伝統固定種の甦生

昨日は、自然農の畑で伝統固定種の堀池高菜の種どりをいつも親しくしている情報工学の学生さんや友人のご家族と一緒に行いました。新緑のいい風が吹いていて、今年は特に種をたくさん収穫することが目的でしたからしっかりと種どりを行いました。

もともと高菜というのは、漬物にすることで有名です。日本三大漬け菜として「高菜漬け」「野沢菜漬け」「広島菜付け」があります。そして九州を代表する漬物がこの高菜なのです。

高菜というのは、前にもブログで書きしましたが平安時代くらいに種が日本にも入ったといわれています。平安時代は8世紀末ですから1200年以上前からずっと日本で育ってきたということになります。日本の風土に根付いて、日本の味になり、さらに九州の風土の各地に根付き、それぞれの美味しさに進化してきました。

調べると西暦892年発刊の『新選字鏡』には高菜の事を「太加奈」と記載してあるといいます。明治時代には中国四川省から高菜の在来種というべき青菜が日本伝わり九州・東海地方に伝わったといいます。そこで九州では紫高菜、柳川高菜、相知高菜となり高菜漬に適した三池高菜になったそうです。もともと筑豊地域の高菜漬けはとても美味しかったと年配の方々からよくお聴きすることがあります。

炭鉱の時代、炭鉱夫はお腹を空かせてたくさんのお米を食べたことでしょう。その時、もっとも食卓でご飯の友として食べられたのがこの高菜だったことは簡単に想像できます。それが今では、飯塚のほとんどの農家さんが積極的に高菜を作っていません。

その理由は、やってみるとわかるのですが重労働にもかかわらず見合う収入が得られないということがほとんどです。高菜は安いわりに大変な労力がかかるのです。よくラーメン屋にいけば無料で高菜がついていたりします。他にもスーパーなどで販売していますが、どれも安いことが分かります。高菜イメージが安いというものでできていますから、それが高いと売れないという理由もあって農家さんの収入の役に立ちませんでした。

そういうことがあり農家さんの高菜離れが拍車がかかり今ではほとんど作らくなったということです。さらに福岡には三池高菜があり、その有名な高菜を種をもらい筑豊でも三池高菜の種を植えるようになりました。他にも大手種メーカーで自由に高菜の種を買えますからそれを植えています。そうするとそれまであった地元の伝統固定種と交雑しますし、さらには農薬や化学肥料をつかうことで本来の味わいも落ちていき形状も変わっていきました。

本来の伝統固定種というものが失われていくのは、こういった消費優先の経済活動によってそれまで醸成されてきた1200年の文化ともいえる進化が消失するのです。

よく考えてみたらわかりますが、今もむかしも重労働であったのは1200年間変わっていません。それでも人気だったのは、郷土の知恵料理であり、懐かしいふるさとの味を子どもたちにつないで残していこうとした先人の想いや願いもあったことがわかります。

それが今、安易に生活できないからという理由や便利さを優先し簡単に変化し守る努力を諦めてやめてしまえばそれまでの歴史も潰えてしまうのです。時代が変わっても流行で価値観が変わっても、変えてはいけないものがあると私は思います。それが未来への宝になり、子孫たちへの与贈になるのです。

必ず時が経てば、本当の価値や真実は時間と共に明るみになります。希少価値とはそういうものです。しかしその時にやろうとしても種が残っていなく栽培できる環境がなく、消えてしまってはあまりにも悔いが残ります。これを新しいテクノロジーを活用し温故知新して新たなものにし、新たな価値に乗せて守り育てていきたいと改めて感じる一日になりました。

手触りや手入れは、心とつながっていますから目的や初心を忘れることはありません。人間に寄り添うテクノロジーを私は突き詰めていきたいと思います。伝統と歴史、地域や風土、人、物、心の和合、堀池高菜からはじまる伝統固定種の甦生を楽しみにしています。

