります。

敗戦後の復活は日本と似ていて、西ドイツを中心に経済を発展させ著しい成長を遂げました。統一後もドイツは、ものづくりや貿易によって世界の経済大国の一つに返り咲きます。

現在のメルケル首相は、2005年11月22日に首相に就任してから「ドイツのお母さん」と称され、高い支持率を誇りEUの盟主としてイニシアティブをとってヨーロッパ経済をけん引しています。しかし、ここにきて中国との経済協力の見直し、増え続ける難民と移民の問題、ロシアとの関係、ギリシャ危機、イギリスのEU離脱、他にも好調だったドイツに影が見え隠れしています。

これからどのようにドイツは歴史の舵を切るのか、日本も似た境遇にあったドイツの取る道筋が参考になることも多いと思います。

さて、簡単に歴史を辿りましたがドイツはこうやって何度も分裂と統一を繰り返し多様性を維持しながら発展させてきた国家です。世界の中でのドイツがどのようになっていくのか、現在の教育や保育の中にもその未来への種が隠れています。

今回の視察では、伝統文化や歴史、現在のドイツの事情を洞察しながら日本の未来を直観する研修にしたいと思います。

 

 

日本人の教育の原点

日本の民話や昔話には、深い智慧がありそれを読み聞かせることで子どもたちはそこから様々なものを直観するものです。特に終わりがはっきりしていない物語ほど、考えさせられることが多くなぜという意味を感じさせるものばかりです。

特に、日本の昔話や民話は動物たちや妖怪、幽霊や鬼、また植物などをはじめすべてのものが擬人化されて語られます。八百万の神々といって日本では、どんなものにもいのちが宿っているとして当たり前にそれが民話や昔話で語られます。

つまりは日本人の価値観として、無生物といわれる「物」に至るまでいのちがあると信じているということです。

もともと「物体」とは、「物」の「本性」という意味です。この「体」とは、そのものの本体のことを示します。物体とはいわば、そのものの本性のことを示しそのものの本性は何かということを現わしている言葉です。そして「勿体ない」という言葉は、そのものの本性が消失すること、つまりは本体のハタラキが消えてしまったことを指します。

物の本性は「いのち」ですから、そのいのちが失われてしまうことを勿体ないとむかしの日本人は言いました。すべての物にはいのちが宿っていくからこそ、そのいのちを失わないように大切に使い切っていこうとするのです。

供養があるのは、そのいのちのハタラキが消えたものたちに対しての思いやりと感謝でありむかしは当たり前にそのいのちを観ながらその物を活かしていたとも言えます。

現代は、物にいのちがあるとか言うとすぐに気味が悪いと煙たがられたりまだ使える懐かしいものでもゴミのように簡単にポイ捨てしまう世の中です。むかしの日本人の価値観が失われていくことで、八百万の神々といった価値観や日本人の文化もまた塗り替えられていくように思います。

昔話や民話を大人が子どもに読み聞かせることは、大人も子どもも日本人の価値観を学び直して文化を習熟していく伝承の仕組みです。改めて子どもの頃に読んだ話や聴いた話を思い出しながら子どもに言い聞かせていると自然に子どもの頃に感じていたことや直観したいのちを思い出すことができます。

大人になって知識が増えて、子ども心に当たり前に観えていたものを忘れてしまった頃にもう一度思い出すことは大切なことです。そして子どもから学び直し、子どもと共に先人たちが出会った出来事から学んだ大切な道理をまるで絵本を読むかのように自然に習得していくという教育方法は道理に適います。

これは学校で試験やテストや受験で学ぶ教育とは異なり、好奇心のままに愛情深い真心が水が真綿に沁み込むように自然に智慧が入っていきます。

この智慧の伝承の仕組みこと教育の本質であり、日本人の学び方だったのかもしれません。

色々と現代はテクニックでエリート教育が過熱していきますが、本来の教育とは何のためにあったのか、そしてどのようにしていたのか原点回帰する必要性を感じています。

引き続き、子ども第一義の理念に取り組んでいきたいと思います。

平和の祭典

2020年に東京オリンピックを控えて各地で競技場などの工事が行われています。オリンピックを誘致したときには盛り上がりましたが、あまり最近ではニュースになることもありません。どちらかといえば、エンブレムの問題や競技場のために木を切り倒して産廃に出したりと心ないことばかりが注目されています。

そもそも古代にはじまったオリンピックは、古代オリンピックは紀元前776年に古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアでゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされています。一つの神々への供養としてのお祭りの一つだったとも言えます。そこからキリスト教が国教になりオリンピックは廃止されます。

その後は、現代になってフランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵によって1896年第1回大会がアテネで開催されることで復活しました。クーベルタンがオリンピックを始めようとした根本動機はスポーツを通じて人間を変革することとしました。そこで単なる「スポーツの祭典」ではなく、精神の発達を願う芸術祭も含めてのものにしたのです。1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会まで芸術競技が開催されていて1952年第15回ヘルシンキ大会から「芸術展示」、1992年の第25回バルセロナ大会からは「文化プログラム」として実施されたといいます。

この文化的な側面を大事にしようとしたことは、人間をよりよくしていくための方法の一つとして開催されたことになります。そこから「平和の祭典」であると定義し、クーベルタンは「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことをオリンピックの目的と理念にしました。「勝敗だけではなく、ルールを遵守し正々堂々と全力を尽くす」という「フェアプレーの精神」がオリンピックでは重視されるのもこのためだとも言えます。

この平和の祭典という目的を忘れるところに問題があり、オリンピックの目的が政治利用されたり利害によって経済効果ばかりが注目されるようになってきたとも言えます。本来の意味を理解するのなら、スポーツは何のためにあるのか、ドーピングの問題なども出てきますが目的を忘れることで本質もまた変わっていくのかもしれません。

昭和の頃の東京オリンピックでは、日本が大きく変わった節目の年だったとも言えます。あの頃を振り返り、これからどう生きていくか考えるチャンスの節目かもしれません。

私たちも平和の祭典に参加しながら、子どもたちのために最善を盡していきたいと思います。