大切な一歩

日本には古来から今まで続く伝統の精神があります。これはずっと先祖代々、親祖から今まで大事にしてきた心であり私たちの基礎や土台になっている重要な文化の源泉でもあります。

つまり何を大切にするかということを、代々、伝承して磨いてきた私たちに備わっている精神文化です。これは空気のように当たり前になっていて気づきにくいものですが、それぞれの民族にはそれまで連綿と続いてきた伝統が必ずあります。伝統とは、伝承されてきた歴史のことです。

この歴史は、風土の影響を受け、或いは、ご縁の影響を受け、また或いは偉大な先人の確立した哲学や実践の影響を受けたものかもしれません。私たち日本人が、よく感じている空気感、場や間、和などもまた日本的精神文化であることは間違いないことです。

ここから何が分かるかと言えば、一つは八百万の神々という言い方があるように多くの神様の意見を集めること。八意思兼神を私も邸内社でお祀りしていますがこの神様は神々のファシリテーターのような役目で一円観を持つ偉大な先祖でした。

もう一つは、徳を重んじることです。自分の主体性を発揮し、自分らしくイキイキと楽しみ喜びながら周囲の喜びになっていくという姿。日本人の仕事観は、本来は「ハタラキ」といって自然のように自分自身を主体的に発揮してみんなのお役に立っているということです。つまり、みんなの働きにみんなで感謝しているという状態。いつも働いてくれてありがとうとすべての存在に感謝しているということです。

さらに一つは、繋がりの中に生きているということです。常に一緒に生きているという存在として思いやりを忘れていません。和の心とは、調和のことですべてのご縁を大切にして繋がっていることを忘れないという生き方です。このつながりに何か大切な意味があるとし、そのご縁の糸を丁寧に丹精を籠めてつなぎます。ご縁をみんなで尊重し合うのです。

日本人は、本来、そういう精神文化の土台の中であらゆる世界の文化を取り入れてj文たちの文化の上に重ねてきました。土台があるから、器があるからそこに盛ることができるのであってそれがなくなればただ散らかっている部屋のようになってしまいます。

今の世の中の問題を眺めてみたら散らかし放題で片付ける人もいなくなっているように感じるのは私だけでしょうか。子どもたちはその散らかった部屋で居場所がなく、あちこちとさ迷ってしまいます。

先人たちの今までの生き方を見つめるとみんな子どもたちにその伝統精神をどう譲っていくかを苦心して努力してきた存在であったことがわかります。

その証拠に、行事や御祭りをしたり伝統的な暮らしをととのえていく場をたくさん用意して反省を続けた形跡があります。

この時代は世界の文化が混じり合っている世紀ですがだからこそ自分たちの文化をちゃんと学び直す必要があると私は思うのです。私の暮らしフルネスは小さな一歩かもしれませんが、先人たちが紡いできた長い道のりの大切な一歩です。

真摯に子どもたちのために、自分の天命をやり切っていきたいと思います。ありがとうございます。

清らかな生き方

先日、清々しい人にお会いしました。この清々しいというのは、けがれがなく気持ちのよいさまだと辞書にはあります。「清」の字には、水が綺麗で澄んでいることや、心や行いにけがれがないこと、気分が良い意味です。そしてこの「清々しい」は、この「清」の字を重ねることでより一層清らかさや爽やかさを表現する言葉です。

その清々しいの対義語は、気が塞いで晴れ晴れしない、あるいは気持ちがよくないという意味で「鬱陶しい」「鬱屈した」「不快」「気持ちが悪い」「癪に障る」「邪魔」という言葉があるといいます。

この清々しいのことを調べていると、お金に対して清々しいという言葉とお金に汚いという言葉のことを知りました。お金に対して清々しいや綺麗という人はどのような人なのか。

以前、悪いことをして得たお金を貰いたくないという人に会ったことがあります。あるいは、自分だけが得をして独占するようなことをしたくないという人にも会ったことがあります。または、いつもお金に助けてもらっていると感謝して使っているという人にも会ったことがあります。そして托鉢や浄財によって暮らしをととのえている人たちにも会ったことがあります。

そういう人にお会いすると、清々しい気持ちになった記憶もあります。これはお金のことを感じたのではなく、その人の生き方のことを感じたのです。

人間は、どうしても自己中心的です。そして道具や物を自分の都合のよいように使うものです。しかし、その使われる道具もどのようなことに使われるかで使い手の人柄が道具に現れます。みんなが喜ぶように、また仕合せになるようにと願いながら使う道具にはどこか徳が具備されていきます。しかしその反対に、戦争や不幸の傍で使われるものはどこか殺伐としてきます。

不思議なことですが、同じことをやる道具にしてもそこに清々しさや汚さやケガレのようなものがあるのです。私が尊敬しているむかしの侍は、道徳規範を持ち、大義や忠義を重んじ、人として恥ずかしいことをしないという生き方を示した人たちがいました。

その清々しさというのは、いつまでも心の規範として心に宿っているものです。どの時代でも、生き方を磨いて清々しくしていくことはできるものです。透明な水のように清らかな人に会うと、心もまた清らかになっていきます。

そんな生き方を学び、子どもたちにも清らかな環境をととのえていきたいと思います。

英彦山の菩提樹

昨日、英彦山の宗像神社の境内にある菩提樹周辺のお掃除をしてきました。もともとここはかつて弁財天をお祀りしていて明治の神仏分離や廃仏毀釈で宗像神社に代わったものです。

本来、ここは寺院だった証としてもこの菩提樹があります。この菩提樹は、植物名ではありません。この「菩提」はサンスクリット語の「ボーディ」(bodhi)の音写で、仏の悟りという意味を現します。なので菩提樹というと、仏の悟った樹という名称なのです。もともと仏陀は苦行難行の末菩提樹の樹の元で坐禅を組み、12月8日明けの明星と共に悟りを開いたといいます。仏陀はこの菩提樹と共に悟ったということでしょう。

今でもインドのブッタガヤには二千五百年前にその下で悟りを開いたといわれる菩提樹の巨木が存在しているそうです。日本では、インドボダイジュではなく中国産の支那菩提樹が植えられています。これは栄西禅師が文治5年(1189)香椎の文治寺植え、後建久6年(1195)に奈良東大寺鯖木の跡に植えられたものが各地の寺院に植えられたご縁でそうなっているようです。

この英彦山の菩提樹は県指定の天然記念物で昭和39年に指定されました。この天然記念物指定とは、文化的、歴史的にも価値があり日本の宝として保存していきたいというものです。

菩提樹の歴史をよく眺めると仏陀とのご縁で広がり、またその後の仏教の弾圧などを受ける因果の樹木でもあります。仏教と共に歩み、そして様々な歴史の苦難を共にしてきた不思議な樹です。私にはこの菩提樹の佇まいが仏陀の化身そのものにも観え、不思議な気持ちになります。

英彦山の守静坊にある枝垂れ桜も、数奇な運命で今も存在していますが同じ下谷を守り続けているこの菩提樹もまた数奇な運命であることを直感します。

この不思議な2本の樹木は、誰が何のために植え、そして今も何を語っているのか。

こうなってくると直観や五次元や量子の世界の話になってしまいますがこの樹木たちが歴史をとおして見てきたもの、そしてこの樹木に語り掛けてきたご縁のある人たちの想いを今に伝えているように私には感じます。

歴史のなかで、今も生き残り人々に触媒として何かを伝道し伝承する存在こそ日本の宝です。私もこのご縁を通して、未来の子どもたちに大切な宝を守り譲っていきたいと思います。

縁と恩

私の手元には、たくさんの方々からいただいたものがあります。それは伝来の銅鏡であったり、法螺貝であったり、または出会った方々の形見分けのようなものを託されていていただいたものは今でも大事に持っています。

また同時に今の私もたくさんの方々かた託されたもので仕上がったものです。ご縁から、あると時には死別し、ある時には任され、またある時には頼まれ、気が付いたら今のようになってしまいました。

特に遺志を継いでいるものや誓いや約束したものを守ることで大きな力をいただいています。これは相手がいるのですが、実際には自分の中で決心したものですから相手はもはや関係ありません。自分自身が心に決めたことに誠実に取り組んでいくだけですが、それがとても大変なことで挫けそうな時こそその相手の励ましや応援をいただくことばかりで有難く感じています。

人は一人ではないというのは、自分の中にもたくさんの人が存在しているのでわかります。今の私になったのは、その出会ってきた方々とのご縁、そして今の私になるまで繋いできていただいた存在があってこそです。

そのご縁とご恩に報いていきたいと思うからこそ、一期一会の人生を歩んでいくことができます。

人生にはいつも大事な局面で恩師や同志同朋が顕れます。

そうやって結ばれ続けていくご縁を深く味わいながら感謝して道を歩んでいきます。

今しかないからこそ、忘れないで悔いのないように生きていきたいと思います。

暮らし方

人はそれぞれに人生を生きていますが、その中で暮らしがどうなっているかはその豊かさや仕合せを左右するものです。例えば、芸術や文化、音楽などを含めそれがなくても毎日仕事をしてお金を稼いで毎日、忙しく生きてはいますがそれで日々の暮らしが潤うかというとそうではないことはすぐにわかります。

ある人は、毎日の生活に潤いがありまたある人はそれがない。それは環境もあるかもしれませんが、本来は生き方が決めるのであり、その生き方が暮らし方を決めているということもでもあります。

どんなに忙しい毎日であっても、暮らしがととのっているのであれば潤いのある日々を過ごしていくことができるのです。

私の場合も、周りからみると結構暇そうに過ごしているように見られることがあります。特に古民家で炭火でお茶を沸かしてゆったりとおもてなしやおしゃべりをしていますから余計にそう思われます。

私のことをあの人はもう十分儲かって稼いでいるから仕事をしなくていいなどと言われたり、話が長いし時間がゆったりだから気を付けないとすぐに時間がなくなってしまうよなどともいわれます。しかし実際は、結構な忙しさもありやっていることを話すとよくそんな時間がありますねというくらいいろいろとやっています。ただそう見えないだけといことです。

それを考えてみると、私の場合は「今」というものを大事にします。また人生の座右の銘は一期一会です。その瞬間に真心を籠めていきると決めていますから、忙しくても心まではそうならないようにと噛みしめながら味わっています。毎朝毎晩、振り返りをしてはその余韻から気づいたことを反芻しています。

自然に触れたり、花をめでたり、炭を感じ、音を聴き、光を観察しご縁を味わう。そうやって少しの隙間に、今、この瞬間を楽しむのです。

暮らしは、暮らし方でもあります。

人生は一度きりですから、悔いのないよう潤いを忘れないように過ごしていきたいものです。子どもたちにも、多様な暮らし方を選択できるような場をつくっていきたいと思います。

和やかなテクノロジー

最近、ある人の紹介で「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)のことを知りました。これはシンプルに言えば、人、情報、自然が一体になって調和したテクノロジーのことを言うそうです。

もともと今のような情報社会になることをユビキタス・コンピューティングの父とも言われる有名なエンジニア、マーク・ワイザー氏はすでにその当時から予見していました。そしてそのワイザー氏が、現代のようなユビキタス・コンピューティングの時代に「カーム・テクノロジー」というコンセプトが必要になると予言していました。

このコンセプトは、テクノロジーが暮らしの中に溶け込み、自然にそれを活用しているという考え方です。このコンセプトは約四半世紀を超えて、人類に求められてきているテーマになっているということです。日本でも、この考え方を実装するためにmui Labという会社が京都に創業しています。この会社が監修したアンバー・ケース著の『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(BNN 2020年)にわかりやすくその内容の一部を整理しているので紹介します。

「テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない」

「テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなければならない」

「テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない」

「テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない」

「テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない」

「テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない」

「テクノロジーの最適な容量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である」

「テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない」

もともと、この「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)はなぜ必要になるのか。これは私なりの考え方では、自然を尊重するなかで如何にテクノロジーとの共生をするかは人類が生き延びるための普遍的なテーマだからです。これは避けては通れず、やり過ぎればどの文明も自分たちの技術によって滅ぶのです。これは歴史が証明していますからいつの時代でもその時代に生きる人が取り組む課題になるのです。そしてこの課題が発生する理由は、そもそも道具というものを使い進化するということの本質にこそあります。

元来、道具というものは、全て使い方から産まれるものです。そして使い方は、使い手の人間力そのものによって最大効果を発揮します。使い手が如何に人間的な徳を磨いてきたか、そしてその徳を積む環境の中で道具と調和をはかったきたか、そこには時代に反映された生き方と働き方があります。

道徳と経済の一致の話も同様に、人はどの時代においても謙虚や自然への畏敬、そして自分たちの文化や歴史を洗練させてきました。この時代においても、それは必要で今の時代は特にテクノロジーで便利になり過ぎているからこそ危険なのです。

自然環境が破壊されるのもまた、その行き過ぎた消費文明の中の技術主義にこそあります。技術が技術を調和するには、確かに私もこのカーム・テクノロジーが行き過ぎたテクノロジー依存の人類には必要だと実感しています。道具だけ進化させても人間力が伴わなければ片手落ちになるからです。それは、今の人類の核の利用をみても明白です。

私ならこういう時は先人に倣います。自立した先人たちがずっと大切にしてきた伝統的な日本の和の暮らしをととのえながら、その時代に発明された道具を必要最小限で最大の効果を発揮する仕組みを知恵として生活に取り入れるのです。

私が提唱する暮らしフルネスは、古民家の懐かしいもの、宿坊の仙人的な知恵に囲まれていますが文明のテクノロジーは否定していません。むしろどれだけテクノジーを人間力で高められるかに興味がありそれを実現させようと取り組んでいるのです。これを徳という砥石を使ってやりましょうと話しているのです。言い換えれば、私なら穏やかではなく「和やか」というでしょう。そしてこの和やかな暮らしこそ、人類を救うと私は確信しています。

和やかなテクノロジーを、この日本、この福岡の地から発信してみたいと思います。

危機に備える

今回、ウクライナとロシアのことでウクライナの人たちが「まさか本当に侵攻してくるとは」とほとんどの人がショックになっていたというのを報道で見ました。私たちも外から見てて、世論も最初は脅しや一部の地域だけの侵攻かと思っていたら全面的に侵攻していきそこでまさかと考え始めます。そして第3次世界大戦が起きるのではないかと、それも今でもまさかそんなことはを思うようになっているはずです。
コロナの時も、想定外が発生して初動が対応できなかった国もたくさんあります。そして今は、戦争が発生してどのように想定外に対応するかが試されているのです。
昨日は、原発を攻撃したという報道が流れました。その時、私もまさかそんなことがとショックを受けましたが戦争ですからこれは当たり前に想定されることです。しかし、そんなことは起きてほしくないと思っていることや、まさかそこまではしないだろうとバイアスがかかっていることに気づきます。
本当の危機は、自然災害よりも人間の人災の方が確率も高く衝撃も大きいものです。これから世界がどのようになっていくのか、思考を停止させず危機に備えて動いていきたいと思います。

真の知恵

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますが、仲間や同志たちからたくさんのメッセージや連絡が入ります。私が今、ちょうど必死に取り組んでいるのを汲んでくれているのか、温かく強い言葉をたくさんかけてくれます。

みんなそれぞれの場所で、自分の信念と生き方を守るために自己と向き合い周囲に流されずに踏ん張っています。時代の中で、何度も生まれ変わる中でこうやって友達に再会しそれぞれで励まし合っていくのはとても仕合せなことです。

コロナで不要不急といって、色々なものが失われていきました。

その中には、決して不要不急ではなくても普遍的で何よりも大切な伝統や文化、そして伝承なども失われていっています。そして経済を優先するように働きかけ、経済と関係ないものは後回しという具合にもなってきています。

実はいつの時代も、今回のコロナのような感染症が流行した時もあり、今のように戦争が起きて日常生活が一変したことは人類は体験してきたのです。

しかし今でも、文化が失われず、日本人としての生き方がそれぞれの人や場所に遺っているのはそれは先人たちがどんな過酷な環境下であっても守り通してきたからに他なりません。

つまり今の自分の存在こそが、先人の生きた努力の結晶の証なのです。

そこに私たちは真の誇りと心のやすらぎ、そして居場所を得るのです。

最近は、居場所がないと苦しんでいる人が増えています。それは先祖や先人たちとのつながりが希薄になっているからです。私は家系図を辿ったこともあり、そして家系図で出会った先祖をその後にお祀りすることになり、今では歴史のつながりの深い場所や人、そしてご縁を大切に生きています。

御蔭様でいつも心の深いところに居場所があり、いつも身の周りには先人からの知恵とご加護とお守りに包まれて暮らしていくことができています。

私に言わせれば、「コロナで不要不急だからこそ、本当に大切なものを守る。」ことが今を生き、これからを生き延びるための真の知恵だと感じています。文化に携わる友人たちは、みんな今、大変な想いをしながら自己を磨き利他に挑戦しています。

私もみんなの元氣の一つになれるよう、みんなが勇気を出すためのチカラになれるよう、私の持ち場を守っていきたいと思います。

いのちの甦生

英彦山の守静坊の祭壇の甦生が仕上がってきました。江戸時代に書かれた建具の絵に仙人が描かれており、そこで学んだ山伏や檀家さんたちの様子が甦ってきました。

私はその時代には生きていませんが、その建具は大勢の人たちがこの宿坊に来て様々なことを学び合い語り合い、そして助け合った記憶を見守ってきました。新しい宿坊になっても、この時を超えた見守りはいつまでも続くようにと願い祭壇の壁面として生き続けられるようにしました。

他にも、もともとあった古材の板をはじめ彫刻や柱など遺してあるものの中でも特に大切に祀られてきたものや飾られてきたものはできる限り修繕をして使っていきます。

私たちの身近にあるものはどれも歴史を持っています。古いものであれば、何代もの主人を経て今の私のところにたどり着いています。前の主人はどのように大切にしてくれたのか、新しい主人はどのような人なのか、物はよく私たちを観ています。

どう考えても私の寿命よりも長いものばかりに囲まれていると、その数奇な運命に人生の妙味を感じます。辿ってきた歳月や、出会ってきたご縁、そして時代の様々な出来事との遭遇、それをすべて体験して今のカタチとして此処にあるからです。

物は物語を持っています。これはただの無機質の物ではなく、時を持っているのです。その時が集まってきたもの、つまり集大成がこの今であり私でもあります。

物を大切にすることも、もったいないとすべてのご縁を活かすこともそれはこの時の中に自分も一緒に存在していることを感じ続けているからです。これを最近では五次元という言い方もするそうですが、元々生まれてきてからずっとこれからも私たちは五次元の中今に存在するということでしょう。

私が仕合せなのは、もともと別の使われ方をするために作られたものがそこで一生を終えるのではなく別の役割をもって甦生していき喜んでいる姿を観ることです。そのものが終わるかどうかは、それを見出し使う側の存在に由ります。

才能があっても見出す人がいて開花するように、道具たちや物たちもそのいのちを活かす側によって開花します。この地球で産まれたすべてのいのちは、そうやってお互いに活かしあい生きるときこそ真の幸福を感じるのです。

私の甦生の流儀は、場にこそ顕れます。

子どもたちに場を遺し、その生き方を伝承していきたいと思います。